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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

iDeCoとNISA

2022年07月30日 | 日常の風景

人生における三大出費は以下の三つである。

①家の購入(4000万円)

②教育費(子ども一人当たり2000万円)

③老後資金(2000万円)

これにどう対応するか。上のグラフから、日本はアメリカと違って圧倒的に現金・預金が多いことがわかる。政府はこれが癪でたまらない。銀行に預金されても企業はお金を借りてくれない。日本の家計金融資産約2000兆円のうちせめて5%でも投資信託や株式投資に呼び込むことができれば、日本経済はもっと活気づくのに・・・と政府および金融関係者は思っている。

 

【1】iDeCo(個人型確定拠出年金)とは

そこで金融庁などが旗振り役となって「貯蓄から投資へ」の大合唱が始まった。2001年には401Kといわれる「個人型確定拠出年金」が導入された。2017年から401Kは会社員だけではなく、自営業や公務員などすべての人が加入できるiDeCoとしてリメイクされた。

iDeCo(個人型確定拠出年金)とは老後資金を形成する目的で、毎月一定額を、あらかじめ選んだ投資信託に積み立てをする制度である。つまり、上の三大出費の③のために設けられた制度である。

もっとストレートに言えば、公的年金だけでは足りないから、若い時から「自分年金」を積み立てておけという政府の「思いやり」「おせっかい」「自己責任強要システム」がiDeCoである。

この政策を進めるにあたって「エサ」が準備された。iDeCoのメリットは次の三つである。

①毎月の掛け金は全額所得控除になるので、所得税、住民税が安くなる。

②運用によって生じた利益には税金がかからない。

③60歳になって年金を受け取るときには、税制面で優遇措置がある。 

ただし、税金を安くしてくれるのだから積立金には上限が設けられている。自営業で年81万6千円、公務員の場合は年14万4千円である。

資産形成のためには「収入から貯蓄したい金額を先取りする」のが原則である。普通に生活をして残ったら貯蓄しようというのでは資産形成はおぼつかない。そういう意味で、毎月一定額を強制的に積み立てるというのは理にかなっている。

しかし、iDeCoには欠点がある。最大の欠点は、一度始めると「60歳までは引き出すことができない」点である。人生、必ずしも順風満帆とはいかない。病気になるかもしれないし、失業するかもしれない。自営業の人なら資金繰りに困ることもあるだろう。最悪の場合、日本経済をハイパーインフレが襲うかもしれない。しかし、60歳までは絶対に引き出すことができないのがiDeCoである。

また、節税効果があるとはいっても、普通のサラリーマンで節税が必要なほど税金を払っている人はそう多くはない。しかも、投資信託であるから、元本が必ずしも保証されるわけではない。そう考えると、iDeCoは政府が言うほど魅力的な金融商品とは思えなくなってくる。

 

【2】NISA(小額投資非課税制度)とは

一方、2018年にはNISAが導入された。NISAはiDeCoとは異なり、その目的は上の三大出費の①家の購入、②教育費などのための積み立てを目的とする。したがってiいつでも自由に引き出すことができる

NISAには「一般NISA」と「つみたてNISA」の2種類があり、どちらか一方しか選択できない。。

一般NISAは、年間120万円の投資枠の範囲内で、そこから得られた収益を無税とするものである。これに対して「つみたてNISA」は毎月定額を積み立て、そのお金は投資信託に委ねられる。最大年40万円の投資枠があり、期間は最長で20年である。積み立てたお金で得た収益には税金はかからない。

たとえば、40万円を20年間積み立てた800万円が1000万円になったとする。通常なら、利益の200万円に対し約20%の税金がかかる。しかし、つみたてNISAの場合は非課税である。だからお得でしょ、というわけである。

しかし、パンフレットにはいいことしか書かれていない。投資信託であるから当然元本割れするリスクもある。20年間持ち続ければ利益が生まれるかもしれないが、値下がりに耐えることができない人は途中で解約して大損をすることもありうる。

「iDeCo」も「つみたてNISA」も銀行や証券会社で口座を開設することで始めることができる。しかし、政府が旗振りをやっているから安心だと早合点してはならない。政府の戦略・意図が透けて見える。個人的にはあまりお勧めしたいとは思わない。正直な感想である。


