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2020年、東京オリンピックの開催によって東京・首都圏はどう変わるか PART2

2014年05月10日 08時00分00秒 | 都市の時代と、東京


2013年9月7日の早朝、午前5時過ぎに2020年に開催される夏季オリンピックの開催都市が東京に決定しました。アルゼンチンのブエノスアイレスで開催された第125回IOC総会で、2020年夏季オリンピックの開催地を決定する投票が行われ、3都市(東京・イスタンブール・マドリード)の中からIOC委員の投票によって東京が開催地に決定しました。当時の日本国内では、福島第一原発でレベル3相当の重大な原子力事故が発生するなど外国からの日本の印象が極めて悪化していた時期であり、私個人的にも東京は無理だろうなと諦めていたのですが、何とか東京に決定されました。この経過をレポートしていきます。

2020年の東京オリンピック開催決定までの経緯
2009年
・10月初旬、2016年夏季オリンピックの開催地がリオデジャネイロに決定し、東京は2回目の投票で敗れた。
・広島市と長崎市が広島・長崎オリンピック構想を表明したが、同年12月に国際オリンピック委員会(IOC)により却下。

2011年
・4月、東京都知事選挙で再選された、石原慎太郎が2020年夏季オリンピックへ再度立候補の意欲を表明。
・6月、日本オリンピック委員会(JOC)会長の竹田恒和やオリンピック選手が都庁に石原を訪ね、2020年夏季オリンピックへの立候補を懇願。
・7月中旬、IOC会長ジャック・ロゲらが臨席の下開かれた日本体育協会・日本オリンピック委員会創立100周年記念式典後のレセプションで、東京都が日本オリンピック委員会へ立候補の確約書を提出したことを表明する。東日本大震災の被災3県(宮城・岩手・福島)の知事も東京の立候補に賛同する談話を発表した。
・9月2日、前日に立候補を締め切った国際オリンピック委員会が、東京、ローマ、マドリード、イスタンブール、ドーハ、バクーの6都市から立候補を受け付けたと発表する。
・9月15日、「東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会」が設立。理事長にJOC会長の竹田、事務総長に副会長の水野正人が就任した。
・10月中旬、東京都議会が2020年夏季オリンピック・パラリンピックの東京招致を求める決議案を賛成多数で可決した。
・同じく10月中旬、文部科学省が省内に招致対策本部を設置。
・12月初旬、衆議院本会議において、第三十二回オリンピック競技大会及び第十六回パラリンピック競技大会東京招致に関する決議が賛成多数で可決。翌7日には参議院においても同決議が賛成多数で可決された。
・同じく12月初旬、国際オリンピック委員会の理事会においてプレゼンテーションや立候補都市への現地視察を行う順番を投票で決め、イスタンブール、東京、ローマ、バクー、ドーハ、マドリードの順になった。
・12月13日、政府が2020年オリンピック・パラリンピック東京招致を閣議了解。

2012年
・2月中旬、日本はIOCへ大会の概要計画を記した申請ファイルを提出。
・同じく2月中旬、申請ファイルの提出期限日。東京のほか、イスタンブール、バクー、ドーハ、マドリードが提出を済ませ、ローマは財政難を理由に辞退した。そして、招致委員会が申請ファイルの内容を公表。
・4月、モスクワで開かれた各国オリンピック委員会連合 (ANOC) の総会で各申請都市が初のプレゼンテーションを行い、2番目にプレゼンテーションを行った東京はJOC会長の竹田、アテネオリンピック競泳800メートル自由形金メダリストの柴田亜衣、モントリオールオリンピック女子バレーボール金メダリストで招致委員会スポーツディレクターの荒木田、招致委員会専務理事の水野が登壇した。
・5月中旬、カナダのケベックシティで開かれた国際オリンピック委員会の理事会において、立候補していた5都市の中から開催能力があると認められたイスタンブール、東京、マドリードの3都市が正式立候補都市に選出された。
・7月~8月にかけて、2012年の夏季ロンドンオリンピックが開催される。日本選手団は史上最多の38個のメダルを獲得する。

2013年
・1月、東京招致委員会が東京都庁で記者会見を開き、IOCに提出した立候補ファイルの内容を公表した。また、JOC会長の竹田が首相官邸を訪ね、前年12月に内閣総理大臣に就任した安倍晋三と会談し、安倍は招致委員会の最高顧問への就任打診を承諾し、「安倍内閣として全力を挙げる」と述べた。
・3月4日、IOC評価委員会による現地視察の日程がスタートし、3都市の中で最初に東京都の視察が始まった。視察初日は、午前にクレイグ・リーディー委員長ら14人の評価委員と、内閣総理大臣の安倍、日本オリンピック委員会の竹田、東京都知事の猪瀬、財務大臣で招致推進議員連盟の会長を務める麻生太郎らが出席して公式歓迎行事が行われ、大会の基本計画や理念に関するプレゼンテーションや質疑が行われた。午後には評価委員会と徳仁皇太子による接見行事が行われ、その後は競技施設の視察を行った。
・3月6日、現地視察3日目は宿泊施設や交通についての質疑が行われた。午後には競技施設の視察を経て、迎賓館において安倍が主催の晩餐会が行われた。
・3月7日、現地視察最終日は環境やセキュリティーに関する質疑が行われた。午後には評価委員会が記者会見を行い、東京の現地視察の日程が終了した。
・4月27日、東京都知事の猪瀬がニューヨーク・タイムズによるインタビューの中で、同じく立候補しているイスタンブールを指し、「イスラムの国は互いにけんかばかりしている」などの発言をしたことが国内外で大々的に報じられ、問題視された。
・6月25日、立候補都市を現地視察した評価委員会が、視察の結果を基に各都市の長所と短所を併記した評価報告書を公表した。東京は財政や治安などで高い評価を受けたほか、1次選考の際に指摘を受けた電力供給や世論の支持の低さ、津波や地震への安全対策についても解決または適切な対策が採られているとして、開催能力については大きな指摘はなかった。
・7月3日と4日、スイスのローザンヌにおいて立候補都市によるIOC委員への開催計画説明会が行われた。東京のプレゼンテーションには財務大臣の麻生や東京都知事の猪瀬、フリーアナウンサーの滝川クリステルらが登壇した。
・9月7日(日本時間8日)、ブエノスアイレスで開かれた第125次IOC総会でIOC委員による投票が行われ、一次投票でマドリード、決選投票でイスタンブールが落選し、2020年オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定した。

