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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

チェルノブイリの教訓

2018年08月25日 | 日常の風景

岩波現代文庫は、ずいぶんいい本を出している。この前読んだ『法服の王国』もそうだが、今回読んだ『チェルノブイリの祈り』も刺激的だった。

1986年、チェルノブイリでレベル7の巨大原発事故が起きた。影響は地球規模で広がった。8000キロ離れた日本にもセシウム137、ヨウ素131が飛来した。そうしたことは当然ながら知っていた。しかし、知識としては知ってはいても、それが実際にどれほどのものかは想像できなかった。

先日、『法服の王国』を読んでいたら、そのなかに「チェルノブイリの事故によって引き起こされたがんのために亡くなった人の人数は、統計によって違うが、少ないもので9000人、多いもので100万人」と書いてあって度肝を抜かれた。それで、今回『チェルノブイリの祈り』を読んでみる気になった。

この本は、著者が一般の人約300人にインタビューをした記録をまとめたものである。家を奪われ、土地を奪われ、家族を失った人々の赤裸々な言葉をつづった本である。そう、真実は普通の人の言葉のなかにあるのだ。

最初に登場するのは、原発事故があったとき真っ先に消火に駆け付けた消防士の妻の話である。結婚したばかりで、お腹には赤ちゃんがいる。夫は、普通の火事だと呼び出され、発電所の屋根に上って、炎をたたき消し、燃えている黒煙を足でけり落したという。彼は2週間後に死んだ。

「1日に25回から30回もの下痢。血と粘液が混じっていました。手足の皮膚がひび割れ始めた。頭を動かすと枕に髪の毛の束が残った」
「あなたの前にいるのはご主人でも愛する人でもありません。高濃度の汚染された放射性物体なんですよ」
「ご主人は、1600レントゲンも浴びているのよ。あなたは原子炉のそばに座っているのよ」
「病院での最後の2日間は、私が彼の手を持ち上げると骨がぐらぐら、ぶらぶらと揺れていた。骨と体が離れたんです。肺や肝臓のかけらが口から出てきた」

「遺体はお渡しできない。遺体は放射能が強いので特殊な方法でモスクワの墓地に埋葬されます。亜鉛の棺に納め、はんだ付けをし、上にコンクリート板がのせられます」
消防士の妻は2か月後、女の子を出産した。「外見は元気な赤ちゃんでした。ちっちゃな両手、両足。でも肝硬変でした。肝臓に28レントゲン。先天性心臓欠陥、4時間後に娘の死が告げられました」



当局は、情報をひた隠しに隠し、住民にパニックを起こさないことを最大の目的にした。住民の安全など後回しだった。
「初めて汚染地に出かけたときのこと。森の中の放射線量は高レベルなのに、トラクターが作業をし、お百姓は自家菜園を耕している。子どもの甲状腺を測定すると、許容値の100倍から200倍もありました」
「すべては起こってしまったのに、情報は一切ありませんでした。政府は沈黙し、医者は一言も語ろうとはしません」
「事故のことを話すとすぐ電話が切られてしまう。監視されている。盗聴されているんです」

「1993年には、ベラルーシだけで20万人の女性が中絶をした」
「娘は生まれたときは赤ちゃんではなかった。生きている袋でした。体の穴という穴はふさがり、開いていたのはわずかに両目だけでした。肛門無形成、膣無形成、左腎無形成。普通に言えば、オシッコもうんちも出るところがなく、腎臓が一個だけ」


人がいなくなった汚染地域に一人住む老人の話、除染のために召集された兵士が2倍、3倍、6倍という報酬につられて危険地域に行ったという話などなど、一般の人の話がたくさん記述されている。本の中にこんな小話(アネクドート)が紹介されていた。

「チェルノブイリのリンゴを食べてもいいでしょうか?」
答え「よろしい。ただ食べ残しは地中深く埋めるように」


我々はチェルノブイリから何を学んだのだろうか?

