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南英世の 「くろねこ日記」

徒然なるままに、思いついたことを投稿します。

橋下徹氏を沖縄県知事にしてみたい

2019年03月31日 | 日常の風景
橋下徹氏が新しい本を出した。そこには沖縄の発展と米軍基地問題を解決するための政治的ロードマップが記されている。事の善悪は別にして、とにかく面白い。

沖縄を発展させるために、沖縄は「東洋一の観光リゾート」を目指すべきだという。その方向性さえ了解されるならば、あとはどのように実現させるかのプロセスの問題となる。そのためには

1.とりあえず辺野古への米軍基地移設を認める。

2.返還された普天間480ヘクタールに、カジノを含む統合型リゾート(IR)を誘致し、海外から富裕層を集める。

3.観光客をわんさか集めるために沖縄を経済特区にし、消費税をゼロ(または限りなくそれに近い率)にする(一国二制度)。沖縄は本土が嫌がる基地負担を引き受けているのだから、それくらいのことを政府に要求するのは当然だ。

4.人が集まるようになったら、その人たちが沖縄全体にお金を落とすように、沖縄南北鉄道を建設しアクセスをよくする。いまある高速道路の上にモノレールを走らせれば、2000億円もあればできる。

5.沖縄の魅力を高めるための街づくりを実施し、京都、ローマ、パリ、ベネチアなどのような他にはない特色を持たせる。そのためには、現在交付されている年間3000億円の沖縄振興補助金を、上に述べたようなビジョンに向けて投資する。

それだけではない。より本質的には沖縄が引き受けている米軍基地を、本土もフィフティ・フィフティに引き受けるような仕掛けも必要である。そのためにはどうするべきか。それはここでは書くまい。本書はケンカ上手な政治家橋下徹氏の面目躍如の力作である。

きれいになった天王寺公園

2019年03月28日 | 日常の風景
(天王寺公園)

民間業者の活用でうまくいった例がある。大阪城公園や天王寺公園である。今まで、公園内では店を出して営業することは禁じられていた。だから、殺風景であまり訪れる人も多くはなかった。

しかし、橋下徹大阪市長(当時)は、公園内で出店することを可能にした。「どうぞ公園を使って金儲けをしてください。その代わり、公園の維持管理費を負担してください」という契約を民間業者と結んだのである。その結果、大阪城公園からは、維持管理費に加えて毎年2億円の基本納付金と売り上げの7パーセントの納付金が大阪市に入ることとなった。

大阪市にしてみれば、管理費がかからなくなっただけではない。一定の収入を得ることができるうえ、民間企業のお金で公園内が整備され美しくなった。レストラン、スターバックス、コンビニなど、たくさんの店が立ち並び、しかも公園の景色とうまく溶け込んで不自然さがない。おかげで大阪城公園はインバウンド客をはじめとする観光の目玉になった。


(大阪城公園)


先日、天王寺公園を訪れてみてびっくりした。かつては、縁台将棋をしているおっちゃんや、大音量でカラオケに興じるおばちゃんたちがいたのに、今ではきれいな店が立ち並び、芝生でくつろぐ家族連れなど、たくさんの人が訪れるようになっていた。

よくぞ、まあ、こんな施策を思いついたものだ。この施策は大成功だったといっていいのではないか。政治家橋下徹。少し危険なにおいもするが、このまま政界から引退してしまうのは惜しい気もする。

ナッシュビル・パブリックスクールでの実験

2019年03月26日 | 日常の風景

2018年、大阪市は全国学力テストの結果を教員給与や学校予算に反映させるという方針を示した。「ずっとベッタ(最下位)なのに、危機意識が一切伝わってこない」「教員はぬるま湯に漬かっている。結果に対し責任を負う制度に変える」(2018年8月11日 産経新聞)と吉村市長(当時)は語っている。

