稼いで使う。人生はその繰り返しである。しかし、お金の使い方には、本当によかったと思えるものと、失敗だったと思えるものがある。
失敗の代表格は30代のころに買った名張市の土地。安かったから買ったがこれがとんだ食わせ物だった。世間知らずだった。また、株式投資も失敗の連続だった。経済の勉強にはなったが、ずいぶん高くついた。これまでの損失は8桁?に及ぶかも。
反対によかったと思えるものもある。代表格はマンション投資。アベノミクスの金融緩和と高齢化に伴う都心回帰の予測がズバリ当たった。おかげで株式投資の損失を埋め合わせることができた。また、財政破綻に備えて金やドルを買ったのも正解だった。
これまでの人生で最もよかったと思えるのは、20代にスキーに熱中して大金を注ぎ込んだことかもしれない。ワンシーズンに150万円くらい使った年もある。でも、後悔は全くない。今までできなかった経験ができ、青春時代の唯一の楽しい思い出となった。
30代は子育てに追われて、ほとんど記憶がない。40代、50代は仕事が面白くて土日も関係なく仕事に没頭した。また、海外旅行にもよく出かけた。中国、香港、韓国、ベトナム、イスラエル、ギリシャ、ローマ、フランス、イギリス、ポーランド・・・。ほとんどは授業のための取材旅行である。大金を使ったがこれも有意義な使い方だった。
58歳(2009年)から家計管理を私がすることになった。収支を把握するためそれまで夫婦別会計だったのを1本化し、きっちりと資金計画を立てた。子どもの教育費がかからなくなったこともあり、妻が早期退職したにもかかわらず、以前よりたくさん貯金できた。
69歳(2020年)からは物を買う楽しみを覚えた。「この世の旅もあと少し」と思うようになり、赤字にならない程度にいろんなものを買い始めた。
まず真っ先に買ったのが、エレクトーンである。若いころ少し習ったことがあったが、どうしてももう一回やりたかった。お金がもったいなかったので、ヤフオクで2019年製のものを定価の3割引きで買った。YAMAHAの教室にも通い始めた。
続いてリビングに置くソファを買った。それまでもソファはあったが、一人しか寝ころべない。それでもう一つ欲しかった。どうせ買うならというのでフクラ製の上等のを購入。ただし、現品処分品を粘り強い交渉で定価の4割引きで(笑)。座り心地は最高!
ついでにお猫様用の円形ハウス。こちらはダイソーで500円だった。気に入ってくれたようでよかった。
そのほか、以前からやってみたいと思っていた日本画教室にも通い始めた。絵筆や岩絵具などの画材を買いそろえ、平山郁夫や東山魁夷の複製などいっぱい購入した。おかげで家の中が美術館みたいになった。
さらに今年になって書斎椅子も買い替えた。人生の大半を過ごすベッドと書斎椅子はやはり一流品であらまほし。コロナ禍で自宅にいることが多くなり、最近、腰痛がひどくなったことも買い替えを後押しした。家具店をいろいろ回って最終的にエコーネス社の「ストレスレス」ブランドの椅子に決定。
これも新品を買えば26万円もするが、ちょうどメルカリで手ごろな品物が出品されていたのでそれを購入。ほとんど傷がない(見た目は新品)の椅子を定価の6割引きで買えたのはラッキーだった。ストレスレスのブランドに恥じない素晴らしい座り心地である。おかげで仕事が一段と楽しくなった。
今日は、この椅子に座って11月に実施される模擬試験問題を作った。年間に6種類の試験問題を作らなければならないが、今日で5種類は完成した。残すは12月実施の定期考査問題のみ。それを作り終わったら、絵と音楽と読書三昧・囲碁三昧の日々を送ろうか。スケッチ旅行に出かけるのもいいかも。お金は生きた使い方をしてこそ価値がある。
ビットコインなどの仮想通貨が普及する上で妨げとなっている原因の一つが、価格変動の激しさだ。アメリカの電気自動車会社テスラがビットコインでの支払いを認めるという発表があったとたん、あれよあれよという間に1ビットコインが700万円まで急伸した。ところがビットコインは電気を無駄に食い過ぎるという理由からテスラが決済には認めないと方針転換したとたんに、370万円まで急落した。
