7月28日(火)25/31℃
江戸・西国街道歩き旅(5)
瀬川宿から昆陽宿へ
一昨日歩いた西国街道4番宿の瀬川宿(箕面)から、次の5番宿の昆陽宿(伊丹)へ向けて 8時半、阪急宝塚線・石橋駅前をスタートする。
前回は突然の豪雨と湿気により汗だくとなったが、今日はどうかな?
西国街道から先ず正光寺へ 「中納言石」「夜泣き石」と謂れのある石があるというが古いお寺だ
街道沿いの住吉神社へ 境内を大掃除をしていた
近くの順正寺から西国街道を西へ
弁慶の泉に着く 源義経一行が西国街道を尼崎へ落ち延びたさい、武蔵坊弁慶がこの泉で喉の渇きを潤したとか そんな伝説が諸々面白い
街道沿いにはお寺が多い
伊丹市の都市景観形成建築物と指定家屋が並ぶ
猪名川にかかる軍行橋を渡る ここは明治44年の陸軍大演習時に架けられた橋
猪名川 ここは昔、堤と堤との間が120間(216Ⅿ)もあったが渡し舟がなく、あの松尾芭蕉も旅の時、歩いて渡ったとか 更に下流では高瀬舟で酒荷物が運ばれていた
丁度 大阪国際空港の離着陸誘導灯があり、その真上を飛行機が離陸する光景が見えた 趣味があればもっと近くの撮影穴場があるのだがね
辻の碑 多田街道との分岐点にて
伊丹坂を上り「伝和・和泉式部の墓」の標識へ 恋愛遍歴が多く道長から 浮かれ女 と評された和泉式部の墓だとか 住宅街の一角にひっそりとあった
西国街道を進む
西国街道・国道171号線沿いの伊丹市千僧の陸上自衛隊第三師団前を通る 昔ここは農業溜池で僧行基が築造した池だった 訓練中の女性自衛官の甲高い声が響く
国道171号線・大鹿交差点 南北の有馬道(中山観音への参詣や有馬温泉への湯治道)と交差する
お昼となり国道沿いのレストランでランチを食べて一休みする とにかく外は蒸し暑く汗がダラダラと流れ落ちる
食後 西国街道に戻りまた歩き出すと、小学校の旗当番のオジサンが「歩いてまんのか よろしいな この石はな 戊辰戦争の時にな、敗走した何とか言う人がここでとうとう最後を遂げ張ったんや・・」と教えてくれた
西國街道沿いの落語家・桂春団治の碑
昆陽(こや)宿に着く 史料ではこの辺りには本陣1軒、旅籠7軒、人馬継問屋1ヶ所があり、西は西宮宿、東は瀬川・半丁宿までの継立てを行った 1872年に江戸の宿駅制度廃止に伴いなくなったが、東海道のように特別の施設や碑もないが、この辺だということだ!?
国道171号沿いの西天神社前
昆陽寺(こやでら)に着く 県の指定文化財だ
国道沿いにひっそりと建つ「師直塚」 足利尊氏の執事であった高師直の塚 由来は壮絶な敵討ちのようだ
武庫川の「髭の渡し」に着く 武庫川の流れを見ながら一休み 川風が涼しくほっとする
昔はこの川を人足の肩車で渡ったが、諸大名や公用者の増加に依り1825年に渡船使用許可願いが出され許可されたが 大名、公用者、武士、僧侶は無料だったとか 1909年に甲武橋の完成によりその使命は終わった
山陽新幹線を撮っているのかと思いきや、川の中州にいる野鳥を撮る人々だった 上を新幹線がひっきりなしに通る
その武庫川・甲武橋を渡って西宮市に入る
西国街道・一里塚を経て甲東園にで、今日の歩き旅はここまでとした
3時に着き、近くの阪急今津線・甲東園駅から神戸線西宮北口を経て帰路へ
今日は<22km、3万歩>程だった
まだ関西圏を歩いている分には宿泊しての継続旅をせず、今の時期の歩き旅でもまだ何とか歩けるが、梅雨が明ける前には西宮宿(山崎宿の終点)に着き、一旦今回の区切りとする予定。
炎天下の真夏は避け、また秋になり涼しくなってから今度は本格的に継続旅をし九州・大宰府を目指し江戸・西国街道を完歩したいものだ。