モンゴル四日目。
上の写真はゲル。ほとんどのゲルに写真のように、太陽電池とパラボラアンテナがある。
太陽電池の向きは手動で変えていた。
この日に朝に、モンゴルの人には日常の、私にとっては非日常のイベントがあった。
羊の解体だ。この日の夜のご馳走になるのだ。
私は解剖気分で見入ってしまった。
夜、解体した羊を食べるとき、Tさんに教わったのだが、
食事のときの「いただきます」は「命をいただきます」という意味なのだという。
深く深く納得した。他者の命を奪って自分の今の生がある、ということを少しは実感できたような気がした。
解体しながらの観察、そしてその命を食べる…こんな授業をしたいものである。
以下はそのときの写真。解体前。羊に名前はつけないのだという。名前があったら食えないよね。
目が青緑色に写っている。人間の場合は、網膜にロドプシンという感光物質を含むので写真には目が赤く写ることがある。羊の網膜は感光物質が人間とは違うのだろうか?
最初は胸にナイフを入れる。途端に切れ目から大きな袋状の内蔵がはみ出てくる。後で聞いたら胃だという。
次の写真は、肉と皮の間に拳を突っ込んで、皮をはがしているいるところ。皮のはがし方が、以前大藪春彦の小説で読んだそのまんまだった。うれしかった。
内蔵をすべて取り除かれてしまった。
ポリ容器に入れられた内蔵。
上が上顎、下は下顎。左に足が写っている。ひづめが二またになっていることから、牛と同じ偶蹄目(最近はウシ目という)であると解る。
地元の女の子が、下顎についていた舌を引っ張って持ち上げている。逞しい!
すっかり解体されてしまった。
作業の最後まで、血を一滴もこぼさない。見事だった。
上の写真はゲル。ほとんどのゲルに写真のように、太陽電池とパラボラアンテナがある。
太陽電池の向きは手動で変えていた。
この日に朝に、モンゴルの人には日常の、私にとっては非日常のイベントがあった。
羊の解体だ。この日の夜のご馳走になるのだ。
私は解剖気分で見入ってしまった。
夜、解体した羊を食べるとき、Tさんに教わったのだが、
食事のときの「いただきます」は「命をいただきます」という意味なのだという。
深く深く納得した。他者の命を奪って自分の今の生がある、ということを少しは実感できたような気がした。
解体しながらの観察、そしてその命を食べる…こんな授業をしたいものである。
以下はそのときの写真。解体前。羊に名前はつけないのだという。名前があったら食えないよね。
目が青緑色に写っている。人間の場合は、網膜にロドプシンという感光物質を含むので写真には目が赤く写ることがある。羊の網膜は感光物質が人間とは違うのだろうか?
最初は胸にナイフを入れる。途端に切れ目から大きな袋状の内蔵がはみ出てくる。後で聞いたら胃だという。
次の写真は、肉と皮の間に拳を突っ込んで、皮をはがしているいるところ。皮のはがし方が、以前大藪春彦の小説で読んだそのまんまだった。うれしかった。
内蔵をすべて取り除かれてしまった。
ポリ容器に入れられた内蔵。
上が上顎、下は下顎。左に足が写っている。ひづめが二またになっていることから、牛と同じ偶蹄目(最近はウシ目という)であると解る。
地元の女の子が、下顎についていた舌を引っ張って持ち上げている。逞しい!
すっかり解体されてしまった。
作業の最後まで、血を一滴もこぼさない。見事だった。
イノシシの件はよくわかりません。
どうなのでしょうか?
毎年冬になると新しい動画が上がるのも楽しみで、その後の解体作業手順など尺の制約のあるTV番組などでは到底不可能な動画で、ホントにyoutubeはありがたいです。
そこで、イノシシの解体では皮剥ぎ作業に誰も難渋してるようですが、此の拳でを肉と皮の間に突っ込んで剥ぐモンゴル式は、イノシシには通用しないのかが知りたいです。
『ヘッドハンター』のことじゃないですか?
大藪文学の中でも屈指の名作ですよね。
と思いながらも恐る恐る見てしまいました。
血の一滴も、ムダに流さないのはみごとですね。
わたしは、ふだんは菜食で肉は食べないのですが、もしこの現場にいたら、ありがたく食べる気になったかも知れないと思いました。
下痢で苦しんでもね(笑)
さわやかな旅の報告をありがとうございます。
こういうの苦手な人もいますからね。
トンカツも、しゃぶしゃぶも、焼き鳥も、
みんな生きていた!
パック詰めの肉しか見てないからね、
私たちは、
文頭で書いたほうがいいかもね。
わたしは(内蒙古だけど)行った事もあるし、
羊肉が好きで、解体も見た事あるから
抵抗はないケド。。。
知らないで見る人の感じ方は分からないから。
さてさて、わたしの感想。ハイ。
わたしは個人的にとても美味しそうだと思った。
そして、食べる事への敬意を感じた。
純粋にそういう経験ができたのがうらやましいデス。