ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

成人年齢引き下げについて

2008年12月23日 | 民事法関係
成人年齢18歳「反対」56% 朝日新聞世論調査(朝日新聞)

 民法上の成人年齢を20歳から18歳に引き下げることに反対の人が56%にのぼり、賛成は37%にとどまることが、朝日新聞社が6、7の両日実施した全国世論調査(電話)で明らかになった。国政選挙などの選挙権を18歳からとすることについても、反対が賛成を大きく上回った。
 民法では、20歳未満は親の同意なしには結婚や契約ができない、と定められている。この成人年齢の引き下げは、特に女性で反対60%、賛成31%と、男性(反対51%、賛成44%)以上に否定的意見が目立つ。反対の理由は「判断力が十分でない」(43%)、「経済的に自立していない人が多い」(41%)が多い。一方、賛成の理由では6割が「大人の自覚を持たせられる」を選んだ。
 一方、20歳未満を「少年」と定めて保護の対象としている少年法では、対象年齢を「18歳未満に引き下げたほうがよい」が81%で、「20歳未満のままでよい」の14%を圧倒。成人年齢引き下げに反対の人のなかでも約7割が、少年法については「引き下げたほうがよい」としている。



 憲法改正に関する国民投票法の制定によって、俄かに注目されはじめている成人年齢の引き下げ議論。今回はこのことについて20歳を成人年齢としたことの由来、諸外国の成人年齢、ならびに私見を述べていきたいと思う。



 まず、そもそも日本ではどうして成人の年齢を20歳と規定しているのだろうか。民法4条において「年齢20歳をもって成年とする」という規定があるからだと言われれば確かにそのとおりなのだが、では、どうしてこのような規定になったのかと言われれば、その根拠は実に意外なところにある。

 現在の民法が施行されたのが明治31年(1898年)であり、既に当時上記4条の規定は存在していたが、民法が施行される以前から、明治政府によって成人の年齢を20歳と規定していたのである。20歳成人制は、明治9年(1876年)に出された「太政官布告第41号」において、「自今満20年ヲ以テ丁年ト相候」と規定されたのがはじまりとされ、そしてこの太政官布告もその根拠は遠く遡り、大宝律令に求めるのだという。すなわち、大宝律令において納税年齢を数え年で21歳、つまり明治においては20歳と定めていたのを根拠とするのだという。このようにしてみると、民法で単に20歳を成人の年齢と定めてはいるが、実はその由来は遥か以前にまで遡り、日本の歴史をきちんと踏まえたものであって、重みのあるものである。

 当時の学説ではこれに加え成人を20歳とした理由を、日本人の平均寿命の短さ(民法が制定された当時の平均寿命が男性42.8年、女性44.3年であり、戦前まで一貫して平均寿命は50年を超えたことはなかった。)、あるいは日本人は早熟である(元服の年齢がおおよそ15歳であったこと等が理由として考えられよう。)ということを理由にしていた。



 それでは、諸外国では成人年齢は一体何歳と定めているのだろうか。まず、アメリカの多くの州やイギリス、フランス、そしてドイツやイタリアといった欧米諸国では、18歳を成人年齢としている。なお、EUが設置する欧州議会に対する選挙権も、18歳以上の者に付与されることになっている。

 一方、シンガポールやマレーシアといった国々では、日本よりも成人年齢が高く、21歳とされている。韓国、ニュージーランド、タイ、台湾、モロッコ、カメルーンでは、日本と同じく20歳を成人としているという。イランに至っては、15歳を成人年齢としている。このようにしてみると、日本の成人年齢は、諸外国と比較して顕著に高いということではないということが理解できると思われる。



 それでは今回の件について私見を述べさせてもらうとすると、私は成人年齢を18歳に引き下げて構わないと考えている。その主な理由は以下のとおり。


①いわゆる「子供の権利条約」において、「児童」とされる年齢を18歳未満とし、18歳未満を子供として定義している。

②児童福祉法4条では、18歳未満を「児童」と定義し、これを保護の対象としている。

③身体的な成長段階をみても、18歳を大人(成人)と扱うことに、格段の不備はないと思われる。

④民法において男性の結婚可能年齢を18歳と規定(731条)している。


 ①と②については格別言うことはないと思われるが、③については少し付言しておきたい。

 私は医科学の分野は全くの門外漢であるため実証的な証明はできないが、老化のはじまりとされる動脈硬化は、実は18歳からはじまるという。動脈効果をもって成人の年齢を決めるなどということは笑われるかも知れないが、しばしば成人年齢引き下げ反対の陣営は、「18歳は身体的にまだ未熟」といったことを主張するが、そんなことはないのではないかという、あくまでも反論として、このことについて言及した次第である。

 そして、現に20歳未満の子供であっても、身体の成長は著しい。たとえば平均身長についてみてみると、1910年当時の、現在で言えば高校3年生にあたる男子の平均は159.1cmで、女子の平均は148.8cmであったが、2005年では男子が170.8cm、女子が158cmと、格段に平均身長が上がっていることが分かる(ここ、を参考)。今の高校生をみると、制服を着ていなければ、大学生や社会人と見紛うほど、体つきは成人と比べ見劣りしていない。

 ④についても意見があるだろう。たとえば、「女性は16歳となっているが、どうして男性を基準に考えるのか」といったフェミニストのような。しかし、私は婚姻可能年齢も成人年齢にあわせ、18歳にすべきと考えているので、これは決して女性を蔑視した上での見解ではないということは明らかにしておく。そうすれば、まどろっこしく「成年擬制」(民法753条)を考える必要もなくなる。



 ところで、この記事には、反対する理由を、「経済的に自立していない人が多い」と回答した人があったと書いてあるが、現在では大学進学率だけとってみても約50%であり、18歳の二人に一人は大学に進学している時代である。大学生の多くは経済的に自立していないと思われるが、こうした回答をするのであれば、成人年齢を大学の卒業年齢である22歳に合わせろと主張すべきである。これでは、22歳以下の約二人に一人は成人にしなくてもいいという議論が成立することになってしまう。



 どうして18歳で線引きするのかといった問いに応えるのは非常に難しいが、あえて応えるとすれば、日本が批准した条約や諸外国の趨勢が成人を18歳としていることから、日本も成人の年齢を18歳としたほうが、国家間での法的問題の処理が迅速に行える可能性がある、といったところか(といっても、これにそれほどメリットはないし、こうしたことが問題となることも極めて少ないだろう)。これを具体的に言えば、明治期に制定された法例には「人ノ能力ハ其本国法ニ依リテ之ヲ定ム」(3条)と規定されているため、たとえばイギリスの18歳の青年が日本国籍取得した場合、それまでは成人であったのに日本国籍取得のその日から未成年者となってしまう、ということがなくなる。

 さらにこれに理由を加えるならば、18歳が身体の成長も一段落し、9割以上の者が進学する高等学校の課程を修了する年齢でもあるので、成人にとって不可欠な知識や能力が身についていると思われるからでもある(かといって高校卒業を成人の要件とするべきとは思えないのは言うまでもない)。

 私は成人年齢を18歳に引き下げても、それによって何か弊害が生じるとは思えないし、弊害が主張されたとしても、それは杞憂に終わるだろうと思っている。18歳は精神的に成長できていないと主張する向きもあるが、それでは20歳を待てば精神的に成長することになるのか。そもそも精神的なことを理由に入れると、精神の発達度に応じて成人とすることになってしまう。これではなかには一生成人を迎えず、未成年のままで人生を終える人も出てくるだろう(苦笑)。

 そして、民法上未成年者とされる20歳未満の者は、基本的に物事の分別がきちんとできないために、行為能力(自分自身の能力により、たとえば契約などの法律行為の効果を自身に確定的に帰属させる能力。)が制限されている存在なのであるが、18歳~19歳の者が、こうして行為を制限され保護の対象とすることに、私自身の18~19歳の頃を思い出して考えてみても、これに激しい違和感をおぼえる