生徒のテストの成績を先生の給料に反映させれば生徒の学力は伸びるか。実はこれには先行研究がある。アメリカのテネシー州にあるナッシュビル・パブリックスクールで、延べ2万4000人の生徒と300人の教員を対象に実験が行われた。結果は「統計学的に何の改善も見られないか、むしろ悪影響」というものであった(『統計学が最強の学問である』p20)。

当然であろう。生徒の学力に影響を与える要因は学校教育だけではない。家庭環境、保護者の収入、生徒の生活習慣、地域での取り組みなど、さまざまな要因がある。それに教員は決して「ぬるま湯につかっている」わけではない。過労死ラインとされる月80時間以上の残業を強いられている教員が約半数いる。教員の目の前にニンジンをぶら下げて「もっと頑張れ」というのは、あまりに現場を知らなさすぎる。

文部科学相が「学力テストの趣旨や目的を踏まえてほしい」と慎重な判断を求めたのは当然のことといえる。


「さん」と「君」

2019年03月25日 | 日常の風景

 相手をどう呼ぶかは結構悩ましい。年上の人やあまり親しくない人に対しては「さん」付け、また女性に対しては年下の人でも「さん」が一般的か。年下で親しい間の男性なら「君」付けであり、さらに古くからの友達なら呼び捨てが多いかもしれない。このように、性別や社会的地位などに加えて親疎関係も考慮して呼び方が変わるからややこしい。

 では、教員は生徒をどう呼ぶべきか。もちろん、決まりはない。先生によってもいろいろである。私の場合、生徒との年齢があまり離れていないころは呼び捨てにしていた。しかし、年齢が離れていくにしたがって、何となく違和感を持つようになり、50代になってからは女子には「さん」、男子には「君」付けで呼ぶようになった。「さん」「君」付けで呼ぶことに最初は戸惑いもあった。しかし、慣れてしまえばそんなものかとも思う。

 ところが、最近また悩み始めている。これまで勤務していた学校はすべて名簿は男女別だった。しかし、いま勤務している天王寺高校は男女混合名簿であり、名前を見ただけでは、男子か女子かわからないこともある。

一番困るのは答案返却のときである。「さん」付けにしたものか、「君」付けにしたものか。性別を間違えてしまうことはしょっちゅうある。そこで、答案用紙に「性別」と「ふりがな」を振ってもらいこの問題を解決しようと試みた。

 しかし、これがまた新たな悩みの種となった。LGBTの問題である。表面化はしていなくても、LGBTで悩んでいる生徒はいる(はずである)。彼ら彼女らに性別を書かせるのはどんなものか。大阪府は今年の高校入試の志願書から性別の記載欄を削除した。性別を書かせることは時代の流れに反する傾向がある。

 国会のようにすべて「君」付けで呼ぶというのも変かなと思ったり、この際、いっそのこと昔のようにすべて呼び捨てにしようか、などと思い悩む。たかが呼び方、されど呼び方。難しい。

政府統計の読み方

2019年03月21日 | 日常の風景
日本人が過労死するほど働くせいでアメリカは貿易赤字に陥っている。何だかよくわからない理屈で、アメリカは日本に労働時間の短縮を求めてきた。

そこで、政府は1987年、2100時間を超えていた年間総労働時間を1800時間にする目標を立てた。それ以来、週休2日制の普及やフレックスタイム制の導入などによって、2017年には1721時間に減少させることに成功した。

しかし、この説明はどうも腑に落ちない。実際に労働時間が短くなっているとは思えないからだ。むしろ、競争が激しくなって労働時間は長くなっているのではないか。多くの人がそう思っている。

私が学生時代は、「データを用いる場合は必ず政府統計を使うこと。そうでないデータを利用したら、その時点で論文としての価値がなくなる」と統計学の先生から教わった。確かに、以前の政府統計は信頼できたかもしれない。しかし、最近はどうか?

