成人年齢18歳「反対」56% 朝日新聞世論調査(朝日新聞)
民法上の成人年齢を20歳から18歳に引き下げることに反対の人が56%にのぼり、賛成は37%にとどまることが、朝日新聞社が6、7の両日実施した全国世論調査(電話)で明らかになった。国政選挙などの選挙権を18歳からとすることについても、反対が賛成を大きく上回った。
民法では、20歳未満は親の同意なしには結婚や契約ができない、と定められている。この成人年齢の引き下げは、特に女性で反対60%、賛成31%と、男性(反対51%、賛成44%)以上に否定的意見が目立つ。反対の理由は「判断力が十分でない」(43%)、「経済的に自立していない人が多い」(41%)が多い。一方、賛成の理由では6割が「大人の自覚を持たせられる」を選んだ。
一方、20歳未満を「少年」と定めて保護の対象としている少年法では、対象年齢を「18歳未満に引き下げたほうがよい」が81%で、「20歳未満のままでよい」の14%を圧倒。成人年齢引き下げに反対の人のなかでも約7割が、少年法については「引き下げたほうがよい」としている。
憲法改正に関する国民投票法の制定によって、俄かに注目されはじめている成人年齢の引き下げ議論。今回はこのことについて20歳を成人年齢としたことの由来、諸外国の成人年齢、ならびに私見を述べていきたいと思う。
まず、そもそも日本ではどうして成人の年齢を20歳と規定しているのだろうか。民法4条において「年齢20歳をもって成年とする」という規定があるからだと言われれば確かにそのとおりなのだが、では、どうしてこのような規定になったのかと言われれば、その根拠は実に意外なところにある。
現在の民法が施行されたのが明治31年(1898年)であり、既に当時上記4条の規定は存在していたが、民法が施行される以前から、明治政府によって成人の年齢を20歳と規定していたのである。20歳成人制は、明治9年(1876年)に出された「太政官布告第41号」において、「自今満20年ヲ以テ丁年ト相候」と規定されたのがはじまりとされ、そしてこの太政官布告もその根拠は遠く遡り、大宝律令に求めるのだという。すなわち、大宝律令において納税年齢を数え年で21歳、つまり明治においては20歳と定めていたのを根拠とするのだという。このようにしてみると、民法で単に20歳を成人の年齢と定めてはいるが、実はその由来は遥か以前にまで遡り、日本の歴史をきちんと踏まえたものであって、重みのあるものである。
当時の学説ではこれに加え成人を20歳とした理由を、日本人の平均寿命の短さ(民法が制定された当時の平均寿命が男性42.8年、女性44.3年であり、戦前まで一貫して平均寿命は50年を超えたことはなかった。)、あるいは日本人は早熟である(元服の年齢がおおよそ15歳であったこと等が理由として考えられよう。)ということを理由にしていた。
それでは、諸外国では成人年齢は一体何歳と定めているのだろうか。まず、アメリカの多くの州やイギリス、フランス、そしてドイツやイタリアといった欧米諸国では、18歳を成人年齢としている。なお、EUが設置する欧州議会に対する選挙権も、18歳以上の者に付与されることになっている。
一方、シンガポールやマレーシアといった国々では、日本よりも成人年齢が高く、21歳とされている。韓国、ニュージーランド、タイ、台湾、モロッコ、カメルーンでは、日本と同じく20歳を成人としているという。イランに至っては、15歳を成人年齢としている。このようにしてみると、日本の成人年齢は、諸外国と比較して顕著に高いということではないということが理解できると思われる。
それでは今回の件について私見を述べさせてもらうとすると、私は成人年齢を18歳に引き下げて構わないと考えている。その主な理由は以下のとおり。
①いわゆる「子供の権利条約」において、「児童」とされる年齢を18歳未満とし、18歳未満を子供として定義している。
②児童福祉法4条では、18歳未満を「児童」と定義し、これを保護の対象としている。
③身体的な成長段階をみても、18歳を大人(成人)と扱うことに、格段の不備はないと思われる。
④民法において男性の結婚可能年齢を18歳と規定(731条)している。
①と②については格別言うことはないと思われるが、③については少し付言しておきたい。