 いかなる制度であっても、その導入までには激しい抵抗に遭ったとしても、実際導入してしまえばそれまでの心配は何事もなかったというようなことは少なくない(ただし外国人参政権や人権擁護法案などは別)。「案ずるより産むが易し」である。成人年齢を引き下げたところで、何ら実生活において支障はないと断言したい。

「300日規定」について

2008年12月01日 | 民事法関係
「300日規定は違憲」提訴へ 出生届不受理めぐり(朝日新聞)

 離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子と推定する民法772条をもとに、出生届が不受理とされたのは「法の下の平等」に反し違憲として、岡山県総社市の20代の女性が11月に生まれた女児を原告として、不受理とした同市を相手取り慰謝料など330万円の損害賠償を求め、岡山地裁倉敷支部に近く提訴する。
 訴状などによると、女性は前夫からの暴力がもとで06年9月に別居し、同10月には岡山地裁から配偶者暴力防止法(DV防止法)の保護命令を受けた。07年10月には岡山家裁で離婚が認められたが、前夫が控訴し、08年3月に和解で離婚が成立するまで訴訟が長引いた。その間に、女性は現夫との間で妊娠し、11月4日に女児を出産した。
 女性側は同10日、弁護士とともに総社市役所に出生届を提出した。法務省は07年5月に「離婚後300日以内であっても、離婚後の妊娠で医師の証明があれば受理する」との通達を出している。同市からは「女児の妊娠が離婚前の2月ごろとみられる」と指摘があり、現夫との子としての届け出はできないとして受理を拒まれたという。
 女性側は、DV防止法上の接近禁止命令により夫は当時近づくことが許されなかったと主張。離婚が遅れたのは前夫が協力を拒んだためで、離婚の前後で取り扱いを変えるのは子どもに責任のない事情による差別であり合理性を欠き違憲として、個々の事例にあわせた立法をすることが望ましいとしている。
 女性は11月、女児が現夫の戸籍に入れるよう岡山家裁倉敷支部に認知調停を申し立てた。代理人弁護士を通じて、女性は「自分たちと同じつらい思いをしないよう、社会を変えるためにと思いました」とコメントしている。



 いわゆる「300日規定」とは、民法772条2項の婚姻の「取消しの日から三百日以内に生まれた子は、婚姻中に懐胎したものと推定する」という規定のことである。これによって、離婚後300日以内に出産をした子は前夫との間に生まれた子とする推定がはたらき、生まれた子の両親が(法的に)確定することになる。

 772条の規定の趣旨は、生まれてきた子にとって(法的な関係において)誰が父親なのかを明らかにすることによって、その後の親子関係の錯綜、相続時における混乱の発生を防止することにあり、今では子を苦しめる存在のような扱われ方をされているが、実はこのように子の保護のためにもあるのだ。

 以上の基本的知識を踏まえて今回の件について検討をする前に、まず時系列のかたちでこの事件の経緯をみていくこととする。そのほうが争点が明確になり、300日規定について正確な理解もできるだろう。



①女性(仮にX1とする)は前夫(Yとする)からの暴力がもとで06年9月に別居
②X1は同10月には岡山地裁から配偶者暴力防止法(DV防止法)の保護命令を受ける
③07年5月、法務省が通達発布
④07年10月には岡山家裁で離婚が認められたが、Yが控訴し、今年3月に和解で離婚が成立するまで訴訟が長引いた
⑤X1は現夫(Aとする)との間で妊娠(今年2月頃と推定)
⑥今年10月、X1とAが結婚
⑦X1が今年11月4日に女児(X2とする)を出産
⑧X1とAは同10日、弁護士とともに総社市役所(甲とする)に出生届を提出
⑨甲はX2をAの子とする出生届の受理を拒否(X1の妊娠が離婚成立前の今年2月頃と推定されるため)
⑩X1がX2を原告として甲を相手取り訴訟を提起



 上記時系列からして、X1がX2を懐胎した当時まだ正式にX1とYとの間の離婚は成立していないため、よってたとえ婚姻関係が実質的にみて破綻していたとしても、出生したX2はYの子(嫡出子)とする推定がはたらき、X2は(法的には)YとX1との子になる。これはあくまでも法的な親子関係についての話であって、血縁上の親子関係の話ではないのは言うまでもない。

 こういった場合、原則としてYがX1もしくはX2を相手取って嫡出否認の訴え(民法774条)を提起しなければ、X1はYとX2との間の親子関係の不存在を主張することはできず、X2も実父であるAに対し認知の請求を行うことはできない。このような場合について学説上は、嫡出否認の訴えを夫のみならず妻にも認めるべきであるという主張が有力である。774条が夫についてのみ嫡出否認の訴えを認めている理由は、第三者によって家族の平和が破壊されることを防ぐためということが挙げられる。

 今回のケースと類似するものとして、最高裁昭和44年5月29日判決がある。この事件は事実上の離婚状態にあった女性が、勤め先の店の客であった男性と懇意になり、夫との離婚後半年弱で子を出産し、後にその子が客であった男性に認知請求をしたというものである。これについて最高裁は、夫からの嫡出否認の訴えを待つまでもなく、実の父親に対する認知請求ができると判示しいわゆる外観説(外観から察知して、夫との間に子が生まれることはないだろと考えられる場合、推定の及ばない子を認定する説)、この子は推定の及ばない子であるとした。

 そこで今回のケースをみてみると、X1はDV防止法によって保護の対象となっており、YはX1に近づくことができない状態であったと考えられる。これは上記事例の事実上の離婚状態と同視することができる。そのような状態においてX1がYの子を懐胎するとは到底考えられないことであり、よって誰の目からみてもX2はAとX1の子であろう。そして上記判例に従えば、X2は推定の及ばない子であるとされるのが自然なように思える(認知請求ができるということは、父子関係が存在していないことが前提となるから)。

 しかしながら、裁判所は婚姻がないことが推定される確かな理由がないと推定の及ばない子の認定には首を縦に振らず慎重な態度で臨んでいるので、今回の場合も同じように推定の及ばない子としてX2が扱われる可能性は低いと考えられる。したがって、やはりX2はYの子として推定されることは免れないだろう。なお、離婚をした場合、子の戸籍は夫のもとに残される。だから今回の場合もX2はYの子としてYの戸籍に記載されることになる。

 ここまで民事上の検討をしてきたが、こうやってみてみると、民法772条2項が憲法14条に反し違憲というよりは、774条の嫡出否認の訴えを提起できる者を父のみとし、母やその子について認めていないことが憲法14条違反になるという論理構成のほうが、憲法14条違反について言うならば私には説得力があるように思える(これでいくと、X1なりX2が嫡出否認の訴えを提起し、「法律上の争訟」という違憲審査を行うための要件をクリアーする必要になるが)。



 ここからは法律論は措いて、今回の事例について思ったことを書いていくことにする。

 貞操云々言うつもりはないが、X1はいささか軽率だったのではないか。民法のこのような規定を知らないと仮定しても、Yとの間で正式に離婚が成立するまではAと関係をもつべきではなかっただろう。だが、一切関係を持つなとまでは言わない。せめて避妊をすべきであった。避妊をしなかったX1にも落ち度があるのは間違いないだろう。

 生まれてきた子であるX2には何の罪もないことは明らかで、このことについて責める気は全くない。X2を無戸籍という不幸な状態にしている原因は、X1とAにある。Xらが今回の訴訟を提起するまで、私が指摘したことで苦しみ、悩んできたかもしれない。その上での訴訟であるかも知れない。しかし、そのように善意に把握したとしても、自分の軽率な行動を「法のせい」にしているように見えてしまう。

 このようなことを言うと、「子を無戸籍のままにしろというのか」「今さらそんなこと言って何になるのか」「妻は夫からDVを受けていたんだぞ」といった批判が聞こえてきそうだが、DVを受けていたからといって別の男との間で子を身ごもっていい理由にはならないし、不幸な境遇に子を追いやったのは紛れもなくX1とAであるし、ましてや私は無戸籍でいろとは一言も言っていない。