「厚生労働省の調査によれば、裁量労働制で働く方の労働時間は、一般の労働者よりも短いというデータもある」という安倍総理の答弁(2018年1月29日)は、あとで間違いであったことが明らかになり、総理は謝罪に追い込まれた。

また、アベノミクスによって賃金が上がっているという政府の主張に対して、実際は低下しているという指摘もなされている。どうやら、政府は都合のいいデータだけを強調し、都合の悪いデータは国民には知らせないようにしているようだ。

では、総労働時間に関する上記のデータはどう考えたらいいのか。少し調べてみたらすぐ判明した。実は上のグラフの元データには、パート労働者の労働時間も含まれているのである。パート労働者の人数はここ20年間に著しく増加している。それが一人当たり総労働時間を押し下げる大きな要因になっている。


だが、冒頭に掲載したグラフを見ているだけではこうした「カラクリ」は全く分からない。このグラフだけを示されると、日本人の労働時間は欧米並みに短くなっていると誤解する。注意が必要である。ちなみにフルタイムで働く労働者だけの平均を取り出すと、年間2026時間(2017年)だそうだ。これは欧米よりはるかに高い水準である。

しかし、それでもまだ納得がいかない。なぜなら、いわゆる「サービス残業」は労働統計には全く含まれないからだ。無賃労働というサービス残業を含めれば、日本の総労働時間はもっと長くなるはずだ。

ところで、教員の労働時間にいたっては正確な統計すらない。タイムカードが導入されていなかったり、クラブ活動の付き添いが「ボランティア」とみなされ、労働時間に含まれなかったりしているからである。2016年に文科省がサンプリング調査をした結果は、次のようになっている。



中学校の先生の半数以上は1週間に60時間以上、すなわち過労死ラインとされる1か月80時間以上働いている。しかも、上のデータは「学内」の労働時間だけであって、自宅への持ち帰りや土日の仕事は含まれていない。

統計は一国の政策の基礎となるものであり、正確なデータを国民に開示する必要がある。昔大学で教わった統計学の名物教授が言っていた「なぞかけ」を思い出す。
「統計学とかけて、水着姿の美女と解く。その心は・・・」






















「見たいところが隠されている」(笑)。

復興現場を訪ねる(3)福島県富岡町

2019年03月19日 | 日常の風景
福島県いわき市から常磐線に乗って約1時間。富岡駅に着いた。東京電力福島第一原発の事故から8年。今も図の赤い部分は全く立ち入ることができない。


駅周辺はすべて津波に流され、ほとんど家が建っていない。駅舎は新しく建てられたものである。




原発被害の様子が知りたくてタクシーに乗って案内してもらった。富岡町の人口は事故前は1万6000人だったが、現在は800人しかいない。夜は誰も歩いていないという。以前17台いたというタクシーも今は2台。1台でも十分ということだった。富岡町から浪江町への電車(常磐線)は今も開通していない。


電車に代わって富岡と浪江を結ぶのは、南北に走る1本の道路である。しかし、その幹線道路からわきに入る道はすべて封鎖されていて、帰還困難区域としてまったく立ち入ることができない。道路に面した住宅や店もすべて封鎖されている。















店の建物は残されているが営業はしていない。


復興住宅が建てられているが、入居する人は少ない。


人の気配がするのは、かろうじて警察、町役場ぐらいか。


駅の周辺もまだほとんど空き地のままである。


新聞やテレビが伝える復興情報は、もちろん大阪などで報道される量よりはるかに多い。テレビではこんな情報を流していた。


有名な夜ノ森(よのもり)地区の桜並木に人が戻るのはいつだろう。放射能汚染は復興のめどが立たないという意味では、津波と違った深刻さがある。


(追記)2019年4月6日の毎日新聞に次のような記事が掲載された。


復興現場を訪ねる(2)陸前高田市

2019年03月19日 | 日常の風景
(津波によって町ごと押し流された陸前高田市 同市のパンフレットより)



(震災前の陸前高田市 「奇跡の一本松」は写真右端にあった松林の1本が残ったもの。同市のパンフレットより)

