つぶやき①

みなさん、
2年間応援をありがとうございました。

道草さんに教えていただいた詩 ①

2006年05月01日 | その他(疑問・バトン・検索)

ブログ・カウンターナンパ


 


  コメント欄に書いてくださった詩を
  集めて残すことにいたしました。
 道草さんのブログ






「菊の花」   灘波田龍起

北向きの暗い室(へや)から出て見ると
ぱつと眼を射られるのは菊の花
そのかたまりは心を摑む
摑まれたまゝに
僕は動けない
何でもない真白なかたまりなんだが

(2006.11.03)


「山の少女」   高村光太郎

山の少女はりすのやうに
夜明けといつしよにとび出して
籠にいつばい栗をとる。
どこか知らない林の奥で
あけびをもぎつて甘露をすする。
やまなしの実をがりがりかじる。
山の少女は霧にかくれて
金茸(きんだけ)銀茸むらさきしめぢ
どうかすると馬喰茸(ばくらうだけ)まで見つけてくる。
さういふ少女も秋十月は野良に出て
紺のサルペに白手拭、
手に研ぎたての鎌を持って
母(がが)ちやや兄(あんこ)にどなられながら
稗を刈ったり粟を刈る。
山の少女は山を恋ふ。
きらりと光る鎌を引いて
遠くにあをい早池峯山が
ときどきそつと見たくなる。

(2006.10.30)


「前へ」  大木 実

少年の日読んだ「家なき子」の物語の結びは、
こういう言葉で終っている。
――前へ。
僕はこの言葉が好きだ。

物語は終っても、僕らの人生は終らない。
僕らの人生の不幸は終りがない。
希望を失わず、つねに前へ進んでいく、
物語のなかの
 少年ルミよ。
僕はあの健気なルミが好きだ。

辛いこと、厭なこと、哀しいことに、出会うたび、
僕は弱い自分を励ます。
――前へ。

(2006.10.23)


「コスモス咲く道」   川滝かおり

ここに立てば
子供のころ聞いた
父のことばを思い出したりする
父のしぐさや
得意の絵がかいてある葉書を
なつかしく思い出したりする

白いコスモスの咲く道

もう手紙は届いただろうか
  おとうさん
  結婚したいんです
なぜあなたのもとを
こうして 離れて
なぜあなたを怒らせてしまうのか

コスモスのゆれる道に
ひとり立っている
おとうさんの愛を
たくさんもらったわたし
あなたの娘

(2006.10.16)


「里ごころ」  北原白秋


笛や 太鼓に さそはれて、
山の祭に 來て見たが。
 
日暮は いやいや 里戀し
風吹きや 木の葉の 音ばかり。

かあさま戀しと 泣いたれば、
どうでも ねんねよ おとまりよ。
 
しくしくお背戸に出て見れば、
空には寒い あかね雲。

かりかりさをになれ さきになれ、
お迎いたのむと 言ふておくれ。

(2006.10.09)


「秋」  高橋元吉

秋が来た
空を研ぎ雲を光らせて
浸み入るようにながれてきた
すべてのものの外皮が
冴えわたって透きとほる
魂と魂とがぢかにふれあふ
みな一様に地平の涯に瞳をこらす
きみはきかないか
万物が声をひそめて祈ってゐるのを
どこかに非常にいい国があるのを感じてゐるのだ !

(2006.10.02)


「秋思」   島崎藤村

秋は来ぬ
  秋は来ぬ
一葉は花は露ありて
風のきて弾く琴の音に
青き葡萄は紫の
自然の酒とかはりけり
 
秋は来ぬ
  秋は来ぬ
おくれさきだつ秋草も
みな夕霜のおきどころ
笑ひの酒を悲みの
盃にこそつぐべけれ
 
秋は来ぬ
  秋は来ぬ
くさきも紅葉するものを
たれかは秋に酔はざらめ
智恵あり顔のさみしさに
君笛を吹けわれはうたはん

(2006.09.26)


「百千の」   伊東静雄

百千の草葉もみぢし
野の勁(つよ)き琴は 鳴り出づ
 
哀しみの
熟れゆくさまは
酸き木の實
甘くかもされて 照るに似たらん
 
われ秋の太陽に謝す

(2006.09.18)


「秋」  おーなり由子

突然すずしくなったので、さびしい
くもり空
網戸をあける音が
からからの空に
からからとはねかえる

洗濯物をとりいれる時刻
もうすぐ
夕方が物干しざおに
ひっかかる時間

もうすぐ
夕方が物干しざおに
ひっかかって ぐるんと
まえまわりする時間
くすくすとわらう時間

(2006.09.11)


