**ももくり日記**

なんでもない日常が大切で・・・

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番外;つわり編

2011-03-01 | おもふこと
<つわり編>
まず私が妊娠して、ほっとしたのはオットだろう。仕事が差し迫っていようが、40を目の前にして魂抜けかけに疲れていようが、
もう「今夜、卵みたい。」と不定期に私から告げられなくて済む。(大笑)
共働きがゆっくりできるとしたら、週末や長い休み。平日のMakingLoveなどよっぽどの余裕がない限り、
したいなんて絶対思えない。それが現実。家はいつも私がGoならGoなのであんまり障害もなかったけれど。

自分からお願いするなどもってのほかという受け身の妻には、この卵日を告げる事すら、ものすごい抵抗があるはずだ。
断られ本気で傷ついたり、また断る事ができずに苦戦する夫達もいるはずだ。
体がどうにもならなくて妻に泣かれ責められた日には、無力感でいっぱいになるはずだ。それが男。
または妻が自分勝手に思えて、夫婦関係がぎくしゃくする場合もあろう。

不妊問題って、実際想像以上に、家庭内で恐ろしい局面や修羅場が繰り広げられているはずだ。
うん。絶対そう。

結果的に、家は不妊枠に入らなかったわけだけど、今ネットで検索すれば本当に自分は大丈夫なのか。という
不安になるような記述がいっぱいある。だからやっぱりあんまり情報は収集する必要はないと思う。
色々心配で検索してしまうと、迷い込む。

妊娠してからもそうするようにした。
自分が体の声を聞いていれば、なんとなくどうするべきかは、女には備わっている気がする。
興味半分で、妹から「たまごクラブ」を借りてきたが、もはや開いておらず。
そもそも、高齢筋腫もち、標準体重超えである私に、マニュアルなどないのである。
つわりも3カ月の今がピークと言うが、完全にピークは妊娠2カ月であった。生理が遅れたあたりからあれよあれよ。
これもこの前、母に聞いたら、同じタイミングだったので、そこは似たのかも。と思ったくらい。

で、これでまずひと安心♬でかしたでかした。と思ったオットには、そこからさらなる試練が待っていた。
大体オットの理解度なんて、てきとーに生でやったら子供ができる。子供ができたら、妻はにっこり聖母になる。
・・・大間違いだ。

欲しくて作ったって、妊娠初期の妻のイライラ度は増すばかり。この時期のケンカはたびたび常軌を逸した。
地震のニュースを見て泣きとおしだったように、今までを振り返ったり、大切なものは何かということを考えたり、
なんていうか、心のお掃除をしないとこれから母になるという準備もできないって事だと思うのだ。
男に理解してもらおうなんて思わない。

さて「つわり」の話。

陽性が出てすぐ、強烈な飢餓感が、日に5回も6回も襲ってきた。異常事態。
最近、めっきり消化しないな~と胃薬飲んだり、デフォルト1日2食の不健康さが嘘のよう。
そしてそれに動かされ、キッチンへ入り、ありとあらゆるものを調理し食べた。
地震後、自宅勤務だったので、きっちり3回4回5回・・・・
それが肉ではなく野菜ばかりだった。今まで取り足りなかった栄養を今取るぜ。そんなイメージ。
食べたいと思うものが明確だった。災害後のさびしい冷蔵庫はきれいに空っぽに。まだ混乱の
スーパーへ買い出しに行き、野菜を中心に食べたいものを買い集め、ついでに和菓子や洋菓子など甘いものも買うが、
スイーツは全く食べる気にならないのであった。
毎日二日酔いのような、だるくて眠くて、気持ち悪い。寝込むほどではないが、かなりの不快感。
お腹にガスはたまるのか、嘘みたいにお腹がぽんぽこりんになり、乳もぐーんと張って痛くて不快。
そしてとにかくのどが渇くので、出勤がそろそろ始まったオットに、「ヤクルト。ジョワ。オレンジジュース。」と買い物を頼む。
普段飲まない味付きのドリンクばかり。しかもヤクルトジョワなんて、思い出したのすら不思議。
子供の時以来の欲求ではないか。
水も足りない中、自販機で水を買い求め、この頃は、お米だけは毎日炊いた。納豆が食べたかったが、
もちろんない。大好きなパスタ・・全然だめ。