陸前高田は気仙沼からバスで1時間ほど北に行ったところにある。震災前はJRの大船渡線が走っていたが、津波で線路が押し流され今はバス路線になっている。


(線路の一部を道路にしてバス専用路線にしている)


陸前高田の惨状は言葉では表せない。廃墟と化した中学校の建物がそのまま残されていた。


8年たった今もさかんに工事が行なわれていた。


以前の駅舎の後に、真新しいバスの駅舎が建てられていた。中に入ってみたが全くの無人であった。


駅のすぐ近くに、ショッピングセンターが建てられていたが、付近のかさ上げされた土地はまだ工事中で更地のままだった。



「奇跡の一本松」はいま復興の象徴になっているようだ。



復興現場を訪ねる(1)気仙沼

2019年03月18日 | 日常の風景
(案波山(あんばさん)から気仙沼港を見る。震災直後、海は重油が燃えて火の海に包まれた)

2013年3月11日、東日本大震災から8年が過ぎた。今どんな様子なのか見たくなって、東北一人旅に出かけた。今回は生まれて初めて宿も飛行機も全部自分で予約した。何とか無事予約できた。

関空から仙台までピーチ航空に乗る。生まれて初めて乗るピーチ。ともかく安い。ANAやJALが3万円以上とるところを、たったの9000円余りで飛んでくれるのだからありがたい。乗ってみると案外快適だった。



仙台について、すぐ新幹線で一ノ関駅まで行く。



そこから大船渡線に乗り換えていざ気仙沼へ。ところが2時間に1本しかない


東北新幹線ができて日本列島の背骨は案外便利になったが、あばら骨にあたる東西のアクセスは最悪である。仕方がないから昼ご飯を一ノ関で食べて12時45分の電車に乗る。2時間に1本しかないのに乗客はまばら。2両編成の4人席に1人か2人しかいない。
鈍行に乗車すること1時間半。ようやく気仙沼に着く。



ところが着いてみてびっくり。気仙沼はもっと大きな町だと思っていたが、JRの駅舎は「質素」そのもの。聞けば気仙沼の人口は震災によって1万人減少し、現在は6万人余りだという。
さっそくタクシーを飛ばして、被災地を見て回る。短時間で広範囲を見るにはタクシーが一番である。おまけに、運転手さんから簡単なガイドもしてもらえる。街のあちこちに、「ここまで水に浸かりました」という表示がある。





津波や火災で多くの人が犠牲になった。また、がれきの撤去も大変だったと思う。港の近くの被害を受けた地域は、今も盛んに復旧工事が行なわれている。しかし、家の復興はまだまばらである。
人生って運・不運があるんだなあとしみじみ思った。






スウェーデンという国

2019年03月12日 | 日常の風景
スウェーデンというと「税金は高いが福祉が行き届いた国」というイメージがある。もちろん、昔からそうだったというわけではない。

実は、1930年代までのスウェーデンは貧農国であり、慢性的な食料不足や貧困に苦しんでいた。1850年ごろから1930年代には食糧難などで350万人の人口のうち約150万人がアメリカなどに移住したといわれる。

それが大きく変化したのは、1921年に普通選挙法が施行され、女性や労働者にも参政権が与えられたあとである。労働組合をバックに政権を獲得した社会民主労働党(社民党)は「貧困からの解放」をめざし、貧弱な農業経済から工業国へ転換する政策を推し進めた。そして、経済成長だけではなく、富の再分配政策にも積極的に乗り出した。

今日、スウェーデンは「大きな政府」として知られる。税金の主なものは所得税(地方税を含む)30%、消費税25%、雇用主税32%、法人税28%などである。

このうちスウェーデンの税制の特徴は雇用主税にある。雇用主税は別名「社会保障税」とも呼ばれ、日本の社会保険料に該当する。すなわち、個人は所得税を払えば社会保険にあたるものは払う必要がなく、代わりに企業が従業員の数に応じて全額払うのである。また消費税も食品の税率は12%と低く抑えられている。

