幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

幼友達

2020年07月25日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

7月25日(土)24/29℃

幼友達

 幼友達と言っても川端康成と笹川良一の事だが、23日に歩いた西国街道・3番宿の茨木・郡山宿や豊川村・春日神社で思い出したことがあり、しばし周辺に浸り当時の面影を偲んだ。

 1899年に大阪・天神橋で生まれた川端康成は、事情で今の茨木市豊川村で祖父と共に暮らしたが、祖父は商売に失敗し家は貧しかったという。  

 一方 笹川良一は同じ1899年、豊川村小野原の造り酒屋の長男に生まれ、裕福に育ったとか。

 二人とも同じ豊川村尋常高等小学校で祖父同士が囲碁仲間の縁もあり、時に一緒に幼少時を過ごしたという。

 後に方や東大を卒業しノーベル賞作家となり、方や後に日本のドンとかフィクサーとか政界の黒幕とかいろんなエピソードを聞くが、反面 競艇事業を立ち上げ日本財団を創設して社会事業に貢献した人でもある。  箕面の大きな邸宅に住んだが、箕面駅前の滝道を歩くと笹川が母を背負いて歩く銅像がある。

 二人の交友はその当時だけのものであったようだが、川端の著作の中で幼少時に遊んだ原風景が随所にあり興味深い。  その中で春日神社の事が詳しく描かれていて、当時からガキ大将で悪童だった笹川が何故か自分には優しかったとか。

 豪胆な笹川に比べ、気弱で虚弱な川端が時に共に遊び、暗くなりこの春日神社を通るのが怖くて帰宅できないような時には笹川が付き添ってくれたとか・・  そんな話を文章の中で読むと各々の人柄がよく分かる。

 そんな昔に読んだ川端康成の本を思い出しながら、春日神社と周辺の森を散策した  歩き旅の効用はこんな事まで思い出させ楽しませてくれる。 

・想いでは幼馴染と遊びごと

・日本を背負った二人違う顔

・年老いても原風景は変わらない

・大切な幼友達いつまでも 頑爺

今の春日神社とその森、前を流れる川・・鬱蒼と茂る森の中は薄暗かった

  

  

二人の通った豊川小学校の石碑か  しばし川端康成と笹川良一の幼馴染が過ごした村に浸った

  

(別の話しだが、今日 自分の小学校時代を共に過ごした友が癌で手術をし、入院したと連絡があった  あの東海道歩き旅で東京に着いた時に真っ先に駆けつけてくれて椿山荘でお祝いをしてくれた  この秋には一緒に信州・安曇野を旅することにしていたが・・  幼友達が病気になると自分の事のように 辛い! )

 

コメント (1)
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