静唱 (song of silence)

2022年07月26日 | 日常の風景

東山魁夷の絵をまた買ってしまった。東山が1981年にパリ郊外のソー公園を描いた作品のリトグラフである。東山ブルーを代表する作品で、どうしても欲しかった。心が落ち着く。

早速廊下に飾ってみた。東山魁夷の「緑響く」と並んでいい感じ。

もう、買えへんぞっと思うが、あと数日したら大枚をはたいて購入した大本命の絵が届く(笑)。

 

(追記)

これが届いた大本命。原画は衆議院の議長室に飾られている。

東山魁夷 「晴れゆく嶺」


人口大逆転

2022年07月26日 | 日常の風景

『人口大逆転』チャールズ・グッドハート&マノジ・プラダン著 日本経済新聞出版 2022年5月 を読んだ。面白かったので内容を簡単に紹介する。

主流派経済学はせいぜい2年先の短期的な経済しか見ない。しかし、本書は過去30年、そしてこれからの30年という長期的視点からの分析を行っている点に大きな特徴がある。

1978年の中国の改革開放政策以来、世界の資本主義国の労働力人口は一気に2倍になった。その結果、労働組合の交渉力は低下し、世界はデフレ圧力にさらされた。

ここで一つ疑問が起きる。日本は人口減少、高齢化が世界に先駆けて発生したにもかかわらずインフレになっていない。むしろ1990年代以降、30年間にわたってデフレ、経済停滞、賃金停滞で苦しんできた。このことをどう説明するのか。

著者は第9章でそのことを取り上げ説明している。すなわち、日本の非熟練労働者は中国などの安い労働者との競争にさらされ、そのために賃金は上昇しなかった。さらに日本の年功序列型賃金や終身雇用制度の存在が日本企業を海外投資に向かわせ、国内の産業の空洞化を招いた。こうしたことから、日本の一人当たりGDPは30年間増えなかった。

著者は中国の労働力人口の増加は終わった主張し、これを著者は「人口大逆転」と呼ぶ。そしてこれからの30年はインフレと金利上昇にさらされることになると予測する。

しかし、各国ともこうした事態に対する対策は全くできていない。例えばアメリカは、コロナ対策とは関係なく今後も政府債務は増えていくだろう。その際、金利上昇にどう対応するのかと著者は問いかける。

 


漂流日本左翼史

2022年07月25日 | 日常の風景

 『漂流日本左翼史ー理想なき左派の混迷 1972-2022  ー』 池上彰 佐藤優著 講談社現代新書 2022年7月20日第1刷発行を読んだ。

以下、内容を簡単に紹介する。

日本共産党は1955年の全国協議会で、暴力革命を断念する路線変更を行った。これに対して、暴力革命を肯定するいわゆる「新左翼」が登場した。共産主義同盟(ブント)、核マル、中核、日本赤軍などである。

しかし、暴力を肯定する新左翼は1972年のあさま山荘事件をきっかけに社会から見放され、1970年代の左翼運動は労働運動と結びつく形で展開されるようになる。三公社五現業の労働組合は総評に加盟し、中でも国労、動労、全逓などは大きな力を持った。総評は社会党を支援し、公害問題・物価問題・賃上げなどを通して勢力を拡大した。東京では美濃部知事、京都では蜷川知事が誕生したのをはじめ、横浜、神奈川などで相次いで革新系の首長が生まれた。

しかし、1975年のスト権ストが敗北に終わったことをきっかけに、総評は力を失い始めた。8日間にわたって私鉄以外の全国すべての電車を止めたにもかかわらず、スト権を獲得できなかった。そして総評に代わり一定の支持を集めるようになったのが労使協調路線をとる同盟であった。

日本の労働運動が決定的に潰されたのは1987年の国鉄民営化である。民営化の大義名分は37兆円という国鉄の赤字問題であるとされたが、実は中曽根の真の狙いは別のところにあった。労働組合潰しである。国鉄を民営化すれば最大の労働組合(組合員18万人)である国労は弱体化する。国労を弱体化すれば総評、社会党も弱体化する。そして、最終的に日本の左翼は総崩れする。

