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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

NHKに物申す

2020年02月26日 | 日常の風景

授業がなくなってすべての仕事から解放され、朝ゆっくり起きる日々を送るようになった。そういう中で生活のリズムを作ってくれているのが、NHKの朝ドラ「スカーレット」だ。去年信楽を訪れたとき、「信楽を舞台にした朝ドラが始まります」と宗陶苑の若女将から聞いていただけに楽しみにしていた。

確かに最初はおもしろかった。特に主人公の川原喜美子が陶芸家として成功するまでは・・・。ところが、その後まったく面白くなくなった。特に最近の1,2週間は過去に放送した回想シーンや脇役の「どうでもいい話」ばかりでまったく面白くない。すぐテレビのスイッチを切ってしまう毎日だ。完全にネタ切れ、まるで視聴者をバカにしたような内容といってよい。

私は基本的にはNHKが好きである。毎月4460円払ってでもNHKはあったほうがいいと思っている。民放のひな壇芸人を並べたくだらない内容にくらべれば、さすが高い料金を払わせているだけのことはあると思わせる番組が多い。

しかし、ここにきて腹が立ってきた。最近のスカーレットを見ていて、「こんなくだらないドラマを作らせるために高い受信料を払っているんじゃねーぞ。もっと視聴者を大事にしろ!」と思うようになってきた。どこに文句を言ったらいいかわからないので、とりあえずブログに書くことにした。

ネタ切れになったのならさっさと打ち切ればいい。こんなくだらない内容のために朝の重要な時間帯を使わないでほしい。最近、中国や韓国の面白いドラマを見るようになって目が肥えたせいか、なおさら日本のドラマ(大河ドラマを含む)のレベルの低さを感じる。脚本家が悪いのか、それとも視聴者が声を上げないのが悪いのか。NHKに猛省を促したい。

トンイ

2020年02月26日 | 日常の風景

韓国ドラマを初めて見た。全60話。主人公は、17世紀末にから側室に上りつめた淑嬪(スクピン)。
ドラマだからもちろん史実とは異なる。どこまでが本当で、どこからがフィクションか。しかし、宮廷の権力闘争をめぐる謀略は実に面白かった。かなりおススメである。

新型肺炎と働き方改革

2020年02月26日 | 日常の風景

働き方改革が言われて久しい。しかし、過重労働は一向に止む気配がない。
ところがここにきて新型コロナウィルス問題をきっかけに、企業の間でテレワーク(在宅労働)や時差出勤が広がりつつある。
もし、これがうまくいけば、日本の働き方改革を大きく前進させる可能性がある。

新型肺炎と憲法改正

2020年02月25日 | 日常の風景

先日コロナウィルスショックがやってくると書いた。ここにきてようやくニューヨーク証券取引所が反応し、それに連動する形で東京証券取引所も値下がりしている。
今年はアメリカで大統領選挙があるからトランプ政権は何が何でも下げないようにテコ入れするだろう。しかし、黄河の水を逆流させることができないように、人為的に株式市場を操作することは難しいのではないか。

日本では2012年の安倍政権誕生以来、大幅な金融緩和政策が株式市場を支えてきた。この活況をあえて名付けるとすれば「憲法改正バブル」とでもいえようか。安倍政権の目的は憲法改正であり、経済政策はそのための手段でしかない。国民が安倍政権を支持する最大の理由は憲法改正ではなく経済政策に対する期待である。

したがって、もしコロナウィルスによる経済的打撃が大きければ、安倍政権の支持率が急落する可能性がある。コロナウィルスは予想以上に強力である。ひょっとしたら憲法改正の動きも削ぐ力を持っているかもしれない。。

人生之すべて暇つぶし

2020年02月23日 | 日常の風景
人生に無駄なものは一つもないという。
しかし、はたしてそうか。つらつら考えるに、人生之すべて暇つぶしではないか、とふと思う。

仕事をするのも、テレビを見るのも本を読むのも、結局は「ヒマであること」に耐えきれないから、暇であることを忘れるためにやっているのではないか。最近、とみにそういう感情に襲われる。

最近DVDばかり見ていてほとんど運動らしい運動をしていない。これではいけないと反省し、今日は京都まで足を延ばして歩いてみることにした。目標は京都駅から京都御所まで。大通りをひたすら歩く。

途中で大垣書店という大き目の本屋があったので休憩がてら覗いてみた。なかなかいい本を並べている。店員さんのセンスの良さがうかがえる。しかし、ここで買って大阪まで持ち帰るのは重たい。申し訳ないとおもいつつ、手帳に書名だけメモをさせてもらい、帰ってから買うことに。