そのうち自宅勤務も終わり、出勤すると昼間はパンしか食べられない。スタバのコーヒーはカフェインあろうと飲んだ。
そして、飢餓感は変わらないのに、今度は帰ってきても食べたいものがなにひとつなくなった。
作ってる途中で、違う!とやめたり、吐きはしなかったけれど、夜の不快感はさらに格別!
食べ物を見て気持ち悪いなんて思う事が、私にとっては異常事態。大好きなグルメ番組やランキングすらイヤ。
お米も見たくもなくなった。肉は最初から食べてないが、この頃からチキンだけは少しずつ取るように。
そしてこの不快感を救ったのは、プチトマ、オレンジとグレフルといちごであった・・
かんきつ系は超典型的。今度は今までたばこで
失われたビタミンと言うビタミンを体が欲しているとしか思えない指令である。
大体、私は果物を常備しないのだ。野菜室にフルーツが入るのは季節の始めくらいだから。

結婚して、こんなにフルーツ食ってる妻を見たのは、(それも真夜中でも構わず)初めてであろう。

ジャンクとかお肉とかお菓子とかいかなかった。
週末は、オットがいるせいか気もラクで、オーガニックのビュッフェ行ったり、こってりラーメン食べたり、
結構楽しめる。が、平日の夜は、仕事の疲れもあろうが、食材を見るだけで不快であった。
そして夜はうんうん・・と寝付きが悪く、疲れが取れない。そんな感じ。

いつまで続くのか・・と思うけれど、そろそろ終わるのではと思っている。
久々にポテチを食べたし、アイスなども食べられるように。食べ物を見ても平気になってきた。
初期に食べづわりで体重増やし、そのあと食欲は減ったのに、減りもしない体重。
もういっか。(あきらめ)
これから調整大変そうだなぁ。とりあえず子は母の栄養をエイリアンのように取っていくわけだから、
もう普通に食べていればいいのだとは思うけれど。

安定期に入ったらもう少し色々楽しめるのではないかと思っている。


あらふぉー妊娠騒動記2

2011-03-01 | おもふこと
<病院へ>
37歳も半年過ぎて、新しい年を迎えようとしていた。
総合的に、何かがおかしい・・・と思い始めていた。
オットも私も、基本健康だと思っていたし、年をとったと言っても、不摂生夫婦だとしても、
まだ40前だし、何か問題があるようには思えないんだけどって事で病院へ。
(私の周囲限定比)平均的に、この年にしてはこんなにしてるのに(笑)する元気があるのに!
とわけのわからない自信。

でね、私って、割とドクハラ受けやすいんだけど・・・
病院で実は子供が欲しいんです。この半年ばかし頑張ってます。と、ワーキングあらふぉー妻が行く。
たいていの医者は、「なんだよ今更?」って顔をした。被害者妄想じゃなくて、これほんと。
特に私なんて、結婚して11年だからね。医学的に言ったら、高齢だしね。つまり、
今まで何してたの?って話ですよ。結婚してて仕事してて、作ろうと今まで思っていなかった?
ピル飲んでた?へびーすもーかー?で、解禁してもできない?
卵も年取るからね。って平気で言う。ま、手段はあるよ。排卵促進剤とかね。卵の殻柔らかくなるよ。
そこから、西洋ホルモン名称オンパレード。
あらふぉー妻の妊娠に関して、そんな先生多いと思う。ほんとに。
大丈夫ですよ。いそぎましょーとかポジティブに励ましてくれた先生・・いなかったなぁ・・。

近所の病院A:筋腫が6センチになっとると診断。しかも位置が悪いと言う。
 「着床の妨げになってる。切ったほうがいい。家族と相談してこの同意書書いてきて。」
もう2度と来るか。と思った。基礎体温表も見てくれなかった。
ちなみに切らなくても妊娠する可能性は0じゃないけど、この位置だと多くの確率で流産するね。と言い切った。
しかも働いてるって言ってるのに、手術スケジュールもごり押しだった。いやな感じがした。
そりゃ、こっちも欲しいと切実に言ってるのだから、欲しいのなら先にじゃまものは切るという急ぎの
最善の方法を、告げてくれたのはありがたい。
だけど、私にはその時事実を受け止める度量はなかった。ドックで疑いがあった時、
放置したのは自分だし、今まで大丈夫だって思ってたものが、そっか。私のせいなんだ。って思ったし、
この半年無駄な努力をしたもんだ。と思ってしまった。

会社の近所の病院B:(基礎体温表見て)「うーん排卵はしてるし、タイミング合ってるし、このまましばらく続けてみて。
この年だと、1年だめだったら不妊とするから。あと2.3周してみてよ。
妊娠してからも、最悪筋腫取る手術できるからね。病院紹介するよ。」
は?そうなの?
妊娠相談と言っても、これくらい先生によって診断って違うのであーる。全然違うでしょ?