私は医科学の分野は全くの門外漢であるため実証的な証明はできないが、老化のはじまりとされる動脈硬化は、実は18歳からはじまるという。動脈効果をもって成人の年齢を決めるなどということは笑われるかも知れないが、しばしば成人年齢引き下げ反対の陣営は、「18歳は身体的にまだ未熟」といったことを主張するが、そんなことはないのではないかという、あくまでも反論として、このことについて言及した次第である。
そして、現に20歳未満の子供であっても、身体の成長は著しい。たとえば平均身長についてみてみると、1910年当時の、現在で言えば高校3年生にあたる男子の平均は159.1cmで、女子の平均は148.8cmであったが、2005年では男子が170.8cm、女子が158cmと、格段に平均身長が上がっていることが分かる(ここ、を参考)。今の高校生をみると、制服を着ていなければ、大学生や社会人と見紛うほど、体つきは成人と比べ見劣りしていない。
④についても意見があるだろう。たとえば、「女性は16歳となっているが、どうして男性を基準に考えるのか」といったフェミニストのような。しかし、私は婚姻可能年齢も成人年齢にあわせ、18歳にすべきと考えているので、これは決して女性を蔑視した上での見解ではないということは明らかにしておく。そうすれば、まどろっこしく「成年擬制」(民法753条)を考える必要もなくなる。
ところで、この記事には、反対する理由を、「経済的に自立していない人が多い」と回答した人があったと書いてあるが、現在では大学進学率だけとってみても約50%であり、18歳の二人に一人は大学に進学している時代である。大学生の多くは経済的に自立していないと思われるが、こうした回答をするのであれば、成人年齢を大学の卒業年齢である22歳に合わせろと主張すべきである。これでは、22歳以下の約二人に一人は成人にしなくてもいいという議論が成立することになってしまう。
どうして18歳で線引きするのかといった問いに応えるのは非常に難しいが、あえて応えるとすれば、日本が批准した条約や諸外国の趨勢が成人を18歳としていることから、日本も成人の年齢を18歳としたほうが、国家間での法的問題の処理が迅速に行える可能性がある、といったところか(といっても、これにそれほどメリットはないし、こうしたことが問題となることも極めて少ないだろう)。これを具体的に言えば、明治期に制定された法例には「人ノ能力ハ其本国法ニ依リテ之ヲ定ム」(3条)と規定されているため、たとえばイギリスの18歳の青年が日本国籍取得した場合、それまでは成人であったのに日本国籍取得のその日から未成年者となってしまう、ということがなくなる。
さらにこれに理由を加えるならば、18歳が身体の成長も一段落し、9割以上の者が進学する高等学校の課程を修了する年齢でもあるので、成人にとって不可欠な知識や能力が身についていると思われるからでもある(かといって高校卒業を成人の要件とするべきとは思えないのは言うまでもない)。
私は成人年齢を18歳に引き下げても、それによって何か弊害が生じるとは思えないし、弊害が主張されたとしても、それは杞憂に終わるだろうと思っている。18歳は精神的に成長できていないと主張する向きもあるが、それでは20歳を待てば精神的に成長することになるのか。そもそも精神的なことを理由に入れると、精神の発達度に応じて成人とすることになってしまう。これではなかには一生成人を迎えず、未成年のままで人生を終える人も出てくるだろう(苦笑)。
そして、民法上未成年者とされる20歳未満の者は、基本的に物事の分別がきちんとできないために、行為能力(自分自身の能力により、たとえば契約などの法律行為の効果を自身に確定的に帰属させる能力。)が制限されている存在なのであるが、18歳~19歳の者が、こうして行為を制限され保護の対象とすることに、私自身の18~19歳の頃を思い出して考えてみても、これに激しい違和感をおぼえる
いかなる制度であっても、その導入までには激しい抵抗に遭ったとしても、実際導入してしまえばそれまでの心配は何事もなかったというようなことは少なくない(ただし外国人参政権や人権擁護法案などは別)。「案ずるより産むが易し」である。成人年齢を引き下げたところで、何ら実生活において支障はないと断言したい。