そのあとも歩いたが、結局、御池通でお腹がすいてきて力尽きた(笑)。犬も歩けば棒に当たる。本日の収穫はおもしろそうな本を見つけたことか。その代わり財布の中はすっからかん。

金価格上昇中

2020年02月20日 | 日常の風景
この数年間、1キロ460万円から500万円のレンジで行ったり来たりしていたのが、最近半年余りで、あれよあれよという間に600万円以上になってしまった。アメリカのだぶついたマネーが、日本やヨーロッパに向かわず金市場やNY証券取引所に流れ込んでいるせいらしい。

今月に入ってから、コロナウィルス問題が表面化し、上昇にさらに弾みがついている。金市場は株式市場などと違って規模が小さい。ちょっと資金が流れ込むと「風呂にクジラが飛び込んだように」暴騰する。反対に資金が引き上げられると急落する。この先金価格はどうなるのか? もうちょっと買い足したいと思っていたが、タイミングが難しい。

今日も金の値上がりが止まらない。金価格自体の上昇に加えて、円安が値上がりに拍車をかけている。(今日の金価格はこちら)。

撮影現場の裏話

2020年02月16日 | 日常の風景
中国ドラマ「秀麗伝」全50話を見た。後漢の光武帝とその妻陰麗華(いんれいか)を描いた作品だ。「妻を娶らば陰麗華」のフレーズが何度も出てきた。

面白かったのは撮影現場の裏話を紹介するコーナー。陰麗華が馬に乗っているところをアップで撮影するために、麗華が2トントラックの荷台に乗って「チョッ チョッ」と馬を走らせる格好をし、それを撮影スタッフが間近からカメラに収める。



さらにトラックのあとから何十頭もの馬に乗った兵士が追っかけていく。これで立派な疾走シーンの出来上がりだ。撮影では、そのトラックが何度もエンストをし、そのたびにやり直していた。「ヘー、映画の撮影ってこんなものか」と笑ってしまった。



買ったDVDの中には面白くないものもある。そんな時は即見るのをやめてごみ箱に捨てる。お金ももったいないが、時間のほうがもっともったいない。

コロナウィルスショック?

2020年02月13日 | 日常の風景
新型肺炎のせいで、中国経済はガタガタだ。世界の工場である中国が変調をきたせば、その影響は決して小さくはない(はずだ)。
ところが、ニューヨークの証券取引市場は連日新高値を更新し、全く動じる気配がない。東京証券取引所も今のところ目立った反応はない。不思議だ。

大きなショックは10年に一度やってくる。
1987年 ブラックマンデー(株価大暴落)
1997年 アジア通貨危機
2008年 リーマンショック

リーマンショック以来12年が過ぎた。アベノミクスが始まって8年だ。もうそろそろ大きなショックが来てもおかしくはない。
新型肺炎に対して市場はいまのところ冷静だ。いや過小評価をしているのかもしれない。特にアメリカは中国から遠いこともあって、楽観的だ。そのうちドスーンとくるかもしれない。

内閣提出法案

2020年02月10日 | 日常の風景
(内閣法制局が入る合同庁舎)


国家権力の暴走を防ぐために、立法権、行政権、司法権を分割しておくというのは小学生でも知っている。国会が法律を作り、行政がそれを執行し、司法はこれらの行為に目を光らす。三権はあくまで対等である(と学校では習う)。

しかし、現実はどうか。三権の中で行政権が圧倒的な力を持つ。司法の人事権は行政に握られ、法案の大半は内閣提出法案である。法案は国会の審議を経るものの、国会議員の中には法案の内容をよく知らないままに党の指示に従うだけの人もいるやに聞く(意外と多かったりして・・・)。結局、肥大化した行政権が国会を牛耳り、三権分立ではなく二権分立の状態になっている。

そんなこともあって、安倍首相は「私は立法権の長でもあります」と、小学生が聞いたら顎が外れるようなことを平気で国会で発言している。なんと恐ろしいことか。それでも安倍内閣が崩壊しないのは「与野党のだらしなさ」を示す以外の何物でもない。

ところで、行政法の勉強をしていてふと思ったことがある。内閣提出法案が多いことは一概に否定すべきことではないのではないか。もともと憲法制定当初、国会が唯一の立法機関であるところから、法律案の提出も国会の内部からしか許されず、内閣が法律案を提出することはできないという考え方が有力だった(『論点日本国憲法』宍戸常寿ほか)。しかし、実際に新憲法下で国会運営が始まってみると、内閣提出法案が圧倒的に多く、それが「普通」になってしまった。

