幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸・西国街道歩き旅 38日目(完歩)

2021年03月10日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月9日(火)4/13℃
西国街道歩き旅(38) 完歩!

関門トンネルを経て門司・大里宿、小倉へ 
 いよいよ西国街道の歩き旅も終着に近づいてきた。
昨日歩き終えた下関から、念願の関門トンネルの人道口を入り、20分ほどで門司にでるが感無量だ😂

 門司港のレトロな雰囲気を味わいながら最後の大里宿へ向かう
やがて煉瓦のレトロな昔の街で、かつての大里宿本陣跡や長崎奉行所の番所が置かれた場所などを訪ね終着地とした。

(無事完歩でき、感謝と幸せに涙する 今日も歩いた順に写真を羅列して終える 帰ってからゆっくりと楽しみながら編集する予定)






関門トンネル人道は歩行者は無料だと


















名物と言うおでん店は開店前だった









門司港のレトロタウンへ向かう











大里宿へ入る

















終着の大里宿本陣跡で旅を終える





これより小倉・常磐橋へ向かう








ここが次の長崎街道の出発・帰着地だ
かつてシーボルト始めオランダ交易盛んな頃は長崎から江戸へ向かうルートであり、各藩大名の参勤交代でも賑わったようだ

まだ足が元気な内に、ここより長崎まで歩きたいと次の目標をもつ
かの江戸幕府の鎖国政策時代にシーボルトなどオランダ人が唯一許された長崎街道、西国街道、東海道を歩いて江戸へ向かった事を想えば、その全行程を体験して見たいものだ














  京都・羅城門を起点に西国街道を歩いて来たが38日目にして九州・大里宿に到着した。

これは1年前の3月に歩き終えた東海道(大阪・箕面から東海道57次を経て千葉・浦安まで歩いた38日間と同じで、東海道は916km.124万歩だった

今回の西国街道の累計は延べ38日間
936km.130万歩 だった。

宿の前にあった居酒屋に入り、ビールで初めて自分自身に祝杯をあげた🍺
熱い風呂に浸かり足腰を摩りながらよく歩いてくれたなー ありがとう と何度も感謝した。

 そして今こうして念願の歩き旅か放浪か自由にあるがままに自分らしく、毎日生き生きと生きがいを持って過ごせる老楽、老春が本当に幸せでありがたく、支えてくれる人たち、人生で関わってくれた一人一人を想い何度も感謝の涙を流した。

いろいろあったが幸せな人生だった
さらば!! と言いたいが、
ちゃうなー 😭😭 
もう少し放浪させてくれー 🤣🤣

コメント (8)
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江戸・西国街道歩き旅 37日目

2021年03月09日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月8日(月) 3/16℃ 
西国街道歩き旅(37)

埴生から長府、赤間、下関へ
 今日はお天気も良く快調に歩き出す。 歩く両足膝股関節と体に話しかけながら、いつもの創作ハッピーモーニング、ハッピーディを歌いながら春を歩ける幸せに 感謝😂

予定していた長府までをクリアした後、壇之浦、関門海峡、人道トンネル前から赤間神宮を経て下関まで34kmほどを歩いた お疲れさん‼️

(宿の熱いお風呂で足や体を癒し、横になったらもう眠くて心地よく、今日も編集は後日として記録用の写真だけ羅列して早く寝ることにする)
































































































旧山陽道の終着、起点地に着く




とうとう下関まで歩いてきた



西国街道の起点地は様々な説や文献もあり、東海道のようにはっきりと定まっていない。
最も多いのが今日歩き終えた赤間神宮、赤間宿だが、九州太宰府や長崎までとかの説もあるが、私は江戸幕府の公文書にあると言う九州・大里宿を終着地とする。

 したがって明日下関から関門トンネル人道トンネルを経て門司に出て大里宿を目指す。 
いよいよ終着地目前となった。
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江戸・西国街道歩き旅 36日目

2021年03月08日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月7日(日) 4/13℃ 
西国街道歩き旅(36)

厚東から厚狭、埴生へ
 昨日歩き終えた厚東(ことう)から厚狭(あさ)、埴生(はぶ)へ歩くが、地名が読めずに困った
今日も疲れて宿に入りバタンキュー

























































酒蔵が目につくなー












海が見えてきた もうすぐだ






埴生(ハブ)の町に入るとやけに爆音が響く
 後で知ったが 山陽オート(オートバイレース場)があり、公営ギャンブルにたくさんの人が集まっていた 
 自分は若い頃からギャンブルは一切しないが、この地響きするような爆音に住民の生活環境が破壊しかねないと危惧する

  