「夏の終り」   伊藤静雄

夜來の颱風にひとりはぐれた白い雲が
氣のとほくなるほど澄みに澄んだ
かぐはしい大氣の空をながれてゆく
太陽の燃えかがやく野の景觀に
それがおほきく落す靜かな翳は
……さよなら……さやうなら……
……さよなら……さやうなら……
いちいちさう頷く眼差のやうに
一筋ひかる街道をよこぎり
あざやかな暗緑の水田の面を移り
ちひさく動く行人をおひ越して
しづかにしづかに村落の屋根屋根や
樹上にかげり
……さよなら……さやうなら……
……さよなら……さやうなら……
ずつとこの會釋をつづけながら
やがて優しくわが視野から遠ざかる

(2006.09.04)


「晴間」   三木露風

八月の 山の昼
明るみに
雨そそぎ
遠雷の
音をきく。

(2006.8.28)


「なつめ」   薄田泣菫

棗(なつめ)の枝をゆすったら、
黄金(こがね)の色の実が落ちる。
妹が一人あったなら、
夏は二人でうれしかろ。

一人はあった妹は
いつやら遠い国へ往(い)った。
知らぬ木陰でこのように、
夏は木の実を拾うやら。

(200.08.21)


「迎え火」 北原白秋

かへろが啼くよ、
遠い田の水に、
迎へ火しましょ。
 
出た出た月が、
をりるな夜露
苧がらがしめる。
 
おとさまござれ、
おかさまござれ、
おぼんが來たに。

すずかぜ吹くに、
親なし鳥も、
ほろほとなくに。

(2000.08.14)


「生ましめんかな」──原子爆弾秘話──   栗原貞子

こわれたビルデングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめていっぱいだった。
生ぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女が
産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と云ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
已(おの)が命捨(いのちす)つとも

(2005.08.08)


「夏休み」  高丸もと子

カレンダーより先に
蝉がリハーサルすると
その日の入り口に立って
飛び込む用意をしている。

うれしいことって
はじめは
少しだけがいい

夏が終わるなんて
今はだれも
信じていないから

(2006.7.31)


「ふるさと」  大木惇夫

あさかぜに
こほろぎなけば、

ふるさとの
水晶山も
むらさきに冴えたらむ、

紫蘇むしる
母の手も
朝かぜに白からむ。

(2006.07.26)


「田舎の夕暮れ」   尾崎喜八

水際に生い茂った赤楊(はんのき)には
野葡萄の青い蔓や葉がからみ、
どくだみの白い花と
露草の浅黄の花の咲いた草むらの裾を濡らして、
小川がけふも鳴っている、
ゆるやかな、底ぢからのあるヴィオロンセロの音で。
田舎の夏の夕方の
美しい空、美しい雲ですね。

村の質朴な学校は
もうとっくに授業が終わって、
青葉に包まれた運動場には
小さな木馬が隅の方でおとなしく、
三本の背の高いポプラが無数の葉をそよがせている。
その涼しい校庭で、宿直の先生が
年寄りの小使さんと何か話をして笑ってゐる。
もうぢき暑中休暇の来る楽しい七月の、
美しい空、美しい雲ですね。

麦打ちが済んだあとの、
金いろの麦の穂が散らばってゐる
農家の踏みかためられた仕事場で、
若い百姓の女達が筵をかたづけたり、
からだをはたいたりしてゐる。
健康な生き生きした目、太い腕。
黒くすすけた母屋(おもや)の台所から
竈(かまど)の煙が紫に立ち上る。
暑い一日の熱心な労働がねぎらはれる時の、
美しい空、美しい雲ですね。

この田舎にひろがってゐる
神聖な平和をたたへませう。
万物が、今更に神の栄光を感じてゐるやうな、
この粛然たる、しかも伸び伸びした
静けさと安けさとに浸かりませう。
まるであのベートーフェンの
パストラール  シンフォニーのアダジオのやうに、
二人の静かな心にふさはしい時ですね。
そして、考えて見れば
私達の七月がまた来たのですね、
かずかずの思い出に満ちた七月が。

お互いに精励して、正しいりっぱな者になりませう。
ごらんなさい、頭の上を、あの高いところを。
私達の魂の欲しいとあこがれてゐるものを
残らず与えてくれるやうな七月の夕暮れの
美しい空、美しい雲ですね。

(2006.07.17)


「蓮華と子供」  白鳥省吾

そよ風もない夏の真昼
しんとして日が燃える
止まった水車小屋のまへの泥田に
青々した蓮の葉が繁り
たヾ一輪の蓮華が咲いている。

焼けるやうに熱い路を
跣足であるいてきた子供が
ちょいと蓮華の花に目をつけて
こっそりと猫のやうに歩み寄る。

眩しいほどの清い美にうたれて
魂は自ら微笑む、涼しくなる
子供は深い泥に足を入れ
こっそりと蓮華の花を折る。

「誰れだ、誰れだ」
水車小屋から頭を出した百姓はどなる
子供は蓮華の花を持って
白く光る路を一散にかける。

子供はどこへゆく
その家は裏街の貧民窟にある
花を挿す瓶さへない
けれども遠く一散にかける。

(2006.07.11)


