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ミクロネシア 青年海外協力隊環境隊員のブログ

ミクロネシア連邦国において環境分野で活動する青年海外協力隊、シニアボランティアからの報告。コメントお待ちしています。

環境クラブ その1-オリエンテーションー

2014-07-01 14:15:40 | ポンペイ州

第一回目のテーマはオリエンテーション。まずは自己紹介とアイスブレイク。オオミネ小に務めている米国版協力隊ピースコーボランティアのベンがクラブに大きな関心を寄せてくれ、サポートで入ってくれた。協力隊の竹ちゃんも写真撮影で協力してくれている。自己紹介では、クラブへの参加動機を尋ねた。「島をきれいにしたいから」「ごみのポイ捨てをなくしたいから」など思った以上に素直な答えが返ってきて驚いた。


自己紹介とアイスブレイクの図。

初回ということで、クラブのルールを説明。これからこの3つを意識して活動して欲しいと伝える。

1.アクティブであること
2.学びを実践すること
3.学びを共有すること

1992年リオデジャネイロで開かれた環境と開発に関する国連会議(環境サミット)。当時12歳だったセヴァン・スズキの伝説スピーチを鑑賞。世界のリーダーたちを前にして「どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。」と訴えかける彼女。
ほぼ同い年の彼らに彼女の言葉はどう響いたのか?感想を書いて提出してもらった。

環境クラブの教育効果を評価できるように、10問の簡単なテストを用意した。5か月後の終了時に同じテストを実施し、その変化を図ることが目的。5問は環境に関する知識を問う問題。例えば、「4Rとは何か答えよ」「森林の機能を一つあげよ」残りの5問は環境に優しい行動をしているかを問う問題。例えば、「部屋を出る時、電気を消しているか?」「輸入食品よりも地元の食品を食べるようにしているか?」「ここ1週間でポイ捨てをしたか?」。

結果は以下のようになった。数字は受験者全体の正答率または環境に対して望ましい行動をしている割合を表している。

ポイ捨てをしていない子どもは3割程度であり、クラブの指導者としては少し残念なところ。


毎週一回の活動が始まった。彼らがポンペイの未来を背負う!

24年度2次隊 浜川喬弘

環境クラブのスタート

2014-07-01 13:15:28 | ポンペイ州


ポンペイに来て、一年と少しが経った頃。環境保護団体NPOと島中の小学校を巡りながらリサイクルに関する授業を続けていた。そんな中、ポンペイ人は環境に関する基本的な知識はあるが、実際に行動することをあまりしていない感じるようになった。例えば、小学校では休み時間にスナックを買うことができるが、休み時間が終わると校庭はごみが散乱していることが毎日の光景だ。

学校内にあるポイ捨て禁止のサイン


休み時間中の校庭。

日本人でも「そうした方が良い」とわかっていても実際に行動に変えていくことは難しいことは多い。ポンペイ人の環境意識について、より深いレベルで変化を起こしていくには単発の巡廻授業ではなく、より深い体験や学びが必要なのではないかと思うようになった。そして、職場のカウンターパートの啓発授業も彼が他の仕事で忙しいこと、職場の予算が乏しく、ガソリン代も賄えず、現場に行けないこと。そんな状況もあり、自分で活動現場を作るべく、職場から歩いて行けるオオミネ小とコロニア小で環境クラブを立ち上げることにした。

クラブの表向きな狙いは、
①子どもたちに具体的な体験を通して環境関する学びを提供すること
②学びを実践できる場を作ること
③学校、コミュニティを巻き込んで活動すること

秘めたる個人的な狙いは、
①職場のスタッフをクラブの運営に巻き込むこと
②カウンターパートに興味を持ってもらうこと
③自分が必至になって活動できる場を作ること

2013年年末、クラブの構想を練り、ニューイヤーブレイク後、企画書を持って校長とクラブ設立の交渉に当たった。ターゲットは7年生。コロニア小とオオミネ小で7年生全員にプレゼン行い、希望者を募った。各学校それぞれ定員20名としたが、予想以上にたくさんの子どもが参加を表明したため、先生に各クラス5名の枠で調整をしてもらった。放課後の活動であるため、参加には親の同意が必要である。参加表明した子どもたちに同意書を配った。

そして、2月の初め、環境クラブがスタートした!

24年度2次隊 浜川喬弘

JAPAN FESTIVAL

2013-10-24 10:21:10 | ポンペイ州
今年はミクロネシア―日本国交25周年の記念すべき年だ。それにあやかって10月20日にJAPAN FESTIVALが在ミクロネシア日本大使館主催で開催された。フェスティバルに先駆けて10月15日から19日まではFSMに唯一ある映画館で日本映画祭が催された。この期間は無料で入場することができ、連日大勢の人が詰めかけ、通路への着座、立ち見客で大盛況だった。

ちょうど、この期間に合わせて我がホームタウン、高知からポンペイ島へ直行便が就航した。これは現ミクロネシア連邦大統領モリ氏の曽祖父が高知県出身である森小弁であるという繋がりから企画された特別チャーター便だ。およそ120年前に小弁は単身チューク州に渡りコプラ(ヤシ油の原料)の輸出を始め、村の酋長の娘と結婚し酋長となる。11人の子供をもうけ、今では直系の子孫だけで1,000人以上の家族がいる。


