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**ももくり日記**

なんでもない日常が大切で・・・

CatCatCat

番外;つわり編

2011-03-01 | おもふこと
<つわり編>
まず私が妊娠して、ほっとしたのはオットだろう。仕事が差し迫っていようが、40を目の前にして魂抜けかけに疲れていようが、
もう「今夜、卵みたい。」と不定期に私から告げられなくて済む。(大笑)
共働きがゆっくりできるとしたら、週末や長い休み。平日のMakingLoveなどよっぽどの余裕がない限り、
したいなんて絶対思えない。それが現実。家はいつも私がGoならGoなのであんまり障害もなかったけれど。

自分からお願いするなどもってのほかという受け身の妻には、この卵日を告げる事すら、ものすごい抵抗があるはずだ。
断られ本気で傷ついたり、また断る事ができずに苦戦する夫達もいるはずだ。
体がどうにもならなくて妻に泣かれ責められた日には、無力感でいっぱいになるはずだ。それが男。
または妻が自分勝手に思えて、夫婦関係がぎくしゃくする場合もあろう。

不妊問題って、実際想像以上に、家庭内で恐ろしい局面や修羅場が繰り広げられているはずだ。
うん。絶対そう。

結果的に、家は不妊枠に入らなかったわけだけど、今ネットで検索すれば本当に自分は大丈夫なのか。という
不安になるような記述がいっぱいある。だからやっぱりあんまり情報は収集する必要はないと思う。
色々心配で検索してしまうと、迷い込む。

妊娠してからもそうするようにした。
自分が体の声を聞いていれば、なんとなくどうするべきかは、女には備わっている気がする。
興味半分で、妹から「たまごクラブ」を借りてきたが、もはや開いておらず。
そもそも、高齢筋腫もち、標準体重超えである私に、マニュアルなどないのである。
つわりも3カ月の今がピークと言うが、完全にピークは妊娠2カ月であった。生理が遅れたあたりからあれよあれよ。
これもこの前、母に聞いたら、同じタイミングだったので、そこは似たのかも。と思ったくらい。

で、これでまずひと安心♬でかしたでかした。と思ったオットには、そこからさらなる試練が待っていた。
大体オットの理解度なんて、てきとーに生でやったら子供ができる。子供ができたら、妻はにっこり聖母になる。
・・・大間違いだ。

欲しくて作ったって、妊娠初期の妻のイライラ度は増すばかり。この時期のケンカはたびたび常軌を逸した。
地震のニュースを見て泣きとおしだったように、今までを振り返ったり、大切なものは何かということを考えたり、
なんていうか、心のお掃除をしないとこれから母になるという準備もできないって事だと思うのだ。
男に理解してもらおうなんて思わない。

さて「つわり」の話。

陽性が出てすぐ、強烈な飢餓感が、日に5回も6回も襲ってきた。異常事態。
最近、めっきり消化しないな~と胃薬飲んだり、デフォルト1日2食の不健康さが嘘のよう。
そしてそれに動かされ、キッチンへ入り、ありとあらゆるものを調理し食べた。
地震後、自宅勤務だったので、きっちり3回4回5回・・・・
それが肉ではなく野菜ばかりだった。今まで取り足りなかった栄養を今取るぜ。そんなイメージ。
食べたいと思うものが明確だった。災害後のさびしい冷蔵庫はきれいに空っぽに。まだ混乱の
スーパーへ買い出しに行き、野菜を中心に食べたいものを買い集め、ついでに和菓子や洋菓子など甘いものも買うが、
スイーツは全く食べる気にならないのであった。
毎日二日酔いのような、だるくて眠くて、気持ち悪い。寝込むほどではないが、かなりの不快感。
お腹にガスはたまるのか、嘘みたいにお腹がぽんぽこりんになり、乳もぐーんと張って痛くて不快。
そしてとにかくのどが渇くので、出勤がそろそろ始まったオットに、「ヤクルト。ジョワ。オレンジジュース。」と買い物を頼む。
普段飲まない味付きのドリンクばかり。しかもヤクルトジョワなんて、思い出したのすら不思議。
子供の時以来の欲求ではないか。
水も足りない中、自販機で水を買い求め、この頃は、お米だけは毎日炊いた。納豆が食べたかったが、
もちろんない。大好きなパスタ・・全然だめ。

そのうち自宅勤務も終わり、出勤すると昼間はパンしか食べられない。スタバのコーヒーはカフェインあろうと飲んだ。
そして、飢餓感は変わらないのに、今度は帰ってきても食べたいものがなにひとつなくなった。
作ってる途中で、違う!とやめたり、吐きはしなかったけれど、夜の不快感はさらに格別!
食べ物を見て気持ち悪いなんて思う事が、私にとっては異常事態。大好きなグルメ番組やランキングすらイヤ。
お米も見たくもなくなった。肉は最初から食べてないが、この頃からチキンだけは少しずつ取るように。
そしてこの不快感を救ったのは、プチトマ、オレンジとグレフルといちごであった・・
かんきつ系は超典型的。今度は今までたばこで
失われたビタミンと言うビタミンを体が欲しているとしか思えない指令である。
大体、私は果物を常備しないのだ。野菜室にフルーツが入るのは季節の始めくらいだから。

結婚して、こんなにフルーツ食ってる妻を見たのは、(それも真夜中でも構わず)初めてであろう。

ジャンクとかお肉とかお菓子とかいかなかった。
週末は、オットがいるせいか気もラクで、オーガニックのビュッフェ行ったり、こってりラーメン食べたり、
結構楽しめる。が、平日の夜は、仕事の疲れもあろうが、食材を見るだけで不快であった。
そして夜はうんうん・・と寝付きが悪く、疲れが取れない。そんな感じ。

いつまで続くのか・・と思うけれど、そろそろ終わるのではと思っている。
久々にポテチを食べたし、アイスなども食べられるように。食べ物を見ても平気になってきた。
初期に食べづわりで体重増やし、そのあと食欲は減ったのに、減りもしない体重。
もういっか。(あきらめ)
これから調整大変そうだなぁ。とりあえず子は母の栄養をエイリアンのように取っていくわけだから、
もう普通に食べていればいいのだとは思うけれど。

安定期に入ったらもう少し色々楽しめるのではないかと思っている。

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あらふぉー妊娠騒動記2

2011-03-01 | おもふこと
<病院へ>
37歳も半年過ぎて、新しい年を迎えようとしていた。
総合的に、何かがおかしい・・・と思い始めていた。
オットも私も、基本健康だと思っていたし、年をとったと言っても、不摂生夫婦だとしても、
まだ40前だし、何か問題があるようには思えないんだけどって事で病院へ。
(私の周囲限定比)平均的に、この年にしてはこんなにしてるのに(笑)する元気があるのに!
とわけのわからない自信。

でね、私って、割とドクハラ受けやすいんだけど・・・
病院で実は子供が欲しいんです。この半年ばかし頑張ってます。と、ワーキングあらふぉー妻が行く。
たいていの医者は、「なんだよ今更?」って顔をした。被害者妄想じゃなくて、これほんと。
特に私なんて、結婚して11年だからね。医学的に言ったら、高齢だしね。つまり、
今まで何してたの?って話ですよ。結婚してて仕事してて、作ろうと今まで思っていなかった?
ピル飲んでた?へびーすもーかー?で、解禁してもできない?
卵も年取るからね。って平気で言う。ま、手段はあるよ。排卵促進剤とかね。卵の殻柔らかくなるよ。
そこから、西洋ホルモン名称オンパレード。
あらふぉー妻の妊娠に関して、そんな先生多いと思う。ほんとに。
大丈夫ですよ。いそぎましょーとかポジティブに励ましてくれた先生・・いなかったなぁ・・。

近所の病院A:筋腫が6センチになっとると診断。しかも位置が悪いと言う。
 「着床の妨げになってる。切ったほうがいい。家族と相談してこの同意書書いてきて。」
もう2度と来るか。と思った。基礎体温表も見てくれなかった。
ちなみに切らなくても妊娠する可能性は0じゃないけど、この位置だと多くの確率で流産するね。と言い切った。
しかも働いてるって言ってるのに、手術スケジュールもごり押しだった。いやな感じがした。
そりゃ、こっちも欲しいと切実に言ってるのだから、欲しいのなら先にじゃまものは切るという急ぎの
最善の方法を、告げてくれたのはありがたい。
だけど、私にはその時事実を受け止める度量はなかった。ドックで疑いがあった時、
放置したのは自分だし、今まで大丈夫だって思ってたものが、そっか。私のせいなんだ。って思ったし、
この半年無駄な努力をしたもんだ。と思ってしまった。

会社の近所の病院B:(基礎体温表見て)「うーん排卵はしてるし、タイミング合ってるし、このまましばらく続けてみて。
この年だと、1年だめだったら不妊とするから。あと2.3周してみてよ。
妊娠してからも、最悪筋腫取る手術できるからね。病院紹介するよ。」
は?そうなの?
妊娠相談と言っても、これくらい先生によって診断って違うのであーる。全然違うでしょ?