たしかに国民負担率で比較すると、スウェーデンは56%で、日本の42%とあまり差がないようにも見える。しかし、「国民」という言葉にごまかされてはいけない。ここでいう国民とは「個人」と「企業」の両方を含む概念であり、スウェーデンでは「個人」ではなく「企業」の負担割合が高い。日本とは真逆の政策がとられているのである。

スウェーデンでは国民は二つの財布を持っているといわれる。一つは自分の財布であり、もう一つは税金として国に預けた財布である。国に預けた財布がどう使われるか。当然関心が高い。だから、選挙になると投票率は80%にもなる。たしかに、スウェーデンの人たちの貯蓄率は低い。しかし、税金が国民に還元される割合が高いから、税負担率の高さイコール貯蓄率ともいえるのである。

日本では、選挙で減税を主張すると票が入る。しかし、スウェーデンでは、減税を主張すると医療・教育・年金などの公共サービスが低下するのではないかと警戒され、かえって票が逃げてしまうという。

もちろん、人口900万人のスウェーデンと日本を単純に比較することはできない。しかし、少なくとも、日本は税に対する関心をもっと高める努力が必要ではないか。多くのサラリーマンは源泉徴収などという悪しき制度のお陰で自分が払っている税金の金額すら意識しない。

また、企業が払った年間の法人税額を新聞に公表するのも一つの方法である。現在は、個人情報の保護を隠れ蓑に、企業がいくら税金を払っているかは一切報道されない。そもそも、企業がどれだけの利益を上げ、いくらの税金を払っているかは個人情報とは何の関係もない。経営者には「たくさん税金を払って国に貢献する」という愛国心はないのだろうか。

政治とは、結局「誰から税金を取り」「それをどう使うか」という問題に帰着する。政府は社会保障を充実させるために消費税を引き上げると言っているが、いまのままでは、消費税を引き上げても金持ちや企業に減税余地を与えるだけである。


情報教育最前線

2019年03月11日 | 日常の風景

竹中正治教授(龍谷大学経済学部)は元銀行マンのエコノミストであり、マンション投資などにも独自の理論で成功している人物である。彼は上に紹介したFacebookの投稿で「学校教育でもっと『検証して真偽を吟味する』という手法と作業を教える必要がある」と述べているが、まったく同感である。

私は『政治・経済』の最後の授業で、マスコミなどで報道される内容の真偽を吟味する授業をやっている。受験には全く関係ないが、生徒は真剣にそして楽しそうに聞いてくれる。

メディアリテラシーと言ってしまえば薄っぺらに聞こえる。私の狙いはもっと深いところにある。マスコミが流してくる情報の真偽を見分けるだけではなく、マスコミが報道しない情報の中にも大切な情報があることを教えるのだ。たとえば、次のような問題を出されたらどう答えるか?

(問題)
テレビや新聞が絶対に報道できないことが一つある。それは何か。

少し考えればすぐわかるが、そのことに気付いている人は多くはない。正解は「スポンサー批判」である。生徒にその話をすると「なるほど」と大いに納得してくれる。たとえば、法人税を引き下げ、累進税の最高税率を引き下げ、その一方で消費税を引き上げる。これは、金持ちや企業の税金を負ける代わりに、そのツケを一般大衆に肩代わりさせる以外の何物でもない。

しかし、マスコミは決してそうした視点からは報道しない。そんな報道をすれば企業がスポンサーから降りてしまうからだ。その結果、「消費税の引き上げに賛成か反対か」などという単純な報道に終始することになる。国民から受信料を取っているNHKさえそういう態度なのだから困ったものだ。だから「犬HK」などと言われるのだ。

いつの時代でも、政府に都合の悪い情報は隠される。AMSY紙が報道する中に正解があるとは限らない。4択から選ぶという試験問題に慣れてしまって、それ以外のことを考えないという習慣がいつの間にか身についてしまっているとしたら恐ろしい。