「七夕の笹」   金子みすず

みちを忘れた子雀が、
濱でみつけた小笹藪。

五色きれいな短冊は、
藪のまつりか、うれしいな。

かさこそもぐつた藪のなか、
すやすやねんね、そのうちに、
お宿は海へながれます。

海にしづかな日が暮れりゃ、
きのふのままの天の川。

やがてしらじら夜があけて、
海の最中(まなか)で眼をさます、
かはい子雀、かなしかろ。

(2006.07.05)


「七月二日・初蝉」  伊藤静雄

あけがた
眠りからさめて
初蝉をきく
はじめ
地蟲かときいてゐたが
やはり蝉であつた
思ひかけず
六つになる女の子も
その子のははも
目さめゐて
おなじやうに
それを聞いてゐるので
あつた
軒端のそらが
ひやひやと見えた
何かかれらに
言つてやりたかつたが
だまつてゐた


*地蟲=地虫(じむし)です。蟲は古い漢字です。
甲虫目コガネムシ科の食菜類の幼虫の俗称。
または、螻蛄(けら)の鳴く声だと言われこともあります。
この詩の場合は「地中に棲む虫の総称」で、<ジー、ジー>と地味な鳴き声の
描写と考えればよいと思います。

(2006.07.03)


「狐雨」 竹久夢二

何処から北やら、南やら、
狐の嫁入り鼬が媒人、
二十日鼠が三升樽さげて、
奥の細道ぶらぶらゆけば
雲もないのに雨が降る。
雨が降る。

(2006.06.26)


「雨へ」  竹久夢二

お墓のうへに雨がふる。
あめあめふるな雨ふらば
五重の塔に巣をかけた
かはい小鳥がぬれようもの。
松の梢を風がふく。
かぜかぜふくな風ふくな
けふ巣だちした鳶の子が
路をわすれてなかうもの。

(2006.06.26)


「すずかぜ」  新川和江

すずかぜが吹いてくると
庭の池や 窓ガラスや
ミズキの葉っぱの一枚一枚までが
ぱっちりと 澄んだ目をひらきます。
けだるい午後に ねそべっていた心が
いきいき起きあがり いずまいを正します
すずかぜが通っていったあとは
町も ひとも 池の水も 草木たちも
せいせいとした
とてもいい顔をしています

(2006.06.21)


「すみれぐさ」  三好達治

春の湖相逐ふうへにおちかかる
落日の――いま落日の赤きさなかに
われは見つ
かよわきすみれぐさひとつ咲けるを
もろげなるうなじ高くかかげ
ちひさきものもほこりかにひとり咲けるを
ここすぎて
われはいづこに帰るべきふるさともなき
落日の赤きさなかに――

(2006.06.19)


「初夏」 高階杞一

郵便屋さんがくる
山の上からゆっくりと
夏をつれて下りてくる
水を張った田んぼには
白い雲が落ち
みどりの苗が
文字のように並んでる

あれは
誰への手紙だろう

ゴメンネ 遅クナッテ

声がして

遠い
はるかな所から
郵便屋さんがやってくる
ぼくのポストへ
一歩一歩
夏といっしょにやってくる

(2006.06.12)


「乳母車」   三好達治
 
母よ──
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
りんりんと私の乳母車を押せ

赤い総ある天鵞絨の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知ってゐる
この道は遠く遠くはてしない道

(2006.06.09)


「六月」   佐藤惣之助

六月よ おまへは窓の乙女だ
そよ風が来てよい匂ひをつける。

そよ風よ おまへは小舟と小波だ
夫(そ)れは乙女の胸のやうに揺れる。

乙女よ おまへは祭りの日の靴だ
足許には花の撒かれた道がある。

路よ おもへは乙女の口髭だ
チョッピリすみれの影がさす。

すみれよ おまへは昔の唄だ
思ひ出してはすぐしぼむ。

日光よ おまへは乙女の預金だ
あこがれを空いつぱいに持つ。

(2006.06.05)


「われは草なり」   高見 順

われは草なり
伸びんとす
伸びられるとき
伸びんとす
伸びられぬ日は
伸びぬなり
伸びられる日は
伸びるなり

われは草なり
緑なり
全身すべて
緑なり
毎年かはらず
緑なり
緑の己れに
あきぬなり

われは草なり
緑なり
緑の深きを
願ふなり

あゝ 生きる日の
美しき
あゝ 生きる日の
楽しさよ
われは草なり
生きんとす
草のいのちを
生きんとす

(2006.05.24)


「あい」谷川俊太郎

あい 口で言うのはかんたんだ
愛  文字で書くのもむずかしくない

あい 気持ちはだれでも知っている
愛  悲しいくらい好きになること

あい いつでもそばにいたいこと
愛  いつまでも生きていてほしいと願うこと

あい それは愛ということばじゃない
愛  それは気持ちだけでもない

あい はるかな過去を忘れないこと
愛  見えない未来を信じること

あい くりかえしくりかえし考えること
愛  いのちをかけて生きること

(2006.05.19)







作成日:2006.6.5