私の筋腫は後ろにあったらしく超音波で見つけにくかったらしいんだけど、
Aに行く前にさらっと行った女医のところでは、筋腫は問題ないと診断が出ているのだから、ますます混乱。
誤診か?

年末にこのふたつの診断を受け、オットと恒例温泉旅行へ行きながら、これからの人生を
考えた事は、今も忘れない。
当然、私の体が一番だし、子供がいなくても、お前と猫がいれば今のままでも十分だとオットは言ってくれたが、
ホントにこれで子供無しで、猫達を見送って、また猫が増えたりするかも知れないけれど、ずーっとふたりなのか。
一体、私達どういう結婚をしたんだっけか。どういう風になろうとしていたんだっけか。家族ってなんだっけ?
子供なんて好きじゃないし、メンドクサイし大変だし、
でも私達は子供いらないと決めてきたわけじゃないのだ。
私はそんな風に思っていた。

ま、当然いい方にすがりたくなるのがニンゲンだ。年末年始だし、ばたばたしてるし、
結局、このままにして、年が明けてあったかくなったら考えようということにした。

男の方は、毎日入れ替え制ゆえに60でも70でもパパになることは可能なわけだ。
女は違う。この世に生を受けた時に持っている卵細胞の数はそこで確定してしまっている。
新しく生まれる卵ってないのだ。
それを初潮から毎月1個ずつ、卵にして排出している。初潮から数十年の時を経て、卵は条件が下がる
一方というわけ。胃が荒れたり細胞が加齢すんのと一緒。
卵の質をよくするには、このサプリだとか、このドリンクってのもいっぱい見たけど、
そんなのもう手遅れって感じがして何も手を出さなかった。
冷えを解消する漢方だけ処方してもらったが、やっぱり真面目には飲まなかった。

私はネガティバーの超現実主義だ。ポジティブに日々の努力とかできない。
確かに日々の積み重ねは、とっても大事なんだけど、
積み重ねてもだめなものはだめとわかっているからだ。やるとなるとベストを尽くしがちなので、
もうこの年になると自分を追い込むより逃げる方がよしと思うようになった。
全てはなるようにしかならないし、500個の卵と5億の精子のたったひとつが、この世に生を受けるってのは、
もうなんつーか、私ごときがどうこうできる問題じゃないって思うでしょ。細胞だもん。

今、ここまで生きてきた経験値が血となり肉となっている。努力次第でつかみたいものは手に入れてきた。
この年になって何がOKで何がだめか自分で大体決めてしまえるのだ。
だからこの問題だけはどうにもならなくて、なぜなの?負のループに入り、体もそうなっていってしまう気がする。
あれこれ考えてると、ますますうまくいかないの。なぜなの?ってだめなもんはだめなだけ。


<まじで?>
そんなわけで、やっぱ先に筋腫取っておいた方がいいのかなぁ・・と思いつつ、
手術なんてした事ないし、何がいやって、この手術、まず数ヶ月生理を止めるのだ。その事による更年期障害も
考えないといけないの。すごいイヤなので、様子見てタイミングだけは外さずに数カ月たった。
筋腫の大きさから言って、貧血やら生理がひどいはずだって先生は言うけど、むしろ年取って最近
楽になったし、貧血なんて無縁。血濃いし。

ま、今度のタイミングでもだめなら、手術も怖いしやめて、あきらめよう。
だって6月に38だもの。もう昔で言ったらありえないマルコウだし、やっぱじゃっかん1.2年
遅かったって感じよねぇ。残念だけど仕方ない。と思った。
オットには悪いけれど、もうギブギブ。

ところが、それがビンゴだった。

振り返ると、排卵検査薬も使わず、体温もはからず、日数だけでタイミングを取った。
てきとーだったけど、ま、今月も合ってたみたいだよーって言ってたちょうど翌週、確定申告の時に少量出血。
この時は本当に落ち込んだ。なぜって・・日程から言って100%不正出血だから。
まぢか・・生理だとしたら早すぎ!ついに自前更年期か?と思ったら1日で出血ぴたりとまる。
今思えば、これがいわゆる私達の間で都市伝説化してた、「着床出血」ってやつだった。
「今着地しました~」と教えてくれたのである。

それでも、もしかして・・とも思わず、PMSとの違い・・わからんかった。
眠いだるいはいつものデフォだったし、ただちょっと違かったのは息切れがすごかった。
たばこそんな吸ってないのに、まとめて5本吸った時くらい、
2Fへ行くだけで息があがる。ちょっと動いたくらいで、運動後の乳酸たまったような手足つんつん。
それも筋腫がでかくなってて、これが貧血ってやつなのかも・・それとも太った?とかね。
また病院行かなきゃなぁ・・めんどくさいなーって。

大体タイミング合ってても、筋腫がじゃまして着地できないんだろうって思ってたし。
もうこの頃には、もしかしたら卵や精子にも本当は問題あんじゃない?くらい思ってたから。
うん。思っていた方がラクだったから。
当然もくもくパチンコも行ってたし、陽性でる前の晩までばーりばりたばこ吸ってた。
むしろ陽性反応出るまでの間、検査薬前にぷっかーっと一服してた。
で、陽性に動揺して、もう1本吸ったから。それで観念した。
今は早く検知できるものがあるので4週初期でめでたく禁煙とした。

そんなもんだよね。エゴよ。全てはエゴなの。そして急にたばこが吸えなくてストレスMAX。
そしてあの大地震がきて、体のすべてが気持ち悪くなって、最悪の体調にたばこの存在など忘れ去った。
いずれにしても、私の体の中で恐ろしいスピードで細胞分裂が始まった頃、
この世の終わりくらい、自分がしんどかった。
それでも、私がいくらしんどくても、
500と3億くらい?の中のひとつが合体したのだから、もうそれだけで強いし、母体の状態なんか
関係なく、それは生命誕生までの道を律義に進むのであった。もちろん待ったなしで。
もし私のBed(子宮)の状態が悪くても、もうどうにもならないの。ごめんね。ってところだが、
それが私だし、今まで生きてきた私の体だ。
オットの子供なので、私を食い破ってでも、大きく成長するだろうと思っている。

それでもその後、
あらふぉー妊娠は、受精から着床、そして子宮内に袋ができてもまだ安心できなかった。
ようやく、粒の中に心臓が動き始め、おお。生きてる。妊娠したんだ。それくらいの実感であった。
とりわけ気をつけた事・・ない。たばこと酒は当然さよならだったけれど、
食べたいと指令が出るものを食べ、寝て、怒って泣いて笑って、好きなようにした。
お腹に話しかけもまだしていないし、まだ数センチのこの子のためにも的な事は何もしていない。
この子は、ここに宿った時点でもうひとりの別の人間だと思っている。もう十分、私でないものが
ここ数カ月私を支配したってくらい、すごい力だった。でも、これから数ヶ月だけ、私と胎盤とへその緒で繋がるのである。
それが妊娠の醍醐味かも知れない。楽しみなのである。

私のツワリ編は次回へ>



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あらふぉー妊娠騒動記1

2011-03-01 | おもふこと
<ある日>
小さい頃の夢は、「お母さん」だった。自分にはそれしかできないと思ってきた。
結婚したのは26歳だったけれど、寿退社(もはや死語)東京へ移住。子供なんてこの時点ではまだ全く考えていなかった。
しかし、ひーまーな専業主婦は3ヶ月しか持たず、派遣で働き始めた。東京に派遣先はたーくさんあった。
時給もものすごーくよかった。そう。時代は大きく変わろうとしていたのだった。
30歳。派遣された企業も3社目になり、気付くと、世の中が共働く事がスタンダードになっていた。ITばぶって、
友達もできたし、毎日楽しいし、猫とオットと私。特に不足なし。みんな三十路に入っても
まだまだ遊ぶでーという雰囲気。
ふたりの間で子供・・というワードが出なくなっていた。ちょうどいいやと思い、
ピルを飲み始めた。自分の人生は自分でコントロールするつもりだった。
そして仕事して遊んで、気付いたら36になっていた。ここで初めて立ち止った。
これからの人生どうしましょう。さすがに36って結構いい数字だわ。干支3回まわったわ。