私の筋腫は後ろにあったらしく超音波で見つけにくかったらしいんだけど、
Aに行く前にさらっと行った女医のところでは、筋腫は問題ないと診断が出ているのだから、ますます混乱。
誤診か?

年末にこのふたつの診断を受け、オットと恒例温泉旅行へ行きながら、これからの人生を
考えた事は、今も忘れない。
当然、私の体が一番だし、子供がいなくても、お前と猫がいれば今のままでも十分だとオットは言ってくれたが、
ホントにこれで子供無しで、猫達を見送って、また猫が増えたりするかも知れないけれど、ずーっとふたりなのか。
一体、私達どういう結婚をしたんだっけか。どういう風になろうとしていたんだっけか。家族ってなんだっけ?
子供なんて好きじゃないし、メンドクサイし大変だし、
でも私達は子供いらないと決めてきたわけじゃないのだ。
私はそんな風に思っていた。

ま、当然いい方にすがりたくなるのがニンゲンだ。年末年始だし、ばたばたしてるし、
結局、このままにして、年が明けてあったかくなったら考えようということにした。

男の方は、毎日入れ替え制ゆえに60でも70でもパパになることは可能なわけだ。
女は違う。この世に生を受けた時に持っている卵細胞の数はそこで確定してしまっている。
新しく生まれる卵ってないのだ。
それを初潮から毎月1個ずつ、卵にして排出している。初潮から数十年の時を経て、卵は条件が下がる
一方というわけ。胃が荒れたり細胞が加齢すんのと一緒。
卵の質をよくするには、このサプリだとか、このドリンクってのもいっぱい見たけど、
そんなのもう手遅れって感じがして何も手を出さなかった。
冷えを解消する漢方だけ処方してもらったが、やっぱり真面目には飲まなかった。

私はネガティバーの超現実主義だ。ポジティブに日々の努力とかできない。
確かに日々の積み重ねは、とっても大事なんだけど、
積み重ねてもだめなものはだめとわかっているからだ。やるとなるとベストを尽くしがちなので、
もうこの年になると自分を追い込むより逃げる方がよしと思うようになった。
全てはなるようにしかならないし、500個の卵と5億の精子のたったひとつが、この世に生を受けるってのは、
もうなんつーか、私ごときがどうこうできる問題じゃないって思うでしょ。細胞だもん。

今、ここまで生きてきた経験値が血となり肉となっている。努力次第でつかみたいものは手に入れてきた。
この年になって何がOKで何がだめか自分で大体決めてしまえるのだ。
だからこの問題だけはどうにもならなくて、なぜなの?負のループに入り、体もそうなっていってしまう気がする。
あれこれ考えてると、ますますうまくいかないの。なぜなの?ってだめなもんはだめなだけ。


<まじで?>
そんなわけで、やっぱ先に筋腫取っておいた方がいいのかなぁ・・と思いつつ、
手術なんてした事ないし、何がいやって、この手術、まず数ヶ月生理を止めるのだ。その事による更年期障害も
考えないといけないの。すごいイヤなので、様子見てタイミングだけは外さずに数カ月たった。
筋腫の大きさから言って、貧血やら生理がひどいはずだって先生は言うけど、むしろ年取って最近
楽になったし、貧血なんて無縁。血濃いし。

ま、今度のタイミングでもだめなら、手術も怖いしやめて、あきらめよう。
だって6月に38だもの。もう昔で言ったらありえないマルコウだし、やっぱじゃっかん1.2年
遅かったって感じよねぇ。残念だけど仕方ない。と思った。
オットには悪いけれど、もうギブギブ。

ところが、それがビンゴだった。

振り返ると、排卵検査薬も使わず、体温もはからず、日数だけでタイミングを取った。
てきとーだったけど、ま、今月も合ってたみたいだよーって言ってたちょうど翌週、確定申告の時に少量出血。
この時は本当に落ち込んだ。なぜって・・日程から言って100%不正出血だから。
まぢか・・生理だとしたら早すぎ!ついに自前更年期か?と思ったら1日で出血ぴたりとまる。
今思えば、これがいわゆる私達の間で都市伝説化してた、「着床出血」ってやつだった。
「今着地しました~」と教えてくれたのである。

それでも、もしかして・・とも思わず、PMSとの違い・・わからんかった。
眠いだるいはいつものデフォだったし、ただちょっと違かったのは息切れがすごかった。
たばこそんな吸ってないのに、まとめて5本吸った時くらい、
2Fへ行くだけで息があがる。ちょっと動いたくらいで、運動後の乳酸たまったような手足つんつん。
それも筋腫がでかくなってて、これが貧血ってやつなのかも・・それとも太った?とかね。
また病院行かなきゃなぁ・・めんどくさいなーって。