発行から3年

2018年08月25日 | 日常の風景

皆様に支えられ、まだ頑張っているようです。
アマゾンの政治学分野でランキング23位です。
つい先日は29位だったのですが、今日見たらさらに順位を上げていました。
ありがたいことです。

法服の王国

2018年08月19日 | 日常の風景

 毎年、夏休み前になると「今年の夏休みには何をしよう」と計画を立てる。今年は、第一に心臓の手術、第二に今年度末までのテスト問題を作る(6種類)、第三に、これまで書き溜めたブログのうちめぼしいものをホームページの「私のエッセー」にアップする、の三つを掲げた。そのほか、目標ではなかったものの『法服の王国』を読んだことも、今年の夏休みの大きな収穫となったような気がする。

『報復の王国』は1960年代から2011年(東日本大震災)までの裁判所の内部事情を描いた作品である。小説という形式をとっているが、実名部分はすべて、仮名部分も8~9割が事実に基づいて書かれているといわれる。登場する訴訟は、長沼ナイキ基地訴訟、尊属殺人事件、津地鎮祭訴訟、イタイイタイ病訴訟、伊方原発訴訟、白鳥決定、ロッキード事件、鬼頭四郎偽電話事件、スリーマイル島事故、安川輝夫事件、谷合克之事件、大東水害訴訟、大阪空港公害訴訟、チェルノブイリ、有責配偶者からの離婚請求、スモン訴訟、御巣鷹山日航ジャンボ事件、住基ネット訴訟、北陸電力志賀原発訴訟などなど、戦後50年間に起きたさまざまな訴訟である。

物語は4人の登場人物を中心に展開される。「人権派弁護士」「現場一筋で歩む裁判官」「司法官僚として出世する裁判官」そして、戦後の司法行政に大きな足跡を残した「矢口洪一元最高裁長官(小説では弓削晃太郎となっている)」の4人である。



今まで、授業をやりながら「裁判所というのは、なぜ上級審になるほど行政寄りになるのか?」という疑問を持っていた。それが、この小説の中では弓削晃太郎などの言葉を通して見事に描き出されている。

「大審院時代から裁判官をやっている人は、行政権力に対する従属意識が強い。大審院は、現在の最高裁判所に比べると、地位は格段に低く、違憲立法審査権、司法行政監督権、規則制定権なども持っておらず、行政に従属していた。平賀所長のように、この時代から裁判官をやっている人々は、考え方が行政よりである」

「裁判所の職員数は全国で2万5千人」「三権分立で、国会や政府と対等だといっても、しょせん我々は小さい役所にすぎん」「原発は自衛隊に匹敵する国策で、負けると大変なことになる」「最高裁としては、国策に反する判決が出て、自民党から風圧を受けるようなことは避けたい」

「最高裁は下級審と違って、単なる法律解釈をやっておればすむ場所ではない。最高裁が扱う憲法というのは政治的な法であり、憲法事件を扱う以上、政治問題との対峙は避けられない。その判断が一定の政策形成機能を持つことも当然である」「事実認定と条文解釈をして、判決を書いて、『ここまでが俺の仕事だ。あとは知らん』でいいはずがない。自民党との関係もある」

「日米安保条約や自衛隊の違憲判決を出せば、自民党だけではなく、アメリカも敵に回すことになる」「戦後、三権分立になったとはいっても、裁判所にそこまでの力はない」

「三権分立は、憲法の条文に書かれただけで実現するような生易しいものじゃなく、行政府、立法府との権力闘争で勝ち取っていかなくてはならない」


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 現在の司法人事は、最高裁長官の指名権は内閣にある。そして、最高裁長官が実質的に14人の最高裁の裁判官を指名し、内閣が任命する。実際、このシステムの下で最高裁判事の顔ぶれは、「佐藤栄作首相と石田和外最高裁長官のコンビの策動で次々とタカ派ないしは保守派の人物に入れ替えられていった」。その結果として、青法協会員などの弾圧、宮本康昭裁判官の再任拒否、阪口徳雄修習生の罷免、などが起きた。また、国策に反する判決文を書いた裁判官は左遷され、最高裁の意向を忖度した裁判官は出世した。裁判官の多くは権力に弱い役人であり、最高裁は人事をてこに下級裁判所を強力に指導したのである。『法服の王国』は『報復の王国』でもあったのだ。