中曽根の長期戦略は読み筋通り進んだ。1989年、総評と同盟は合流し「連合」が結成された。総評色は薄められ、連合は労使協調路線をとるようになった。

1991年のソ連崩壊によって左翼思想は壊滅的打撃を受けた。大学からはマルクス経済学が消え、新自由主義が台頭した。1994年、自民党によって社会党の村山富市が首相に担ぎ出されて、社会党は国民から完全に見放された。

アメリカのフランシス・フクヤマは『歴史の終わり』のなかで、ソ連崩壊により共産主義は敗北し、イデオロギーの時代は終わったと書いた。現代における左翼の意義とは何か。

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(以下私見)

労働組合運動がつぶされ、新自由主義が台頭し、時代は19世紀に逆戻りしている。それが21世紀の姿である。歴史は振り子のように揺れ動く。行き過ぎるとその反動で揺り戻しが来る。ただし、その過程で多くの命が犠牲になる。権力者は権力の行使によくよく気を付けねばならぬ。書店に行くとマルクス関係の書籍がちらほら見られるようになった。時代の要請であろう。

 


「60年償還ルール」と合理的期待仮説

2022年07月24日 | 日常の風景

日本の財政赤字が止まらない。累積債務残高は文句なしの世界一?である。本来ならば財政再建に向けて必死の努力をしなければならないのに、どの政党も増税とは絶対に言わない。それどころかお金のバラマキで国民の歓心を買おうと必死である。

財源は?

もちろん借金である。

その借金はいつ返すのか?

日本独特の返済ルールに「60年償還ルール」というのがある。国債の償還年限(満期)には5年、10年などさまざまな種類があるが、基本的には60年で償還することになっている。これは建設国債による建築物の耐用年数がおよそ60年であることに由来する。たとえば10年満期の国債の満期が来たら、とりあえず60分の10だけ償還し、残りは借換債を発行して返すということを6回繰り返すのだ。

この「60年償還ルール」は1985年度からは赤字国債にも適用されるようになった。これまでの新規国債発行額および借換債の発行額をグラフ化すると次のようになる。圧倒的に借換債が大きい。ちなみに、借換債の収入は国債整理基金特別会計に繰り入れられ、新規発行の国債と異なり、債務残高の増加をもたらさない。

 

借金は60年かけて返すという日本独自のルール。これはいったい何を意味するのか。60年後の自分の姿を考えればすぐわかる。そう、現在有権者である人の大半はもうこの世にはいない。つまり、返すのは自分ではない。後は野となれ山となれ。そんな無責任さが借金の山を築いた。

これは地球温暖化問題と似ている。50年後100年後、地球の温度が2度や3度上がったってそれがどうした。そのころには自分は死んでしまってもういない。こちとら、今日明日の生活で精いっぱいなのだ・・・・。後は野となれ山となれ。

かつてルーカスは「合理的期待仮説」を説いて、ケインズ政策は有効ではないと主張した。その理由は、「仮に政府が支出を増やして景気刺激を図っても,人々は財政赤字の増大が将来の増税をもたらすと予想し、現在の支出を切りつめる。このため,個人消費が減少し,公共支出増加の効果を相殺してしまうから」である。

現在の日本の状況は、「政府が支出を増やして景気刺激を図っても、自分たちはそのツケを払う必要がない」というものである。その結果、借金のヤマができた。まさしく別の意味での「合理的期待仮説」そのものなのである。

借金をして償還期限が来たら即全額返済する。例えば、10年満期の国債を発行したら10年後に全額返済する。そういう財政規律をきちんと守るようにすればどうなるか。国民は果たして借金を望むであろうか? 財政規律が緩む諸悪の根源は「60年償還ルール」にあるといってよい。


 

 

 

 

 


国葬に思う

2022年07月21日 | 日常の風景

岸田内閣が安倍元総理の国葬を決めた。

上の天声人語の記事(2022年7月21日)は、「国葬には哀悼と賞賛が一体化する危うさがあるのではないか」として、国葬は慎重であるべきだと書いている。その通りだと思う。

