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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

時代の流れに抗う

2024年06月30日 | 日常の風景

テストの採点方法に変化が起きている。いまやコンピュータによる自動採点の時代になったようだ。現在、社会科職員室で従来のように手作業で採点しているのは私一人である。他の先生方は大阪府が導入した自動採点ソフトを使っている。

手順は

① 回収した答案をスキャナーで読み取らせる。

② コンピュータによって自動で〇×がつけられる。

③ 先生方はそれらの答案をパソコンの画面に映し出して点検する。

④ 点検が終わって〇×が付いた答案(答案原本ではない)を印刷し、生徒に返却する。

採点のために先生方が赤ペンを持つ必要はない。パソコンの画面とにらめっこするだけである。初めて職員室の全員がパソコンの画面を見つめながら点検している姿を見た時は衝撃を受けた。「時代が変わったな―」と。ただし、生徒の字は乱雑だから、まだ人間の眼で確認する必要があるらしい。

一方、私はと言えば相変わらず書かすことにこだわり続けている。教員になりたての頃から1問100点の論述を課してきた。そのうち1問50点の論述と通常の客観テストの2本立てにするようになったが、ともかく書かせることにこだわり続けてきた。

こだわった理由は簡単である。「わかる」ということは「他人に説明できること」だと思うからである。点としての知識ではなく、点と点を結び付けて一つのストーリーとして理解してほしいからである。さらに言えば、授業を聞く態度をそのように変えたいからでもある。

今回(6月)の中間考査の答案を採点していて、生徒の書く力(=考える力)がますます弱くなっていると感じた。大学共通テストに続いて普段の定期考査までコンピュータ採点になったら、この先一体どうなるのか。

そこで、時代の流れに抗うことに決めた。

「10月の期末考査は1問=50点の大きなテーマを2問出題する。1問は知識を問い、もう1問は思考を問う。字数制限はない」

と宣言した。

今学校現場は多忙である。しかし、多忙を理由にテスト問題の採点のやりやすさを優先するのは違うのではないか。論文試験の採点は神経をすり減らすが、書かせるスキルを身につけさせることはその後の人生の大きな財産になる。普段の授業を通して生徒に何を伝えたいのか。入試問題さえ解ければそれでいいのか。教育の根本が問われている。採点の労を厭っている場合ではない。時代の流れに抗うこんな教員が一人くらいいてもいいのではないか。

 

 

 


朝日新聞に投稿

2024年06月17日 | 日常の風景

初めて朝日新聞に投稿した。先日囲碁雑誌に書いた「囲碁のための英会話集」についてである。インパクトのあるメッセージを結論にもってきたが、これが掲載決定の決め手になったのかもしれない。

字数の関係で投稿した文章の一部が割愛された。しかし、ほとんどは原文のままである。「ウラ」をとるために雑誌の発行元に確認の電話があったと聞いて驚いた。そこまでやるか。

朝日新聞のかつての発行部数は800万部と言われたが、現在(2,024年3月)は350万部まで落ち込んでいる。もし、そのうちの1割の人が見てくれたら、35万人の人が読んでくれたことになる。決して小さな数字ではない。

明日は中間テスト前の最後の授業である。1クラスだけ時間数が多いので自習にしようかと思っていたが、せっかくだからこの新聞と自著『文章を書くのが苦手な人は下書きメモを作りなさい』を使って文章の書き方のレクチャーをすることにした。

 

「囲碁のための英会話集」が掲載されている月刊『碁楽室』第49号(2024年6月号)をご希望の方は下記までご連絡ください。

https://igo1581771.owndshop.com/

 


歴史的に考えるとはどういうことか

2024年06月09日 | 日常の風景

歴史認識をめぐっては、南京大虐殺、慰安婦、尖閣・竹島、教育勅語、戦争・植民地支配などさまざまな課題がある。歴史像はいかにしてつくられるのか。歴史的に考えるとはどういうことなのか。本書はそうした問題について6人の歴史家が考察する。