「広い視野から考察させる」というのは学習指導要領に必ず出てくる言葉である。もっと本当の意味での「広い視野から考えさせる」教育が必要である。世の中をよくするためにも。

「人の支配」を答えられなかった安倍首相

2019年03月08日 | 日常の風景
2019年3月6日の参議院予算委員会で、立憲民主党の小西洋之議院が安倍総理に質問した。質問は、安倍氏がたびたび口にする「法の支配」に関するものであった。

「安倍総理、よく『法の支配』とおっしゃいますが、法の支配の対義語は何ですか?法の支配の反対の意味の言葉はなんですか?」
すぐには答えられなかった総理はしばらく椅子に座ったままだった。秘書官が助け舟を出そうとしたので、小西氏が「総理秘書官、ダメだよー!」とヤジを飛ばす。

ようやく答弁に立った総理は「まさに、この反対語と言うよりも、法の支配、え、ということを申し上げているのはですね、いわば、あーこのー、この海、、、繁栄の海……」などと、シドロモドロになり、最後まで“法の支配”の対義語は答えられずじまいだったという。

これに対して小西氏は「憲法がよって立つ基本原理すら理解せずに改憲を唱えている安倍総理に教えて差し上げます、法の支配の対義語は『人の支配』です!権力者の専断的行為によってルールを捻じ曲げて、国民の権利や自由を侵害する、そういう時代がかつて人類にあったから、近代立憲主義に基づく憲法をつくる。その近代主義の憲法が基づく理念が、法の支配の原理なんですよ」と述べた。

こんな初歩的なことは大学の法学部の学生ならずとも、高校生でも知っている。小西氏は、質疑の様子をツイッターに次のように書いている。



小西氏はまた次のようにも述べている。「カルロス・ゴーン氏の保釈よりも、安倍総理が『法の支配』の対義語の『人の支配』を知らなかった事実の方がはるかに日本社会への重大事件なのだが、テレビ報道は残念な限りだ」(以上ライブドアニュースなどより)

小西氏の指摘を待つまでもなく、こうした重大な事実をなぜ大手マスメディアで報道しないのか不思議である。一国の首相の恥ずかしい姿を海外に知られたくなかったからか? それとも、あとで政府からにらまれるのが怖くて書けなかったのか。いずれにしろ、マスコミの感覚を疑う。

このやり取りを聞いて、安倍首相が憲法学者の反対を押し切って解釈改憲を強行した理由が良く分かった。首相からしてこの程度の憲法理解だから、おそらく憲法の何たるかを理解していない国会議員がゴロゴロしているのではないかと、つい余計なことを心配してしまう。

年金の運用

2019年03月06日 | 日常の風景
 厚生年金や国民年金などの公的年金の運用を任されているのがGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人 2008年設立)である。2018年度の総資産は約165兆円

GPIFはかつては資産の7割近くを安定的とされる国内債券で運用してきた。しかし、安倍政権は、2014年度に国内外の株式の運用比率を24%から50%に引き上げた。この結果、現在のポートフォリオは上図のとおりである(GPIF資料)。そして、最近の運用実績は次のようになっている(GPIF資料より作成 グラフの単位は億円)。



安倍政権が誕生した2012年末から運用実績は大幅に改善し始めた。日本株を購入している半分以上は海外の投資家だといわれる。2014年には、アベノミクスに期待した海外投資家が約15兆円を買い越した。安倍首相は2014年10月30日の予算委員会で、安倍政権ができてから約1年9か月の運用収益が約プラス25.2兆円になったと大いに自慢したものである。

2015年度は中国株の暴落により約5兆円の赤字になったものの、2016年度には約8兆円の黒字になった。また、このグラフには示されていないが、2017年度の運用実績は約10兆円の黒字であった。

