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八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸・西国街道歩き旅 33日目

2021年03月05日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
3月4日(木)1/15℃
西国街道歩き旅(33)

徳山、新南陽から防府へ
 昨日歩き終えた新南陽から先ずあの毛利元就が3人の息子に対して教訓状を書いたと言う栄寺をたずねる

三本の矢の話しは亡父からよく聞いたが、私も3人兄弟の長男なのでそんな話をしたのかもしれないが、それとともに先祖はその毛利元就の御殿医だったと親族からも聞き、その真偽はともかく親しみを感じていた




脇本陣としても使われた真福寺を訪ね、福川宿の痕跡を探すももうなかった






夜市川沿いを歩き、やがて海を見て集落に入る














線路脇と道路ガードのわずかな土地に野菜を植えているお婆さんを見たが危ないよ


暫くして後からカゴに買い物袋を入れた自転車のおじさんから声をかけられた 街道を歩いているんですか? どこから? どこまで? いつから・・と次々と質問が来るが、ご自分の話も含めて話が尽きない 
 私の歩くペースに合わせ自転車を並走しながらお喋りを楽しんだが、
どうもこのリュックを下げた歩き旅の服装が興味を引くようだ 
 いろいろと励まされて再出発したが、最後に歳を聞かれて喜寿だと応えると最敬礼していた 

集落を向け赤坂峠に入ると、その坂道を上るたび汗が吹き出し、途中で着替えた













山越えをして里に降りてきたら神社仏閣が多くある


















再び今度は長い椿峠を越えるが、一部国道と重なり走って抜ける
途中 周防灘を遠望する



















富海(とのみ)宿から防府へ

















防府(ほうふ)に入り、宮市本陣跡を訪ねる








ここで今日の予定は終わりだったが、ここがファンである放浪の俳人・山頭火の出身地であると思い出し探せば、防府の街あげて山頭火への待遇にこちらも嬉しくなった














全国を放浪した俳人・山頭火の本は色々と読んだが、その生まれ故郷に来ることができて感無量だ 想えばどこか似ている一面があって憧れファンになったが、
私はただの(放浪の廃人)だがね トホホ‼️

今日もよく歩いたが、両足に関節も体も元気で順調で、我が体ながら実に頼もしい限りだ  
感謝でいっぱい 幸せいっぱい
ハックション🤧😭😂🤣






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