この作品はもともとは産経新聞に連載されたというからちょっと意外である。産経新聞もなかなかやるではないか。小説としては決して面白い読み物ではないが、内容的にはすっごく勉強になった。

小説を読んでいて唯一の救いだったのは、平成の司法制度改革(会長は佐藤幸治京都大学教授)によって、下級裁判所の裁判官に対する人事評価の透明性と客観性が提言されたことである。とはいっても、裁判官にはいまだにかつての弾圧のトラウマが残っているようにも思われる。
安倍総理は以前「私は立法府の長でもあります」という失言(本音?)をいったことがある。今度は、「内閣は司法権の長を指名する権限を憲法で認められており、したがって私は司法権の長でもあります」などと言い出さないかと心配している。

久しぶりの運動

2018年08月17日 | 日常の風景

今日、ドクターから「運動はもう普通にしてもいいですよ」と言われた。
そこで手術後、初めて軽い運動をする。
淀川べりを2~3キロほどウォーキング&ジョギング。
しかし、走り始めて数百メートルで早くもダウン。
心臓は何ともないが、足が持たない。
結局、歩いたり走ったり…。
川べりのベンチでストレッチや四股もやったが、からだも随分硬くなった。

風が心地よかった。
もう秋の風だ。
いい汗かいた。

戦後73年

2018年08月15日 | 日常の風景

私は1951年生まれである。だから、戦争のことは全く知らない。戦争の爪痕として唯一記憶にあるのは、地域のお祭り(=縁日)に片足を失った傷痍軍人が白装束を着て、たくさんの人が行き交う路上に座り、人々から金銭を恵んでもらっていた姿ぐらいだろうか。もちろん、まだ小さかった私には、そうした人たちが戦争で負傷した傷痍軍人だという認識すらなかった。

新しい憲法が公布され、多くの日本人が「もうこれで戦争をすることはない」と新憲法を歓迎したと言われている。
あれから73年。
時代が変わった。
戦争のリアリティが失われ、戦争の悲惨さが次第に忘れ去られようとしている。そして、また次第に勇ましい意見が幅を利かせるようになってきている。

ある右翼の論客(国立大学の名誉教授)が、日本は国民国家なのだから、国民が国を守るのは当然の責務と書いていた。一見、正論のようにも見えるが、「日本を守るため」という言葉は「攻撃こそ最大の防御」という言葉と表裏一体の関係にあり、非常に危険を感じさせる。

なぜ無謀な第二次世界大戦に突入してしまったのか。なぜ止められなかったのか。明治憲法に欠陥があったことが理由の一つであることは間違いない。マスコミが好戦論を煽り、国民を戦争支持者にしてしまったことも理由の一つであろう。
もちろん、戦争の背後には常に経済問題が存在する。世界恐慌の後満州事変が起き、次第に軍事色が強くなるにつれ景気が良くなっていった。そのとき、人々はつぶやいた。「景気が良くなってきた。戦争が始まったせいだろうか。戦争が始まってよかったね」。

一度戦争ムードが醸成されると、もはやだれにも止められない。「ソーシャル・タイラニ―(=社会の専制)という言葉がある。多数意見に従わないものは世間から抑圧され、後ろ指をさされる。やがて、本音は人のいないところでこっそり語られるようになり、堂々と本音を述べると「非国民」扱いされてしまう。誰が喜んで特攻などと愚かしい戦術に志願するだろうか。戦意を高めるため、戦争で死ぬことが美化され、敵を倒すことが美化される。倒される相手兵士にも家族がいるという想像力は働かない。