正直、私は自分の子宮力に根拠もなく自信があった。だから子供欲しくなったらピルをやめればいいや
と思いながら、気付いたら5年も排卵を止めていたのだった。以前にも書いたけれど、
このお薬は、私にとってはとっても便利なシロモノだったのだ。

ま、その快適ピル年5年の間に、たばこは増え、酒も増え、ハードウォーカーになり、
いつの間にかアタリマエだけど、私の子宮も体も年を取っていたのである。
ピルをやめる時の内診で、「妊娠に影響ないけど、小さい筋腫が
いくつかあるから、(作るなら)早くしたほうがいいよ」と言われた。ほほぉ。噂の筋腫か。
私にもあるのか。ほぉ。くらいだった。

<不妊なの?>
数ヵ月後、ドックでも筋腫の疑いと診断を受けたが、ま、大丈夫だろう。と放置しておいた。
日常生活が困難になるような症状が出ない限り、筋腫というものは悪さをしないので経過観察が基本なのである。
この年は色々あって、私は休職するハメになっていたし、健康であるとは言えない状態ではあった。
当然、普通にしていても妊娠しなかった。

復帰して落ち着いた頃、夏前に排卵検査薬というものを買った。
排卵日24-36時間前にわかるという仕組みのものである。が、これでOKという問題でもやはりなかった。
どうやら排卵はしているが、気をつけなくても、うっかりできもしない。
そうこうしながら、家を買い、引っ越しなど環境も変化しつつ、
律儀に来る生理って、ある意味すげーなと感心しつつ、なんでだろ?と落ち込んだり、
基礎体温で一喜一憂したりもしていた。

今まで自信満々だった私は、次第にすべてに自信がなくなっていった。別になくす必要など
ないのに、子宮力がないなんて、私としたことが。どうかしてるぜ!
とやけくそになってもいた。でもまだ、できなきゃできないでいいやと思っているので、
何も生活変えなかった。サプリも飲まず、食生活も変えず、
もちろんたばこもがーがー吸っていた。仕事もばりばり酒もぐいぐいである。

その頃、ちら見しかしていなかった不妊ぶろぐや掲示板をたーくさん見た。
もうそれはそれはすごい量の情報であふれていた。信じられないくらい。
子供を成すためには、何をすべきか!もう山ほどの情報なのである。こんなに色々気にしないと
いけないの?だったら、無理だわ。と、さらに投げっぱちになる。
ま、普通に考えても年齢も年齢だし、いろんな要素で妊娠というものは成立するということを改めて感じるだけであった。
日程の照準を合わせる。これは常識にしたって、数打てばなんて・・あらふぉー無理。
いかに効率良く、日常負荷をかけず、もうこの時点で、子供ってそうやってできるものだっけ?
という違和感すら感じてくる。

とにかく教科書と、あらふぉー事情は結構隔たりがある。

で、ここ!現実を話そう。
共働きながらにして、排卵日が週末になるラッキーな月なんて、年に何度あるか!なのである。
大抵運悪く平日。
子供が欲しい。その思いがどちらかの希望だけだとすれば、相当無理がたたるのは間違いない。

今やレスが多いという、我々あらふぉー共働き子無し夫婦が、子作りすることにどれだけの
難関があるかっつう話なのである。そりゃ少子化になりますよ!確実に。
真実ってここじゃない?って思う。現代人の圧倒的な妊娠力の低下と、情報過多の頭でっかちと、
働き過ぎのレス。これ以外に子供が増えない理由が思いつかない。経済力、割とある。みんな。
少なくとも私の周りは。ま、もちろん作る気なっしという人もいると思うけれど、
多分、私達、昭和女はこの年齢になって今まさに、ちょっと葛藤してる。
子供なんて絶対いらないと言い切れる子無し妻って実はまだそんなにいない。まだね。
でも現実を考え、自然に授かる確率を考えたら、やっぱり欲しいなら、今何かしないと難しい年齢ではある事もわかってくる。
だからできなきゃできないで、そういう人生もある。と、言ってしまった方がラクなのだ。
少なくとも私はそうだった。まだどこかでこの生活が永遠に続くと思いたかったから。
でもそれは唐突にきた。産めるなら産んでおくべきだ。と。

幸い家はレスじゃなかったけどだな・・・正直平日へろへろ仕事から帰ってきて、ひと月に1日の枠の
狭さを思い知る。明日じゃだめ?みたいな。(笑)いや、もったいない今日を逃すなって気にもなる。
それゆえに、子作りとはやっぱりコントロールするものではなく、気付いたらできちゃってたー
なんて事が一番ハッピーで自然なんだなぁ。と思っても後の祭りなのであった。全然!後の祭り!
そこを誰か教えておいてよ。年取ると卵子がーとかじゃなくてさ、産むなら若い方がいいっていうのを
もっと具体化しておいて。体力勝負ってのは産む前、作る段階からやべーよ。って話をぜひともね。
時代はバースコントロール、人生は私の手の内よ!とか思ってた、5年前の自分をひっぱたきたい。

今度は大丈夫だったかなぁなんてオットとを話していても、見事期待を裏切り、律儀にくる生理。
そして次の卵日。その繰り返し。私は3周くらいして、すぐに飽きた。
自分があらふぉーじゃなかったら、まずやりたくなかった。ま、オットが前向きだから救われたのもあるが、
やっぱり焦った。医学的には40過ぎたって産める。そんな事はわかってる。
でも自分の年齢と体力を考えたら、「私のリミット」はもう目の前だ。
・・・楽しくないし、やめるか。
それとも・・やれることはやっとくべきか。ゆらゆらになった。


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tell me what you don't like about yourself

2009-06-13 | おもふこと


おもろいツール見つけた。
うちの子かわえええー♬

行きつけのにゃんブログさんの所に続々と子猫が!そういう季節ですね。
これまたかわえええ・・・と悶えている今日この頃。
猫神というものがいるのなら、2004年以降、ほんとご縁がない。
ま、今の私達のところへ来てもだめって事なんだろうなぁ。
日常、ばったばったしてるし。呼ばれてない。ちっとも。

去年生まれたツインズは元気。オスの方がいなくなってしまうかと思いきや、
まだ一緒にいます。母猫は割とテリトリが広くて、時々顔を見せるぐらい。
ツインズは、本当にいつも一緒♪

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
オットが相変わらず時間がいっぱいいっぱいなので、DVDレンタルの
映画ではなく、「マイアミ整形外科医NIP/TUCK」のシーズン2に入る♪

整形外科医ってくらいだから、ま、手術シーンはかなりリアルグロ。
毎回ひとりの患者さんにスポットがあたる。
もう人間の体でお直しできないところってあるの?ってくらい。
金さえ出せば、なんでも可能なの?っていう(笑)

でも、整形手術の話じゃなく、その患者さんの背景と、整形外科医であるふたりの
男の生きざまとか、夫婦愛とか、家族とか心の病とか、登場人物の抱える問題が
またてんこもりにシンクロしたり絡んだりで、最高に面白い。
『ご自分のどこがお嫌いですか?』ってのが、最初のカウンセリングのキメセリフなんだけど、
患者さんはもちろんそれを直してもらいたくてきてる。でもそれを聞く医者の
ふたりの日常も、たっぷり問題を抱えているわけだ。

私はね・・・海外ドラマにこんなにもてんこ盛りの、ある「テーマ」に夢中。
アウトプットが得意なお国柄ならではのシステムや理解が
割と普通に浸透している。だからこそ、その膨大なデータをベースに
ドラマが作ることができるのか?と思う。その多様さにおののくというか。
ガイジンって大変ねぇ・・なんて言ってられない。

成功しているにも関わらず満たされない焦り。
幸せなはずの結婚に湧き出す不満。
親を困らせない、一見良い子の中に巣食う闇。
なんかしっくりいかない絶ちたい親子関係。
子育てでキャリアをあきらめた後悔。
根っからの遊び人の満たされない孤独。