民法上の成人年齢を20歳から18歳に引き下げることに反対の人が56%にのぼり、賛成は37%にとどまることが、朝日新聞社が6、7の両日実施した全国世論調査(電話)で明らかになった。国政選挙などの選挙権を18歳からとすることについても、反対が賛成を大きく上回った。
民法では、20歳未満は親の同意なしには結婚や契約ができない、と定められている。この成人年齢の引き下げは、特に女性で反対60%、賛成31%と、男性(反対51%、賛成44%)以上に否定的意見が目立つ。反対の理由は「判断力が十分でない」(43%)、「経済的に自立していない人が多い」(41%)が多い。一方、賛成の理由では6割が「大人の自覚を持たせられる」を選んだ。
一方、20歳未満を「少年」と定めて保護の対象としている少年法では、対象年齢を「18歳未満に引き下げたほうがよい」が81%で、「20歳未満のままでよい」の14%を圧倒。成人年齢引き下げに反対の人のなかでも約7割が、少年法については「引き下げたほうがよい」としている。
憲法改正に関する国民投票法の制定によって、俄かに注目されはじめている成人年齢の引き下げ議論。今回はこのことについて20歳を成人年齢としたことの由来、諸外国の成人年齢、ならびに私見を述べていきたいと思う。
まず、そもそも日本ではどうして成人の年齢を20歳と規定しているのだろうか。民法4条において「年齢20歳をもって成年とする」という規定があるからだと言われれば確かにそのとおりなのだが、では、どうしてこのような規定になったのかと言われれば、その根拠は実に意外なところにある。
現在の民法が施行されたのが明治31年(1898年)であり、既に当時上記4条の規定は存在していたが、民法が施行される以前から、明治政府によって成人の年齢を20歳と規定していたのである。20歳成人制は、明治9年(1876年)に出された「太政官布告第41号」において、「自今満20年ヲ以テ丁年ト相候」と規定されたのがはじまりとされ、そしてこの太政官布告もその根拠は遠く遡り、大宝律令に求めるのだという。すなわち、大宝律令において納税年齢を数え年で21歳、つまり明治においては20歳と定めていたのを根拠とするのだという。このようにしてみると、民法で単に20歳を成人の年齢と定めてはいるが、実はその由来は遥か以前にまで遡り、日本の歴史をきちんと踏まえたものであって、重みのあるものである。
当時の学説ではこれに加え成人を20歳とした理由を、日本人の平均寿命の短さ(民法が制定された当時の平均寿命が男性42.8年、女性44.3年であり、戦前まで一貫して平均寿命は50年を超えたことはなかった。)、あるいは日本人は早熟である(元服の年齢がおおよそ15歳であったこと等が理由として考えられよう。)ということを理由にしていた。
それでは、諸外国では成人年齢は一体何歳と定めているのだろうか。まず、アメリカの多くの州やイギリス、フランス、そしてドイツやイタリアといった欧米諸国では、18歳を成人年齢としている。なお、EUが設置する欧州議会に対する選挙権も、18歳以上の者に付与されることになっている。
一方、シンガポールやマレーシアといった国々では、日本よりも成人年齢が高く、21歳とされている。韓国、ニュージーランド、タイ、台湾、モロッコ、カメルーンでは、日本と同じく20歳を成人としているという。イランに至っては、15歳を成人年齢としている。このようにしてみると、日本の成人年齢は、諸外国と比較して顕著に高いということではないということが理解できると思われる。
それでは今回の件について私見を述べさせてもらうとすると、私は成人年齢を18歳に引き下げて構わないと考えている。その主な理由は以下のとおり。
①いわゆる「子供の権利条約」において、「児童」とされる年齢を18歳未満とし、18歳未満を子供として定義している。
②児童福祉法4条では、18歳未満を「児童」と定義し、これを保護の対象としている。
③身体的な成長段階をみても、18歳を大人(成人)と扱うことに、格段の不備はないと思われる。
④民法において男性の結婚可能年齢を18歳と規定(731条)している。
①と②については格別言うことはないと思われるが、③については少し付言しておきたい。