 X1らが軽率であったと責められることと、X2の利益になる措置を講じること、これらは全く別問題であり、同列にして扱うからおかしな感情論で違憲だと騒ぎ出す輩が出てくるわけだ。では、X1が軽率ではなかったと言い切れるか?今さら言い出してもしょうがないかも知れないが、どうしてもX1が私には軽率に映ってしまい、憤らずにはいられないのだ。

 子の福祉を第一に考えれば戸籍の付与が最善だということに異論はないし、それは当然のことだ。しかし、私が違和感を激しく覚えているのは、繰り返すが、X1が自身の軽率な行動によって生じたツケを、法の不備のせいにして責任転嫁をしているように思えるからなのだ。

 確かに今回のような場合には現行制度上、X2に戸籍を付与するには結果として民法772条2項について違憲判決を勝ち取るという迂遠な手段しかないだろうから、X1らが子の福祉のためには背に腹はかえられず、私のような下賎な批判があることを承知で訴訟を提起したのかも知れないが、どうしても私はさきに述べたことを言っておきたかったのだ。



 子のことを本当に第一に想い、その健やかな成長を願うのであれば、安易な考えで性的関係を持つのはやめて欲しい。セックスをすることによってその時には快楽を得られるだろうが、その刹那的な快楽によって不幸な境遇を生きるハメになる子が生まれてくるかもしれないということを、どうか覚えていて欲しい。これ以上不幸な子が生まれないためにも。

国籍法改正について(不十分な刑事罰)

2008年11月25日 | 民事法関係
親子の確認を厳格化へ、国籍法改正による偽装認知防止(読売新聞) - goo ニュース

法務省は25日、今国会で予定されている国籍法の改正により、外国籍の女性の子供に日本国籍を取得させる目的で日本人男性が偽装認知する事件が増えることを防ぐため、親子関係の確認を厳格化する方針を固めた。
 関係を証明する書類や写真を法務局に提出するよう求める考えで、年内にも省令改正や法務局への通達を行う方向だ。
 政府が今国会に提出した国籍法改正案は、日本人と外国人の子供の国籍取得要件に関し、「父母の婚姻」を削除して「父親による認知」だけにする内容だ。最高裁が6月、父母の婚姻を国籍取得要件とすることを違憲と判断したのを受けた改正で、改正案は18日に衆院を通過しており、28日に成立する見込みだ。
 ただ、衆院法務委員会での審議では、「偽装認知など『ダークビジネス』の温床になる」(稲田朋美自民党衆院議員)などの指摘が出た。参院での慎重審議を求める声もあるため、法務省もできる限りの偽装認知防止策をとることにした。
 具体的には、法務局に子供の国籍取得届を提出する際、父親の戸籍謄本や両親と子供が一緒に写った写真などの添付を求める方針だ。戸籍の住所や写真を、両親が知り合う機会の有無や子供が幼いころから一緒にいたかどうかなどを判断する材料にしたい考えだ。親子関係に疑問が生じれば、父母以外の関係者からも事情を聞く。
 こうした方法では偽装を完全に防げないため、審議では、父子のDNA鑑定を義務づけるべきだとする意見も出た。しかし、法務局の窓口で鑑定の信用性を判断するのは難しいうえ、母親が外国人の場合だけ鑑定を求めるのは差別につながるという指摘もあり、導入の方向にはなっていない。
 日本人男性が日本人女性の子を認知する場合は通常、市区町村の窓口に認知届を提出すれば、それ以上の親子関係確認は求められない。



 これは非常によいことである。リンク先の記事は「具体的には~」以下の部分が入っていなかったため、YOMIURI ONLINEの当該記事から追加しておいた。ただ、法務省のDNA鑑定導入への姿勢は、できない理由を見つけてきてそれを言っているような気がして、できないための理由探しをしているようにみえる。法務省の「言い訳」の一つである、「母親が外国人の場合だけ鑑定を求めるのは差別につながるという指摘」については前回の国籍法改正について(DNA鑑定と法の下の平等)において、DNA鑑定の導入が法の下の平等に反しないことを詳細に検討したのでそちらを参考にしていただくとして、今回は改正国籍法に新設された刑事罰について検討していくこととする。



 国籍法に新設される虚偽の届出に対する刑事罰は、「1年以下の懲役又は20万円以下の罰金」というものである。この罰則規定が甘すぎるとの批判に対し法務省をはじめとした「導入派」は、これの他に、認知届の際などの公正証書原本不実記載等の、5年以下の懲役または50万円以下の罰金(刑法157条)なども併合され、最高刑で懲役7年6月までできるから決して甘くはないと主張するが、果たしてこれは本当だろうか。

 法務省の言い分はつまり、刑法45条に規定される「併合罪」が適用されるということなのであるが、併合罪の処分に関してはわが国においては、最も重い罪に対する刑に一定の加重を施し、これを併合罪の刑とする「加重主義」が採用されている。

 これを国籍法の件について当て嵌めてみると、まず、①虚偽の認知届を市町村役場に提出した時点で刑法157条が適用され、次に、②偽装認知による法務局への虚偽の国籍取得届によって新設される国籍法の罰則規定が適用される、最後に、③①と②を併合して処罰する、ということになる。なお、併合罪といわゆる観念的競合とは異なる。観念的競合とは、一つの犯罪を構成する行為が複数の罪種に該当する場合(たとえば警察官に対し傷害を負わせた場合、公務執行妨害罪と傷害罪が成立する。)で、今回のように別々の行為から構成される犯罪には該当しない。



 これは一見すると甘くないように見え、抑止力として一定の効果がありそうに見えるが、それほど有効のようにはやはり思えない。まずそもそもの反論として、併合罪の適用が可能であっても、そのことによって国籍法に新設される罰則規定が「1年以下の懲役又は20万円以下の罰金」で十分ということにはならない。

 併合罪を適用するのなら、国籍法自体の罰則規定をもっと上げて併合罪を適用したほうが、抑止力を言うなら効果的であることは間違いないだろう。偽装認知とは、国籍の取得という、日本の国民としての最も根本的でしかも不可欠なものを付与することに対して働く犯罪行為である。国家の根本を揺るがしかねない問題である。にもかかわらず、「1年以下の懲役又は20万円以下の罰金」という罰則はやはり軽すぎる。併合すればよいという問題ではない。



 次に、意外と盲点なのだが、彼ら「導入派」が示している刑罰は、あくまでも「最高刑」、つまり違法な国籍取得行為に対して課せられるマックスの罰則であり、最小のミニマムな罰則ではない。なので、これよりも当然に軽い罰則が適用されるという事態が起こることは十分に考えられるし、実際の刑罰の運用状況からしてみても、むしろそのような場合の方が多いだろう。これでは結局のところ抑止効果を謳ってはみても、その効果は極めて疑わしいものであろう。

 しかも、仮に偽装認知を行った者に対し懲役7年の自由刑(刑務所送り)が決定したとしても、自由刑の執行停止などの措置がなされれば、結局は意味のないものになろう。自由刑の執行停止には要件として、①刑の執行によって著しく健康を害するときや生命を保つことのできないおそれのあるとき、②出産後60日以内であるとき、③祖父母または父母が年齢70歳以上または重病で、他にこれを保護する親族がいないとき、④子または孫が幼年で他にこれを保護する親族のいないとき、などが挙げられるが、国籍法においては、その性質からして特に②と③が重要であろう。

 これも意外に知られていないだろうが、自由刑の執行に際しては、未決勾留日数の通算を行い、これを除外した日数が自由刑の執行される日数となる。つまり、刑の確定まで警察の機関で勾留されていれば、自由刑として科せられた日数(たとえば懲役5年)からその日数を差し引いた日数が実際の自由刑となるのである。もちろんこれらは国籍法に限った問題ではないが、「導入派」の言うレトリックに騙されないがためにも覚えておきたいことだ。つまり一言で言えば、懲役7年6月という最高刑をもって罰することなどほぼ皆無であろうということだ。