本当に誰もが抱えている、どこにでもあるような問題から、
生い立ちに由来するヘビーな問題まで、
それらの「理由」がそこにちゃんと織り込まれるわけです。
葛藤や苦しみを経て、ぜえぜえやってる。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
もう日本人だっておんなじなんだと思う。
大人だけでなく、子供達にまで課される多くの期待や「こうあるべき」風潮。

それにつぶされそうになりながら、何かを手に入れられない人たちの
焦りや心のバランス。
私たち大人は、自分が劣っているのを認めたくないばかりに、
必死にあがいて、許容量超えている。
自分が幸せであることに、必要な軸って自分以外にありえないのに。
大したことない自分に罪悪を抱えて、誰かに認めてもらいたがる。
だからLOSTなんだと思う。

基本的にマジメで、調和を保ち、平均値ばかり気にする日本人にとって、
物質に恵まれ、自分次第でなんでもできるよーなんて成功者ばかり
クローズアップされる世の中が、かえって負担になっているのかも。
女性なんて、まー大変。「私は、すべてを手に入れる!」的風潮
やめたほうがいい。さぶい。適性を無視しすぎ。
キャリアも結婚も出産も!知的でおしゃれでお料理お掃除大好き
もちろんSEXも外さない。なんて、死ぬ。げらげら。

社会の仕組みも人の心も全く追いついてないんだから。
先陣の貢献は認めるけれど、
急に何もかも手に入れる!みたいなガツガツ精神。
もうさー、もともと農耕民族だし、狩りとか苦手なの。
助け合って田畑切り開くのが基本なの。われ先に抜きんでる!なんてのは、
やりたい人、できる人に任せておけばいい。

今ここにある立ち位置、あるがままの自分をまず受け入れることが
できるようにするケアが、
これからの日本にはもっともっと必要なんだと思う。
自分がいっぱいいっぱいになっちゃうと、何も芽生えようがないし、
築きようがない。自分のほかに大事なものって1個あれば充分。
2個以上あれば、もうバンザイ。もう何もいらぬ。
大事なのは、定数だ。

なぁんて、偉そうな事言ってますが、海外ドラマはそういうお勉強にも
役立ちます。
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血液型考察

2008-08-23 | おもふこと
先週、夏休み中にも関わらず、きりきり仕事していた夜、
オットがほろ酔いで気分よくキックオフから帰宅した。

同じプロジェクトの各担当(オットは大阪代表で出席)
と顔合わせをしていたのだが、飲み会がとても楽しかったという。
なんと、プロジェクトの頭が、すべてO型だったというのだ。
うける。でも昼間、職場の様子を聞いてうじうじ気をもんでいた私には、
ああ。でもリーダーにはやっぱりO型が合ってるよなぁ。と妙に納得。
ここからの話は、中年O型オス化の話に限定とする。
ちなみにオットの会社限定かも知れぬ。

男同士で飲んでいて、血液型話になるなんてちょっと意外なんだけど、
とにかくそういう流れになって、何を話しても、オレも!オレも!
と、あっちゅー間に意気投合ってのも面白い。
オレ大好きO型の彼らの話を統合すると、

物事はっきり白黒つけたがる。(なお極論が大好き)
激情型でも人情深い
行動力があって、自分に自信満々。
人のよいところは俄然誉める。(でも自分が一番)
社交的で話上手。

彼らにとって、
A型の部下は使いやすい。(A型はO型をうまくサポートする)
妻はA型(大体修羅場を経験スミ;ぎゃははは)
妻はB型 (ほぼ100%放置プレイ;互いに干渉なし)

で、共感し合ったそうな。
O型のいい意味での図太さは、A型からすると羨ましいほどで、
A型がハラハラするような事態も、O型は持ち前のポジティブさ
と鈍感さで、なんなく乗り越えていく。
言いたい事を飲みこんでしまったり、人の評価が気になるイエスマンにとって、
O型の上司は信頼してついていける部類になると思う。
なんか引き負ってくれるし、いいところはすんなりと誉めてくれるし。
O型にとっても、我慢強くカユイところに手が届くA型の部下は使いやすいに
決まっている。

今、会社で社員の精神ケアを外部の医者と提携し、診察を
提供するシステムが導入されているが、おそらく利用頻度は圧倒的に
A型が多いと推測する。そんなことないか。
オットいわく、O型がそこまで病む場合は、A型の何百倍もダメージを
受けてからじゃないか。と。(笑)なんだ自覚してんのか。
中間管理職なんて、最もA型に向かないよ。と意見が一致したらしい。
鈍感力というのは結構大事で、いちいち傷つき気に病んでいたら
本当に体が持たない。職場は戦場になりうる。
タフさってのは、O型の一番の強みだ。

なーるほどねぇ・・と。

で、彼らが選んだ妻である。いや、妻が選んだオット達でもあるが。
でも寝ているところを、包丁でつんつんされた人の話なんて、
本当傑作で、そうなっても、もはや動揺せず慌てて起き上がりもせず、
なぜそんな事をしてるのか話を聞こうともせず、
「あー・・オレ死んじゃうんだな・・」って思って最後には眠気が
勝って寝てしまったなんて話!本当にお腹抱えて笑った。

でもその妻の気持ちもわかるから。
やんちゃで、オレ楽しくありたーーーい♪って夫。
きっと妻が何に腹をたてているのか、全く皆目検討ついていない。
むしろ、そのネチっこさがうっとおしく、思考を完全に閉じてしまう。
私の苦しみなど、この人とは一生分かち合えないという絶望。
しかし逆効果である。
O型にとっても、A型って生きにくそうだねってことだ。
A型の負のオーラなんて、共感する気も起きないってことだ。
彼らを信じてらりほーってしてたほうがいい。

なんつーか、A型にとって本当に憎らしいのだ。
考えに考え結論を出した事でも、まだこれでいいのか。と相談してみても、
「いいじゃん。とりあえずやってみようよ。」と言うが早いか、
もうひとりで行動に移してしまう。
で、これがおもろいんだけど、それが成功すればA型はやってくれて
助かったって頼もしく思い、(それも勝手だけどさ)
それが失敗すると、むきーーーーっ。あんたのせいで。ってなる。
でも当の本人は、「失敗して人は成長するのだ。」とへらへら笑う。
どこまでも自分肯定。

それが嫉妬なのかなんなのかわかんないけれど、夫婦間なら
殺意に変わるのも、なんとなくわかる。(わかるの?)
でも単純なのもO型男子の愛らしいところで、あなたが何をすれば私は笑顔です。
って事を示していくと、彼らは学んで実行にうつしてくれる。
愛にあふれた男達なのだ。
ま、問題は、バカのなんとかで、細やかにアレンジしていく・・
とかまで気が回らないけれど。ずーーっとそれだけやってりゃOKとか
勘違いするけれど。ね?

総合的に、O型プラス男脳ってのは、社会で生きていくうえで効率いいかもな。
リーダーシップ。そんな言葉が一番よく似合う。
一晩中、そんな話で大盛り上がり。
私は、結婚して生き方がラクになった。やっぱり彼の影響は大きい。
持っているものが違っても、いいところは真似することで身につくこともある。

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女性の選択

2008-02-01 | おもふこと


にょっきーん。
ミズの特等席に、たまにはトモちゃんも。

結構前、会社の先輩が赤子を連れてやってきた。
育児休暇中のため、人事に今後の相談も含めて、たまに呼ばれてやってくるのだが、
彼女は、30代後半で結婚>出産とトントン拍子にコトが進み、
2人目も年子で生んだため、会社制度を最大級にフルに利用してお休み中である。
こういっちゃ何だけど、実にうまく制度を利用できたラッキーなケースである。

私もひそかに、社員になった暁の引き際としては完璧な手法であると
意識していたわけだ。
産休や育休だからといって、会社がクビにすることはできないので、
戻ると表明して実際に戻ってこなかったとしても、
「もらえるものは、もらって去る。」
見事だなって思ってた。

で、今回は2人目をおぶってやってきた彼女。
Officeでは、独身女性がわーっと取り囲み、「かわいー!」の
女子っぽい大合唱で、とても近づけなかったわけだけれど・・
赤子は可愛いに決まっているのだ。カタハライタイ。
本当にそう思ってるのか?疑わしい!そことそこの女子!
・・・なぁんてね。

帰り際に1人(背中に赤子)のところにバッタリでくわし立ち話。

もう35になるんだよねぇ~っていうと、「早く生んじゃいな!」
とハッパかけられて、彼女の姉御キャラからいうと、それは、
まぁ可なわけだけれど、(笑)
よくよく聞いてみると、結局、戻る場所がないので、戻ってきても
別の部署になるということを今回人事に言われたと言っていた。

