ひとり井戸端会議

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原子力発電所は必要である

2010年05月21日 | 消費、環境、食品問題
高浜原発4号機、水漏れ防止の部品不良で停止(読売新聞) - goo ニュース

 関西電力は20日、定期検査中の高浜原子力発電所4号機(福井県高浜町)で、発電機の冷却水弁と配管をつなぐゴム製の水漏れ防止の部品に施工不良が見つかったため、同日中に原子炉を手動で止める、と発表した。
 放射性物質の漏れはない。
 この部品は3~4月の定期検査で交換したもの。その際、工具で傷がつき、今月10日に調整運転を始めた後、水圧で割れたとみられる。部品交換後、今月下旬に運転を再開する予定。



 2010年現在、わが国における電力需要のうち約3割を原子力発電が担っているという。2007年の段階では、わが国には55基の原子力発電所があり、そのうちの37基が稼働しているとのことである。

 資源エネルギー庁の試算によれば、原子力発電所1基分(1000万キロワット級)の発電にかかるコストは原発が360億円、風力発電が1兆円、太陽光発電は数兆円にのぼるという。

 つまり、原発反対派の言うように、電力の代替供給手段として風力発電等を導入すると、家庭の電気代は現在の数倍から10倍の規模ではね上がることになる。

 さらに、風力発電等に切り替える場合、その土地の確保も大きな問題となってくる。たとえば風力発電の場合、東京の山手線の内側の面積全体の3.5倍もの土地を確保しなければならないという。

 しかもここまでしてこれら発電を導入しても、上記の理由によりわが国の経済力は格段に落ち、経済的に大きな損失を被るのみならず、生活水準も相当なレベルにまで落とさないと無理なのである。果たしてそこまでして原発にとって代わるほどの魅力が、これら発電に(現在のところ)あるだろうか。



 次に、原発反対派は、原子力発電所が地震に見舞われた場合、非常に危険だと指摘する。しかしながら、現在の原子力発電所は地震対策を重点的にやっている。

 原子力発電所も敷地面積は広くて、柏崎刈羽原子力発電所は、東京ドーム90個分の面積を有しているという。

 原子力委員会委員長である近藤駿介氏によれば、その意図は、「原子炉の燃料が大規模に破損し、しかもそういう時に放射性物質を外に出さないようために設置してある格納容器が完全には働かないという仮想的な事故が起こったときでも、敷地の外にいる住民の方の被曝線量が過剰にならないことという基準」であるという(新潮45、2010年6月号)。

 しかも柏崎刈羽原子力発電所の場合、原子力保安院だけではなく、IAEAの震災時の安全性を保証しているのである。さらに言えば、同原子力発電所に対し、東京電力は1000億円をかけて追加の耐震補強工事を行っているのである。

 日本は地震大国と言われることから想像がつくように、活断層など探し出せばきりがないほどある。にもかかわらず、活断層が発見されるたびに「もっとしっかり事前調査をせよ」などと言っていたら、一向に原子力発電所が建設できず、わが国の電力需要に支障が出る。


 むしろ現在は、こうしたことへの懸念もあるが、テロ対策も喫緊の課題として対応せねばならない。原子力発電所のセキュリティ対策として、自衛隊を配置するということも真剣に検討されてもいいと思う。



 何ごともリスクは常につきまとうものである。人間は全知全能の神ではないのだから、失敗を起こす。しかし、そうやって技術は発達してきたものだし、またこれからも発達していくものであるはずだ。

 リスクよりもメリットのほうが大きいからこそ、世界中で原子力発電が採用されているのではないだろうか。