こうした仮想通貨の価格変動リスクを緩和するものとして、世界中の注目を集めているのがステーブルコイン(価格が安定(ステーブル)した仮想通貨)である。これは法定通貨と連動しているため、相場の動きを予想しやすいとされる。
しかし、ビットコインもステーブルコインも今一つよくわからないというのが正直な感想だ。そこへ来て、中国やアメリカが「デジタル人民元」「デジタルドル」の導入を検討しているというからなおややこしい。
一つ確かなことは、ドルが基軸通貨として世界中に使われているという事実をアメリカが死守したいということだ。21世紀の米中の覇権争いは、いよいよデジタル通貨戦争となってきた。
それともう一つ言えることは、ドルの地位を守ろうとするアメリカは、ビットコインが国際通貨になることを決して容認しないということである。あらゆる手段を通じて阻止してくるであろう。となると、ビットコインの値上がりは金融緩和に伴う一時的な投機にすぎず、投機家の遊びに過ぎないと考えられる。こんなもので金もうけをしようなどとゆめゆめ思わないほうがいいのかもしれない。

黒猫が我が家にやってきて18年。
人間でいえばもう90歳くらいか。
今年になってどうやら目が見えなくなってしまったらしい。白内障のようだ。年齢的にももう手術はできない。かわいそうだがこのままにしておくしかない。
目が見えていなくてもけなげに生きている。光だけは感じることができているのはせめてもの幸いだ。時々あちこちにぶつかったりしているが、呼べばちゃんと返事はするし、すり寄っても来る。
でも、最近夜泣きがひどくなった。昼は人間が起きているから安心して眠りこけているが、夜になって人間が寝てしまうと不安をおぼえるのかもしれない。何しろ,光覚があるといっても夜になれば「暗闇」の世界だ。
時々「ぎゃおー、ぎゃおー」とけたたましい声で鳴く。仕方がないからベッドから起きだしてしばらくの間抱っこしてやる。嬉しそうに「ゴロゴロ」とのどを鳴らす。餌をやって、トイレの掃除をしてまたベッドに戻る。
考えてみれば、目も見えないのにウンコもオシッコもちゃんとトイレの中でしているのだから大したもんだ。感動さえ覚える。
目が見えなくなってからは今まで以上にいとおしい。猫の姿に自分を重ねることもある。椅子を引っかいたり廊下を走り回ったり、時々家から脱走したりすることはもうないが、今日も精いっぱい生きている。
先日、時間割変更のため、あるクラスの授業が6限・7限と連続して行われることになった。この連絡を聞いた生徒から歓声があがったそうである。生徒が私の授業を楽しみにしているということをあとで担任から聞いた。受験抜きにして、純粋に勉強を楽しんでいるそうである。すごくうれしかった。
基本的に授業のある日は楽しい。今日も1コマだけ授業があった。非常にノリがよかった。こういう授業はいくらやっても疲れない。
もちろん、いつもこうだったというわけではない。教師になりたての頃、いわゆる教育困難校に赴任して授業が成立せず、ずいぶん悩んだこともあった。あのタイプの学校で楽に授業をこなせるのは、見るからにマッチョな先生である。やんちゃな生徒もこわもての先生の前ではおとなしい。秩序維持は最後は「力」である。私のような非力な人間にはあのタイプの学校は向かないことを思い知った。
適材適所。無為自然。
あれ以来、進学校ばかりを歩いてきた。それもトップ校ばかり。天下の秀才を集めて教育ができる。これ以上の楽しみはない。
私にとって仕事は道楽である。楽しみながら給料がもらえるのだから、これ以上の幸せはない。ただし、決して楽をしているわけではない。今年も日本一の授業をしてあげると生徒に啖呵を切り、自分にプレッシャーをかけている。
この小説は20世紀のフランス文学を代表する大河小説である。20世紀の初めから第一次世界大戦にかけてのチボー家の兄弟とその友人を中心に、様々な生き方や悩みを描いている。私が中学生の時、友人がこの本を読んでいた。彼は恐ろしく早熟な文学少年で、のちに出家して坊さんになった。今頃は高僧になっていることだろう。
この本にはすごいことが書いてある。