 最後に公正証書原本不実記載等(刑法157条)についてみてみることにする。これは、公務員に対し虚偽の申立てをし、権利・義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせ、または権利・義務に関する公正証書の原本として用いられる電磁的記録に不実の記載をさせることによって成立する。未遂も処罰の対象である。

 「権利・義務に関する公正証書」のなかには、戸籍簿も含まれるという最高裁判決があり、当然に認知届もこのなかに含まれ、権利・義務に関する「公正証書」とは、公務員がその職務上作成する文書であり、権利・義務に関する事実を証明する効力を有するものであるとされる(判例)。詳細な学説上の議論については割愛する。

 偽装結婚は典型的な公正証書原本不実記載等の罪に該当する犯罪であるが、たとえばこのブログでは、偽装結婚について裁判所は被告に懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の有罪判決を言い渡したとあり、事件ごとに背景等を考慮して刑を科すため一概には言えないが、偽装結婚でこの程度であれば、偽装認知においても科せられる刑罰はやはりたかが知れており、せいぜいこれに1年を上乗せする程度ではないだろうか。



 以上、拙いながらも刑事罰の程度について検討してみたが、思ったとおり軽すぎるものと言わざるを得ない。しかも、一度国籍を取得してしまったら、剥奪するという事態はまず考えられないので、偽装認知によって刑事罰を受けても、国籍取得という事実は残るものと思われるので、やはり水際の防止策(DNA鑑定)の導入がまたれる。

国籍法改正について(認知について)

2008年11月22日 | 民事法関係
 国籍法改正について前回は違憲判決の効力について論じたが、今回は国籍取得の要件とされる父親の認知について論じていきたいと思う。そこでまず「認知」について説明しておく。

 まず、認知とは父親のみが対象なのは言うまでもない(母親は子を出産するのだから、母親が誰かはその時点で明らかである)。認知とは、婚姻関係にある夫婦から生まれた子ではない子、つまり婚姻中の懐胎によらないで出生した子について父親が行うものである。そのような子は、父親が認知をなすことによって、法的な親子関係を獲得し、扶養料を父親に対して請求できるようになったりする。
 なお認知の手続は、認知届を父もしくは認知される子の本籍地または所在地の市町村役場に提出し、これによって原則として認知の効力が発生する。認知届を提出する者は原則として認知をする父親である。

 現国籍法3条1項の言う「準正」とは、婚姻前に父親が認知していた子はその父母の婚姻によって嫡出子たる身分を取得すると定め、婚姻前に生まれ父親に認知されなかった子を、婚姻後に父親が認知をすることによって嫡出子の身分を取得できるものとする「準正」である(民法789条)。準正とは認知とほぼ同義であると考えてくれていい(ただし最高裁の言う国籍取得のための「認知」とは、民法789条以前の、婚姻関係は関係なしになされる法的な父子関係の存在のみを確定する「認知」であることに注意)。
 ただし、違憲訴訟において原告となった者達は、婚姻関係にない日本人の父親とフィリピン人の母親との間に生まれ、両親が婚姻を経なかったため日本国籍を取得できなかったケースであり、民法789条2項による準正の要件とは関係なく、出生後の認知によって嫡出子たる身分は取得している(そうでなければ、最高裁が違憲判断をして日本国籍を付与することは論理的にできない)。



 ここでお浚いであるが、今回問題となったのは、子の日本国籍取得について婚姻プラス認知(準正、民法789条)を要件としていることが、子の国籍取得にあたり憲法の保障する法の下の平等の原則(憲法14条)に反しないかという点についてである。

 この問題点について私は、国籍法3条1項が婚姻と父親による認知を国籍取得の要件としていることは、国家の構成要件は主権、領土と国民(ここで言う国民とは、日本国籍を有する者のことである。)であり、国家を構成する最小単位の社会は家族であることを鑑みるに、父母の婚姻を国籍取得の要件とし、国籍を取得する者と国家との密接な結び付きを(特に両親の一方が外国人の場合)婚姻関係を基盤とした家族に見出し、これを国籍取得の要件とすることは、多くの日本人の持つ家族観と照らし、合理的な理由があると思われるので、私の国籍法3条1項についての見解は、合憲である。

 しかしながら最高裁の多数意見は、婚姻による家族関係と婚姻を経ていない家族関係との間に区別を設けることなく、一律に父親による認知を受ければ両親の一方が日本国籍を有する日本人であれば国籍を取得できることにした。これに対して、今さらこのようなことを言っても仕方ないのは分かっているが、現在においてすらも、そこまで家族関係を希薄なものとして捉えることは、果たして日本国民のコンセンサスとなっているだろうか。もし、最高裁の言うような家族観が日本国民の共通理解と言えないのであれば、それこそ国籍法とは日本「国民」たるものの基盤をなすものなのであるから、慎重にも慎重を重ねた判断が必要だったのではないか。



 認知を国籍取得の要件の唯一のものにしてしまうと、当然のことながら偽装認知の横行という事態が想定できる。しかしながら国籍法改正案にはこれを未然に防ぐ手立てが存在しない。あるのは軽すぎる刑事罰のみである(この点については次回検討する)。

 確かに今までのように婚姻を要件としていても、婚姻など両者の合意のみで直ぐに解消できてしまう以上、同じような問題は想定できるが、婚姻には両者の合意のみならず、実質的には届出が必要であり、そう簡単に国籍を取得しようと画策できるものではない。

 もちろん先に書いたように認知も届出が必要になるが、認知の場合と婚姻の場合とでは、「手軽さ」がまるで違う。婚姻を要件としていれば、夫婦間で生まれた子のみが日本国籍を取得できる地位にあるが(昼のメロドラマでもない限り、婚姻中に懐胎した子は夫の子である。)、認知のみを国籍取得の要件としてしまうと、自身の子でなくとも日本国籍を取得させることができる。なので、たとえば父または母が外国人の場合には、認知による親子関係発生のためには、安易な国籍取得を阻止するためにDNA鑑定を義務付ける、一定期間の内縁関係を証明できる書類等の提出など、認知の届出に要する要件を今よりも厳格にすることによって、対応策をとる必要がある。



 このように書くと差別的な印象を持たれるかも知れないが、国籍とは国家を構成する人間の範囲を画するものであり、非常に重要なものである以上、そこには一定の区別が要請されて然るべきものであると思う。しかしながら同時に、今回のようなフィリピン人母の下に生まれた子には何の罪もないのであって、しかも父親は日本人であるにもかかわらず、日本国内において国籍がないがたいめに基本的人権を享受できないというのも、非常におかしなものであるとも思う。この両者を融合できる画期的な案は何かないものか。

消費者団体訴訟について

2008年11月12日 | 民事法関係
 今回は、改正消費者契約法が施行され、新たに盛り込まれた消費者団体訴訟制度についてその概要を述べていきたいと思う。以下、導入までの経緯、団体訴訟制度の意義、消費者団体の行使できる請求権、差止請求権、補足説明の順に述べていく。


・導入までの経緯

 事業者と消費者との消費者契約に関するルールを規定した「消費者契約法」は、平成13年4月に施行された。しかしながら、当初は消費者団体による訴訟制度については規定されていなかった。その一方で消費者契約法を審議した衆議院商工委員会では、「紛争の究極的な解決手段である裁判制度を消費者としての国民に利用しやすいものとするという観点から、司法制度改革に係る検討に積極的に参画するとともに、その検討を踏まえ、本法の施行状況もみながら差し止め請求、団体訴権の検討を行うこと」との附帯決議がなされた。そこで、平成16年4月、国民生活審議会消費者政策部会に消費者団体訴訟検討委員会が設置され、団体訴権導入に向けての審議が開始され、平成18年6月7日に消費者団体訴訟制度を盛り込んだ改正消費者契約法が公布され、平成19年6月7日より施行されることになった(団体訴訟制度については、消費者契約法第3章「差止請求」以下、12条から規定)。