大体タイミング合ってても、筋腫がじゃまして着地できないんだろうって思ってたし。
もうこの頃には、もしかしたら卵や精子にも本当は問題あんじゃない?くらい思ってたから。
うん。思っていた方がラクだったから。
当然もくもくパチンコも行ってたし、陽性でる前の晩までばーりばりたばこ吸ってた。
むしろ陽性反応出るまでの間、検査薬前にぷっかーっと一服してた。
で、陽性に動揺して、もう1本吸ったから。それで観念した。
今は早く検知できるものがあるので4週初期でめでたく禁煙とした。

そんなもんだよね。エゴよ。全てはエゴなの。そして急にたばこが吸えなくてストレスMAX。
そしてあの大地震がきて、体のすべてが気持ち悪くなって、最悪の体調にたばこの存在など忘れ去った。
いずれにしても、私の体の中で恐ろしいスピードで細胞分裂が始まった頃、
この世の終わりくらい、自分がしんどかった。
それでも、私がいくらしんどくても、
500と3億くらい?の中のひとつが合体したのだから、もうそれだけで強いし、母体の状態なんか
関係なく、それは生命誕生までの道を律義に進むのであった。もちろん待ったなしで。
もし私のBed(子宮)の状態が悪くても、もうどうにもならないの。ごめんね。ってところだが、
それが私だし、今まで生きてきた私の体だ。
オットの子供なので、私を食い破ってでも、大きく成長するだろうと思っている。

それでもその後、
あらふぉー妊娠は、受精から着床、そして子宮内に袋ができてもまだ安心できなかった。
ようやく、粒の中に心臓が動き始め、おお。生きてる。妊娠したんだ。それくらいの実感であった。
とりわけ気をつけた事・・ない。たばこと酒は当然さよならだったけれど、
食べたいと指令が出るものを食べ、寝て、怒って泣いて笑って、好きなようにした。
お腹に話しかけもまだしていないし、まだ数センチのこの子のためにも的な事は何もしていない。
この子は、ここに宿った時点でもうひとりの別の人間だと思っている。もう十分、私でないものが
ここ数カ月私を支配したってくらい、すごい力だった。でも、これから数ヶ月だけ、私と胎盤とへその緒で繋がるのである。
それが妊娠の醍醐味かも知れない。楽しみなのである。

私のツワリ編は次回へ>




あらふぉー妊娠騒動記1

2011-03-01 | おもふこと
<ある日>
小さい頃の夢は、「お母さん」だった。自分にはそれしかできないと思ってきた。
結婚したのは26歳だったけれど、寿退社(もはや死語)東京へ移住。子供なんてこの時点ではまだ全く考えていなかった。
しかし、ひーまーな専業主婦は3ヶ月しか持たず、派遣で働き始めた。東京に派遣先はたーくさんあった。
時給もものすごーくよかった。そう。時代は大きく変わろうとしていたのだった。
30歳。派遣された企業も3社目になり、気付くと、世の中が共働く事がスタンダードになっていた。ITばぶって、
友達もできたし、毎日楽しいし、猫とオットと私。特に不足なし。みんな三十路に入っても
まだまだ遊ぶでーという雰囲気。
ふたりの間で子供・・というワードが出なくなっていた。ちょうどいいやと思い、
ピルを飲み始めた。自分の人生は自分でコントロールするつもりだった。
そして仕事して遊んで、気付いたら36になっていた。ここで初めて立ち止った。
これからの人生どうしましょう。さすがに36って結構いい数字だわ。干支3回まわったわ。

正直、私は自分の子宮力に根拠もなく自信があった。だから子供欲しくなったらピルをやめればいいや
と思いながら、気付いたら5年も排卵を止めていたのだった。以前にも書いたけれど、
このお薬は、私にとってはとっても便利なシロモノだったのだ。

ま、その快適ピル年5年の間に、たばこは増え、酒も増え、ハードウォーカーになり、
いつの間にかアタリマエだけど、私の子宮も体も年を取っていたのである。
ピルをやめる時の内診で、「妊娠に影響ないけど、小さい筋腫が
いくつかあるから、(作るなら)早くしたほうがいいよ」と言われた。ほほぉ。噂の筋腫か。
私にもあるのか。ほぉ。くらいだった。

<不妊なの?>
数ヵ月後、ドックでも筋腫の疑いと診断を受けたが、ま、大丈夫だろう。と放置しておいた。
日常生活が困難になるような症状が出ない限り、筋腫というものは悪さをしないので経過観察が基本なのである。
この年は色々あって、私は休職するハメになっていたし、健康であるとは言えない状態ではあった。
当然、普通にしていても妊娠しなかった。