そもそも、本来日本が最初に目指していたのは、2016年に開催される夏季オリンピックを日本で開催させることでした。日本はプレゼンテーションなどで、コンパクトな会場配置が可能、開催準備金として37億ドル(約3400億円)を確保している財政面の優秀さ、安全面・治安の良さをアピールしたのですが、東京都心部の渋滞などの交通インフラの脆弱さ、日本国民のオリンピックへの支持率の低さなどから落選してしまいました。リオデジャネイロやマドリード(スペイン)の支持率が80パーセントを超える中、東京は55.5パーセントの支持率しか獲得することが出来なかったのです。しかし、そこで日本はオリンピック開催を諦めず、2020年の夏季オリンピックを成功させる決意を強くしました。


失敗に終わった2016年の夏季東京オリンピック構想とは?
開催期間は7月29日~8月14日の17日間で、半径8キロ以内に9割の会場が配置されたオリンピック史上最もコンパクトな計画を打ち出しました。ベイゾーンとヘリテッジゾーンの2つの会場群に分け、中心にはメイン会場となる東京オリンピックスタジアムを設置し、宿泊施設は半径10キロ以内に8万室を備えています。

オリンピックのコンセプト(これらは2020年の東京オリンピックのコンセプトにも受け継がれています)
・平和に貢献する 世界を結ぶオリンピック・パラリンピック
・世界で唯一、戦後60年間一貫して平和を貫いてきた日本で開催することで、平和の尊さを世界に訴える。
・次代の世界を担う若者たちが主役となるオリンピック・パラリンピックを通じて、世界平和を希求する日本人の心を伝える。
・世界最高の環境 ヒーローたちの檜舞台
・世界の都市の中で最も先駆的な取り組みをしている東京から、地球環境の大切さを世界に発信。
・コンパクトな計画の下、参加するすべての選手が自己最高記録を出せる世界最高の檜舞台を用意。

アジアでは初の夏季五輪の2回開催を目指していたのですが、2009年にコペンハーゲンで行われたIOC総会の開催都市の第2回目の投票で最小得票数だったため落選、招致に失敗しました。落選の主要因としては、

1.オリンピック招致への国民の関心の低さ
2.同じアジア圏で開催された2008年の北京オリンピックから8年しか経過していない
3.東京で開催させることの、強烈な「理念」が存在しなかった
4.「南米初の夏季オリンピック」を理念に掲げたリオデジャネイロの存在感に消されてしまった

などです。その後の2011年、3月11日の東日本大震災後に実施された東京都知事選で石原慎太郎氏(現在の日本維新の会代表)が4回目の再選を果たし、再選直後から2020年のオリンピック開催の招致活動を始める方向性を示します。2020年の東京開催を成功させるためには、国民のオリンピック招致への関心を高めることが必要不可欠です。2012年の7月から8月にかけて実施されたロンドン夏季オリンピックでは、日本選手団は史上最多の38個のメダルを獲得し、それが追い風となって国民全体の支持率が70パーセントに上昇しました。

並行して、今まで日本があまり得意でなかった「ロビー活動」も積極的に実施し、2016年の誘致時には一体的でなかった招致活動も、一体化されてきました。しかし、2013年8月19日、東京電力福島第一原発の敷地内で一時保管されている汚染水タンクから300トンもの水が漏れだすという重大な事故が発生、原子力規制委員会は8月21日、国際原子力事象評価尺度(INES)で8段階の上から5番目の「レベル3」(重大な異常事象)に相当すると発表します。2週間後にIOC総会を控えている日本にとっては最大の苦難となります。IOC総会の最終プレゼンでは、安倍首相自らがその影響を否定し、今後の対応を世界に約束しました。



IOC総会での第1回目の投票で東京は決定に必要な過半数に達しなかったものの42票でトップに立ちます。マドリードとイスタンブールがともに26票で並びました。この2都市で再び投票を行った結果イスタンブールが49票、マドリードが45票となり、マドリードが落選します。イスタンブールとの最終投票の結果、東京が60票、イスタンブールの36票を大きくリードして2020年の夏季五輪開催地に決定しました。東京に決定した大きな要因としては、治安の良さ、特に財政面が評価されたものだと分析されています。



2013年9月7日の未明、IOCのジャック・ロゲ会長によって2020年夏季オリンピックの開催地が「TOKYO 2020」と発表されました。IOC総会の様子は、日本でも中継されていました。

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