 現在、同法に定める適格消費者団体の認定(13条以下)を受けた団体は、消費者機構日本(NPO法人、東京)、消費者支援機構関西(NPO法人、大阪)、全国消費生活相談委員協会(社団法人、東京)、京都消費者契約ネットワーク(NPO法人、京都)、消費者ネット広島(NPO法人、広島)、ひょうご消費者ネット(NPO法人、兵庫)の計6つである。



・団体訴訟制度の意義

 消費者契約法においては、消費者の契約の取消し(4条)や事業者の損害賠償責任を免除する条項の無効(8条)等について定め、消費者を不当な契約から解放し易いようにし、被害救済に一定の役割を果たしているが、消費者契約においては同一の事業者が繰り返し同種の行為を行い、また、同種の不当な内容を含む約款を使い続けるのが普通である。ということは、消費者個々人の救済に関する規定のみでは消費者被害の発生を防止するには不十分である。そこで、一定の要件を満たした適格消費者団体に一定の権限(差止請求権)を付与し、もって消費者被害の発生の未然防止に貢献するため、消費者団体訴訟制度は存在するとされる。



・消費者団体の行使できる請求権

まず適格消費者団体認定のためには、消費者契約法13条3項1~5号において列挙されている要件を満たさなければならない。

①一般社団法人または一般財団法人である(13条3項1号)※1

②不特定かつ多数の消費者の利益の擁護を図るための活動を行うことを主たる目的として現にその活動を相当期間継続して適正に行っていること(13条3項2号)※2

③差止請求関連業務の遂行のための体制及び業務規定が適切に整備されていること(13条3項3号)※3

④理事会が適切に設置・運営されていること(13条3項4号)※4

⑤差止請求の要否及び内容を検討する部門において、消費生活相談の専門家や法律の専門家が「専門委員」として助言できる体制にあること(13条3項5号)※5

⑥差止請求関連業務遂行のための経理的基礎を有すること(13条3項6号)

⑦差止請求間連業務以外の業務を行う場合には、それらの業務を行うことによって差止請求関係業務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれのないこと(13条3項7号)

 これら要件を満たした消費者団体は、内閣総理大臣から適格消費者団体としての認定を受け(13条1項)、適格消費者団体として差止請求を行うことができる。

 内閣総理大臣から認定を受けた適格消費者団体の行使できる請求権は、一定の行為についての差止請求権である。ここでいう「一定の行為」とは、契約消費者法4条1~3項に定める勧誘行為(12条1項)、同法8~10条に定める契約条項を含む契約の申込・承諾(12条3項)のことである。適格消費者団体の行使できる差止請求権の中身は、ある行為の停止だけでなく、そのような行為の予防、行為に使用した物(パンフレットや契約書面等)の廃棄や除去その他予防のため必要な措置(契約条項の改訂等)を含むものとされる。事業者によって不当な行為実際になされた場合のみでなく、不当な行為がなされるおそれが現に存在する場合にも、差止請求権を行使することができる。ただし、差止の対象となる行為は、不特定かつ多数の消費者に対して行われているか、もしくは行われるおそれのあるものでなければならない。したがって、消費者団体訴訟制度は、個別の消費者被害を救済する制度ではない。



・差止請求訴訟について

 適格消費者団体の行使できる差止請求権は、裁判上以外、つまり裁判外でも行使できる。その場合、適格消費者団体は、口頭もしくは書面によって、事業者やその関係者の行っている不当な行為を指摘して、そのような行為の停止または是正を求めたりすることになる。

 適格消費者団体が差止請求を行使する場合には、被告となる事業者に対し訴えを提起する前に書面により差止請求を行い、書面の到達から1週間が経過している必要がある(41条1項)。書面による事前の請求を怠った場合、訴えは却下される。差止請求の管轄裁判所は、地方裁判所であり、土地管轄は被告の普通裁判籍所在地により決定される(民事訴訟法4条1項)。なお、差止の対象となる事業者の行為のあった地を管轄する裁判所にも、差止請求の訴えを提起することができる(消費者契約法43条2項)。訴額に関しては、差止請求は財産権上の請求ではないため(同法42条)、訴額は160万円となる(民事訴訟費用等に関する法律4条2項)。

 ある適格消費者団体がある事業者を相手取り差止請求を提起し、確定判決が出た場合、原則として、他の適格消費者団体は、同一事業者を相手取り同一内容の差止請求を行うことはできない(諸費者契約法12条5項2号)。ただし、確定判決の内容が、訴えを却下するものである場合と、行使された差止請求が、原告となった適格消費者団体あるいは第三者の不正な利益を図る目的、もしくは当該事業者に損害を及ぼす目的の下で行使されたため訴えが棄却されたのであれば、他の適格消費者団体が同一事業者に対し差止請求を行使することは妨げられない(12条5項2号イ・ロ)。

 差止を命じる判決が確定したにもかかわらず、相手方事業者が判決に従わず差止められた行為を行っている場合には、勝訴判決を得た適格消費者団体は、強制執行の手続をとることができる。差止を命じる判決の執行方法については、間接強制 (※6)の方法による(民事執行法172条)。執行手続を担当する執行裁判所は、差止請求事件を審理した第一審裁判所(地方裁判所)になる(同法172条6項等)。



・補足説明

※1内閣府国民生活局が平成19年6月7日に試行した「適格消費者団体の認定、監督等に関するガイドライン」によれば、法人の社員数は100人以上存在していることを認定の一つの基準にするとある。

※2上記ガイドラインは、「相当期間」とは、原則として2年以上としている。

※3業務規定には、差止請求関係業務の実施方法、情報管理・秘密保持の方法等が定められていなければならない。

※4理事会の構成について、特定の事業者の関係者が理事会の3分の1を超えていたり、同一の業種の事業を行う事業者の関係者が2分の1を超えている場合、公正性を欠くとして、適格消費者団体に認定されない。

※5消費生活相談の専門家としては、消費生活専門相談員、消費生活アドバイザー、消費生活コンサルタントの資格を有していること、法律の専門家としては、弁護士、司法書士、民事法学の教授・准教授等が認められる。

※6間接強制とは、裁判所が被告たる事業者に対し、違反行為を停止しない限り、一定の金銭の支払いを命じることにより、判決に従うことを心理的に強制する強制執行方法である。

容疑者=クロ、ではない

2008年10月29日 | 民事法関係
判決記事、裁判官が“注文”/実名報道訴訟 高裁那覇支部が文書(沖縄タイムス)

 女子中学生と性的な行為をしたとして、県条例違反容疑で昨年三月に県警に逮捕された公立中学校の男性教諭=当時(34)=が、実名報道で名誉を傷つけられたとして、NHKと琉球放送、琉球朝日放送、沖縄テレビの各社に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部(河邉義典裁判長)は二十八日、教諭の不利益と報道の公益性などを比べ、実名報道の相当性を認めた一審・那覇地裁判決を支持し、教諭側の控訴を棄却した。
 一方で「実名報道が不法行為に当たらないとしても、教諭が被る不利益は非常に大きい」とし、「報道内容は逮捕された客観的な事実の伝達にとどめるべきである」と言及した。
 河邉裁判長は各報道機関に「御連絡」と題した文書を配り、「『教諭が過去に…の容疑で逮捕された』という事実だけでなく、『その後、起訴猶予処分(または不起訴処分)になった』という事実を盛り込んでいただけないものか、ご検討下さい」などと、異例の要請をした。
 判決理由では報道側に「逮捕された事実を報道しておきながら、起訴猶予処分とされた事実などについて、もはやニュースバリューがないとして、これを報道しない姿勢にも、報道機関の在り方として考えるべき点があるように思われる」などとしている。



 福岡高裁那覇支部(以下、「高裁」という。)の行った判断は適切である。一部からは「犯罪をしでかしておきながらお前が言うな」というような反発もあるが、実名報道のほとんどは容疑者段階でなされるものである以上、容疑者=罪が確定した犯罪者ではない、という前提を踏まえれば(だからこそ「冤罪」が生じるのだ)、当然の判断といえる。刑事裁判においては、被告人には「無罪推定(presumption of innocence)」の原則があるのだ。

 そして刑事裁判において検察側が挙証責任を負っているのもこれに起因するものである。これは刑罰権を行使する国家に被告人が犯罪を行ったことについて立証する責任を負わせ、その事実が証明されない限り刑罰権を行使できないようにし、無闇に人権侵害が行われることを防止するためである。だから、逮捕され起訴されたからといっても、その者はあくまでも罪が確定した状態ではなく、審理を経て有罪判決が下され、これが確定してはじめて「クロ」となるのである。というか、逮捕された段階でクロなのであれば、裁判は一体何のためにある?