明日は長府から壇之浦、赤間宿へ向かうが、西国街道の西の起点はこの赤間宿と本にはあるが諸説あるようで、私は九州・大里(だいり)宿説をとり、明後日に関門トンネルの地下人道を歩き(当時は当然船だがね)門司へ渡り大里宿へ向かう予定

いよいよ西国街道の歩き旅も終わりに近づいてきたようだ😂😆
  
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江戸・西国街道歩き旅 35日目

2021年03月07日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月6日(土)7/16℃
西国街道歩き旅(35)

小郡、新山口から厚東(ことう)へ
 朝から小郡(おごおり)の街を歩いたが既に令和の番地がありビックリだ

 西国街道(旧山陽道)を歩くも、迷い思い込みからいつしか違う道を歩いていたりすることもあり戸惑うが、何とか一日の目的地に着く。

最近は歩く速度が早くなったのか!? 意外と早く目的地に着くのでそれから先が中途半端で困る😅
(今日も疲れバタンキューなので記録用のスマホ写真羅列のみとする)













三原屋本陣跡は銀行の植え込みの中にプレートだけが残されていて面影は全くなし








ここにもファンの山頭火の地酒醸造元があり、試飲できますとの事だが、飲めば街道で昼寝となり山頭火らしくなると思いしも、まさに放浪の廃人となりかねないのでやめた












偶然だが街道沿いにかつて憧れのキャンピングカーが置いてあった 
 このキャビンの中に寝室からキッチンまで生活用具全てが合理的に収まっている リタイア後これをマイカーで引いて日本一周をするのが夢だった 
 若い頃はアメリカ大陸横断や世界一周を夢見たが 懐かしい夢を思い出し乍らも今はこの歩き旅がベストハッピー!🤗










おいはぎ峠にその名のレストランが一軒だけぽつんとあったが急いで通り抜ける🤣



ここはかつての周防国と長門国の国境だ







旧山陽道を進む のどかで穏やか




ここで詠ったのか川沿いのお地蔵さんの中に山頭火の句があった










川向こうに地酒「男山」醸造元が見える 立ち寄ってみる




まさか貧乏神を参拝する人はいないだろうがね⁉️







珍しい水路橋をみる




今日の到着予定地 厚東(ことう)の駅は無人で淋しい 宿がないので新山口へ




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江戸・西国街道歩き旅 34日目

2021年03月06日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月5日(金)9/17℃
西国街道歩き旅(34)

防府から小郡(おごおり)、新山口へ
 昨日歩き終えた防府(ほうふ)からスタートする
昨夜からの雨が止まず、ビニールカッパをかぶるが、それでもリュックが濡れる
時折 晴れ間が見えてラッキーと思ったらまた雨で今日は終日春のお天気を体感する
(ここからまた歩いた順に写真を羅列するだけとし、詳細は帰ってからゆっくりと楽しみに編集する😆)

































































































今日は目的地の新山口に早く着いた

この四日間で着替えがなくなり、コインランドリーに行ってまとめて洗濯・乾燥したが便利なものだ。

道も迷いながらもナビがあるし、
昔の旅人を常に想い乍ら歩いているが、昨日声をかけられ話した爺さんが最後に この歩き旅は現代の究極の贅沢旅かもしれませんな と言われたが 諸々納得した。
ありがたく感謝と幸せでいっぱい😂
 
コメント (4)
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江戸・西国街道歩き旅 33日目

2021年03月05日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月4日(木)1/15℃
西国街道歩き旅(33)

徳山、新南陽から防府へ
 昨日歩き終えた新南陽から先ずあの毛利元就が3人の息子に対して教訓状を書いたと言う栄寺をたずねる

三本の矢の話しは亡父からよく聞いたが、私も3人兄弟の長男なのでそんな話をしたのかもしれないが、それとともに先祖はその毛利元就の御殿医だったと親族からも聞き、その真偽はともかく親しみを感じていた




脇本陣としても使われた真福寺を訪ね、福川宿の痕跡を探すももうなかった






夜市川沿いを歩き、やがて海を見て集落に入る














線路脇と道路ガードのわずかな土地に野菜を植えているお婆さんを見たが危ないよ


暫くして後からカゴに買い物袋を入れた自転車のおじさんから声をかけられた 街道を歩いているんですか? どこから? どこまで? いつから・・と次々と質問が来るが、ご自分の話も含めて話が尽きない 
 私の歩くペースに合わせ自転車を並走しながらお喋りを楽しんだが、
どうもこのリュックを下げた歩き旅の服装が興味を引くようだ 
 いろいろと励まされて再出発したが、最後に歳を聞かれて喜寿だと応えると最敬礼していた 

