岩波現代文庫は、ずいぶんいい本を出している。この前読んだ『法服の王国』もそうだが、今回読んだ『チェルノブイリの祈り』も刺激的だった。
1986年、チェルノブイリでレベル7の巨大原発事故が起きた。影響は地球規模で広がった。8000キロ離れた日本にもセシウム137、ヨウ素131が飛来した。そうしたことは当然ながら知っていた。しかし、知識としては知ってはいても、それが実際にどれほどのものかは想像できなかった。
先日、『法服の王国』を読んでいたら、そのなかに「チェルノブイリの事故によって引き起こされたがんのために亡くなった人の人数は、統計によって違うが、少ないもので9000人、多いもので100万人」と書いてあって度肝を抜かれた。それで、今回『チェルノブイリの祈り』を読んでみる気になった。
この本は、著者が一般の人約300人にインタビューをした記録をまとめたものである。家を奪われ、土地を奪われ、家族を失った人々の赤裸々な言葉をつづった本である。そう、真実は普通の人の言葉のなかにあるのだ。
最初に登場するのは、原発事故があったとき真っ先に消火に駆け付けた消防士の妻の話である。結婚したばかりで、お腹には赤ちゃんがいる。夫は、普通の火事だと呼び出され、発電所の屋根に上って、炎をたたき消し、燃えている黒煙を足でけり落したという。彼は2週間後に死んだ。
「1日に25回から30回もの下痢。血と粘液が混じっていました。手足の皮膚がひび割れ始めた。頭を動かすと枕に髪の毛の束が残った」
「あなたの前にいるのはご主人でも愛する人でもありません。高濃度の汚染された放射性物体なんですよ」
「ご主人は、1600レントゲンも浴びているのよ。あなたは原子炉のそばに座っているのよ」
「病院での最後の2日間は、私が彼の手を持ち上げると骨がぐらぐら、ぶらぶらと揺れていた。骨と体が離れたんです。肺や肝臓のかけらが口から出てきた」
「遺体はお渡しできない。遺体は放射能が強いので特殊な方法でモスクワの墓地に埋葬されます。亜鉛の棺に納め、はんだ付けをし、上にコンクリート板がのせられます」
消防士の妻は2か月後、女の子を出産した。「外見は元気な赤ちゃんでした。ちっちゃな両手、両足。でも肝硬変でした。肝臓に28レントゲン。先天性心臓欠陥、4時間後に娘の死が告げられました」

当局は、情報をひた隠しに隠し、住民にパニックを起こさないことを最大の目的にした。住民の安全など後回しだった。
「初めて汚染地に出かけたときのこと。森の中の放射線量は高レベルなのに、トラクターが作業をし、お百姓は自家菜園を耕している。子どもの甲状腺を測定すると、許容値の100倍から200倍もありました」
「すべては起こってしまったのに、情報は一切ありませんでした。政府は沈黙し、医者は一言も語ろうとはしません」
「事故のことを話すとすぐ電話が切られてしまう。監視されている。盗聴されているんです」
「1993年には、ベラルーシだけで20万人の女性が中絶をした」
「娘は生まれたときは赤ちゃんではなかった。生きている袋でした。体の穴という穴はふさがり、開いていたのはわずかに両目だけでした。肛門無形成、膣無形成、左腎無形成。普通に言えば、オシッコもうんちも出るところがなく、腎臓が一個だけ」
人がいなくなった汚染地域に一人住む老人の話、除染のために召集された兵士が2倍、3倍、6倍という報酬につられて危険地域に行ったという話などなど、一般の人の話がたくさん記述されている。本の中にこんな小話(アネクドート)が紹介されていた。
「チェルノブイリのリンゴを食べてもいいでしょうか?」
答え「よろしい。ただ食べ残しは地中深く埋めるように」
我々はチェルノブイリから何を学んだのだろうか?