 確かに起訴されて有罪判決が下される確率は9割以上と極めて高いが、だからといって容疑者段階の報道で、その人物を犯人扱いしてよいということにはならない。しかも、マスコミは「報道の自由」を盾に、仮に自分たちが犯人扱いした人物が「シロ」であっても責任を負うことは滅多にない。適当に謝罪して頭を下げるのがせいぜいだろう。しかし、犯人扱いされ、「反社会的分子」というラベルを貼られた者の社会復帰は決して容易ではない。これは無責任ではないか。マスコミは自由を履き違えていると言える。



 ところで、この教員は女子中学生に手を出したために死刑判決を言渡されたのか?起訴猶予処分なのだからそうではない。だとしたら、罪を償ったら社会に復帰できるのだ。犯罪者であれば誰でも、刑期を終えるなどして言渡された刑罰を完遂した後は、その者は社会に復帰してまた今まで通り生活を営む権利がある。当該教員も同じだ。当該教諭がきちんと社会復帰できるような土壌を確保するためにも、実名報道によって「教諭が被る不利益は非常に大きい」と高裁は述べたのであろう。

 今回の件は容疑者は確かに犯罪を行っていたが、最近続発している痴漢裁判での冤罪判決を、この原告を批判する人はどう考えるのであろうか。「お前が言うな」という次元の話ではない。原告の行った行為は決して許されるものではないが、今回の訴訟によって原告が提起した問題は、来年から裁判員制度が敷かれる上で意味のあるものである。

 今回高裁の行った判断は実名報道の相当性を容認しているものであり、実名報道をするなと言っているものではない。ただ一方的な実名報道によって、無罪推定を受けている容疑者を犯人扱いするすることを「戒めた」だけである。したがって、報道の萎縮効果を生むという批判は当てはまらない。報道する側も節度を持って、極力公正かつ客観的に報道するべきだ、という程度に過ぎない。



 来年から裁判員制度が開始される。無罪の推定のはたらく容疑者を徒に犯人扱いし、面白おかしく仕立てて報道する最近のマスコミの報道傾向に釘を刺したものと言える。

弱者救済のため、と言えば聞こえはいいが

2008年06月11日 | 民事法関係
「借金の元本も賠償額に」最高裁が初判断・・・ヤミ金訴訟(読売新聞より一部抜粋)

 指定暴力団山口組旧五菱会系のヤミ金融事件で、愛媛県の11人が、違法な高金利で借金の返済を迫られ損害を被ったとして、ヤミ金融グループの元最高責任者、梶山進受刑者(58)に計約3500万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が10日、最高裁第3小法廷であった。
 那須弘平裁判長は、利息だけでなく元本分も賠償すべきだとする初判断を示し、利息のみの賠償を命じた2審・高松高裁判決を破棄、改めて賠償額を算定させるために審理を同高裁に差し戻した。
 判決によると、原告は2000年11月~03年5月、梶山受刑者が支配するヤミ金融グループの店舗から金銭を借り入れたが、出資法の上限金利(29・2%)を大幅に上回る年利数百%~数千%の超高金利で返済させられた。
 裁判では、原告が違法な高金利だけでなく、最初に貸し付けられた元本まで取り戻すことができるかどうかが争点となった。判決はヤミ金融に、「公序良俗に反して給付したものは、返還を請求できない」とする民法の規定を適用。悪質なヤミ金融は、借り手に対して返済を請求できないだけでなく、返済された金銭についても、元本を含む全額を賠償すべきだとする考え方を示した。
 


 結論から言えば、違和感の拭えない判決である。弱者保護のための判断と言ってしまえば聞こえはいいが、そもそもこれが本当に弱者救済に貢献できるのか。自分には疑問の残る判断である。(判決文はこちら



 平成18年、貸金業法の改正によって、いわゆる「グレーゾーン金利」の撤廃がなされ、利息制限法と出資法の溝(これが、グレーゾーン金利)が埋められ、金利が利息制限法に統一された。これによって、アングラでは消費者金融(サラ金)は、貸し倒れを防ぐために借主の審査を厳格にした。
 その結果、今まで消費者金融で借り入れを受けることのできていた多重債務者の多くが、もはやそこから借り入れはできなくなり、アングラなヤミ金へと流れてしまっているという(消費者金融は無担保で貸付を行う以上、信用の高くない客に貸すのはリスクが高すぎるため、貸せなくなる)。

 そこで、法外な利息で貸し付けるヤミ金撃退のために今回の判決は有効なように思えるが、「SAPIO」5月28日号26頁によれば、多重債務者の多くは生活に困窮しているのではなく、彼らにとって借金は麻薬と一緒で借りていないと気が済まないものなのだという。つまり、「借りていないと気が済まない」多重債務者にとって、今回の判決など何の意味もないのである。彼ら多重債務者は借りること自体が目的なのであるから。むしろ今回の判決を受けて、(敢えてこのように表現するが)ヤミ金が減ってしまえば、困るのはヤミ金よりも、もしかしたら病的な多重債務者かも知れないとなれば、いやはや皮肉である(苦笑)。

 上記SAPIOによれば、ヤミ金からも見放された多重債務者が最後にたどり着くのは犯罪であるという。今回の判決はヤミ金撲滅という面からは歓迎できるだろうが、今回の判決によって間違いなくヤミ金側は貸付に慎重になる。そうすればヤミ金からもあぶれる者が出てきても不思議ではない。上記SAPIOで用いられている表現を借りれば、今回の判決は「社会的に一番弱者の人たちにお金が流れないように断ち切っ」ってしまったものと言えよう。今回の判決によって、自暴自棄になった多重債務者が犯罪に走る、ということが増加しなければいいが。 



 ところで、今回の判決によってはじめてヤミ金から借りた金は返済しなくていいということになったと思われる方もいるかもしれないが、今回の判決が出る以前からも、そもそもヤミ金による貸付自体が民法90条の「公序良俗」に反するため、無効である以上、(死を覚悟しなければ堪えられないような脅しはあるだろうが)借主は返済(返金)をする必要はないのである(ヤミ金による消費貸借契約自体が無効であるから)。このことは、ヤミ金が出資法違反で刑事罰を受けていることからして分かる。

 今回の判決が出るこれまでも、ヤミ金から借りて困っているのであれば、もし脅迫的な脅しをされれば、それを録音して警察に被害届けを出したり、サラ金対策弁護団などに相談をすれば解決ができていたこともあった。



 今回の判決で最高裁はやはり不法原因給付(民法708条)を根拠に、ヤミ金側には元本の返還もする必要はないと論じたが、確かにその通りであろう。このことはたとえば、Aが殺し屋Bと、Cの殺人を目的とした契約を締結し、AはBに対し契約費用を支払ったが、その後、後悔してBに支払った費用を返還するよう求めることができないということと同じである。

 しかしながら、これはよくよく考えるとおかしいことである。というのは、Aも不法である当該契約を結ぶ当事者となっている以上、Aも言ってみれば「同罪」のはずである。それなのにどうしてBはAから得た金を保持していることが許されるのか。
 このことを今回の判決に置き換えて考えると、借主である債務者も不法な消費貸借契約を結んでいる以上、そこから得た利益は不法なものであるので、貸主であるヤミ金に返還すべきなのではないか(もちろん、法外な利息を弁済する義務はない)。このような疑問は、民法起草者である梅謙次郎博士も、履行(金銭の貸付)が終わった後に、「お前の給付は不法だからもう返さない」などと受益者(借主)に言わせる必要はないとして、708条の規定に最後まで反対であったことからも窺える。