背景にあるのは、行政サービスの拡充である。福祉国家において、行政は、健康で文化的な最低限度の生活を保障するだけではなく、私たちの日常生活の細部にまで介入するようになってきた。では、そうした細々としたところまで国会議員がフォローできるかと問われれば、「否」と答えざるを得ない。行政の実態を把握している専門家が法案を作成するほかないのかもしれない。。

とはいうものの、最近の日本の行政は力を持ちすぎている。「どげんかせんといかん」のではないか。


(内閣法制局の審議風景 href="http://www.kisc.meiji.ac.jp/~kokkaron/column/housei.html"  )

ちなみに、アメリカでは行政権を担う大統領は議会にほとんど出席しない。年に数回出るだけであり、三権分立が厳格に運用されている。

全部読んだ

2020年02月09日 | 日常の風景
今年に入って法学部関連の本を買いあさった。
憲法、民法、商法・会社法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法、行政法などこれまでに20冊ほど読んだ。

最新の六法全書を買い、今回改めて勉強しなおしてみて、最近の10年、20年の間に、法律も随分変わっているのを知って驚いた。特に、この4月からは民法が大幅に改正される。本屋に行くとその手の本が山積みになっている。法曹関係者も大変だあ。

また、行政法が憲法と並んで重要であることを知ったことも新しい発見だった。確かに行政法はいわゆる「六法」には入っていない。しかし、六法に入っていないことは行政法の重要性が六法に劣ることを意味しない。国家権力の中で一番人権を侵しやすいのは行政であり、法で権力をコントロールし、国民の権利利益を保護するという意味で行政法は憲法と並んで非常に重要である。

ところで、民法典や刑法典などと違って、まとまった「行政法」という法典があるわけではない。代表的な行政法の具体例として、たとえば次のような法律がある。

内閣法、国家行政組織法、国家公務員法、地方自治法、地方公務員法、警察法、警察官職務執行法、行政代執行法、国税通則法、行政不服審査法、行政事件訴訟法、入管法(出入国管理及び難民認定法)、国家賠償法、都市計画法、大気汚染防止法、騒音防止法、道路交通法、地方税法、道路運送車両法(車検について定める)、情報公開法、食品衛生法、風営法など

行政法は我々の日常生活の中にある。たとえば建築物を建てるには都市計画法に従わなければならないし、飲食店の出店には食品衛生法により知事の許可が必要である。パチンコ店の出店には風営法により公安委員会の許可がいるし、税金に関する法律も行政法である。しかし、その一番身近にある法律が実は一番よくわからない。

裁判官も行政法に精通している人は少ないといわれる。そうしたこともあって、裏の裏まで知り尽くした官僚が下した行政判断に対して、裁判官が「ノー」を突き付けることは口で言うほど簡単ではない。その結果、裁判では行政の専門家である「官僚」が行なった判断が尊重される傾向がある。

生活保護を役所に申請しても、窓口で受け付けてもらえないことが多いと聞く。たとえ裁判所に訴えたとしても、現在の法律では「支給しろ」という判決は出せない。せいぜい「役所に拒否されたこと」を取り消し処分にしてもらえるだけである。行政訴訟の大半は取消を求める訴訟なのである。

月に咲く花の如く

2020年02月04日 | 日常の風景
相変わらず中国ドラマにはまっている。このドラマは清朝末期の腐敗した官僚に陥れられて一夜で潰された大商家と、その再建を描く。
商人たちからわいろを搾り取り私腹を肥やす高級官僚、洋務派と保守派の権力闘争、清朝そのものを倒そうとするグループ、そのほか西太后や光緒帝、義和団の乱なども出てくる。推理小説のようなストーリー展開もあり、とにかく面白かった。主演のスン・リーの演技がハンパなかった。
それに比べて日本のドラマはなぜ面白くないのか。レベルが低すぎる。

省庁再編と文部行政

2020年02月03日 | 日常の風景
中央省庁再編に伴い、旧文部省と旧科学技術庁とが統合され、文部科学省が誕生した(2001年)。それから19年が過ぎた。二つの行政機関が統合されたことにより、文部行政にどのような変化が生じたのだろうか。