映画「男はつらいよ」の中で、寅さんがこんな言葉を言っていた。「俺とアンタは違うんだよ。俺がイモ食ってアンタ屁こくか?こかないだろう。俺とアンタは違うんだよ」。
人間の価値観は一人ひとりみな違う。違うことを前提に、憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される」と規定している。しかし、いま、異質なものを排除する動きが世界で広がっている。日本でも同じだ。戦後73年間守り続けてきたものが、一つ一つ音を立てて崩れ去ろうとしている。みんなが右を向いている時に左を向き、みんなが左を向いている時に右を向く人間も尊重されなければならない。

物事には「ノーリターン・ポイント」というものがある。気が付いたときにはもう引き返せない状態になっている。「おかしい」と思っても「おかしい」と言い出せない。そうした限界が次第に近づいてきているようにも思う。それは、会社や学校の働き方の中にも見ることができる。

テスト問題完成!

2018年08月08日 | 日常の風景

定期考査・模擬試験を含め、年間10種類のテスト問題を作らなければならない。ここ3年ほどは、時間にゆとりのある7~8月に集中的に作ってきた。今年も9月以降の分6種類を今日ようやく完成させた。「リーガロイヤルホテル別館(?)」で予想外に仕事が進んだのが大きかった(笑)。

問題作りそのものは結構楽しい作業である。しかし、面倒なのは最終チェックだ。出題内容・誤字・脱字・変換ミス、さらには解答欄の大きさもチェックする。神経をすり減らす作業である。しかし、この最終チェックをしっかりやっておかないと、テスト本番で「あっちゃー」ということになる。テスト問題作りで一番大切なのは、この最終チェックであるともいえる。

さて、夏休みもあと2週間となった。
このあとも2つの仕事が待っている。

100万件突破

2018年08月07日 | 日常の風景

1999年に手作りのホームページを立ち上げて19年。
この間、皆様に支えられ、この度アクセス数がついに100万件を突破しました。

最初の2年間は1日に2桁のアクセスしかありませんでしたが、その後100件を超えるアクセスをコンスタントに頂けるようになりました。2015年にスマホ対応に全面的に書き換えてからは、毎日300件を超えるアクセスが記録されるようになり、急速にカウンターの数字が伸び始めました。

ホームページを開設したおかげで、いろんな出会いがありました。
たとえば、単行本の出版のきっかけは、私のホームページをご覧になった出版社の方が声をかけてくれたことでした。
また、NHKのEテレ「テストの花道」に紹介されたのも、伊藤真さんの「法学館憲法研究所」への寄稿も、さらには2017年5月3日の毎日新聞に私の授業が紹介されたのも、きっかけは私のホームページをご覧になった担当者の方が興味を持ってくれたことでした。
いまさらながら、Webの持つ影響力の大きさを感じております。

2冊の本は大学生をはじめ多くの社会人の方にも読まれているようです。本当にありがたいことです。これからもご声援よろしくお願いいたします。


                          2018年8月7日   南 英世


手術

2018年08月05日 | 日常の風景


10年ほど前から不整脈が出ていた。薬を処方してもらっていたが、それでも3カ月に2度ほどは出る。1回出ると数時間は続き、身体全体がしんどい。しんどいのはまだ我慢できるが、問題は血栓ができてそれが脳に飛び脳梗塞になることだ。そのリスクを避けるために、今回カテーテル手術を受けることにした。

8月1日、かかりつけの関西電力病院に入院する。初日は採血、心電図、レントゲンの検査、および主治医から手術に関する詳細な説明を受ける。手術は鼠径部の静脈からカテーテルを心臓に差し込み、不整脈の原因となっている電流を発する周辺を温度50~60度で焼いて(アブレーション=焼灼)、周りから「絶縁」するのだという。入院期間は5日間。入院中退屈しないように、ノートパソコン、定期考査の問題作り資料、囲碁ソフト(Zen)、小説などを持ち込んだ。


入院にあたって心配なことが二つあった。一つは剃毛である。これまで全く経験がなく、週刊誌などで面白おかしく書いてある記事程度の知識しかない私にとって、剃毛はやっぱり嫌だった。ところが、そこはうまくしたもので、初日に看護師さんにシャワーを浴びるように言われ、その際、電動バリカンを渡されて「ご自分で除毛してください」とのことである。もちろんカミソリで剃られることもない。うれしかった。