そもそも私たち一般人が歴史に出会うのは、歴史書、大河ドラマ、ドキュメンタリー、漫画、伝記などといったものがほとんどである。しかし、それらは史料や事実をもとに、歴史家の価値判断や意図に基づいてつくられたものであり、当然バイアスがかかっている。そして、そうした歴史を見るわれわれ自身にもバイアスがかかっている。著者の一人日高智彦はこういうバイアスに自覚的になることが「歴史的に考える」ことであると説く。

学校で用いられている教科書にも当然バイアスがかかっている。しかし、今の学校教育では教科書をバイアスのかかった「歴史」として学ぶことは重視されない。むしろ「正解」にたどり着くことの「邪魔」として忌避される。編著者の一人である南塚信吾は「日常の中で歴史的に考える7カ条として次のようなことを上げている。

第1条 「面白い」「ためになる」は卒業しよう。(単なる娯楽で終わらせない)

第2条 自分の「偏見」を自覚しよう。

第3条 この歴史を書いているのは「誰」かを問おう。(まず歴史家の研究をせよ)

第4条 「史実」を重んずる本かどうかをまず見よう。

第5条 「史実」のつくられ方を警戒しよう。

第6条 歴史についての「判断」は慎重にしよう。

第7条 未来への「展望」をもって過去を見よう。

E・Hカーは、「歴史とは過去との対話である」と述べた。これが意味するのは、「将来どのような未来を創るのか。そのために現在生きる我々はどうすればいいのかを、過去との対話の中で考えること」である。

今の高校教育は、歴史=暗記であり、質問に対して素早く答えを出すクイズになっている。『歴史総合』という新設科目が導入されたが、実態は「日本史+世界史」の範囲を出るものではない。山の形が見る方向によってさまざまであるように、歴史の味方にもいろいろあることを考えさせれば、歴史の授業はもっと面白くなるのではないだろうか。


なぜ英語が話せないのか

2024年06月07日 | 日常の風景

英語は日本人にとって難しい言語であるといわれる。しかし、何年も勉強してきて、なぜしゃべられないのか。この本を読んでようやく理解できた。

最大の理由は、日本語が「文末文法」であるのに対して、英語は「文頭文法」であるからだと著者は言う。日本語では

彼は手紙を書いた

彼は手紙を書くだろう

彼は手紙を書いている

彼は手紙を書かなかった

彼は手紙を書いたのか。

など文法上のウェイトがすべて文末にある。これに対して英語では文頭できちんと文法上の要件を整理しなければいけない。

He wrote a letter.

He will write a letter.

He is writing a letter. 

He didn’t write a letter.

Did he write a letter?

何事も文末で帳尻を合わせる癖がついている我々日本人には英語は非常に難しいというわけである。文頭文法に慣れ、英会話をスムーズにできるようにするためには何が必要か。著者は「文法的暗算能力」を付けることだと主張する。すなわち、学校で簡単な「計算問題」で常に100点を取り続けることができるようになるまで練習するのと同じように、基本的な文の「計算練習」を積み重ね、「文法的暗算能力」を身につけることであるという。

確かに「頭でわかること」と「できること」とは全く次元が異なる。会話の場では瞬時に言葉が出てこなければスムーズにコミュニケーションをとることはできない。日本の英語教育で「できるようになるまで」繰り返し学校でやらされてきたかというと、そんなことは全くない。日本人がどれほど英語を勉強しても話せない理由がようやく理解できた気がする。

この本は、こうした日本の英語教育の欠点を補うために、基本的な文法構造を含む約500の文を載せている。難しい文法は一つもない。知らない単語も一つもない。もし、これらの英作文をペーパーテストで出題されればたぶん満点に近い点を取ることができるかもしれない。しかし、日本語を瞬時に英語で表現できるかと言われれば、全くできないと答えるしかない。

今までずいぶんたくさんの英会話の教材を買ってきた。今度こそ、今度こそと思い買い続けてきた。最近では「スピードラーニング(全48巻)」という教材を買いずいぶん時間をかけたが、第1巻だけやって挫折した。しかし、この本に出会ってようやく英会話の勉強がいかにあるべきかがわかった気がする。

こんど、7月に「大阪碁コングレス」という囲碁の国際交流大会がある。アメリカ、カナダ、ベルギー、ロシア、セルビア、イギリス、台湾、中国など多くの国と地域の人が日本に来る。まだ1か月ある。これを機会に70(正確には73歳)の手習いと行くか。