「戦争に動員されるくらいなら、ぼくは両手を切っても惜しくはないんだ。全体の利益、大衆の利益は明らかに平和にあって戦争にはない! 銃を手にして戦場に駆けつけることではなく、戦争を拒否することにこそヒロイズムがあるんだ。戦争を可能にしているもの、それは大衆の無知蒙昧な服従だ。ぼくは国家が人間の良心を踏みにじる権利を否定する。国の決めた法律などよりぼくの良心の声のほうがずっとずっと大きいんだ・・・・」
とはいいつつ主人公のアントワーヌは、結局、兵役を拒否できず、毒ガスにやられて口もきけなくなり帰還する。迫りくる死を確信した彼は、最期に自らモルヒネを注射して自殺することをほのめかす。「37歳、思ったよりわけなくやれる」。
待ちに待ったエコーネスの書斎椅子が今日届いた。
思っていたより大きくて書斎に入らない。しかたがないので、いったん本棚の本を全部出して本棚を移動して何とか入れた。
初めて座ってみる。
悪くない。
「ストレスレス」のブランド通りだ。
特にリクライニングが体の重心の移動で自然に動くのがいい。
新品を買えば26万円。メルカリで買ったので6割引きで買えた。
いい買い物をした。
これで腰痛が改善されればいうことなし。
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NHKの朝ドラ「おしん」(全297話)が放映されたのは1983年4月4日から1984年3月31日である。1983年というと、私が金沢から大阪に出てきて初めて府立高校教諭として勤務し始めた年であり、思い出深い年でもある。
あの頃は全くゆとりがなかった。一部の荒れた生徒に対してどう接していいかわからず、授業に行くのに苦痛さえ感じる毎日であった。だから、「おしん」を見るどころではなかった。
作者の橋田壽賀子さんといえば、与謝野晶子と並ぶ泉陽高校卒の女傑である。二校目の勤務校である三国丘高校のすぐ近くに泉陽高校があったことから、この二人には何となく親近感を感じていた。
今年その橋田さんが亡くなった。それでこのドラマを改めて見てみたいと思った。なにしろ平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%というドラマ史上最高の記録を出した作品である。とはいっても297話全部を見るのは時間がかかるので、総集編のDVDで間に合わせることに。
ドラマは貧農に生まれ7歳にして丁稚奉公に出されたおしんの一生を描く。おしんが生まれたのは昭和天皇と同じ明治34年(1901年)とされる。これはこのドラマを昭和天皇に見てもらいたかったからだといわれる。両親が口減らしのためおしんを丁稚奉公に出す「最上川の川下りのシーン」は、貧困による窮乏と悲惨さを象徴するものであり、何度見てもジーンとくる。
このドラマを見ながら、知らないうちに自分の人生を重ねてしまう。私が生まれたのは1951年であるが、当時は日本全体が貧しかった。ドラマの中に出てくる「大根飯」は私の実体験でもある。子どもながらに大根飯が嫌いで嫌いで仕方なかったのを思い出す。
加山雄三がかつて莫大な借金を抱えた時「卵かけごはん」を食べて頑張った時期があるというような話をしていた。これを聞いたとき思った。私が小さいとき卵かけごはんは大御馳走だった。家に鶏を飼っていたから卵は買わなくても済んだが、それでも卵は貴重で、「卵を食べたい」とは容易に言い出せなかった。
貧困をいかに追放するか。それは昔も今も変わらぬ経済学の最大の課題といってよい。1980年代から始まった新自由主義の台頭により、近年、日本でも貧富の格差が拡大している。
おしんの「しん」は、辛抱の辛、信念の信、真実の真、芯棒の芯、新しい新、神様の神。ドラマの中で小作農運動の活動家である浩太が登場するが、橋田が浩太に込めたメッセージとは何であったのだろうか。
仕事柄、昔から机と椅子だけは上等なものを使ってきた。おかげでそれなりの仕事ができたと思っている。
しかし、18年前に黒猫を飼いだしてから状況が一変した。椅子が格好の爪とぎにされたのだ。最初は「コラァーーー」と叱っていたが、そのうち怒る気力も失せるほどボロボロになってしまった。それでも座り心地がよかったので、しばらくはバスタオルでカバーをして使っていた。しかし、それも限界を超え、数年前に処分せざるを得なくなった。
猫がいる限り上等な椅子は買えない!
