比較なんぞとオソレ多くも大それたタイトルを入れたけど、ワタシは日本の現代文芸作品や恋愛小説はあまり読んでいない。
だから、ほんと、これについては何か語る資格なんて無しだと思ったりする。
そうは思うけれど、まぁ、それでもそれなりに感じることを、少しばかり書いてみようかと……。
海外ロマンス小説というのは、原型をたどると『シンデレラ』や『眠れる森の美女』といったメルヘンの世界になるのではあるまいか。
だいたい、(ロマンス小説の)ヒロインも、上の二人のように、いともあっさりと逃げ出してしまうか、幾重にも厳重に茨を張り巡らして、ヒーローを近づけないように懸命に努力する。
ふさがる茨を切り分けながら、眠り姫に何とか近付こうとあの手この手で頑張るのは、だいたい一方的にヒーローの方が多いんだな。
<だから女の夢なのね、はっきり言ってメルヘンです、はい
こういうわけで、海外ロマンス小説の基本スタンスには、『幸せな未来は勝ち取るもの』という不文律のようなものを感じるのだ。とにかく(ぐだぐだ言ってるヒロインは別にして)ヒーローは、その恋の成就にあくまで能動的かつ積極的である。
<まぁ、元来狩猟民族だし、その辺も出るかな
◇◆◇
日本の純愛小説になると勝手は違う。<比べるのも何なくらい違うような…
第一、日本の純愛小説で、めでたしめでたし手放しハッピーエンドって、あまり見かけないような気がする。
<もしやあります? ご意見求めます、知らないので… (汗)
だいたい、純愛小説の素材からして、そうなれないような題材が多いような気が。小説を読んでも、その構成の違いは歴然である。
いわゆる『(恋人の)死』あるいは『不倫』ものが、(他ロマンスサイトマスター様とお話してても)やっぱり多いんだな、と思ってしまうのだが……。
1、『恋人の死』
恋人が死ぬ、という、『世界の中心で愛を叫ぶ』に代表される(?)ように、ヒロインの生命がわずか、という終わりの見えた状況の中で精一杯燃焼しつくす愛の世界、が一つ。
あるいは、こういうケース。
1999年『すずらん』というNHKの朝の連続テレビドラマを毎朝見ていた(こちらでも入るので)。他にも要素はあるが恋愛モノ的に見ると
ヒロインは初恋を(身分違いで)引き裂かれ、東京に出てようやく落ち着ける相手を見つけて結婚するのだが、戦争で夫を亡くし、戦後、その初恋の相手と再会しようやく相手の親も受け入れてくれて、さあ、これからやり直しましょう、と言うところで、実にあっけなくその恋人が死んでしまった。<がーーん
こ、これは、もう本当に手の施しようがなくなる
<死んではいかん、死んでは…… (と思うのはロマンスかぶれ?)
2、『不倫』
うう、これについても書きたいところだが、ワタシは不倫モノはスキじゃないので、ドラマも見ないし本も基本的には読まない。
<ちなみに『マディソン郡の橋』は好きだ。やっぱり洋物のせいか、二人の深い愛は残ったが、どろどろした印象は感じない。いさぎよく身を引いたのも◎だったし。
……これって偏見かな~?
というわけで、『不倫もの』については本当によくわからない。
唯一、渡辺淳一氏の『失楽園』を斜め読みしたくらいだ。
だがたぶん、不倫系純愛とは、こういう話が多いんじゃないだろうか、
もちろん最後に心中まではしないだろうけど、いつか終わりが来るのがわかりきっているからこそ、さらに燃える刹那愛の世界……。
うーん、こういうのが一般には、ピュアなラブストーリーと言うのかなぁ?
<まぁ、それは確かにそうだけども
こういった断片を見て、ワタシが感じる日本人の純愛観は、
「愛は儚いがゆえに、いつまでも心に残って美しい」
こういうスタンスが、根底にあるような気がする。極端な話。
純愛とは美しいがゆえに、実らせるものではなく、
心の奥に余韻と共にいつまでも抱いて、生きるよすがとするもの、
と言う不文律でもあるんじゃなかろうか、と思うことさえあるくらい。
<最近買った、江国香織の『冷静と情熱のあいだ』を読んで、やっぱりそう思った奴……
この背景をつらつら考えてみるに……、
「源氏物語」の頃から、『にほんじん』の心に連綿と受け継がれてきている「もののあはれ」の世界、ひと時だけまどろんで儚く覚めるこの上なく美しい『浅き夢』への追慕の世界、その延長上にある、とも言えるのかもしれない。
<同じ夢は夢でも、大分違うよなぁ、雰囲気が
色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔ひもせず
なんて、思わず10世紀のいろは歌なんか、思い出してしまったりして。
<イロハからして、我が国ってこれだったんだもんね(笑)
まぁ、穏やかな農耕民族性とか、<男もしつこく追いかけないんだよね……(ーー)ウーム…
他にも色々要素はあるだろうけれども。
そう言うわけで、やっぱり、西洋ロマンスの方が好きだなぁ、と思うワタクシです。
◇◆◇
えーっと、何やらまとまりないかもしれないけど、ひとまずはこの辺で…。
註)西洋でも、もちろん19世紀文学までは、どちらかというと悲恋もののほうが多いような気が。
『椿姫』や『狭き門』みたいに最後にはヒロインが死んでしまうものも多いし、『ロミオとジュリエット』や『嵐が丘』は言うに及ばず…。