一向が到着するのを待つミクロネシア短期大学(COM)の観光学している学生たち。伝統的な出で立ち。


ポンペイ人も歓迎。


ポンペイでは歓迎の証として頭にマラマルと呼ばれる生花でできた冠が捧げられる。

直行便で尋ねてきた訪問団は副知事や高知市副市長なども含む議員団と一般市民を含む90人弱。なんと自分の母もこの直行便に乗ってきた!青年海外協力隊員の任地と出身地が直行便で繋がるということは前例がないのではないだろうか。19日~23日までの滞在の間に一向は島内観光だけでなく、モリ大統領との会食の時間も楽しんだ。

個人的には小学校での環境教育をしている様子を母に見てもらうことができ、非常に有意義な時間になった。

話は戻るがジャパンフェスティバル。ここで、現地の子どもと高知県の踊りよさこいを一緒に踊った。コロニア小の7年生(日本の中学1年生相当)32人と一か月前から練習を始め、この日のために準備をしてきた。法被と鳴子を高知県観光課大阪事務所様より無料で貸出を受けることができ、子ども達も気合い十分。数百人が詰めかけた会場のステージで元気いっぱいに踊った。協力隊員としても高知県人としてもこのような形で両国の友好事業に貢献できたことが非常にうれしく思う。






ソーラン節を踊ったオーミネ小の子どもたち。竹谷隊員ご苦労さんでした。一緒にできて楽しかったなー。

ポンペイ環境保護局
浜川喬弘

リサイクルビンプロジェクト

2013-08-09 16:41:11 | ポンペイ州


ポンペイ島(Google Mapより引用)

島であるポンペイ州のゴミ問題の特徴は、輸入されたものがゴミとなり島に溜まっていくということ。人口約35,000人、陸地面積は淡路島3分の2、または琵琶湖の半分ぐらいで、一周80kmの大きさ。この小さな島では大きな産業もなく、ごみをリサイクルするという設備も人口規模が小さく採算が合わず設置が難しい。ちなみに、小さな島と言えどミクロネシア連邦の中ではポンペイ島が一番大きな島である。

そんな島嶼国の現状を踏まえ、今年3月にベトナムのハノイで開かれたアジア太平洋フォーラムでは、“3R+Return”という概念が新たに提唱された。従来の3R(Reduce(発生抑制)、Reuse(再使用)、Recycle(再生利用))に加え、Return(戻す)。つまり、ごみの中でも有価物は島外に出しましょう(輸出する)ということだ。

ポンペイでは2012年6月からアルミ缶のデポジット制度がスタートし、政府としてアルミ缶を集め島外に輸出する仕組みを整備された。ジュースやビールのアルミ缶は輸入される時点で一缶当たり6セントのデポジット(預り金)がかけられる。消費者は+5セントの販売価格で飲料を購入し、缶をリサイクルセンターに持っていくことで5セントの返金を受けられる。差額の1セントはリサイクルセンターを運営する我がEPAの収益となる(図参照(浜川作成))。



さて、このリサイクリングをさらに促進しようと、今自分の発案でEPAが一つのプロジェクトに取り組んでいる。アルミ缶を貯めるためのビンをEPAで作成し、学校、政府庁舎、公共機関に配布しようという計画だ。全部で50個作成、配布を目指し、スタッフとともに日々制作中の毎日だ。



制作を始めた当初はスタッフも物珍しさでたくさん集まってきた。

スタッフは日頃、与えられた仕事しかしないため、暇を持て余していることが多い。「空いた時間があれば仕事を探す」ということはここでは極めて日本人的な感覚であり、手が空けば自由に過ごすのかポンペイの労働観だ(例えば↓)


積極的に働こうとしない彼らに対して、ビンの制作から配布まですべて自分たちの手で行ってもらうことで、仕事に対する責任感を達成感を持ってほしいと思っている。そのため、仕事の効率、スピードよりも彼らが自主的に関わるようになることを重視している。

初めの1、2週間は自分が呼びかけないと作業が始まらないという状態だった。全く作業が進まない日もあるが、気長に彼らの様子を伺っていると、ある日「タカ、やるぞっ!」と声をかけられるようになった。スタッフによっては自分の仕事のスケジュールに意識的にビン作成作業を組み込んでいるようだ。




何もしないより、日々確実に成果が目に見える作業は彼らにとって楽しいようだ。

最近、さらに大きな変化があった。制作後、掃除をするのはいつも自分の役目だったが、ある日作業後の様子を見に行くといつもとは違い、ビンのくずが掃除されていた。翌日、誰がやったのかのかと尋ねるとあるスタッフが掃除してくれていた。これには自分もスタッフを褒めまくった!

