つぶやき①

みなさん、
2年間応援をありがとうございました。

あなたの性格はどのタイプ?

2006年11月08日 | 心に響く言葉
ブログ・カウンターナンパ





   


          

おはようございます。
今日は11月8日「みずみずしい自分を意識する水曜日です。



   フラダンス(ティモン)

ふりこの如く  松下幸之助さん一日一話
時計のふりこは、右にふれ左にふれる。そして休みなく時がきざまれる。
それが原則であり、時計が生きている証拠であると言ってよい。
世の中も、また人生もかくの如し。右にゆれ左にゆれる。

ゆれてこそ、世の中は生きているのである。躍動しているのである。
しかし、ここで大事なことは、右にゆれ左にゆれるといっても、
そのゆれ方が中庸を得なければならぬということである。
右にゆれ左にゆれるその振幅が適切適性であってこそ、そこから繁栄が
生み出されてくる。

小さくふれてもいけないし、大きくふれてもいけない。
中庸を得た適切なふれ方、ゆれ方が大事なのである。




   子育て(レディー&スキャンプ)

 心に響く言葉

悲観的な人は、
風向きが変わると、
不平を言う。

楽観的な人は、
そのうち変わるだろうと、
期待をする。

現実的な人は、
帆の向きをちゃんと合わせる。

(ウィリアム・アーサー・ワード)

shuさんのコメント

あなたは、自分について、
そのうちのどれだと思いますか?

あなたの周りには、
どのタイプが多いですか?

悲観的な人ばかりが多いと、
おそらく、その組織はたいへん
でしょうね。自分の面倒を
見て欲しい人ばかりが多くて…

だいたいにおいて、
風向きが変わったときに、
求められる行動や決心というのは、
ささいな場合が多いと思います。

しかし、風向きが変わった時に
必要な対処をしないで、
かなり進んでしまった後では、
それこそ大きな行動や決心が
求められることになるのです。

それを知ってか知らないでか、
不平を言う人々は、いつまでも
不平を言う役割を買って出てくれます。
実際のところ、退場して欲しい
くらいなのですが…

癖というのは、
なかなか治らないものです。
言動も、考え方も、
自分が一度選んだものを
自然と続けようとしますから。

注意してくださいね。


    

いい言葉ねっとより転載しました。



ベビーシッター(とんすけ)

 今日のオマケ

一年前の8日の記事は 経験 と言ういい言葉ねっとの紹介でした。

わたしは自分の経験したことに基づいて語り、
皆さんも自分の経験に基づいて聞きます。
これが意志疎通の難しさのゆえんです。
(デビッド・O・マッケイ)


是非伝えたい -病気から学んだこと-
周囲の人を大切にする前に自分を先ず大事にしないといけない。一番は自分。
自分を可愛がり、大事にできない人は周囲を幸せに出来ない。
自分を大事にすることと「エゴ」は違う。がんばることと「無理をすること」も違う。

健康な人は大きく羽ばたいて
弱い人を助けてあげて欲しい・・・これが私の願いです。
みんなが力をあわせ助け合えば、みんなが幸せになれるんです。未歩♪





        



          たのしい一日でありますように。
          



  






      





道草さんに教えていただいた詩②

2006年11月08日 | その他(疑問・バトン・検索)
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  コメント欄に書いてくださった詩を
  集めて残すことにいたしました。
 道草さんのブログ


「去りゆく五月の詩」   三木露風

われは見る。
廃園の奥、
折ふしの音なき花の散りかひ。
風のあゆみ、
静かなる午後の光に、
去りゆく優しき五月のうしろかげを。

空の色やはらかに青みわたり
夢深き樹には啼く、空しき鳥。

あゝいま、園のうち
「追憶(おもひで)」は頭(かうべ)を垂れ、
かくてまたひそやかに涙すれども
かの「時」こそは
哀しきにほひのあとを過ぎて
甘きこゝろをゆすりゆすり
はやもわが楽しき住家(すみか)の
屋(おく)を出でゆく。

去りてゆく五月。
われは見る、汝(いまし)のうしろかげを。
地を匐(は)へるちいさき蟲のひかり
うち群るゝ蜜蜂のものうき唄
その光り、その唄の黄金色なく
日に咽(むせ)び夢みるなか……
あゝ、そが中に、去りゆく
美しき五月よ。

