名古屋市の各区に設定されている史跡散策路のひとつ
西区の「名城いぬい散策コース」の東半分を歩きました
西区の「名城いぬい散策コース」の東半分を歩きました
名古屋城からみていぬい(北西)の方向に広がる散策コース

①富士浅間神社
創建されたのは室町時代前中期の1398年頃
もともと現在の東区にあったものを、名古屋城築城の際(1610年)、境内が浅野幸長の普請場となったことでここに移されたのが、そのまま残ったそうです
人の往来の多い美濃路沿いということで、参拝者も多かったとのこと



②辰ノ口水道大樋
写真撮り忘れました
寛文3年(1663年)尾張藩2代藩主・光友が作らせた名古屋最古の水道幅上下水の名残り
同じようにスマホで地図確認しながら反対側から歩いてきたご夫婦と
「見ただけではよくわかりませんねー」
「絵入りの説明書きが欲しいですねー」
お二人は名古屋城の方へ歩いていかれました
名古屋城天守閣の金シャチが光輝いていました

北西隅櫓
別名:戌亥隅櫓

建築現場で
クレーンの支柱に『一番櫓』
『二番櫓』もありました

車両出入口に『三の門』
勿論、一も二もありました

竹中工務店さん、ナイス!です
来年6月完成予定の新・愛知県体育館
こけら落としは7月の大相撲名古屋場所だそうです

武島天神社
創建は応安元年(1368年)頃
60メートルほど北にある上宿山神社とともに那古野台地(熱田台地)の北端にあったものを、1610年、名古屋城築城の際ここに移したとされます
境内に国府宮はだか祭の幟がありましたがどういう関係なのでしょう?

梅が満開
今年は早いですね


上宿山神社
名古屋城以前の那古野城廃城後の絵図を見ると那古野台地(熱田台地)の北西端の縁に 「天神」、「山神」と書かれており、これが武島天神社と上宿山神社になり名古屋城時代でいうと、天守の北に天神、天守の西に山神という配置になる、らしいです


③興西寺
真宗大谷派の寺院で本尊は阿弥陀如来、応永17年(1411)の創建とされ、清州越しに伴いこの地に移った寺
元禄12年(1699)藩主綱誠の薨去以来、徳川家代々の位牌を安置し葵の紋を許されたとされます
元禄12年(1699)藩主綱誠の薨去以来、徳川家代々の位牌を安置し葵の紋を許されたとされます

④蜂谷宗意宅跡
亨和3年(1803年)京都に生まれた宗意は志野流第15世を継承
明治維新の混乱を避け名古屋に移住
日本独特の芸道・香道を伝えました
現在、蜂谷宗玄氏を20世家元とする志野流香道松隠会が継承し、その伝統を守っています


⑤宗像神社
創建年は不明ながら室町時代中期の1398年の棟札があることからそれ以前に建てられたものということ


建物壁に不思議なタイルがたくさん
表に回ってみたら、もっと奇妙奇天烈なタイルが…
喫茶店らしいですが、入るのが躊躇われる雰囲気でした

浄心寺
この辺りの地名の由来となっている寺ですが
そもそも浄心観音があった場所に現在の浄心寺が建っているようです

お疲れ様でした

今回歩いたコースに点在する寺社はいずれも名古屋城築城に伴い他の場所から移ってきたものでした
昔はお殿様の鶴の一声で神社仏閣、どこへでも移されてしまったんですね
改めてそれらの歴史を学べて収穫の多いウォーキングでした
散策コースのみだと多分2.5kmくらいですが
その前に愛知県図書館から富士浅間神社までと
帰りにあちこち寄り道をしたのでまぁまぁの歩数になりました

まあ、昔は神社参りと参道めぐりがアトラクションな感じだったでしょうから、沢山あるのは当たり前なのかな。
愛知県体育館、来年完成でしたかね、また音楽ライブで行きたいです。名古屋城はいつ木造建築になるのか?ならないかも?
昔々の那古野城の痕跡が全く残っていないこと、徳川の世になってからの街作りで神社仏閣が遷移されたり消えたりして由緒が分らなくなったところが多いこと、残念です。
新体育館はキャパも大きくなるようなのでガイシホールは用済みかも、ですねぇ。
名古屋城の木造建築なんて、どうして思いついたんでしょう?!
建て替えよりコストが安いとのことですが無理だと思います。
河村たかしの引退と共に白紙撤回じゃないかしら。
全くアホな市長で恥ずかしいです。