確かに8年間にわたり日本をけん引してきたという実績はある。しかし、長ければそれでよいというものではない。アベノミクスによって経済が国葬に値するほどよくなったとは思えない。また、憲法の規定を無視して集団的自衛権の行使を容認したことも問題となった。そのほか、数々の疑惑。

そうした政治家が国葬になることに対して、疑問を抱く国民が多くいたとしても不思議ではない。さらに言えば、日銀の無制限の国債買い入れにともなうアベノミクスの副作用が出てくるのはこれからである。政治家の評価が定まるには長い時間がかかる。

国葬は多くの国民に抵抗なく受け入れられる人物(例えば皇族)に限られるべきであろう。

 


政府統合論を論破する

2022年07月20日 | 日常の風景

私が信頼するエコノミストの一人に、竹中正治龍谷大学教授がいる。彼がダイヤモンドオンラインに寄稿した論考が大変参考になったので紹介したい。

要点は次の2点

1.赤字国債発行は問題がないという政府統合論は間違いだ。

2.マイルドなインフレを起こせば実質的な国債残高は減少するが、その負担者は預貯金を多く持っている高齢者である。

 

(以下引用)

それでも日本にはインフレが必要な訳     竹中正治:龍谷大学経済学部教授

投資家が企業の社債や株式を保有すれば、それを見合いに企業の資産側には何かしらの付加価値を生み出す有形、無形の資産が存在する。ところが、赤字国債を見合いにした政府のバランスシートの資産側には付加価値を生み出す資産が存在しているわけではない(例外として建設国債)。

 逆に言うと将来の経済的な豊かさに貢献する教育や科学・技術開発のための財政支出ならば、筆者はもっと積極的に支持できるのだが、残念ながら大半はそうではない。

 「国債は政府の負債だが、保有する民間にとっては金融資産だから、増加しても問題ない」というのは、こうした民間の社債・株式の形態の金融資産・負債関係と国債の違いを見落とした詭弁(きべん)である。

 日銀による国債購入残高が500兆円を超えたことで、政府と日銀を合わせた「統合政府」ベースでは、その分だけ政府債務が消えたかのように思っている人もいるようだが、日銀が民間銀行経由で購入した国債は、民間銀行が日銀に預けている日銀当座預金残高として統合政府の債務残高に形を変えたにすぎない。

 筆者はこうした世代間格差の拡大と対をなす政府債務の累積を、一人のエコノミストとして忸怩(じくじ)たる思いで見てきた。ところがマイルドインフレと低金利で政府債務実質価値が年間20兆円規模で減少する。その大半を負担するのは旧世代だ。これが現役世代にとって未来に向けた希望でなくて何だろうか。

 

詳しくは以下のサイトをご覧ください。ただし、掲載から48時間たつと読めなくなります。

https://diamond.jp/articles/-/306609

 

 


晴れゆく嶺

2022年07月19日 | 日常の風景

(東山魁夷 「晴れゆく嶺」リトグラフ)

ついに買ってしまった。とはいっても本意ではなかった。ヤフオクで遊んでいたら偶然にも落札してしまったのだ。

仮にも東山魁夷のリトグラフ(複製)である。まさかこんな安値で落札するとは思ってもみなかった。しかも、送られてきた絵は傷一つない新品同様。超お買い得!・・・

と言いたいのだが、実はエディション番号が違うこの絵と全く同じ絵を、すでに10日ほど前にある画商と購入契約を交わしていた。

あっちゃー。同じ絵を2枚も買ってしまった!

しかも画商から購入したのは今回の落札価格の4倍、

新調した額だけで7万円もする。

仕方がない。契約は契約である。一度「買います」といった手前、今更キャンセルはできない。というか、画商が提示した値段が相場であって、ヤフオクの価格が異常に低かったというべきか。

この元の絵は東山魁夷画伯が衆議院のために1982年に制作したものである。原画は現在衆議院議長室に飾られている。下の写真は制作中の様子である。

これまでリトグラフの制作は、1998年に森工房、2004年にMMGが手掛けている。本作品はMMGが制作したものである。 リトグラフの色合いが制作中の色合いと若干違うが、これは制作の途中のためか、それとも光の加減なのかよくわからない。