 とはいえ、ヤミ金の場合には、これを苦にして自殺する人もいるので、今回の判決はひとまずは歓迎しておこう。だが、今回の判決の田原睦夫裁判官の意見にあるように、「不法行為の被害者が加害者から受けた給付が、不法原因給付としてその返還を要しない場合であっても、被害の性質や内容、程度、被害者の対応、加害行為の態様等から、その給付をもって損益相殺的処理をなすことが衡平に適う場面があり得る」とも言えるだろう。自分は多数意見のほうではなく、こちらの見解を支持したい。

非嫡出子法定相続分規定は憲法違反

2007年11月19日 | 民事法関係
 民法900条4号但書には次のような規定がある。すなわち、「嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし」という件である。ちなみに、嫡出子とは簡単に言えば、妻が婚姻中に懐胎した、夫との間に生まれた子のことである。非嫡出子とは、父と母との間に婚姻関係のないときに生まれた子である。

 民法900条4号は明確に憲法14条の「法の下の平等」に反する規定であるので、早急に見直す必要があると思われる。

 では、どこがどう具体的に憲法に反しているのかを考えてみたい。そこで、憲法14条の「法の下の平等」において禁止している差別待遇とは、「一時的なものではなく、自らの手ではどうしようもない地位」によって不当に差別待遇を受けることと定義されている。これを上記の900条4号に当て嵌めて考えてみればどうか。

 神ではない限り、その人自身の出生は自分の力で後天的に変えようとしても、それは不可能であって、こればかりはどうしようもないことである。この、「自らの手ではどうしようもならない地位」によって、相続分が差別されることは、憲法の要請している平等概念に反する。

 とはいうものの、最高裁では、民法900条4号但書を立法理由に合理的根拠ありとして、これを合憲としている。しかしながら、私の900条4号但書削除論は、非嫡出子という民法上の規定そのものが憲法に反すると言うわけではない。
 
 ただ、先天的に与えられた境遇によって婚姻関係にあったときに生まれた子と、その相続分が半分も違うというのは、あまりにも差別的な規定であって、900条4号但書の部分だけ削除すればいい、と主張するにすぎない。

 よって、最高裁決定平成7年7月5日において、「出生について何の責任も負わない非嫡出子をそのことを理由に法律上差別することは、婚姻の尊重・保護という立法目的の枠を超えるものであ」るとした反対意見に同意するものである。

相続人の欠格事由に関する素朴な疑問

2007年09月02日 | 民事法関係
 私が不勉強なだけかも知れませんが、民法891条の「相続人の欠格事由」に関して素朴な疑問があります。民法891条には以下のような規定があります。



 第891条
 次に掲げる者は、相続人になることができない。
 1、故意に被相続人又は相続人について先順位若しくは同順位にある者を死亡するに至らせ、又は至らせようとしたために、刑に処せられた者
 2、被相続人の殺害されたことを知って、これを告発せず、又は告訴しなかった者。ただし、その者に是非の弁別がないとき、又は殺害者が自己の配偶者若しくは直系血族であったときは、この限りでない
 3、詐欺又は強迫によって、被相続人が相続に関する遺言をし、撤回し、取り消し、又は変更することを妨げた者
 4、詐欺又は強迫によって、被相続人に相続に関する遺言をさせ、撤回させ、取り消させ、又は変更させた者
 5、相続に関する被相続人の遺言書を偽造し、変造し、破棄し、又は隠匿した者



 通説によれば、上記の違法行為には故意が必要であり、更にそれによって相続上の利益を得る認識のあることも必要だといいます。相続欠格ということになると、本来ならば相続人であった者も、相続開始当初から相続人でなかったことになるので、その者の行った相続に関する行為は無効になります。

 この理屈は凄くよく分かるのですが、では、欠格事由の3~5は、誰が「そうだった」と証明すればいいのでしょうか。換言すれば、3~5の欠格事由とは、そういった欠格事由に該当する行為を行った者が、自発的に、もっ言えば善意的に名乗り出なければ、よほどのことがない限り(たとえば、そういった行為をしていたことを、第三者が目の当たりにしていたり、強迫を行った事実を録音していた、など)、これで欠格事由を認定するのは難しい気がするのです・・・。

 1、2は刑事上の責任を追及する過程で、そのような行為を行った者が相続欠格者だということは、客観的にすぐ分かります。
 遺言は15歳以上であれば、誰でも一人で作成することができるのが原則です。一人で作成可能ということは、たとえば一対一の密室で被相続人を相続欠格者が強迫し、相続の内容を変更させたような場合、3~5の事由で相続欠格を認定するのは無理と言っても過言ではないのではないでしょうか。

 なぜならば、相続が開始されるということは、既に遺言書を書いた被相続人は死んでいるということになるので、強迫によって遺言書を作成させられたと証明できる人は、この世に一人しかいないのです。その行為を行った相続欠格者しか。「死人に口なし」とはまさにこのことではないでしょうか。

 仮に他の相続人が、「あいつ(相続欠格者)はどうやら被相続人を強迫して遺言書を書かせたらしい」と勘付いても、上記のようなシチュエーションのもと作成されたならば、他の相続人が主張できることなど「生前のあの人(被相続人)の言動などからして、あんな遺言なんか作成するわけない!」ぐらいだと思います。
 しかし、遺言書という客観的に存在している物証を「クロ」に覆すには、「らしい」では無理でしょう。

 相続に関するこの規定は強行規定のはずですが、これでは任意規定みたいなもののような気がします。強行規定とは、「やった者勝ち」を許さないからこそ、強制力を持たせているという意味もあるだろうに、これでは「悪事をやった者」がオイシイ思いをし、誠実な者が馬鹿を見ることになるような気がします。
 このような疑問もすべて私の勉強不足ゆえだと思いますが・・・。

当然却下の事件

2007年08月11日 | 民事法関係
 以下、中日新聞の記事より一部抜粋。



 東京都東久留米市を流れる落合川の埋め立て工事によって、絶滅が危ぶまれているホトケドジョウの生育環境が破壊されるなどとして、周辺住民4人が10日、ホトケドジョウと落合川も原告に加え、都を相手に工事の差し止めを求める訴訟を東京地裁に起こした。
 原告側代理人によると、自然物が原告の「自然の権利訴訟」は鹿児島県・奄美大島のアマミノクロウサギなど約20件があるが、河川が原告になるケースは初めてとみられる。同種訴訟で請求が認められたケースはこれまでないという。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007081001000766.html



 このような事件には、当該記事でも言及しているように、鹿児島地裁平成7年3月22日において、アマミノクロウサギなどの小動物が提起した開発許可の取消しを求めたという有名な訴訟があります。この訴訟で鹿児島地裁は、「動物が訴え提起等の訴訟行為をすることなどおよそありえない事柄である以上、右表示は余事記載ないし無意味な記載と解するほかない」と判示し、原告の訴えを却下しました。

 当事者能力(訴訟の当事者となることのできる一般的な資格)がなければ、訴訟の当事者になることはできません。この当事者能力は、民法などの権利能力(売買契約などの主体となることができるかどうか、みたいな能力のことです)がなければ、認めることはできないとされています。すなわち、権利能力を有する者は、同時に当事者能力も有すると解されています。

 では、例えば、ドジョウや河川が、売買契約の主体(物の売り主になったり、買い主になったり)となることができるでしょうか。この答えは誰が見ても明らかでしょう。

 訴訟とは、実体法(民法など)上の権利義務に関する紛争の解決が求められる以上、権利能力を有していなければ、そのものを当事者として、訴訟を遂行させても意味のないことなのです。

 今回のこの訴訟は、訴訟要件(本案を審理し、判決を行うための要件のこと。その中には当然に当事者能力も含まれる)を満たしていないことは明らかなため、訴え自体を不適法とし、却下判決が下されることになるでしょう。要するに、これらを原告とする以上、本案(工事の差止めは是か非か)について判断されることはないでしょう。