集落を向け赤坂峠に入ると、その坂道を上るたび汗が吹き出し、途中で着替えた













山越えをして里に降りてきたら神社仏閣が多くある


















再び今度は長い椿峠を越えるが、一部国道と重なり走って抜ける
途中 周防灘を遠望する



















富海(とのみ)宿から防府へ

















防府(ほうふ)に入り、宮市本陣跡を訪ねる








ここで今日の予定は終わりだったが、ここがファンである放浪の俳人・山頭火の出身地であると思い出し探せば、防府の街あげて山頭火への待遇にこちらも嬉しくなった














全国を放浪した俳人・山頭火の本は色々と読んだが、その生まれ故郷に来ることができて感無量だ 想えばどこか似ている一面があって憧れファンになったが、
私はただの(放浪の廃人)だがね トホホ‼️

今日もよく歩いたが、両足に関節も体も元気で順調で、我が体ながら実に頼もしい限りだ  
感謝でいっぱい 幸せいっぱい
ハックション🤧😭😂🤣





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江戸・西国街道歩き旅 32日目

2021年03月04日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月3日(水)0/12℃
西国街道歩き旅(32) 

高水から呼坂宿、花岡宿、徳山へ
 今日は朝からお天気も良く、昨日の高水から順調に歩き始める。

 歩き疲れて、昨夜も半分眠りながらブログを書いていたが、歩いた写真だけでもUPしておかねば後でさっぱりわからなくなるので、今夜もメモ写真を残す。 

 今日はお天気も良く気分的に街道を一時離れ、足の赴くままに歩いてみた  
自由に自分の赴くままに行動できる事はなんといっても1番幸せなことだ 


















街道沿いのいくつかの神社仏閣を訪ねたが、高い所にお社や本殿がある所は昔から参拝は大変な事だったろう
穏やかな春の1日だ

















歴史街道を歩いて思うのは、後世の人がその歴史的事実を石碑文字の中に見る限りだが、徐々に忘れさられてしまう
















地域により歴史の残し方も様々だ


























今日は徳山を過ぎ、新南陽まで歩いたが、トクヤマの巨大な化学工場とその白煙には驚いた 
無害処理はなされていると思うが、さすがその下でマスクを外し深呼吸はできなかった










今日も順調に歩き、ホテルの熱い風呂の中で両足と体を癒した 
健康に歩けることに感謝と幸せを実感して涙する
もっとも鼻、目、くしゃみとその涙も混じっているがね トホホ😂😂

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江戸・西国街道歩き旅 31日目

2021年03月03日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月2日(火)3/15℃
西国街道歩き旅(31)

柱野から高森宿、中山峠、高水へ
 昨夜から鈍行列車で岩国に入り、前夜からの大雨が上がり、今朝は心配するほどの雨ではなかった。

 ところが前回歩いたJR岩徳(がんとく)線はその大雨の影響でダイヤが乱れ単線なので50分遅れ、無人の柱野駅に8時過ぎに着き歩き始めた。   次の電車は昼前までないとかで便が悪く、乗り遅れたらと緊張した。

 雨上がりとは言え小雨が残る街道を歩き始める。 人は見かけない。    新しい靴なので少し慣れたが、足のかかとが擦れて痛いのでケアする。





























途中でまた道を間違え、欽明峠のトンネルに入ってしまった。 すぐ出るのかと思ったら1km以上も中を歩いてすすだらけの感じ  トホホ!




 欽明寺や武田屋敷跡へ行きたく、相当街道を戻ったが、そこで車に乗った年配の方に声をかけられ、街道を歩いているんですか? と。

 そうですと言うと、それから長い時間この街道の話を詳しく教えてくれた。 
 聞けば80歳、ブログやYouTubeで発信しているとのことで名刺をいただき、少し中身を見せてもらったらとてもプロ級でびっくり‼️

80歳でお元気‼️ 
 あんたはおいくつで⁉️ 
私は喜寿ですが! 
 そんなら3つしか違わんが、ワシはこの周辺だけだが、あんたはあちこちと歩いているようで すごいわ‼️  と逆に言われたが、歴史を調べて道を調べ、本格的に旧街道を歩いてブログにUPしている人に比べれば、私は園児と同じだなと恐れ入る 


















まあでも私は私のペースで自分なりに自由に楽しんであるがままに歩けたらそれで幸せだ


















高森本陣跡に着く
















25kmを歩いた後で、難所と言われた中山峠を超えるのはしんどかった

今日も感謝と幸せの1日だった 















(風呂上がりのビールでほろ酔いの中、今日の足跡を振り返るのも楽しみの1つだが、このブログは無茶苦茶だが後でリライトする時の記憶のため羅列写真で記録する) 
終日涙目、鼻水、くしゃみ🤧に悩まされたが花粉の最盛期だもんな トホホのホ‼️
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