この作品について正光画廊(東京)に問い合わせたところ、森工房のリトグラフを5年前に100万円以上で販売したのが最後で、その後は入荷がないという。また、ガレリア・フランジェリコに問い合わせたところ、過去に71万5千円で売却したことがあるという。http://www.frangelico.co.jp/SHOP/m_higashiyama009.html

絵の値段というのは本当にわからない。

何はともあれ、玄関正面に飾ることにした。今まで平山郁夫の「パルミラ遺跡を行く」の「朝」と「夜」を対で飾っていたのだが、「朝」を移動しそこに飾ってみた。

複製とはいえ東山魁夷と平山郁夫が並んでいるのを見て超リッチな気分になれる。ふふふ

1枚の絵でこんなに豊かな気持ちになれるものか。それにしても同じ絵を2枚とは・・・(笑)。資産として持っておくのも悪くはないか。

 

 


原稿完成

2022年07月07日 | 日常の風景

 

 
10か月かけてようやく原稿が書きあがった。すごく満足できるものが書けた。プリントアウトしたらA4で100枚を超えた。14万文字くらいか。
出版までにはまだいろいろあるが、とりあえずやり終えた。
 
ライフワークのつもりで書いたから、もう人生が終わったような気分がする。これを書き終えたからもういつ死んでもいい(笑)。
 

贋作

2022年07月06日 | 日常の風景

去年、東山魁夷、平山郁夫ら有名作家の贋作が出回っているというニュースが流れた。通常の版画は画家本人や遺族らの許可を得て制作され、サインや印を入れ、枚数を制限して販売される。そして余白の部分には通し番号(エディション番号)が書き入れられる。こうした手続きを経ないで制作されたものが贋作と呼ばれる。

こうした版画の偽作は約8年前から国内で大量に流通していたらしい。2021年に犯人である画商と工房経営者が逮捕された。画商が発注し工房経営者が注文に応じて制作していたという。「約40作品を各20枚ほど刷った」と話していることから、流通量は約800枚に上る可能性があると報道されている。仮に1枚100万円で販売したとすると8億円の売り上げになる。

犯人の二人は実力と信用を備えた「プロ中のプロ」とされる人物で、デパートでも贋作であることを見抜けなかったというから驚きだ。それほど精巧に作られていたらしい。だから素人目には判断できない。

テレビ番組の「なんでも鑑定団」でよく贋作をつかまされた人が登場するが、笑ってはおれない。こんど東山魁夷の複製を買おうと思っているが、贋作である確率はゼロではない。東山魁夷、平山郁夫、片岡球子の3人の贋作は130点に上るらしい。

危ないのは有名な作品で「EA」とか「HC」のついたエディション番号であると聞いた。こんど買おうとしているのはそれほどポピュラーな作品ではないし、通し番号も入っているから多分大丈夫だろう。何より正式な画商を通して購入するから、ネットオークションで入手するのと違って安心感がある。多少割高かもしれないがそれは「安心料」というものである。

贋作は古今東西、今に始まったことではない。ヤフオクなんかで出回っている中にも贋作はあるのだろう。絵を購入するということには常にそういうリスクが付きまとう。本物かどうか鑑定してもらうには2万円ほどの鑑定料がかかる。

今回の偽作作品の一覧は次のサイトで確認できる。

版画鑑定について|一般財団法人 東美鑑定評価機構 (toobi-tocfa.or.jp)

 


東山魁夷

2022年07月05日 | 日常の風景

(「晴れゆく嶺」の制作風景)

この絵の制作風景をDVDでみた。完成した作品は「晴れゆく嶺」という名前が付けられ、現在衆議院の議長室に飾られている。先日、ヤフオクで東山魁夷の「朝雲」を落札したばかりだというのに、今度は「晴れゆく嶺」の複製(リトグラフ)が欲しくなった。
 
人気がある作品なのでめったに市場に出ない。出てもすぐ売却済みになる。複製とはいえかなり高額だ。しかし、残りいくらもない人生、おカネを惜しんでも仕方がない。
 
下の写真はガレリア・フランジェリコという画廊でかつて販売された複製である。この画廊、数年前までは大阪のハイアット・リージェンシーの地下に画廊を構えていたらしい。
 
 
今は群馬県に移転している。入荷予定が無いか問い合わせたら、偽作版画事件以来、東山魁夷の作品は入荷停止にしているとの返事が来た。他のサイトにもあたってみたが、すべて売却済みであった。
 
