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八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸・西国街道歩き旅 5日目

2020年07月29日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)

7月28日(火)25/31℃


江戸・西国街道歩き旅(5)

瀬川宿から昆陽宿へ

 一昨日歩いた西国街道4番宿の瀬川宿(箕面)から、次の5番宿の昆陽宿(伊丹)へ向けて 8時半、阪急宝塚線・石橋駅前をスタートする。  

前回は突然の豪雨と湿気により汗だくとなったが、今日はどうかな?

 

西国街道から先ず正光寺へ  「中納言石」「夜泣き石」と謂れのある石があるというが古いお寺だ

 

街道沿いの住吉神社へ  境内を大掃除をしていた

  

近くの順正寺から西国街道を西へ 

 

弁慶の泉に着く  源義経一行が西国街道を尼崎へ落ち延びたさい、武蔵坊弁慶がこの泉で喉の渇きを潤したとか  そんな伝説が諸々面白い

 

街道沿いにはお寺が多い

  

 

伊丹市の都市景観形成建築物と指定家屋が並ぶ

  

猪名川にかかる軍行橋を渡る  ここは明治44年の陸軍大演習時に架けられた橋

 

猪名川 ここは昔、堤と堤との間が120間(216Ⅿ)もあったが渡し舟がなく、あの松尾芭蕉も旅の時、歩いて渡ったとか 更に下流では高瀬舟で酒荷物が運ばれていた  

丁度 大阪国際空港の離着陸誘導灯があり、その真上を飛行機が離陸する光景が見えた  趣味があればもっと近くの撮影穴場があるのだがね

   

辻の碑 多田街道との分岐点にて

 

伊丹坂を上り「伝和・和泉式部の墓」の標識へ  恋愛遍歴が多く道長から 浮かれ女 と評された和泉式部の墓だとか  住宅街の一角にひっそりとあった

    

西国街道を進む

  

 

西国街道・国道171号線沿いの伊丹市千僧の陸上自衛隊第三師団前を通る  昔ここは農業溜池で僧行基が築造した池だった 訓練中の女性自衛官の甲高い声が響く

   

国道171号線・大鹿交差点 南北の有馬道(中山観音への参詣や有馬温泉への湯治道)と交差する 

 

お昼となり国道沿いのレストランでランチを食べて一休みする  とにかく外は蒸し暑く汗がダラダラと流れ落ちる  

食後 西国街道に戻りまた歩き出すと、小学校の旗当番のオジサンが「歩いてまんのか  よろしいな  この石はな 戊辰戦争の時にな、敗走した何とか言う人がここでとうとう最後を遂げ張ったんや・・」と教えてくれた

   

西國街道沿いの落語家・桂春団治の碑

 

昆陽(こや)宿に着く  史料ではこの辺りには本陣1軒、旅籠7軒、人馬継問屋1ヶ所があり、西は西宮宿、東は瀬川・半丁宿までの継立てを行った 1872年に江戸の宿駅制度廃止に伴いなくなったが、東海道のように特別の施設や碑もないが、この辺だということだ!?

  

  

国道171号沿いの西天神社前

 

昆陽寺(こやでら)に着く 県の指定文化財だ

  

国道沿いにひっそりと建つ「師直塚」 足利尊氏の執事であった高師直の塚 由来は壮絶な敵討ちのようだ

 

武庫川の「髭の渡し」に着く  武庫川の流れを見ながら一休み  川風が涼しくほっとする

 

昔はこの川を人足の肩車で渡ったが、諸大名や公用者の増加に依り1825年に渡船使用許可願いが出され許可されたが 大名、公用者、武士、僧侶は無料だったとか  1909年に甲武橋の完成によりその使命は終わった 

 

山陽新幹線を撮っているのかと思いきや、川の中州にいる野鳥を撮る人々だった   上を新幹線がひっきりなしに通る 

 

その武庫川・甲武橋を渡って西宮市に入る 

 

西国街道・一里塚を経て甲東園にで、今日の歩き旅はここまでとした

 

 

3時に着き、近くの阪急今津線・甲東園駅から神戸線西宮北口を経て帰路へ  

今日は<22km、3万歩>程だった

  

 まだ関西圏を歩いている分には宿泊しての継続旅をせず、今の時期の歩き旅でもまだ何とか歩けるが、梅雨が明ける前には西宮宿(山崎宿の終点)に着き、一旦今回の区切りとする予定。 

 炎天下の真夏は避け、また秋になり涼しくなってから今度は本格的に継続旅をし九州・大宰府を目指し江戸・西国街道を完歩したいものだ。 

コメント (1)
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