彼女は花のマーケティングで長ーい経験もあり、
英語はネイティブであるからして、全く問題ないし代わりに補充された
女子は全然使えないといううわさであるし、
トレードで戻ってくるのだと思っていた。1人目の産休の時は。

しかし、会社というのはおそろしいもので、彼女がいない間に、
会社に時間を費やした女子が権力を持つという現実がある。
たった2年でも立場が逆転していることだってある。
人間関係は複雑に絡み合い、利害がいつでもどこにでも生まれる。
戻って、その人の下で働くというのも気が重いであろう。

やはり、どんなに融通きく会社でも、どんなに自分に能力があっても、
女子にとって出産で会社を離れるリスクってのはあるもんだな。と。
逆を考えれば、その間に頑張った人が、休んでた人が戻るからといって、
はい。トレード。ばいばい。ってのもその人のそれまでの努力を考えたら
何やら腑に落ちない部分もあるだろう。
何せ、年子だからして普通より長く彼女は休んでいる。
実際にその間、会社では、「激動」ともいえる変化があったのも確かだ。
そして、戻ってきた彼女が以前のように遅くまで仕事をして、
海外出張で飛び回るのも、幼い子供がいては難しいであろう。

働くママの敵がまた同じ女性であるとは言いたくないが、
投資した人にはそれなりの報酬はあるべきである。というのも事実だと思う。
こればっかりは、現実的においしいとこどりができない、
非常にセンシティブな問題だ。

ふーむふむ。とまた参考にするべく、心のメモに書きとめる。
私は、彼女のようにキャリアはないので、産休中いくばくのお金を
いただきつつ、その後は復帰なんて考えないだろうけれど、
彼女は戻ってくるのかな。
で、育児中にラクなシフトの部署でマイペースで頑張るのかも知れない。
同じく最近育児休暇を取ったもう1人の女性はあっという間に復帰し、
お腹が大きかった事が嘘のように、以前と同じように働いている。
女優さんのようだ。
職種や年齢もあるだろうけれど、本当に人それぞれ。

でも、背中におぶられた小さな女の赤ちゃんの目は、深く深く澄み切って
猫の瞳ように美しかった。(猫を比較に持ち出すのは、子持ちの女性にはもちろん
タブーよ。)母親に守られた汚れなき瞳を見ていると、
これもまた人生。という感。
短期間で2人も子を成し、今更キャリアもへったくれもないだろう。
少し育児疲れか、美容院行ってる暇なくてさーと白髪の混じった髪を
ひっつめていたが、美容院には行ける暇あるけれど、なんか
カツカツしている私にはない精神的余裕が垣間見える。
そう。私はこれを知っている。
川の向こう側の時間で生きる人の空気だ。

だからって、おいそれ川の向こうにジャンプするほどの度量は
ないんだが。
うん。何を選択しても人生は自分のもの。
いいんです。会社なんて利用してナンボです。
大切なものがもう2つもあるんだもん。
「早く妊娠しちゃいな!何でも教えてあげるから!」
といつもの世話焼きの彼女の笑顔が、なんだかとても頼もしく見えたのである。
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ねこにとって

2007-11-02 | おもふこと
ノラの「茶とらっこ」がちょっと目がぐしゅぐしゅ。
キジトラ君達ほどではないし、この子はずっと健康で体もきれいで、
立派に大きくなったので、調子を大幅に崩さないよう、ご飯をもりもり食べてもらう。
昨日、オットと帰って雨の中ごはんをあげていると、ある夫婦が近づいてきた。
ご飯をあげるな。と注意されるのかと身構えると、
隣の区の本格的なボランティアさんであった。
猫が増えているという噂を聞きつけ来てみたとのこと。
すごいネットワーク。

私たちに異常に慣れている猫たちを見て、構成や、ここ数年のHistoryなどを聞き、
慣れた様子でご飯をあげ、茶とらにはさっと抗生物質を取り出し、
チーズに混ぜてさらっと食べさせていた。
そして親切にも、もしこれで治らなかったら、ご飯に混ぜてあげてみてね。
分量はこれくらい。などと説明つきで薬をくれた。

初めて会ったというのに、ものすごくいろんな話をしたのだけど・・・
本当にノラ猫の現状って大変なんだなぁ・・と思う。
どこどこには、100匹くらいいてねーとか、子猫のうちにカラスに
攻撃されるとどれだけ悲惨か・・とか、猫の話は尽きない。
さすがに土地観あるので、うへー?あそこにそんなに猫がいるの?
なんて驚きもあった。

キリがないってのはまさにそのとおりなんだろうけれど。
懐っこい子猫は小さいうちに里親に。
メスネコには避妊手術。オスネコにも去勢手術。
っていう活動が主みたいで、違う沿線の駅前とかで
里親探しの活動(展示でね)とかもしているとか。
すでに会全体で、ものすごい頭数の手術と里親縁組に成功しているという。

ご夫婦とも悪い人達では決してない。
本当に猫が好きで、かわいそうな子猫を減らしたくて
活動をしているのだろう。

しかし、うまくいえない違和感も残った。
だってさ、自宅に50匹抱えてるっていうんだもん。
ありえない。
信憑性もさることながら、それだけの猫を抱えざるえない
現状のすごさもさることながら、
私はその50匹の猫の「生活環境」を考えたからだ。

猫にとって、その生活はアリなのだろうか。
相性の難しい生き物ゆえに、ストレスを抱えたり、
目の行き届かない子が出てきてしまうのではないか。
それでも野良にしておくよりはいいということなのか。
一戸建ての2階は全部猫で・・なんて笑ってたけど、オットも
私もうまく笑えなかった。

ボランティアってのは、私にはできないから、本当にすごい事だとおもふの。
時間の大半をそこにつぎ込める情熱というか、
片手間にできることでもないし、「タダ」でできることでもない。

ただ時々、それに熱心なあまり、何か大事な
ことが抜けてないだろうか。と疑問を抱かせる人がいる。
私は、そこまで野良ネコがかわいそうとも不幸とも思っていないのだ。
手術をかわいそうという前の家のおばさんに、
手術の重要性についても熱く語れない。

もちろん、目の前に弱ってしまってとてもとても・・という子が
いたら無視はできないだろう。
それを、こちらからわざわざ遠征していき、
助けようはとか、里親を探してあげようとかいう
気持ちで保護してくることはできないだろうなぁと思う。
でも、そういう人たちが活動をしているおかげで、
さまざまな告知があるおかげで、私もこれくらいならと募金ができる
機会などもあるわけである。保護猫のごはん代だって
ばかにならないことはゆうに想像つくからだ。

とてもいい人だったけれど、明らかにキャパ超えなその生活感に圧倒され、
でもそのくらいしないと、本当に猫は救えないほど
もう現状は追いつかないのか。と、いろんな気持ちになりつつ、
もちろん尊敬も含めて、お別れをした次第である。
ゾロ一派は、ご飯のとき以外はみんな警戒心が強く、
特にママ猫はばっちり距離をとるので、
様子を見に来たけれど、捕獲をあきらめたようであった。
・・また会うかな。
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遠き国にて

2007-09-24 | おもふこと
私は現在、東京の下町、格差でいうところのいわゆる下流区に住んでいる。
大きな米倉庫の地主があまった土地と金を活かして洒落たマンションをいくつも
建てたという、間取りも外観も、広い敷地も、ベランダから見えるその地主の美しい
庭園といい、車寄せの感じといい・・マンション自体は、
非常に気に入っている。

ところが反対側、外廊下から見下ろすと、
小さな道を挟んで、あちらは東京で最も下とされている区がみえる。
ゾロたちの住処でもある、区営の平屋などがごちゃごちゃと並ぶ区域。
こちら側の、中層階のマンションが連立する風景と
道を挟んでがらりと変わる。そういうところだ。

+++++++++++++++++++++++++++++++++
別に、平屋がどうこう、ごちゃごちゃがどうこうは関係ない。
所詮同じ駅を使用しているわけだし、接点がなくとも、
ご近所さんにはかわりない。
実は自分の実家も、祖父が残してくれたその土地以外、
周囲は市営住宅や手狭なアパートが連立していたのである。
狭い区画ではあるものの、
お嫁に行くまでに、いろんな人が出入りしていたものである。
茨城はブラジルやイラン系も多い。

