あぁ、やっと書けました、どうやらラストまで。 <やりやり (^^;A゜フキフキフキ
どうも、思い描いていたラストシーンとその前のシーンがうまくつながらず、カウンター見ながら日増しに焦ってきては、さらにつながらず、という悪循環に陥りそうになり、オトロシイ思いをしました(笑)
< ……ったく、つくづく根が小心者なのですね。
ビッグサイトマスターの皆様、尊敬いたします~。
と言うことで、更新は明後日くらいを目処に、推敲頑張ります。
昨日のブログを読み返して、ちょっと反省……。
仮にもモノカキなら、いくらなんでも、もうちょっと書きようがないのか?(汗)
というわけで、へぼ的なる補足をば、少々……。
行って来た主人の田舎は、日本史でおなじみの、三国時代(高句麗・新羅・百済)、百済に位置しています。
百済といえば、日本に渡来人の多かった国ですよね。
古墳公園の古墳は、その昔の豪族の墓で、円墳。周囲はこれといって何もない場所でして、ちょうど飛鳥の石舞台みたいな雰囲気、でした。
千七百年近い歳月、土地とともに変わらずにあって、過ぎ行く春を見つめてきたのです。
思い付いたことを、もうちょっと言えば……。
韓国って、いまだにこういった歴史的背景が、完全なる過去のものになりきれていないというか、大統領選挙の時などに、それはもう見事なまでに、得票勢力がこの<高句麗・新羅・百済>の三国版図できれいに分かれるのを目の当たりにすると、我々日本人、もう呆気に取られてしまうのですが。
でも、それが当たり前みたいですね。ここでは。
さらに歴史性といえば、主人の田舎の家には、大きな石碑の写真が壁に張ってあるのですが、その石碑の文字が漢文で書かれているので、大体わかる。読んでみて、もー、びっくり仰天しました。
これ、主人の一族のルーツを刻んだ石碑なんですが、出だしが
『はるかなる(中国の)西周の時代、ご先祖は大陸よりわたってきて、○州○氏の家系の祖となった』
って、あなた・・・。
そこから一族の歴史が延々と、伝承的に書いてある。
こんなのが王家や高家でもない一般庶民のおうちにもあるんですから、驚きですよ。
さらに一族の個々の家系の系譜も、主人のうちの場合は千百年代あたり(鎌倉前くらい?)から、はっきり名前が書かれて残っていました。
うちにあるくらいですから、当然各家にもあるのですね。
ただし、残っているのは男の名前だけ。女は残らない。
(ユダヤ人みたいだなぁ、なんて、こそっと思いましたです、はい)
だから、この国では、男の子を産めと言われるのか、と納得しましたね。
<そう言われても、今更どーしようもないですが、はい(笑)
それくらい歴史性と誇りのある民族なので、逆に改革や民主化には支障をきたすことも、多々あるようです。
(と言っても、まあ、中東ほどではない)
世界様々、アジアの一番近い国もまたしかり。
花見感想のはずが、つらつらと、本当に訳のわからない記事になってきたので、今日はこの辺で。
お外はどーんより、
どうも、思い描いていたラストシーンとその前のシーンがうまくつながらず、カウンター見ながら日増しに焦ってきては、さらにつながらず、という悪循環に陥りそうになり、オトロシイ思いをしました(笑)
< ……ったく、つくづく根が小心者なのですね。
ビッグサイトマスターの皆様、尊敬いたします~。
と言うことで、更新は明後日くらいを目処に、推敲頑張ります。
昨日のブログを読み返して、ちょっと反省……。
仮にもモノカキなら、いくらなんでも、もうちょっと書きようがないのか?(汗)
というわけで、へぼ的なる補足をば、少々……。
行って来た主人の田舎は、日本史でおなじみの、三国時代(高句麗・新羅・百済)、百済に位置しています。
百済といえば、日本に渡来人の多かった国ですよね。
古墳公園の古墳は、その昔の豪族の墓で、円墳。周囲はこれといって何もない場所でして、ちょうど飛鳥の石舞台みたいな雰囲気、でした。
千七百年近い歳月、土地とともに変わらずにあって、過ぎ行く春を見つめてきたのです。
思い付いたことを、もうちょっと言えば……。
韓国って、いまだにこういった歴史的背景が、完全なる過去のものになりきれていないというか、大統領選挙の時などに、それはもう見事なまでに、得票勢力がこの<高句麗・新羅・百済>の三国版図できれいに分かれるのを目の当たりにすると、我々日本人、もう呆気に取られてしまうのですが。
でも、それが当たり前みたいですね。ここでは。
さらに歴史性といえば、主人の田舎の家には、大きな石碑の写真が壁に張ってあるのですが、その石碑の文字が漢文で書かれているので、大体わかる。読んでみて、もー、びっくり仰天しました。
これ、主人の一族のルーツを刻んだ石碑なんですが、出だしが
『はるかなる(中国の)西周の時代、ご先祖は大陸よりわたってきて、○州○氏の家系の祖となった』
って、あなた・・・。
そこから一族の歴史が延々と、伝承的に書いてある。
こんなのが王家や高家でもない一般庶民のおうちにもあるんですから、驚きですよ。
さらに一族の個々の家系の系譜も、主人のうちの場合は千百年代あたり(鎌倉前くらい?)から、はっきり名前が書かれて残っていました。
うちにあるくらいですから、当然各家にもあるのですね。
ただし、残っているのは男の名前だけ。女は残らない。
(ユダヤ人みたいだなぁ、なんて、こそっと思いましたです、はい)
だから、この国では、男の子を産めと言われるのか、と納得しましたね。
<そう言われても、今更どーしようもないですが、はい(笑)
それくらい歴史性と誇りのある民族なので、逆に改革や民主化には支障をきたすことも、多々あるようです。
(と言っても、まあ、中東ほどではない)
世界様々、アジアの一番近い国もまたしかり。
花見感想のはずが、つらつらと、本当に訳のわからない記事になってきたので、今日はこの辺で。
お外はどーんより、
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