一般に、二つの機関が統合されれば、統合後も二つの派閥ができるのが常である。それは銀行の統合を見ればわかる。そもそも文部省畑と科学技術畑では、求めるものが本質的に異なる。一方は人を育てることであるし、他方は役に立つことを追求する。そして、両者が統合された結果、文部行政がどんどん「役に立つ」方向に引き寄せられるようになった。

典型的なのは科研費(科学研究費補助金)の申請である。いかに世の中の役に立つかを得々と説明しないとお金がもらえなくなってきた。知り合いの大学の先生から、科研費を獲得するための申請書の書き方の秘儀を聞いたことがある。「へー、書き方ひとつで研究費が出たりでなかったりするのか」と不思議に思った。
社会に役立つ人材育成。最近、教育が「社会に役立つ人材づくり」に急カーブで傾斜し始めている。

2015年6月には、大学から文系学部をなくしたらどうかという意見が文科省から出てきて世間を驚かせた。理系は役に立つ(=金になる)が文系は役に立たない(=金にならない)という発想であろうか。

もちろん、こうした実学志向を、文部省と科学技術庁の統合という要因だけによって説明するのは適切ではない。当然、官邸の大きな力が働いている。しかし、目先の利益ばかり追い求めていると、間違った道を突き進む可能性が高い。文部科学省は行政を行う機関ではあるが、政治が教育に過度に介入するのはよろしくない。戦前の体験で懲りたはずではなかったか。

星野君の二塁打

2020年02月02日 | 日常の風景
「星野君の二塁打」は児童文学者の吉田甲子太郎(1894-1957)が、1947年に発表した作品である。あらすじは次の通り。

「ピッチャーの星野君は同点で迎えた最終回、監督から、先頭打者を「バントで二塁に送れ」と命じられた。納得はできなかったが、監督の命令にそむくことはできない。バントのつもりでバッターボックスに入ったが、姿勢を少し変え、二塁打を打った。この一撃が勝利を決定的にし、チームは選手権大会への出場を決めた。

 翌日、監督が選手たちを呼んで話した。
 「僕が監督になったとき、相談してチームの規則を決めた。いったん決めた以上は、厳重に守ってもらう、チームの作戦として決めたことは、服従してもらわなくてはならないという話もした。だが昨日、僕は面白くない経験をした。僕は、昨日の星野君の二塁打が気に入らないのだ。チームの統制を乱したことになる」

 チームメートが助け舟を出したが駄目だった。「いくら結果が良かったからといって、ルールを破ったという事実に変わりはない。チームの統制を乱した者をそのままにしておくわけにはいかない。僕は今度の大会で星野君の出場を禁止したいと思う」
 星野君はじっと涙をこらえていた。」


 現在使われている小学校の道徳の教科書に、この話が2社で採用されているという。教師用指導書には、「集団生活における規律やそれを守ろうとする姿勢の大切さ、本当の自由の意味」を考えさせるとあるらしい。

しかし、この教材で学んだ子どもたちはどう感じるだろうか?
「監督の命令は絶対だ。上の言うことはガタガタ言わず、余計なことを考えないで従え!」
そういうふうに受け取るのではないか。
もしそうだとすれば、そうした教育を受けた子どもたちは将来どういう大人になるのか?
文句を言わず、権力に抵抗しない、為政者に都合のいい従順な有権者になるのではないか。
ふとそんな心配をしてしまう。

戦前は、個人よりも国家が大切だとされ、個人が国家の犠牲になることはいいことだと学校で教えられた。そのことが全体主義につながったという反省から、戦後は「すべて国民は個人として尊重される」(憲法13条)ことになった。しかし、「星野君の二塁打」の話からは、また戦前に戻したいという意図が感じられる。

この教材を使ってどう教えるか。
実は、原作には出場禁止を言い渡した監督が
「星野君、異存はあるまいな」と聞き、
「異存ありません」と答えたという記述があるらしい。
原作の最後の言葉を削って教科書に掲載した意図は何か?そういう視点からこの教材をとりあげるのも面白いかもしれない。


運動会の入場行進

2020年02月01日 | 日常の風景
「前へ―、進め!」
「ゼンターイ、とまれ!」

学校ではおなじみのシーンです。
では、ここで問題です。
「ゼンターイ」を漢字で書いてください。
恥ずかしながら、私も今日まで知りませんでした。











(答)
多くの人がそうであるように、私も100% 「全体」だと思っていました。ところが違うらしいんです。日本の体育は明治時代に「軍隊」の教練として導入されました。だから「全隊」が正しいということです。
一糸乱れぬ行進が、来賓から祝福されるのはそうした名残と言えそうです。