かつて見知った風景というか、
そこに「格差」や「階級」が見え隠れするのは確かだ。
見たままの風景に、私は興味を覚える。

で、ゾロが休日の昼間によく顔を出すので、最近の週末は、昼間に
向いの家のおばさんが用意しているお皿にご飯を入れに行く事にした。
平屋の小道を入ると、どれがどの家かわからない、無秩序に戸建が
立ち並ぶ。ゴミも多いし、どこかすえたにおい。猫達のシモのにおいに
満ちて、むっとしている。

で、数ヶ月前から、ふたりの子供が私達に話しかけてくるのだ。
褐色の肌をしたこれまた
美しい男の子と女の子が本当になついてくるのだ。
「今日も猫にごはんもってきたのー?」と駆け寄ってくる。

平屋の奥にもまだ家があり、そこの奥さんがサリーを着ている。
奥さんといっても、まだ若い。私なんかより全然若く、そして美しい。
その奥さんが気になる。挨拶をするとニコリとするのだが、
言葉を一切話さない。そして目がね、悲しそう。
残念ながら、私は日本語のほかには英語しか話せない。
どうも母国語と違うようで、無反応。

最初は、私達が猫にご飯をあげにくるのが嫌なのかと思っていた。
といっても、よその家の猫だしな。
でもそういうわけじゃなく、興味はもって私達が猫にご飯をあげる様子を
見ている。時々子供と私の知らない言葉で会話をしている。
でも簡単な言葉で話しかけても、悲しそうな顔をして微笑むだけ。
今日、彼女は、ご飯をあげている私の隣にすっと、座った。
うぉ?なんだろ。
彼女の手には見たことのない文字で書かれた手紙が握られていた。
それをまた深刻な顔で、読んでいる。
「元気?」と話しかけてみたがやっぱり無反応。
「手紙。レター?」と指差してみたけれど、やっぱり微笑むだけ。

「ねーこれみてー」とチュッパチャップスを自慢する娘ちゃんの方の相手を
しながら、私は彼女が気になって気になって仕方なかった。
黙って隣で手紙を読んでいる。今日も、会話は成立せず。
ゾロ達ががつがつご飯を食べるのを見届け立ち上がり、隣の
彼女に「ばいばい」と手を振ると、手を振り返してくれた。
娘ちゃんは、いつも私をすぐ向かいのマンションの前まで送ってくれる。
「うちーいいねーおっきいねー」
今度は私が曖昧に微笑む番だ。
バイバイして道の向こう側に帰っていく。

故郷より遠く離れ、子供達は日本語が話せるのに、
この土地で彼女が何を思っているのか、聞ける事はないかも知れない。
来週もまたご飯あげにいこっと。
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便利さの代償

2007-08-27 | おもふこと
土曜日、午後からとんかつ茶漬けを食べに行き、(うまうま♪)そのままオートバックス。
今の今まで我が家の自家用車には、ナビがついていなかったのだけれど、
(地図が読める男オットが、ナビに指示されるのを拒んだため;笑)
CDがこの暑さでなのか寿命なのかついに壊れて、いよいよナビ付きにするか
という事に。

私は車に乗っていて、TVを見ることなどまずめったにないし、
オットに運転させておいて、DVDなんか落ち着いて見れないし、
(ぐーぐー寝たりはするくせに;)
結局のとこと、音楽さえ聴ければいいという感覚。
そもそも、年に数回しか遠出いないし、東京の道は運送屋の息子の
オットが網羅しているしで、必要性のなかったナビ子。
でもナビがついた事によって、私自身が都内のどこへでも行ける気がしてくる。
ま、ナビがあることと、自分の運転技術は全く関係ないのであるが。
CDもHDDにガンガン落とせるし、ドライブしたくなるね。

++++++++++++++++++++++++++++++
『スーパーサイズミー』を見る。
マックの危険性を身を持って試した男のドキュメント。
30日間、毎食マックはさすがに誰が考えても危ないだろう。
アメリカには、Lサイズの上にスーパーサイズってのがあったんだけど、
(過去形;この映画ができてのち、マックは販売をやめたらしい。)
本当に初めて見た時は驚いたね。
こんなに食べなくても・・旅行ネタには笑えるんだけど、
大きい上に、バーガーとかも1個じゃなかったな・・確か。

なんといっても注目すべきは、中毒性そして成分だろう。
できれば食べずに済ませたいし、子供などなおのこと
あの味を覚えさせるのは危ないだろう。でも家庭の味がいまいちだと、
こっちに流れるよね。ホームステイしてた時とか、ごく一般家庭
裕福なほうかと思われるその家でも、朝にはぱさぱさのうすい食ぱんか
シリアル。水で溶かす粉末の真っ赤なジュースか牛乳。
そんな朝食だった記憶がある。
昼は友人達とジャンクもしくはスーパーの量り売りの惣菜屋。で、夜はマミーが
作っても、ころころ丸めたミートボールとじゃがいもの付け合せ。
主食なし。野菜少ない。食後はバケツアイス。
日本じゃありえない偏り方とお粗末さであった。

さすがに今は年に何回か・・ってとこかも知れないが。
ごくたまに食べたくなる。で、食べるでしょ?たまにだし~と思って、
ドリンクをオレンジジュースにしてみる。
はりきってダブルチーズバーガーにしてみる。

間違いなくプールの帰りの夕方みたいな気だるさで落ちるように寝てしまう。
これホント。
これは食事に含まれている糖分とか、なにがしのせいで体が疲労するんだよね。
普段の摂取量の何かを軽く越えるという事を意味しているんだと思う。
まれにジャンクな外食をすると、同じ症状が出る。カップ麺とかも眠いね。
私だけ?かも知れないが、理由はあると思うのだ。

結構ジャンクフードに抵抗のないオットは、子供の頃からもよく食べ、
マックの新製品や、季節モノのバーガーなど今もランチで
普通に食べてしまうそうだが、この映画を見て、「もういいや。」と
初めて!言った。私が体によくないよーと言い続けて15年。
もちろん結婚してからは、Privateではめったに食べさせていないけれど、
初めて言った!!生殖機能にも影響あるよ。

ファーストフードが悪いとは言わない。今でもふいに暴力的に
食べたくなる時あるし、手軽でいい事もある。ポテトとかおいしいし。
が、絶対に常習はよろしくないし、本当に信用できるのは自分で作ったもの
だけだという意識は持っていたいと思う。

米国に比べたら、食文化がほぼ西洋化されたという日本も
まだ取り返しがつくくらい、ヴァリエイションに富んでいていいな。という感想。
お茶を飲む習慣もいいよね。アメリカで本当に飲むもの迷うもの。
ジュース飲まないから、水くらしか飲めるものがない。
きちんと体の理にかなった料理が日本の台所では作られてきた。
これは心底、誇りに思うべきだと思う。

今、世界各国で日本食が注目されているけれど、本当の粗食。
これぞ、私達ニッポン人の体に合った食事なんだと思われる。
一見の価値アリ映画です。
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読書(女人生)

2007-08-25 | おもふこと
にょき。


木曜日、読書。
唯川恵「永遠の途中」江國香織「思いわずらうことなく愉しく生きよ」
ランチタイムにたまたま手に取った文庫本だけど、テーマが
面白いほど、女人生リンク。

単純に面白かった。多様化している中で、もはや正解などなくなった
女人生。もうげっぷ出そうなくらいこの手のテーマはごちそうさまなので
あるけれど、やっぱりどの女性にも共感したり反発を覚えたり
するから面白い。

私もよく川のあっちとこっちという言い方をするのだが、結婚し子供を
持つ友人と、独身で仕事を持つ友人とでは、まるで生きている土俵は違うわけで、
私は、結婚し仕事を持つというかなり中途半端な立場が長く、
真ん中でじとーっとしているが、このじとーっとした立場がテーマに
ならないのは、やはりドラマ的ではないということか。
ついでにいえば、切迫感もあまりない。
というと語弊があり反発を受けるかもしれないが、
家庭と仕事の両立なんて偉そうに言えないし、私に限って言えば、
仕事はもちろんきちんとやるけれど、稼ぎ手がもうひとりいるので、
辞めても実は生きていける。
家事はなるべく楽しんでやるけれど、仕事もしているので完璧である気負いもない。
オットからいたらないと責められることもない。
何より私以外に代わりがいないという「子育て」という大業もまだなしてない。
でもそれは私自身が選択して決めていること。誰かに強要されたわけじゃない。