復帰して落ち着いた頃、夏前に排卵検査薬というものを買った。
排卵日24-36時間前にわかるという仕組みのものである。が、これでOKという問題でもやはりなかった。
どうやら排卵はしているが、気をつけなくても、うっかりできもしない。
そうこうしながら、家を買い、引っ越しなど環境も変化しつつ、
律儀に来る生理って、ある意味すげーなと感心しつつ、なんでだろ?と落ち込んだり、
基礎体温で一喜一憂したりもしていた。

今まで自信満々だった私は、次第にすべてに自信がなくなっていった。別になくす必要など
ないのに、子宮力がないなんて、私としたことが。どうかしてるぜ!
とやけくそになってもいた。でもまだ、できなきゃできないでいいやと思っているので、
何も生活変えなかった。サプリも飲まず、食生活も変えず、
もちろんたばこもがーがー吸っていた。仕事もばりばり酒もぐいぐいである。

その頃、ちら見しかしていなかった不妊ぶろぐや掲示板をたーくさん見た。
もうそれはそれはすごい量の情報であふれていた。信じられないくらい。
子供を成すためには、何をすべきか!もう山ほどの情報なのである。こんなに色々気にしないと
いけないの?だったら、無理だわ。と、さらに投げっぱちになる。
ま、普通に考えても年齢も年齢だし、いろんな要素で妊娠というものは成立するということを改めて感じるだけであった。
日程の照準を合わせる。これは常識にしたって、数打てばなんて・・あらふぉー無理。
いかに効率良く、日常負荷をかけず、もうこの時点で、子供ってそうやってできるものだっけ?
という違和感すら感じてくる。

とにかく教科書と、あらふぉー事情は結構隔たりがある。

で、ここ!現実を話そう。
共働きながらにして、排卵日が週末になるラッキーな月なんて、年に何度あるか!なのである。
大抵運悪く平日。
子供が欲しい。その思いがどちらかの希望だけだとすれば、相当無理がたたるのは間違いない。

今やレスが多いという、我々あらふぉー共働き子無し夫婦が、子作りすることにどれだけの
難関があるかっつう話なのである。そりゃ少子化になりますよ!確実に。
真実ってここじゃない?って思う。現代人の圧倒的な妊娠力の低下と、情報過多の頭でっかちと、
働き過ぎのレス。これ以外に子供が増えない理由が思いつかない。経済力、割とある。みんな。
少なくとも私の周りは。ま、もちろん作る気なっしという人もいると思うけれど、
多分、私達、昭和女はこの年齢になって今まさに、ちょっと葛藤してる。
子供なんて絶対いらないと言い切れる子無し妻って実はまだそんなにいない。まだね。
でも現実を考え、自然に授かる確率を考えたら、やっぱり欲しいなら、今何かしないと難しい年齢ではある事もわかってくる。
だからできなきゃできないで、そういう人生もある。と、言ってしまった方がラクなのだ。
少なくとも私はそうだった。まだどこかでこの生活が永遠に続くと思いたかったから。
でもそれは唐突にきた。産めるなら産んでおくべきだ。と。

幸い家はレスじゃなかったけどだな・・・正直平日へろへろ仕事から帰ってきて、ひと月に1日の枠の
狭さを思い知る。明日じゃだめ?みたいな。(笑)いや、もったいない今日を逃すなって気にもなる。
それゆえに、子作りとはやっぱりコントロールするものではなく、気付いたらできちゃってたー
なんて事が一番ハッピーで自然なんだなぁ。と思っても後の祭りなのであった。全然!後の祭り!
そこを誰か教えておいてよ。年取ると卵子がーとかじゃなくてさ、産むなら若い方がいいっていうのを
もっと具体化しておいて。体力勝負ってのは産む前、作る段階からやべーよ。って話をぜひともね。
時代はバースコントロール、人生は私の手の内よ!とか思ってた、5年前の自分をひっぱたきたい。

今度は大丈夫だったかなぁなんてオットとを話していても、見事期待を裏切り、律儀にくる生理。
そして次の卵日。その繰り返し。私は3周くらいして、すぐに飽きた。
自分があらふぉーじゃなかったら、まずやりたくなかった。ま、オットが前向きだから救われたのもあるが、
やっぱり焦った。医学的には40過ぎたって産める。そんな事はわかってる。
でも自分の年齢と体力を考えたら、「私のリミット」はもう目の前だ。
・・・楽しくないし、やめるか。
それとも・・やれることはやっとくべきか。ゆらゆらになった。