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クロード・モネ 【My Favorite Artist Vol.4】

2013-09-14 | 絵画

大好きな画家、クロード・モネについて調べてみました。

 

まず、印象派【Impressionism】とは、

19世紀後半にパリで伝統的なアカデミー様式と対立した画家らによる前衛芸術運動。

陽光の輝きの探求するために戸外制作をおこなうほか、日常生活で生まれた余暇を

過ごす人々やガス灯による夜の情景など当時の近代性を心象そのままに表現。

細く小さな筆勢によって絵具本来の質感を生かした描写技法≪筆触分割(色彩分割)≫

を用いて対象を表現する【印象派】、光学理論や色彩論に基づき色彩分割の科学的な

体系化を試みた【新印象派】、それらの影響を受け(時には否定し)ながら独自の表現

様式へと発展させた【後期印象派】の3つに分類されます。

(代表画家:マネ、ドガ、モネ、ルノワール、ピサロ、モリゾ、スーラ、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ等) 

 

 

クロード・モネ(Claude Monet,1840年11月14日- 1926年12月5日)は、印象派を代表する

フランスの芸術家で、「光の画家」の別称があります。印象派の中でも最もその方向性に忠実であった

とされています。時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家でした。

モネは印象派グループの画家のなかではもっとも長生きし、20世紀に入っても『睡蓮』の連作をはじめ

多数の作品を残しています。モネは終生印象主義の技法を追求し続けた、もっとも典型的な印象派の

画家でした。 

 

※クロード・モネの経歴

1840年 パリ、ラフィット街に生まれる。その後、ノルマンディ地方のル・アーヴルに転居。幼少の頃から

絵の技術は際立っており、文房具店の店先に絵画を置いてもらったことも。

 

1857年 フランソワ=シャルル・オシャールから絵の指導を受ける。翌年には風景画家のウジェーヌ・

ブーダンと出会い、野外制作に連れ出されるうちに影響を受け、その後の方向性を見出すことになった

と考えられています。

 

1859年 パリに移り、トロワイヨンらに教えを受ける。1860年にアカデミー・シュイスに入学しピサロと

知り合っています。兵役も経験しており、1862年にはシュルル・グレールのアトリエに入っています。

個々では、ルノワールやシスレー、バジールと面識を得ています。

 

1865年 サロンに2点の作品初出品。両方ともに入選。その2年後に長男が生まれるものの家族から

反対され、正式に結婚したのはその3年後でした。

 

1870年 カミーユと結婚。普仏戦争の際には、兵役を避けるためにロンドンに移っています。9月から

翌5月まで滞在しており、風景画の先駆者であるターナーやコンスタブルの作品の研究を行っています。

その後はオランダに数ヶ月泊まった後、パリに戻り、数ヶ月後の1871年にはアルジャントゥイユに移住

しています。

 

1874年 ルノワールやピサロ、シスレー達と前年に結成していた「芸術家、画家、彫刻家、版画家その他

による匿名協会」の活動として第1回印象派展を開催し『印象、日の出』を出品。この絵画から後に印象派

と名づけられました。以後、第3回印象派展まで出品。

 

1883年 ジヴェルニーに移り、そこで水の庭や花の庭を作りました。絵画だけではなく、庭作りの才能も

認められていただけあって、観光名所となっています。モネ自身も、庭について最高傑作であるという旨

の発言をしていたとされています。やがては睡蓮のモチーフとなった場所です。

 

1886年 オランダ旅行へ

 

1891年 「積み藁」連作を発表

 

1895年 「ルーアン大聖堂」連作を発表

 

1899年-1901年 イギリスに滞在。制作活動も

 

1926年 「睡蓮」のシリーズを制作しつつ、ジヴェルニーにて死去

 

1927年 オランジェリー美術館で「睡蓮」の連作公開

 

代表作として圧倒的な知名度を誇る睡蓮ですが、クロード・モネの名作はそれだけではありません。

一例として、積み藁、ポプラ並木、揺りかごの中のジャン・モネ、ルーアン大聖堂の連作や印象・日の出、

サン=ドニ街、ラ・ジャポネーズ、緑衣の女性、サン=ラザール駅、並木道(サン=シメオン農場への道)、

草上の昼食、王女の庭園、サンタドレスのテラスといったものがあります。 又、タイトルにアルジャントゥイユ

が含まれているものも多く、「アルジャントゥイユの鉄道橋」(フィラデルフィア美術館)、「アルジャントゥイユ

の橋」(オルセー美術館)、「アルジャントゥイユのひなげし」(同美術館)といったものが代表的です。

この土地がいかに画家にとって魅力的であったかがよく分かります。

晩年にかけては連作が多くなり、睡蓮も数多く描かれることになりました。

睡蓮という同じモチーフを用いながらも、時間や光線が変わることによって別の印象になっています。

1890年代の終わりから制作が始まった一連の作品で、ジヴェルニーの自宅の庭の池を描いています。

その数は200点以上にのぼります。睡蓮は大部分がモネの庭にあった池を描いていますが、庭園技師

さながらにこだわった彼は、他にも自宅の庭をモデルにした作品を残しています。その一つが、ワシントン・

ナショナル・ギャラリーに収蔵されているダリアの咲く道です。  

1926年に亡くなるまで、彼は数多くの絵画を残しました。

 

草上の昼食(習作) 1865年 プーシキン美術館(モスクワ)所蔵

 

揺りかごの中のジャン・モネ 1867年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

サンタドレスのテラス(海辺のテラス) 1867年 メトロポリタン美術館所蔵

 

かささぎ 1869年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

ラ・グルヌイエール 1869年 メトロポリタン美術館所蔵

 

印象 -日の出- 1872年 マルモッタン美術館(パリ)所蔵

 

アルジャントゥイユのモネの家の庭(ダリアの咲く庭) 1873年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

アルジャントゥイユの橋 1874年 オルセー美術館(パリ)所蔵

  

赤い頭巾、モネ夫人の肖像(窓に立つカミーユ・モネ) 1873年 クリーヴランド美術館所蔵 

 

散歩、日傘をさす女性 1875年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

ラ・ジャポネーズ1875-1876年 ボストン美術館所蔵

 

ヴェトゥイユの画家の庭園 1880年(1881年) ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

プールヴィルの断崖の上の散歩 1882年 シカゴ美術研究所 所蔵

 

戸外の人物習作(右向きの日傘の女) 1886年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

戸外の人物習作(左向きの日傘の女) 1886年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

舟遊び(ノルヴェジエンヌ号で) 1887年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

ジヴェルニーの積みわら、夕陽 1888-1889年 埼玉県立近代美術館所蔵

 

積みわら、冬の効果 1891年 メトロポリタン美術館所蔵

 

睡蓮の池、バラ色の調和(太鼓橋) 1900年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

モネの家の庭、アイリス 1900年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

睡蓮 1914-1917年 マルモッタン美術館(パリ)所蔵

 

睡蓮 1916年 国立西洋美術館(東京)所蔵

 

You Tube にもアップしました。 

※印象派 クロード・モネ 絵画 第一集

クロード・モネの1864年~1886年までの作品。

音楽は、フランツ・シューベルトの 五重奏曲 イ長調 「鱒」 D 667 - V.フィナーレ : アレグロ ・ ジュスト。

 

※印象派 クロード・モネ 絵画 第二集

クロード・モネの1887年~最晩年の1924年迄の作品。

音楽は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第 3 番ト長調 K. 216 II.アダージョ。