大事なのはディティールじゃなくて、結局のところ、
みんな生きている。ってだけ。ただ懸命に生きればいい。
人生に意味とか意義とか遠慮とか押し付けとかあまりいらない。

夫婦ふたりしかいないので、何事においても対面向いてメンチきるので、(笑)
関心が他に向かわず、常に互いに向いている。
密やかに一番おいしいとこどりだぜと思ったり、こんなんでいいのかと
揺れたりもするのだが・・。
今のこの幸せは誰にも否定できまいと思いたい女心。
自分の代わりはいないと自負を持って、それを夫や他者に
認めてもらいたいという女心。
でも、もうひとつの生きていない人生を生きている自分を想像しては、
足元がぐらつく女心。
そういう気持ちは、たぶん一生あって・・・。

でも選択したのは自分だし、自分の人生に自信を持って
生きられたら、こんなに愉しい事はないだろう。
自分はそれ以上でもそれ以下でもないということさえわかっていれば、
足元がぐらついても、すぐに立て直せる。

私は今のところ、あの時こうしていたらという思いには、
まださいなまれたことがない。まだ。というだけの事だけれど。
8年の結婚生活において。たぶん1度も。
若い頃、うすらぼんやり想像していた人生とは実は違ったけれど、
何となくこれが自分に向いているという意味のない安心感は常にある。
時々、友人の子供が思いのほか成長していて、心がざわつく事も正直
あるけれど。
やっぱり私は私でしかないし、隣の芝は青く見えるじゃなく、
隣の芝も同じように枯れて見えるという---それはどうかと思うが、
そういうひねくれた心持ちがブレない理由なのかも知れない。
だってどんな生き方選択したって辛い時は辛いもの。
妻や主婦も辛い。独身も辛い。家事も辛けりゃ仕事も辛い。
人生は辛い。でも思うように生きたらそれはそれで愉しい。

そんな物語ふたつだった。
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2007-08-05 | おもふこと
あついのでぇす・・・。のびちゃいまぁす・・。ぐぴー・・。

8月に入ると、戦争モノのドラマが目白押し。
土曜のドラマメイキングドキュメントでも、はだしのゲンや、ゾウのはな子、など
やっていて、さわりの部分だけでも号泣の今日この頃。
はなこの話を読んだのは、小学生くらいだろうか。
たぶん、図書館で借りたような気がする。「かわいそうなぞう」
人間の都合で、殺されていく動物の話は幼心にかなりきつかった。
はなこの最後は耐え難し。
毒殺できずに餓死処分とされた象。
ご飯欲しさに最後まで芸を見せたというくだり。
他の猛獣毒殺の現実は、想像以上に長引く苦しみ。
オットとともに号泣なんてもんじゃない。
大人になった今だからこそ、飼育員さんの気持ちがより一層わかる。
もちろん実際に経験した方の気持ちになど、到底及ぶはずもないが、
死にたくなるほど辛いだろうと思う。
いっそのこと自分が死んでしまいたいと。

でもよく考えて。同じ事をこの国はまだやっているのだよ。
毎日毎日、人の都合で犬や猫が毒殺されていく。
愛したペットを捨てる人がいる。処分に手渡す人がいる。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
はだしのゲンは、つい数年前、急に読み返してみたくなり、
マンガを大人借りして読み漁ったけれど、このお話も代々継がれていって
欲しいとそう思う。
今の戦争を知らない親達は、子供に戦争を語れない。
えぐい描写はきついけれど、この凄惨な事実の認識をきちんと次世代に
継ぐのも親の責任かと思われる。

それと同時に、もうこのような家族愛って存在しないのではないか。と
思ったり、必死に生きるという、ただ生きるという事に心打たれるのである。
家族の絆の強さ、子供は完全に精神的にも絶対的に守られるべきもの。
体当たりで、本気で叱られる事。
そういう基本にあふれている。親に愛されているという実感は物質的なものでは
絶対に満たせない。

モノにあふれた豊かな生活は確かに飢えるより幸せだが、
その代償として、私達は確実に何かを失ったなという実感が心にせまる。
愛に飢え、自分の存在価値を見出せず放浪する心の飢餓難民ばかりが
目立つ現代社会。
本当に自分の心を満たすのは、そしてどんな困難にも立ち向かえるタフさと
いうものの根本は、愛であって欲しいな。と。

+++++++++++++++++++++++++++++++
ゲンは作者の中沢さんの実体験に基づく話である。
あの戦争では命を失った人のほうが圧倒的に多い中、奇跡的に助かった、
生き延びた人にもまた多くの使命を背負わせた。
伝えていく。その大きな責務を負って生きている人を見ると、
本当に切ない。戦争はやっぱりまだ終っていない。

夏が来るたびに、あの夏に思いをよせるそういう使命は私達にも
あるんだろう。日本人として。
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病める時は

2007-06-02 | おもふこと

★今年の結婚記念日のお花★

土曜日は、妹の彼が正式な挨拶にやってくるというので、
オットがその場にいたーい♪などと言うので実家に出向く。

次妹が仕事だったため、台所仕事的に私が来てくれてよかったと
母は言っていたけれど、
もう・・勝手が違って台所でおろおろして、全く役立たずの長女なのでありました。おほほ。
さて、このたび家族になる結婚相手はこの日記にも、1年に1回くらい登場していた
(笑;別に誰も興味もないだろが)オットが個人的に可愛がっていた「舎弟」なのです。
妹とその彼は離れていた時期もあったのだけど、
彼は我が家に1年に1回くらい顔を見せてくれていて、私達が実家に帰った時もたびたび
オットと彼は個人的に、友達関係を築いていたのですな。
まぁ、これも縁といいましょうか・・・
このたび本人達も、めでたく腐れた縁が結びつき(ひどいいいザマ)結婚するに至ったわけです。
ええ。ええ。めでたし。めでたし。私にも、義弟(オトウト)ができます。

やっぱりこの正式な挨拶って・・じーんときますね。節目ですしね。
あ。もちろん、オットが挨拶しにきた時も当事者の私も含め、家族女性軍総出で、
ぶほっ。とあふれましたけれど、今回は、妹ですからね。まぁ、母はもちろんのこと、
私も、次妹も即座に涙あふれて、ぶほっと。こりゃ、花嫁姿見たら、
またぶほっ。だな。と覚悟しました。

で、父ですが、ムスメさんと結婚させてください!と言われたら、即答できないパパも、
泣くパパも、大事にしないとぶっ飛ばすぞと脅しをかけるパパも、よろしくお願いしますと
言葉少なに頭を下げるパパも、いろいろいると思いますが、
私の父は、今回はキリスト教の話から入りました。(別にうちはキリスト教ではありません)
つまり、健やかなる時も病める時も・・の一文を例に出し、
病める時にいかにふたりで立ち上がるか、支えあえるか、を語り始めたあたりまでは、
ふむふむ・・って感じだったのですが、そっから先、(以下ほぼ直訳)

「まーさ、病める時、苦しい時ってのがさ、長い人生には必ずあると思う。
でも、なんていうのかな・・・我が家の女性軍ってのは、
どうもおさえられない性格でさ、たぶん聞きたくない言葉とか平気で言ってくると思うわけ。
実際すごいのよ。
ま、そんな時はさ、こいつ病んでるなってことで、1歩引いて受け入れてもらえればね。
女って病むんだよね。(しみじみ)」

そして夫婦は話し合うこと、また互いに譲りあいながら、困難を乗り超えていくべき
などと、とくとくと話は続くのでした。

笑っちゃいました。自分の娘をね、こんな風に言える父親って面白くない?って。
ほんと自分の娘を常に客観的に見ているんです。確かに病んでるの。私達姉妹って。(笑)
私の時も、オットに、こんなムスメですがよいですか?って、確認取った父だしね。
もちろん親の欲目は人並みにあると思うのだが、この客観が結構あなどれないわけ。
先日も、「(我が家の娘達は)中の・・下かな。」とか言ってたし。おい

へぇ~っと思って今回も聞いていたんだけど、オットはものすごく感激していたようです。
ま、オットの場合、実感も伴っての感想かとも思うけれど。(笑)
「お父さんって・・ほんとでかいよ。深いんだよなぁ。」
こんな父の娘であることを誇りにも思った夜でありました。

今は幸せいっぱいの彼らも、病める時、苦しい時、この父の言葉を思い出して
頂ければなぁと思います。
つか、お前、病んでるしな。で、全てが許されるわけがないのですが。あははー
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マリッジ

2007-05-24 | おもふこと
結婚8年目のお祝いのディナーをあれこれ検索ちぅ。
先日、「で?もも姉は、結婚して何年たつの?」と聞かれ、
「んー8年になるところ。」と答えると、
「え!!8年?!」という反応。え?なにその反応。なにか?