 

 

 

 


女性天皇とその歴史

2024年06月06日 | 日常の風景

 

日本には10代8人の女性天皇が存在した。


㉝ 推古天皇
㉟㊲皇極天皇・斉明天皇(同一人物)
㊶ 持統天皇
㊸ 元明天皇
㊹ 元正天皇
㊻㊽孝謙天皇・称徳天皇(同一人物)


109 明正天皇
117 後桜町天皇

 

最初は6世紀から8世紀に集中し、その後再び現れるのは江戸時代になってからである。日本史には明るくないので、どういう背景があったのかは知らない(あまり興味もない)。

これら8人はいずれも「女性天皇」であって「女系天皇」ではない。両者の違いは何か。女性天皇は父方をたどれば必ず神武天皇に行きつく。しかし、女系天皇の父方をたどっても天皇には行きつかない。現在の皇室典範第1条には「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とある。だから、たとえば愛子内親王が民間人の男性と結婚して男子の子どもが生まれても、その男の子は天皇にはなれない。

日本では長い間、藤原家が皇室に妃を送り込んできた。しかし、皇室に婿入りさせて生まれてきた男の子を天皇にすることはなかった。もしそんなことをすれば藤原王朝ができ、「万世一系」が途絶えるからだとされる。

日本の国体を守ろうとする思想を持っている人は、あくまで「男系の男子」にこだわる。この本の著者は強烈な「男系男子」にこだわる保守主義者である。「憲法があって天皇がおられるのではない。逆に天皇がおられて憲法がある」「憲法や法律は我々臣民を律するものであって、天皇・皇族を律するものではない」と書いている。

これは明治憲法そのままの主張である。長年、憲法学会の通説を教えてきた身からすれば「エッ」と驚くほかない。たしかに、こういう思想を持っている人は今の日本社会で一定数いる。しかし、男女平等という概念が定着した今、なぜ「男系男子」にこだわる必要があるのか。そもそも「男」ってそんなに偉い存在なのか。

日本には「菊タブー」という無言の圧力がある。マスコミも黙して語らない。しかし、男系男子にこだわっていると後継者が途絶えてしまうことも懸念される。この問題を有識者だけにまかせるのではなく、もっと国民がオープンに議論できる雰囲気が必要ではないだろうか。

 


毛沢東と知識人

2024年06月06日 | 日常の風景

柯隆先生の4冊目の本を読んだ。書名は「爆買いと反日」であるが、書名と書かれている内容がこれほど乖離している本も珍しい。たぶん、出版社の売らんがための戦術でつけられた書名だろう。ただし、内容は実に面白い。中国の内部情報を扱った暴露本に近い。以下、印象に残った話を記す。

◆毛沢東が引き起こした共産主義革命は厳密に言えば農民一揆である。毛沢東は死ぬまでマルクスの本を一度もまじめに読んだことがない。毛沢東の時代の階級ピラミッドでは、最上位に共産党幹部が位置し、次いで農民、都市労働者が位置付けられた。ちなみに最下層だったのは「知識人」である。だから中国は発展しなかった。ちなみに、元王朝の時代の階級制は以下の通りだという。

1.高級官僚(国家公務員)

2.下級官僚(地方公務員)

3.僧侶

4.道教関係者

5.医者

6.労働者

7.職人

8.娼婦

9.知識人

10. 浮浪者

◆「太子党」は共産党幹部の2世の集まりである。習近平も太子党である。

◆中国人のプライドは世界一であり、「面子」をきわめて重んじる。中国人と付き合うときは面子をつぶすようなことは絶対に避けなければならない。特に中国では共産党の内部では指導者を批判する文化はない。また、謝罪する文化もない。

◆中国は金銭万能社会である。同窓会に出席すると年収がいくらかを平気で聞いてくるし、自分の給料や住まい、子どもを海外留学させていることなどを自慢する。昔を懐かしむ日本の同窓会とは全く違う。

