〈第三項〉論で読む近代小説  ◆田中実の文学講座◆

近代小説の読みに革命を起こす〈第三項〉論とは?
あなたの世界像が壊れます!

今月の講座のお知らせ

2022-07-19 14:29:31 | 日記
 今月の講座は今週の土曜日にするかなと思いながらも、月末30日に甲府に参ります。時間の設定はいつもの通りの予定ですが、また正式には改めて係の方からご連絡します。

 いつもの事ですが、近代小説・童話の原理を予め、ご質問を頂けるなら、これを踏まえながら、進めていきたいと思っています。
 昨年に続きここれらに限らず、今年の三月「近代小説の神髄―「表層批評」から〈深層批評〉へ―」の後、明治図書の「「読むこと」の原理へ―あまんきみこ[あるひあるとき」を例にして―」が遠からず公表にになりますが、これまでの半世紀の論をしばらく振り返り、30日には、原理論をさらに考えてまいります。どうぞご参加ください。またブログ書きます。


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「永訣の朝」を読んで

2022-07-19 06:57:50 | 日記
 古守やす子さんの宮沢賢治[永訣の朝」の実践報告の文章が送られてきたので拝読、高校生の反応がそれぞれ、そのどれもが一つひとつ、なるほど・なるほど・と思わせ、嬉しく思いました。
 そこで改めて、今朝も「永訣の朝」を読み直して、ああそうか、とこれにしばらく読み終わってぼっとして庭を見ました。
 「永訣の朝」もまた、私には、「背理の輝き」を感じたのです。ここでの「わたくし」は激烈の悲しみがこの詩の中で、すきとおった本当の食べ物になって、透明な光に輝いている、詩の極み、文学の極みが背理に輝くと感じました。
 「わたくし」はあくまで、自分の人生のすべてを懸けて、妹の死にいく姿に哀しみの極みに立たれています。この放り出されている極限的痛みを感じながら、それは同時にこの詩の中で、天上のアイスクリームになってとし子と一体になっている祈りのこ言葉になって、輝くのですね。不思議と言えば不思議、これが賢治文学かなと感じています。
 望月先生が全国大学の発表で、この詩に関して、童話集『注文の多い料理店』の「序」について指摘されていたことを思い起こしました。
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