私は医科学の分野は全くの門外漢であるため実証的な証明はできないが、老化のはじまりとされる動脈硬化は、実は18歳からはじまるという。動脈効果をもって成人の年齢を決めるなどということは笑われるかも知れないが、しばしば成人年齢引き下げ反対の陣営は、「18歳は身体的にまだ未熟」といったことを主張するが、そんなことはないのではないかという、あくまでも反論として、このことについて言及した次第である。
そして、現に20歳未満の子供であっても、身体の成長は著しい。たとえば平均身長についてみてみると、1910年当時の、現在で言えば高校3年生にあたる男子の平均は159.1cmで、女子の平均は148.8cmであったが、2005年では男子が170.8cm、女子が158cmと、格段に平均身長が上がっていることが分かる(ここ、を参考)。今の高校生をみると、制服を着ていなければ、大学生や社会人と見紛うほど、体つきは成人と比べ見劣りしていない。
④についても意見があるだろう。たとえば、「女性は16歳となっているが、どうして男性を基準に考えるのか」といったフェミニストのような。しかし、私は婚姻可能年齢も成人年齢にあわせ、18歳にすべきと考えているので、これは決して女性を蔑視した上での見解ではないということは明らかにしておく。そうすれば、まどろっこしく「成年擬制」(民法753条)を考える必要もなくなる。
ところで、この記事には、反対する理由を、「経済的に自立していない人が多い」と回答した人があったと書いてあるが、現在では大学進学率だけとってみても約50%であり、18歳の二人に一人は大学に進学している時代である。大学生の多くは経済的に自立していないと思われるが、こうした回答をするのであれば、成人年齢を大学の卒業年齢である22歳に合わせろと主張すべきである。これでは、22歳以下の約二人に一人は成人にしなくてもいいという議論が成立することになってしまう。
どうして18歳で線引きするのかといった問いに応えるのは非常に難しいが、あえて応えるとすれば、日本が批准した条約や諸外国の趨勢が成人を18歳としていることから、日本も成人の年齢を18歳としたほうが、国家間での法的問題の処理が迅速に行える可能性がある、といったところか(といっても、これにそれほどメリットはないし、こうしたことが問題となることも極めて少ないだろう)。これを具体的に言えば、明治期に制定された法例には「人ノ能力ハ其本国法ニ依リテ之ヲ定ム」(3条)と規定されているため、たとえばイギリスの18歳の青年が日本国籍取得した場合、それまでは成人であったのに日本国籍取得のその日から未成年者となってしまう、ということがなくなる。
さらにこれに理由を加えるならば、18歳が身体の成長も一段落し、9割以上の者が進学する高等学校の課程を修了する年齢でもあるので、成人にとって不可欠な知識や能力が身についていると思われるからでもある(かといって高校卒業を成人の要件とするべきとは思えないのは言うまでもない)。
私は成人年齢を18歳に引き下げても、それによって何か弊害が生じるとは思えないし、弊害が主張されたとしても、それは杞憂に終わるだろうと思っている。18歳は精神的に成長できていないと主張する向きもあるが、それでは20歳を待てば精神的に成長することになるのか。そもそも精神的なことを理由に入れると、精神の発達度に応じて成人とすることになってしまう。これではなかには一生成人を迎えず、未成年のままで人生を終える人も出てくるだろう(苦笑)。
そして、民法上未成年者とされる20歳未満の者は、基本的に物事の分別がきちんとできないために、行為能力(自分自身の能力により、たとえば契約などの法律行為の効果を自身に確定的に帰属させる能力。)が制限されている存在なのであるが、18歳~19歳の者が、こうして行為を制限され保護の対象とすることに、私自身の18~19歳の頃を思い出して考えてみても、これに激しい違和感をおぼえる
いかなる制度であっても、その導入までには激しい抵抗に遭ったとしても、実際導入してしまえばそれまでの心配は何事もなかったというようなことは少なくない(ただし外国人参政権や人権擁護法案などは別)。「案ずるより産むが易し」である。成人年齢を引き下げたところで、何ら実生活において支障はないと断言したい。