◆人民日報の発行部数は200万部しかない。多くは政府紋や国有企業の予算で強制的に購入されている。一番熱心な読者は海外の中国ウオッチャーではないか。


中国社会を知る

2024年06月03日 | 日常の風景

柯隆先生の3冊目の本である。2014年に発行された本だが、今読んでも新鮮である。印象に残った言葉のいくつかを紹介する。

◆鄧小平の「先富論」はごまかし。一部の人が豊かになった後、残りの大半の人はいかにして豊かになれるのか。彼は何も語っていない。

◆中国共産党に入れば莫大な利益を手にすることができる。たとえば、共産党幹部が入院すれば、それを聞きつけた企業が数百万円単位のお見舞いを持ってくる。だから、あっという間に数千万円がたまる。もちろん、これはワイロであり、見返りとして仕事を回してもらえる。社長の仕事は共産党幹部の入院先をいち早くつかむことだという。

◆共産党の末端まで利益が行き渡れば「共産党万歳」「習近平万歳」となり共産党体制は盤石となる。

◆中国の権力闘争はすさまじい。習近平を含め全員が命の危険を感じながら毎日の政治活動を行っている。権力闘争に敗れれば憐れな末路が待っている。その権力闘争は日本企業の社長選びに似ていて、ブラックボックスに入っている。ただし日本では命までは取られない。

◆ 中国共産党も日本の自民党も、触れられたくない歴史を抱えている点では同じである。自民党は日中戦争、中国は文化大革命と天安門事件である。

◆中国の「愛国教育」とは毛沢東を絶対視し「神様」扱いにすることである。

◆日本は性善説社会だが、中国は性悪説社会である。飲み屋でも日本は後払いだがこれは性善説を前提にしている。中国でビジネスを展開しようとするならば、中国が性悪説社会であることを前提にしてビジネスを進めることが重要である。それは中国の文化であり、中国では「だまされる方が悪い」のだ。

 

中国社会の現実を知るうえで役に立つ本である。


中国不動産バブル

2024年06月01日 | 日常の風景

先日、柯隆先生の講演を聞き興味を持ったので、最新作(2024年4月20日発行)を読んでみた。

 

チャイナリスクに備えよ

1978年の改革開放政策は輸出主導による経済発展を目指した。1990年代に入ってそれまで取り残されていた都市開発が急ピッチで進められ、不動産ディベロッパーの起業ラッシュが起きた。そして2000年代に入って不動産ブームが起きた。2008年には北京オリンピックが開かれ一人当たりGDPは3000ドルを超えた。

しかし、恒大集団が2021年にデフォルトを起こしたことに象徴されるように、いま中国経済は不動産バブル崩壊の危機に立たされている。中国における不動産業は中国経済の3割を占める。もし、不動産バブルが崩壊すればディベロッパーだけではなく国有銀行、地方政府並びに地方が管理する年金財政に大きな影響が出る。

2013年に習近平政権が誕生して以来、中国の経済成長率は低下の一途をたどっている。なぜ中国で不動産バブルが起きてしまったのか。習政権の欠陥とは何か。中国共産党一党独裁と市場メカニズムは両立できるのか。中国経済の第一人者が「チャイナリスクに備えよ」とわかりやすく解説する。

 

ワイロは中国社会の潤滑油

著者はこの中で、中国における所得分配の基本構造を鋭くえぐっている。下図を見ていただきたい。

中国では権力中枢に近いほど富が集まる構造になっているという。例えば地方政府が不動産ディベロッパーに土地の使用権を入札させる際には、ディベロッパーから地方政府高官に多額のワイロが提供される。中国ではワイロは「社会の潤滑油」なのだそうだ。ワイロは現金であったり、マンションであったり、香港やアメリカ西海岸の豪邸であったりする。ワイロが外国資産であれば悪事がばれにくいのだそうだ。共産党幹部の中には数十戸から100戸以上のマンションを所有する人が少なくないという。

そうしたワイロの「経費」は当然マンションの販売価格に反映される。つまり、実質的に負担するのはマンション購入者であり、中国では貧乏人から富裕層に富が吸い上げられる構造になっているという。(うーん、なるほど。でも中国だけかな?)

そのほか、教科書には載っていない面白いエピソードがいっぱい書かれており、中国の実態を知る上で貴重な本である。柯先生は逮捕されないように、こうした本は中国語では絶対に書かないのだと先日の講演で笑いながら言っておられた。