先日ヤフオクで偶然「晴れゆく嶺」が出品されているのを見つけた。奥付やエディション番号はそれなりのかたちをしている。しかし、掲載されている写真(下)がショボい。出品者がどういう人かわからない上に、偽作版画事件のこともある。買う気にはならなかった。
 
 
ところが、ここで奇跡のようなことが起きた。出品者がガレリア・フランジェリコさんのすぐ近所だというのだ。そこで、ガレリア・フランジェリコの社長さんにお願いして、現地に出向いてもらって現物を検分してもらうことにした。
 
その結果、本物のリトグラフで間違いなかろうという連絡があった。元は前橋市にお住いの社長さんの所有だったという。購入を決めた。ついでに額も新調しよう。上の写真にあるようなもう少し華やいだものにすれば全く違った印象になるはずだ。
 
作品が届いたら玄関正面の壁に飾るつもりでいる。現在は平山郁夫の「パルミラ遺跡を行く(朝)」を飾っているが、これを移動して「晴れゆく嶺」にする。リタイアー後の楽しみがまた一つ増えた。
 
 
 

オークション

2022年07月01日 | 日常の風景

また、「絵を買いたい虫」が私の中でもぞもぞと蠢き出した。とはいっても家の中はすでに美術館状態で、玄関も廊下もリビングも書斎も絵だらけになっている。もう飾る場所がない。でも、どうしても東山魁夷の絵がもう一つ欲しい。すでに3点持っているが、もう一つ欲しい。

(リビングの「満ち来る潮」東山魁夷)

子どもみたいなもので、一度ほしいと思い始めるとどんどん思いが募る。仕方がない。飾る場所を作るため平山郁夫の絵を一つ売ることにした。

ちなみにこの絵の当初価格は・・・

ただし、ヤフオク買ったから定価の10分の1で購入できた。絵の相場は難しい。

 

さて、代わりにどの絵を買おうか。「山嶺湧雲」(下の写真)もいいが15号とややサイズが大きい。額に入れると横幅が90センチほどになるから、飾る場所はおのずと限られてくる。今のところまだ値段は安いが、本気で落とすとなると15万円でも落ちるかどうか。

(東山魁夷 山嶺湧雲)

「山嶺湧雲」、結局30万円までせりあがってしまった。15万円までならと思っていたが甘かった。わが家にはちょっと大きすぎたからこれで良かったのかもしれない(あのブドウは酸っぱい?)。ほかにもいい作品はある。それにしても逃がした魚は大きく感じる(笑)。

その後、本命にしていた「山雲湧く」(下の写真)に狙いを定める。絵柄もいいしサイズ的にも10号と手ごろである。即決価格は15万円だが、先週1週間売れ残っていたからもう少し安く買えるのではないかとタカをくくっていた。ところが、オークション最終日、突然だれかが即決価格で買ってしまった。ショック! 高くてもいいから買っておくのだった。無念!

(東山魁夷 山雲湧く)

嘆いても仕方がない。

次の候補を探す。次は「朝雲」という作品に狙いを定める。大きさは10号とちょうどいい。ただ、額に傷があったり、絵柄的に今一つという気持ちもあったりして本命にはしていなかった。しかし、価格的には少し安く買えそうである。

(東山魁夷 朝雲)

オークション最終日の残り時間30分になったところで、パソコンの画面をあける。まだ私を超える入札者はいない。まあ、オークションなんてものは最後の5分の競り合いが勝負である。10万円くらいまでなら頑張るつもりで画面に見入る。

ところが残り5分を切っても競争相手が現れない。

いやいやまだまだ分からない。

残り2分を切った。

まだ競争相手は現れない。ひょっとしたら・・・・

そしてついにオークション終了。

落札してしまった。

嘘みたい。

ずいぶん安く買えた。

早速書斎に飾る。

残りの人生、好きな絵を毎日見ながら暮らすのも悪くない。

印税が入ったら、もう一つ二つ買おうか(笑)。