もうひとつの心配は、2日目に尿道にカテーテルを挿入されることである。手術中、オシッコに行けないからカテーテルの挿入は仕方がない。しかし、看護師さんから麻酔もなしに挿入されるのである。この年になって股間の「暴れ馬」が暴れることはないだろうが、やっぱり恥ずかしい。「ピリッ」と痛みが走る。しかし、何回やってもうまく入らない。結局、主治医のH先生が呼ばれ、グリセリンを使ってなんとか無事に挿入完了。入ってしまえば痛みはない。違和感もそんなには感じない。しかし、いくつになっても性にまつわることは恥ずかしいものだ。

手術は入院2日目の午後1時から行なわれた。手術室に行くと、10人以上のスタッフが待機していた。私ひとりの手術のためにこんなにたくさんの人がかかわってくれることに少し感動。手術台に仰向けになり、麻酔をかけられ、あっという間に深い眠りにつく。

途中、麻酔が切れかけ「やばい」と思った瞬間、「南さん、大丈夫ですか。もう終わりましたよ」の声。手術は4時間ほどかかったはずなのに、手術中は全く記憶がない。意識としては10分くらいで終わった感じである。痛みは全くなかった。カテーテルを挿入した右足付け根の痛みもまったくなかった。医学のすごさを感じた。手術室から部屋に運ばれた後、主治医から手術が成功したことを告げられた。



その晩は心電図モニターを付けられ、尿道にカテーテルが入ったまま、横向きにもなれない状態で一晩を過ごした。夕食は妻が口まで運んでくれた。うれしかった。寝返りが打てないので、ものすごく腰が痛かった。自分で寝返りをしてはいけないというのがこんなにつらいことだとは知らなかった。ほとんど眠ることはできなかった。長い夜だった。以前、股関節の手術をし、長期間の入院をしていた長女の気持ちが少しだけ分かった気がした。




3日目の朝、尿道カテーテルが外され、自由に歩き回ることが許された。食事も水も、座って飲めるようになった。たった1日だけの辛抱だったが、「普通」に暮らせるということがこんなにもありがたいことかと心の底から思った。コーヒーも、「手術が終わったからもう飲んでいい」といわれ、さっそく病院内のレストラン行った。美味かった。そのあとトイレに行って小用を足そうとしたら、ものすごく痛かった。そのことを除けば、いたって快適な病院生活に戻った。

病院の前には堂島川が流れている。川を挟んでリーガロイヤル・ホテルが見える。入院していると、まるでリーガロイヤルの別館にいるような気分になる。スタッフは親切で優秀だし、食事もおいしい。リーガロイヤルのバイキング料理と関電病院のカロリー計算しつくされた料理のどちらをとるかと言われたら、ちょっと迷うかも(笑)。
元気になったので、さっそく仕事に復帰。4日目も快適な環境の下で定期考査問題作りを続行する。まるでホテルでの勉強合宿みたいだ(笑)。





今回の手術でかかった費用は約195万円。そのうち私が支払ったのは約10万円である。残りは「国民健康保険限度額適用認定」制度が適用され、医療保険から支払われる。日ごろ、国民健康保険料として毎月8万円(年間約80万円)を支払っているので、「国民健康保険はなんでこんなに高いのだろう」とぼやいていた私だが、今回は保険制度のありがたさを実感した。

今回の手術で根治する確率は70~80パーセント。もし、まだ不整脈が出るようだったらもう1回手術する必要があるという。それでも根治する確率は90~95パーセントだという。できれば今回で終わりになってほしい。
予定通り5日目の午前中に無事退院した。関西電力病院の皆様にあらためて感謝したい。

入院

2018年08月01日 | 日常の風景
今日から5日間入院します。
不整脈の治療のためにカテーテル手術をします。
退屈しないように、小説、パソコン、囲碁ソフト、テスト問題作成資料など山ほどカバンに詰め込みました(笑)。