産経新聞と小林節氏の論点のずれた主張

2007年06月19日 | 民事法関係
 昨年10月、貸金業の規制等に関する法律(以下、貸金業法という)が改正され、12月から公布されました。これによって、今まで認められてきたいわゆる「グレーゾーン金利」が消滅し、利息制限法が骨抜きにされていた状態がようやく解消されました。
 しかしながら、この改正に産経新聞をはじめ、自民党の一部の議員や慶応大学教授の小林節氏らは、「改正法は中小企業を倒産に追い込ませ、かえってヤミ金業者がはびこることになる」と反対の姿勢を表明しています。以下、産経新聞2007年5月31日「主張」の一部抜粋と同紙6月17日付け小林節氏の「正論」(同じく一部抜粋)寄稿論文での主張を検証していきます。
 なお、前者が産経新聞「主張」で、後者が小林節氏「正論」寄稿論文です。



【主張】貸金業規制 冷静に不備見つめるとき

 消費者金融や事業者金融が、貸し倒れリスクも考慮して適用していた灰色金利が全廃されれば、融資審査は厳格になる。50万円、100万円という緊急性の高い資金を貸金業者から灰色金利で借りて事業を続けていた個人経営の商店などは資金繰りがつかなくなるとの危惧(きぐ)はあった。それが早くも現実のものとなったのである。
 成立した改正法にも、特例措置について施行後2年半以内に規制強化の影響を見極めたうえで、改めて検証するとある。
 多重債務者救済にも意味はある。だが、それが金利規制、貸し出し規制のかたちをとり、十分に事業が継続できる個人事業者までも倒産に追いやるようでは本末転倒ではないか。
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070531/shc070531001.htm

【正論】慶応大学教授・小林節 新貸金業法は憲法違反ではないか

 多重債務者当人の性格と生活態度にこそ主たる原因がある場合が多いとのことである。さらに、感じのいい女性などを使った過剰なCMなども自己管理能力の低い人には不用意な借金を促す要因であろう。だから、多重債務者問題の解消には、無人契約機とリボルビング返済方式とCMを合理的に規制することと、多重債務に陥りやすい人々へのカウンセリング制度の確立こそが最も有効な対策のはずである。
 そして、今回のように貸し渋りと貸し剥(は)がしにより資金の市場への供給が減少したとしても、だからといってこの種の資金需要がなくなるわけではない。その結果は、中小企業や個人事業者の倒産の増加や、いわゆる闇金融に頼らざるを得ない消費者の増加につながるはずである。
 闇金は、もとより法令を無視した業者であるため、その金利に上限はなく、また、その取り立て方法も違法行為が常態化している。これでは昨年の法改正がその正当な目的に反した悪しき逆効果を招いていることになる。つまり、新たな多重債務者が生まれ、その存在が闇に隠れるだけであろう。これでは、立法目的とそのために採用された手段が合致していない。
 そして、この問題は、他面で既存の多くのまじめな小さな貸金業者から仕事を奪うことで、彼らの営業の自由(憲法22条)、財産権(29条)、極端な場合には生存権(25条)までを脅かす人権問題である。そういう意味では、今回の立法の違憲性が問われてしかるべきであろう。
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070617/srn070617000.htm



 このような主張を展開しているわけですが、上記二つの理論には決定的な欠陥が存在しています。

 まず、産経の主張にある「十分に事業が継続できる個人事業者までも倒産に追いやるようでは本末転倒ではないか。 」という件ですが、そもそもとして、消費者金融の融資に頼らざるを得ない状態の企業とは、その時点でもはや「十分に事業が継続できる」状態ではないのです。
 喩えるなら、回復の可能性のない患者をグレーゾーン金利での融資という延命装置で生かしておいたのが今までであって、そのような患者が健康体と言えないのと同じことです。

 産経は、貸金業改正によって零細企業の倒産が増加したと非難するのなら、なぜ小泉内閣による格差拡大と弱肉強食政策を諸手を挙げて支持してきたのでしょうか。零細企業が消費者金融から融資を受けざるを得なくなったのは、このようなアメリカ式の市場原理の導入こそが原因であろうに(バブル崩壊による倒産件数の増加という原因も当然あるが)、これには目を瞑り、零細企業の立場を擁護するとは、朝日新聞と同じ「ダブルスタンダード」ではありませんか。

 次に小林節氏の言う「改正貸金業法憲法違反説」ですが、これは単なる詭弁に過ぎないと思うのです。今回の改正は、今までが「異常な」状態であったのを「正常に」戻しただけであって、憲法には何ら抵触していないのは明白です。
 
 小林氏の理論によれば、貸金業法が改正されたことによって、真面目な貸金業者の「営業の自由(憲法22条)、財産権(29条)、極端な場合には生存権(25条)までを脅かす人権問題」というこになるようですが、ということは、利息制限法は憲法違反ということになりますが、こんな理屈、聞いたことがありません。
 利息制限法の枠内でも利益を上げることが可能である以上、なぜ改正法が憲法違反になるのか、理解に苦しみます。今までの利息制限法が「骨抜き」にされて、ザル法となっていた現状を改めるのが憲法違反というのであれば、今までの利息制限法の骨抜き状態は、「守られなければ法ではない」という当たり前の原則を踏みにじっていたことになります。どちらのほうが深刻かは明白でしょう。

 更に、改正法が人権を侵害していて憲法違反というのであれば、グレーゾーン金利のもと半ば強制的に「みなし弁済」を強いられていた借主のほうが人権侵害の度合いは深刻であって、憲法違反の可能性は高いでしょう。こちらの救済のほうが急務だからこそ、今回の法改正に至ったのではないでしょうか。そして、「多重債務者問題の解消には、無人契約機とリボルビング返済方式とCMを合理的に規制する」ことのほうが「営業の自由(憲法22条)、財産権(29条)、極端な場合には生存権(25条)までを脅かす人権問題」と言えるのではないでしょうか(苦笑)。

 産経の主張と小林氏のそれの両者に言えることは、多重債務者の「自転車操業」を奨励しているということです。グレーゾーン金利を存置して、それによって事業者の救済を図るという発想は、倒産という結果の先延ばしができるだけで、結局のところ行き着く結果は変わらないと思います。

 次の点も両者について言えることなのですが、両者の主張は別次元にある問題を同じ次元に矮小化して論理を展開しているということです。すなわち、貸金業法改正によるヤミ金の繁栄に伴う零細企業の倒産と消費者金融の融資条件厳格化とは別の問題ということです。

 今回の法改正に伴って、出資法に違反したヤミ金業者に対する刑事罰の最高刑を今までの5年から10年に上げましたし、何よりも、グレーゾーン金利があったから零細企業が倒産を免れていたという確たる証明はどこにも存在しません。零細企業の倒産防止を考えるならば、安易な発想でグレーゾーン金利を復活させるのではなく、極力企業の負担の少ない選択肢を考えるべきです。
 なお、中小企業の倒産件数は1991年から1万件を下回ったことはなく、90年が6441件だったのに、2002年には18687件にまで増加しました。果たしてグレーゾーン金利の果たした「倒産防止」の役割というものは、どういったものなのでしょうか。

 消費者金融の融資厳格化によってヤミ金に行かざるを得なくなるというのであれば、それはグレーゾーン金利の撤廃のせいと決め付けるのではなく、いかにヤミ金を根絶させていくかを考えるべきであって、グレーゾーン金利の復活を唱えるのは論理の飛躍です。

 グレーゾーン金利は、これまで判例(最高裁平成18年1月13日判決は実質的に「みなし弁済」を認めないと判示したに等しい )や貸金業法によって厳しく制限され、例外的に認められてきたということを考慮すると、利息制限法の上限利息に統一し例外が原則と逆転してきた現状を改めることは歓迎すべきであって、法の統一的適用の観点からも望ましいものです。