またもわが廃園の奥、
苔古れる池水の上、
その上に散り落つる鬱紺(うこん)の花、
わびしげに鬱紺の花、沈黙の層をつくり
日にうかびたゞようふほとり--

色青くきらめける蜻蛉(せいれい)ひとつ、
その瞳、ひたとただひたと瞻視(み)む。

ああ去りゆく五月よ、
われは見る汝(いまし)のうしろかげを。

今ははや色青き蜻蛉の瞳。
鬱紺の花。
「時」はゆく、真昼の水辺(すいへん)よりして--

(2007.05.30)


「初々しさ」  坂村真民

初咲きの花の
初々しさ
この一番大切なものを
失ってしまった
わが心の悲しさ
年々歳々花は咲き
年々歳々嘆きを重ね
ことしも初咲きの
花に見入る

(2007.03.19)



「早春」  泉 漾太郎

空を見たらば
ながれる雲が
ふわり ふわりと
あたたかい

春がきたなと
思うたせいか
流れ雲さえ
あたたかい

遠い山には
まだ雲アあるが
雲は ふわりと
あたたかい

野良さ出たらば
畑の土が
ざくり ざくりと
やわらかい

春がきたなと
木の芽を見たら
えくぼ みたいに
やわらかい
   
村の老人(としより)ヤ
着ぶくれてるが
土も木の芽も
やわらかい

春は空から
野良から春は
うんにゃ みんなの
気持から

(2007.03.13)



「ひなの日は」  堀内幸枝

春になると小川の水がとけましょう
長く長くつづきましょう
ひなの日は やわらかい日ざしに 真白い蝶がまいましょう
わたしは小川のふちで 長い髪をゆいましょう
ひな酒に赤くほおを染めましょう
それから 髪に桜かざして 平安朝の 乙女みたいに
あなたに合いに 行きましょう

(2007.03.05)


雪明りの路」  伊藤 整

かすかな嵐の音がする。
夕暮れ五時
風がそうつと 雪のくぼみや木の根にまつはり
凍てついた道を越えて
冷たく硝子戸をならす。
まだ明かりはつかず 女は薄暗い台所に忙しく
黒い外套の人が
帰り着いて戸口をあける。
街ではかなしい豆腐売の笛がなる。
夕方鋭い空気のなかに
遠くで 心の及ぶ限りの遠くの野で。
風が林に入る音だよ。

山がなる 山がなる。
谷も道も平らになつて
雪が真白に 小さな生物みたいに狂つてゐる。
その中に時折見えるのは
すつかり裸になつた落葉松の林だ。
母よ 硝子といふ硝子には
白く雲がかゝり
何時夕暮れがやつて来たのか
時計は漸く四時をうつたが
貧しい洋燈(ランプ)の灯をともそ。
畳の古んだ部屋で
兄弟はみな炬燵に入り
母は台所で夕げの支度をする。
弟らよあの音をきけ
あの吹雪を。
こんな晩は早く寝るのだよ。

<武田教授の言葉から>
でもね やがて桜も咲くし
たんぽぽも咲きますよ。
あの雪が消えてしまふと
一面に黄色になつて
おてんと様と雲雀とが
揺るを見合ってゐるやうな日が続きますよ。
まあ それまでお待ちなさい
それは夢のやうに来ますよ。

(2007.02.05)



「冬」   沢木隆子

雪はやんわりと降り積もる。
ゆすぶれば嬰児のこころに微妙な秘密を
きかせたオルゴールのふるさと、
わたしの恋の噂は こんなに遠くまで、 この
生まれた家のいろりのはたにまで うす冷たく
散るのだらうか、
白くすなほに、かくも ひそひそと雪は積もる
ふるさとに。

(2007.01.30)


「ゆきは」   あおうま まゆみ

ゆきは
ほんのり つもるのがいい
ふるえる肩に
モヘアのストールをかけられた街は
はにかむよう
ゆきは
ほんのりつもるのがいい

ゆきは
てのひらで
しずかにとけるのがいい
空の一番の高みでできた
あやうい結晶が
わたしにかえり
肉のぬくみで
しずかにとけるのがいい

ゆきは
かなしみのように

(2007.01.23)



「子守歌」   室生犀星

雪が降ると子守歌がきこえる
これは永い間のわたしのならわしだ
窓から戸口から
空から
子もりうたがきこえる。
だがわたしは子もりうたを聞いたことがない
母というものを子供のときにしらないわたしに
そういう唄の記憶があろうとは思えない。
だが不思議に
雪のふる日は聴える
どこできいたこともない唄がきこえる。

(2007.01.15)

「元旦」   新川和江

どこかで
あたらしい山がむっくり
起きあがったような……

どこかで
あたらしい川がひとすじ
流れ出したような……

どこかで
あたらしい窓がひらかれ
千羽の鶴が放されたような……

どこかで
あたらしい愛がわたしに向かって
歩きはじめたような……

どこかで
あたらしい歌がうたわれようとして
世界のくちびるから「あ」と洩れかかったような……

(2007.01.05)


