新自由主義というと市場原理主義と思います。
市場の競合によって「モノ」や「サービス」などを
より良いものにしていく。
悪く言えば、弱肉強食の世界であり、
勝ち負けの世界かもしれません。
当たり前ですが社会は様々な人がいて成り立っています。
様々な個性を持つたくさんの人はその人それぞれの
最大限の能力がある程度限られていると思います。
どんなに努力しても全ての人が
世界経済のトップクラスの人間になることは
困難だと思います。限られた人になるからです。
資本家がいて、経営者がいて、現場で働く人がいて
企業が成り立っています。
同じ環境で同じくらいの能力がある人でも
いろいろな年齢層の人がいます。
家族がいます。
この中でも様々な人が存在すると思います。
こういう全ての人にいつも自分の周りの人と競い合い、
自分を磨き、高め、勝つようにという世界観は
良い世界観でしょうか。
神仏はそういう世界のみを望まれているでしょうか。
「モノ」や「お金」や「名声」を求めてのみ
いくことを良しとされるでしょうか。
神仏はそういう競い合うだけの社会ではなく、
様々な人がいるからお互いその存在を認め合い、
自分を高めながら、お互い愛し合いなさいと
言われているのだと思います。