ま、通常8年ともなれば、子でも成して落ち着いていてもいいだろうけれど・・・
26歳で結婚してるからね~。
家族構成も変わらず、にゃんこだけが増えて、スィートテンに突入か?

そもそも結婚してから世の中の風潮が変わったんだよね。不景気の骨頂で、
夢もへったくれもなかったし、そのうち女性のお一人様だの、男のヲタク化だの、
晩婚だの、少子化だのって。
今だと仲間内じゃぁ、26歳で結婚って早くね?
って感覚になるのかな。
てなわけで、私自身もね、こんな人生が待ってるとは当時は露とも思って
なかったよ。世の中や自分の価値観がこれほどまでに変わるとも思ってなかった。

『そろそろ結婚しとく?』を合言葉に、
友人たちと、寿退社して、ばたばた駆け込んだ。(そんなものでした;汗)
女子は普通に三十路前に結婚しているものだと本気で思ってた。
結婚して東京出てくるまでは・・・。

で、現在普通にバリバリ働いちゃってるし、今更社員とかなっちゃってるし、
夜中まで飲んだくれて遊んでますし、
で、会社の連中から言わせると、「妻としてのもも姉が少しも想像できん。」
という事らしいです。くす。えばってるから?怖いから?
やる事はちゃんとやってるんだけどなぁ。かなり手抜いてるけど。
「だからーもも姉のオットさんはすっごい優しいと思う。」
はいはい。結局私がこんなん。なので、オットの株があがるだけ。(笑)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
そして今日古いメールボックスを整理していたら、姑からのこんなメールが。

『どうか夫婦仲良くして下さい。泣いても笑っても怒っても一日は一日です
どうせ一日ならば笑って過ごした方が幸せですものね。
愚かな息子ですがどうか宜しくお願いいたします。』

な・・な・・・なんでしょう?このメール!!
何しでかしたんでしたっけ?オロオロ。
「でも・・ぷぷっ。愚かな息子ですって。オロカなムスコ。」
「うるさい。」

でも、私はこんなポジティブな姑が好きだ。
そう。1日でも多く笑って過ごしていられたら、それに越した事はない。

確かにこの8年、平常心でさらっと結婚しています。なんて妻風味を出せて
いればよかったけれど、まぁ~そりゃもうどえりゃーいろんな事があった。
・・・もうボヤけてきているけど・・・若かった。いろんな意味で。
子供だった。お互いに。そりゃそーだ。愛だの恋だの言ったって、
結局、自分の事しか考えてなかった。

で、「え?8年?」のセリフにどんな想像が絡むのかは知らないが、
私は、オットと2人きりしかいない生活にまだまだ退屈していないし、
私自身の人生にも退屈していないのだ。少しは落ち着け・・。
時に刺しとく?って程ケンカしても、(暴力はなしですよ)
1秒たりとも離れたくな~いとラブラブしていても、基本は「しあわせ」
これ大事。愛は奥深い。常に本気モード。

もうだめだ。と思った事も何度もあったけどね。山あり谷あり。
でも夫婦はそういうものだがね。
それにしてもすごいぞ。
出会ってからの15年を日数に換算すると・・、約5470日。
私の人生には、オットがいる。

って、だらだら書いてみたけれど、今度末妹が結婚する。
あれこれ結婚に関する初々しい相談を受けているうちに、
自分達のあの頃を思い出し、なつかしんでいる今日の雑文である。
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セイフティネット

2007-04-13 | おもふこと

仕事の危機回避に絡めて、最近読んだ本。
「下流志向」つい先日もはなままと盛り上がったばかり。
非常に興味深い本だったのです。
さまざまなテーマが盛り込まれていたんだけど・・。

ま、現代の子供の等価交換の価値観。
えっと、あれです。損得勘定ね。何かをやるなら、それに見合った報酬を
望み、何かを強いられたら、それを不快指数で示すという徹底した等価主義。
これは、子供が初めて社会と接する時、奉仕行動より先に消費行動から
スタートする事に起因すると言っています。
対価のないものに力を注げず、お金を出して瞬時に得られる
等価価値のものや扱いに頼る。
そのセイフティネットからあえて外れた人達を、自己責任というくくりにしたとして、
世の中は自分だけで生きていけるほど、また等価で得られるものや事象など、
そうそうないという事です。
そしてそれは私達大人にも蔓延しきっている価値観です。

そして、危機回避。
リスクをヘッジするためには、2人以上の人間が必要で、その一族の人数が
多ければ多いほど、こっちは死んでもあっちが生き残る的な生物繁栄の基本事項。
危機的状況にあればあるほど、人は子孫を残すものです。
人類のリスクヘッジ。

そしてそのリスクをヘッジするつもりもない私達は、刹那主義で、
身勝手で、それを未来で自己で責任を取る事になるわけなのです。
これはたぶん危険な事なのでしょう。

んーこの解釈、合ってるかわかりませんけど。(笑)
ま、私的意訳でいくと、老後?お金さえためておけばどうにかなるし。
介護ひとつとっても、お金で買う介護と身内の介護、どちらがいいかは
別として、お金では換えられない何か、でも、またそれを築く時間と労力。
お金で得られる対価サービス。
それを量りにかけているのではないか。
本当にどうにかなるものか?なんて思わされました。・・ま、なるかもね。

助け合うネットワークもリスクヘッジ対策もなく、子供は老後を支える道具じゃない。
と言いながら、
生物は実はそうして支え合って、迎えられ見送られ、
散らばってどこかで生き残り繁栄してきた事実は、スルーする。
この閉塞感の先に何が待っているのか・・・。
そゆことだと思います。
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TVをみて・・

2007-03-03 | おもふこと

さて、今日は帰ってTVをつけたら、例の代理母のドラマをやっていた。
正直、私はそこまでして子供が欲しい気持ちというのは理解できなかったし、
自分がそうなっても私の場合は、多分あきらめるだろうなぁ。と今も思ったりする。
この分野に関してはあるがままで受け止めようと思っている。

でも、どこまでやるかは本人の気持ち次第であって、それは周りが
とやかく言う問題ではない。などと、オットと話す。
夫婦の思いは、その夫婦だけのもの。
それに忘れていたけれど、彼女がそこまで貫いた理由は
確かに辛く悲しい。

あきらめがつくまでとことんやろうという姿勢も理解できなくはないの。
その過程で得るものだって確かにあるはずだし、
もしかしたら、願いが叶うかも知れないわけだし。
でも、人生って思うようにいかなくて当たり前なんだよね。
抗えない力ってのが、絶対あってさ。
倫理とか考えると、どこまでやって、どこできっぱりあきらめ前を向くかってのは、
やっぱりとても難しい選択だと思うのよ。
そんなに辛い過程を経ないと、自分を納得させられないわけがあるってのも、
なんだか悲しいじゃない。

私自身も、この問題で苦しんでいる人が世の中にそんなたくさんいるのだ
という事を知るきっかけにもなった。
ただ、理解が深まるのはいいとして、逆にそのせいで、治療法の存在を
知り、情報が行きかい、その事だけしか見えなくなって、治療に疲れ果て、
本来の結婚生活まで壊れてしまったり、その事しか考えられなくなってしまう
精神状態は、ちょっと違うと思うだけ。
医療の進歩って、なんだか時々違和感を感じる。

生きていく上での役割は様々にあって、もしかしたら違うところに道が
用意されている。そんな転換も大切だ。
たった1つの事が達成できないからといって人はそこで終わったりしない。

産むという機能を果たせない体だとて、その女性の価値になんら変わりねー!
と私は言いたいところだけど、そう思わせてくれない刷り込み環境も確かにある。
そして子供を望む権利は、パートナーである夫側にもあるんだよね。

命に関わる事柄には常に賛否両論がある。
でもやっぱり経験した人にしか語れない事実は確かにあるってこと。
代理母の、ボランティア精神にはただただ脱帽。
そして、今彼女は2人の子供の母になったという事実。

自分にできることを考えベストを尽くす。って本当に難しい。
コメント (2)
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