「十二月の贈物」   佐川亜紀

きっと くるよ
待ってて 何かがきっと
心に夢を入れる靴下をつるそう
地球を一生懸命歩いたボロ靴下を
曲がり角で恋にリンク
Eメールで届くとびきりホットな言葉
雪がめくる思い出の一ページ
願いはゆっくりふくらむ
モミの木が大きな時のゆりかごで
ゆったり伸びるように
チキンの骨をかんじゃって
骨と皮の細い足の子が
こごえるクリスマスを迎えていること
なくしてしまったたくさんの鳥たちが
歯にしみる
あの子にも あの鳥にも 言えたなら!  
きっと くるよ
待ってて
厳しい寒さの月の贈物
命そのものがプレゼント
悪意がクラッカーみたいにはじけても
世界がパンドラの箱だとしても
あなたを待っている
あなたが金色のリボンをとははなち

(2006.12.22)


「不思議に鮮やかな」  黒田三郎

木枯の吹き寄せた
落葉の下から
思いがけないなくし物が
出て来た時のように
それは不意に
忘却の底から姿をあらわす

遠い日のある一瞬の
不思議に鮮やかな記憶
それが何故なのか
それにどんな意味があるのか
ささやかと言えば
あまりにもささやかなこと

ひとり旅の汽車の窓から見た
夏の人影もない白い田舎道
空襲のあとのプラットホームできいた
明るい口笛の一節
霧の夜の谷間ですれ違ったひとの
ほのかな香水の匂い

(2006.12.11)


「くりやき」   横瀬夜雨

ほだ が まつかに
もえて ゐた。
母(かあ)さん きものを
ぬつて ゐた。

ゐろり の 灰に
くり 三つ うめた
早く やけろと
にらめ てた。

いつの まにやら
ねむく なつた
知らずに ね床に
はこばれた。

あした 起きると
灰かき立てた
くろい だんごに
なつて ゐた。

(2006.11.27)


「洛北大原行」   木下利玄

晩秋の一日思ひ立ちて、京都より大原の奥を訪ぬ
おし黙る一人の歩み昼たけて八瀬大橋を渡りけるかも
先づ三千院へ
大原の三千院に行きつきて靴ぬぎたれば汗ばみ冷えつ
小坊主の後より入りつ往生極楽院浄らにつめたみ虔ましもよ
山の堂しゞまの深みに物言ひしあとの幽けさ身を省みる
山もとづたひに寂光院へ
寂光院の床ふむにつべたみそゞろに見る阿波の内侍のはりぼての像
お堂出づれば只今の間に日はかくれ雨の粉ちれり大原の峡に
庵室の障子あけてみれば日はかげり又日は照るも大原の峡に
庵室の障子に午后の日あかるく山の底冷え膝に感ずる
庵室の障子あかるき午后にして茶を汲む尼の頬の紅きこと
寂光院の尼の頬あかき午后にして日は照り雨の粉ちりにけり
峽小田は大方苅られ大原山黄葉残る木々を渡る風あり
女院の山のみさゝぎ夕照れり京都へのかへりをいそぎて拝す
帰るさ
月夜になり昼間あるきし三里のみちつゆけくあかるし俥にてかへる
月夜にゆく道のかたはらの槙林しめらにさやぎて又しづまりつ

(2006.11.20)



「かなしくなったときは」   寺山修司

かなしくなったときは
海を見にゆく

古本屋のかえりも
海を見にゆく

あなたが病気なら
海を見にゆく

こころ貧しい朝も
海を見にゆく

ああ 海よ
大きな肩とひろい胸よ

どんなつらい朝も
どんなむごい夜も
いつかは終る

人生はいつか終るが
海だけは終らないのだ

かなしくなったときは
海を見にゆく

一人ぼっちの夜も
海を見にゆく

(2006.11.13)


「蜻蛉に寄す」   中原中也

あんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉が 飛んでゐる
淡い夕陽を 浴びながら
僕は野原に 立つてゐる
 
遠くに工場の 煙突が
夕陽にかすんで みえてゐる
大きな溜息 一つついて
僕は蹲んで 石を拾ふ
 
その石くれの 冷たさが
漸く手中で ぬくもると
僕は放(ほか)して 今度は草を
夕陽を浴びてる 草を抜く
 
抜かれた草は 土の上で
ほのかほのかに 萎えてゆく
遠くに工場の 煙突は 
夕陽に霞んで みえてゐる

(2006.11.06)

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