それで今度はニトリでそれなりの椅子を購入した。まあ、この値段ならボロボロにされても惜しくはない。
最初はなかなかの座り心地だと思っていたが、やはり長時間使うと違いが出てくる。去年からコロナ禍で椅子に座っている時間が長くなり、最近、腰痛に悩まされるようになってきた。
先日、「うーん、こしいたい」「うーん、こしいたい」とうめいていたら、隣の部屋にいた妻が大きな声で笑い始めた。どうしたんだろうと思ったら、どうやら句読点の位置を間違えて聞こえたらしい(笑)。
うちのかわいいかわいいおネコ様、最近様子がおかしい。どうやら目が見えていないようだ。以前なら廊下を「カシャ カシャ カシャッ」と爪を立ててドリフトしながら走り回っていたのに、最近はとぼとぼと歩くだけである。しかも時々壁にぶつかりそうになっている。ひげが触角の役割を果たし、かろうじて衝突を免れている。また昼にもかかわらず瞳が大聞く開いている。18歳と高齢ゆえ、白内障にかかったらしい。もう椅子で爪とぎをすることもなくなった。
腰痛が出てきた上に猫の爪とぎの心配もなくなった。そこで、これを機会に思い切って椅子を買い替えることにした。
当初はカリモクの最高級品(26万円)を買うつもりでいた。ところが、ショールームで実際に座ってみると、リクライニングとして使うには悪くないが、書斎で長時間の仕事をする椅子としては全く不向きであることが判明。値段が高いからいいとは限らない。椅子はやっぱり座ってみなければわからない。
そのあと、いろんなショールームを訪れてみた。その結果、ノルウェーのエコーネス社の「ストレスレス」ブランドの製品が一番気に入った。人間工学的につくられており、座り心地やリクライニング機能がほかの椅子とは比べ物にならないくらい素晴らしい。
さて、問題はどこから買うかだ。新品を買うか、それともヤフオク、メルカリで出品されているのでそれを買うか?悩ましいところである。
結局、メルカリで出品されているものを購入した。比較的状態のいい製品を新品の約6割引きで入手できた。大満足! 便利な世の中になったものだ。収入も少ないことだし、浮いたお金は貯金しておこうっと。
でも、ショッピングってどれにしようか迷っているときが一番楽しいね。買っちゃったら気が抜けちゃった(笑)。

去年から散財が続いている。ソファー(フクラ製)、エレクトーン、平山郁夫や東山魁夷の複製、日本画材、世界文学全集、そして今回は書斎椅子。
でも まあいっか。購入したことにより、この上ない幸せを感じているのだから。
エコーネス書斎椅子 - 南英世の 「くろねこ日記」 (goo.ne.jp)
(参考)
書斎椅子については別のブログでも書いています。
ネコと書斎椅子


娘が書棚を見て「お父さん、文学わかるの?」だって。
失礼な! これでもむかーしむかし、英語の教員免許を取るために慶応で英文学を学んだことあるんだぞー。チョーサー、シェークスピア、ディケンズ、メルヴィル、ハーディ、モーム、ロレンス、ヘミングウェイなどなど、読んだ中身は忘れてしまったが作家の名前くらいは憶えているぞー(笑)。
カンタベリー物語なんか ”ファン サットゥ アプりル なんたらかんたら」と中英語(中世の英文)で読まされたぞー。学部で中英語をやるのは慶応くらいだと高宮先生が自慢していた。ものすごく性欲の強い「バースの女房」の話がやけに印象に残っている(笑)。
まあ、あれこれ勉強した結果、自分には文学的センスがないことを自覚したのだから、娘の言うことのほうが正しいのかもしれないが・・・
長い間、人生に追われる生活を送ってきた。去年あたりからようやく残りの人生を意識するようになった。エレクトーンに日本画。いずれも下手の横好きだが、誰に披露するわけでもない。エレクトーンを弾き、自分の描いた絵に囲まれて生活するって、なんと幸せなことか(笑)。

そしてついには文学。
昔は単位を取るために読んだ。今度は気ままに読んでみたい。