ともに作業することで、かれらの性格、特徴も分かるようなってきた。
ペースはゆっくりだが仕事は一番丁寧なJ。サインボードを作成する作業をお願いした。


あと、20個を作り上げ、9月の新年度から配布をしていく予定だ。

24年度2次隊 浜川喬弘


ポンペイ島、最終処分場の改善工事

2013-06-23 14:27:09 | ポンペイ州



ポンペイ島にある唯一の公共のごみ処分場、タケチックダンプサイト。ここには一日約14tのゴミが運ばれてくる。(ポンペイ島の人口:35,000人)ポンペイにはアルミ缶以外リサイクルがされないため、ありとあらゆるごみ全てがここには運ばれてくる。オープンから16年以上が経っており、もうすでに受け入れ限界に達しているといわれ、数年が経過している。

このダンプサイトとしては初の大規模なリハビリテーション(改善工事)が6月17日(月)~27日(木)のおよそ2週間で実施された。これはJICAが大洋州12か国に対して、5年間に渡り実施している廃棄物対策プロジェクト(通称J-PRISM)の一貫として行われた。このプロジェクトの特徴は「技術援助」を目的としていることだ。工事をドナー国が一方的に進めるのではなく、現地の関係者に実際に工事に参加してもらい、ダンプサイトの改善技術を学んでもらう。そのため、今回はコスラエ州、ヤップ州、チューク州、マーシャル共和国、ポンペイの各村から公共工事、廃棄物関係の人材が集まり、一緒に学び、工事をした。

初日に盛大なオープニングセレモニーがあった。州知事、州議会議員、環境庁大臣などリーダーも列席し、この工事の期待度の高さを感じさせた。というのも、2年前に新規処分場の建設計画があった。アメリカのコンサルタントに依頼をし、はじき出された見積もりは16億円(アクセスロード工事費は別途)。。。途方もない額にみんな思考停止していた。そこにこのプロジェクトがあったため、その期待が高いのも良くわかる。

現場での説明。


初めの一週間はひたすらエクスカベータ2台、ブルドーザー1台でゴミの山を掘り、堤防を作っていく。30m×70mの谷が掘られた。




谷の下流側には浸出液をためる池が掘られた。



翌週からはマンパワーで建設を進めていく。この改善工事は福岡方式(福岡大学より発信)と呼ばれており、途上国の状況に応じた技術が売りだ。

通常、ごみを堆積していくと、下層部は圧密され、空気が循環しなくなる(嫌気性の状態)。そうなると嫌気性発酵進み、メタンガスなどが発生する。これがダンプサイトの悪臭の元だ。これらのガスに着火すると煙が立ち上る。フィリピンのスモーキーマウンテンがその代表的な様子だ。下層部に浸出液(汚染水)を集めるパイプを通し、それらに垂直に穴を開いたパイプ(ベンチレーションパイプ)を接続する。こうすることで内部に空気が送り込まれるようになり、好気性発酵が行われるようになる。分解も早く、悪臭もない。ポンプなどで強制的に空気を送り込む方法もあるが、この方法は自然に空気が循環する仕組みのため準好気性の方式と呼ばれる。

途上国ではお金もなく、資材も揃いにくい。福岡方式は現地にあるもので建設が可能だ。ドラム缶、古タイヤ、現地調達できる岩、パイプも竹で代用可能。廃材利用もすることができ、コストを圧縮することができる。そして、構造がきわめてシンプルなため、知識、技術が特になくともマンパワーで十分に工事ができる。

浸出液を通すパイプの設置。ゴミの荷重に耐えられるように岩で覆う。ここではサンゴの岩を使用した。


ベンチレーションパイプの設置。




3日間炎天下の中、地道に作業を続け完成!




この研修で感動したことがある。EPAの同僚であり現地の責任者であったチャールスの働きぶりである。セレモニーではMCを堂々と務め、現場でも率先して働き、スタッフに対するリーダーシップもすごかった。彼がいなければ、これほど上手く進まなかったのではないかと思う。
正直なところ今までJICAの人材育成という方針に懐疑的な目を持っていた。研修で日本に行っても帰国後なかなかそれが本国で生かされることがないと感じていた。しかし、彼は違った。2年前に日本に研修に行っている。そして、今年二月にはヤップ州で行われた同様のダンプサイトに関する研修にも参加している。そこで学んだことを彼は今回存分に発揮していた。

研修最終日の夕方に彼が言っていたこと。
「これでやることが二つできた。一つはダンプサイトにおけるごみの分別の開始。もう一つは美化活動。小学生をここに連れてきて花を植えるんだ。そして学校の名前を古いタイヤにペイントして入り口に並べていく。そうすれば、もっとみんなダンプサイトに感心が湧くだろう!」

この言葉に本当に感動した。ワクワクした!

彼はこの国の自律的な未来を描いている。
数は少ないかもしれないが、確実に人材は育ってきている。

この貴重で素晴らしい時間を提供して頂いたJ-PRISMの面々に感謝したい。
プロジェクトリーダーの長谷山さん。プロジェクトの立ち上げから長期に渡り、本当にご苦労様でした。

J-PRISMチーフアドバイザー天野さんの言葉。
「物は作ったところから古くなっていくが、人はそうじゃない。成長するし進化する。」


24年度2次隊 ポンペイEPA 浜川