しかし、2018年になって海外投資家はほぼ一貫して売り越しに転じた。アベノミクスを見限ったからである。日本の株価は低迷した。売り越し金額は2018年度だけで5兆7千億円。

海外勢の売り越しに対しその穴埋めとして買い支えたのが、GPIF、企業の自社株買い、日銀などである。しかし、2018年度第3四半期(10月~12月)の運用実績は14兆8000億円の赤字(収益率マイナス9パーセント)という発表が先日あった。年金資産も約150兆円に減ってしまった。

株式は債券と違って価格変動が激しい。だから、株式の構成比を高めればそれだけ年金の変動リスクも高まる。しかし、以前のように株式の構成比率を減らすことはもはやできない。GPIFはプレーヤーとしては金額が大きすぎて「池の中のクジラ」になっているからだ。もし、GPIFが株式を売却して債券比率を高めようとすれば、それこそ株式市場は大暴落する。

株式市場を人為的に吊り上げ、アベノミクスを成功したように見せかけた経済政策は、やがて我々の年金の減額という形で跳ね返ってくるのかもしれない。これも国民が選択した民主主義とあきらめるしかない。






為替と株価

2019年03月06日 | 日常の風景
 一般に、円安になると株価は上がり、円高になると株価は下がる。なぜか?

今までは、「円安になると輸出が増えるから輸出企業の株価が上昇し、反対に円高になると輸出が落ち込むから輸出企業の株が売られ、日経平均が下落する」と説明されることが多かった。少なくとも新聞はそう書いてきたし、私自身も授業でそう説明してきた。。



確かに、上のような説明も間違いではない。しかし、今日、はたと気が付いた。日本株の半分以上を買っているのは海外投資家である。
この事実に注目すれば、円が安くなれば日本株を買い、円が高くなれば売り逃げをする。当然である。その結果、円安になると株高になり、円高になると株安となる。こちらのほうがはるかに合理的な説明ではないか。

いったい自分は今まで何を勉強してきたのだろうと大いに反省した。生徒の皆さん「ゴメンナサイ」。

Fukushima もう一つの現実

2019年03月05日 | 日常の風景
福島原発事故が起きてから8年になる。図の赤い部分は福島第一原発の20キロ圏内で「警戒区域」と呼ばれる。一方、図の黄色い部分は放射線の年間積算線量が20ミリシーベルトに達する恐れがある地域で「計画的避難区域」と呼ばれる

先日、たまたま警戒区域に残された動物たちの記事をネットで見た。衝撃を受けた。さっそく写真集やDVDを買い求めた。

http://www.adg-theater.com/zone.html?fbclid=IwAR0SUnh6cJ_b5cHRzfE9WxNw3VvLhhu8bYN5BQPbtSShPxRHAGELmQOUdE0

警戒区域に残された動物たちに関して、マスメディアの報道はほとんどなかった。
『残された動物たち』太田庸介著 飛鳥新社 2011年 という写真集を見た。いずれも20キロ圏内で撮られたもので、想像以上に悲惨だった。もはや地獄だ。


持参したドッグフードを与えようとすると、食べる前に人間にすり寄ってきてスキンシップを求める犬。よほど人恋しかったのだろう。


水やえさを求めて鳴く牛。50頭いた牛の3分の1はすでに死に絶え、牛舎には異臭が立ち込めていた。餓死は残酷である。


つながれたまま息絶えた犬。誰かがバスタオルをかけ、庭の花を手向けている。

おそらく、写真集には載せていないが、もっともっと悲惨な動物たちの大量死もあったに違いない。しかし、マスメディアはそうした情景を一切報道しなかった。余りに悲惨で放送倫理上問題があったからか。それとも、載せれば反原発の世論が高まり、政府ににらまれると思ったからか。

2012年4月からは、それまでの警戒区域・計画的避難区域が見直され、放射線の年間積算線量に応じて、帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域に再編されている。



これだけの被害を出しながらなお原子力発電を続ける理由がわからない。