私はこれまで、漠然と、人は年齢を重ねるたびに、「もうこれ以上、歳を取りたくない」と思うものだと思って来ました。
特に、女性は若さと美貌を保つ上からも、若くありたい、また美しくありたいと願い、歳を取ることをストレートに口に出して嫌だと言う人を何人か見て来ました。
反対に、男性は人生の何たるかがわかり始める中年以降に人間として輝きを増して来るものだということを、かつて職場の上司や読書等から見聞きしていました。
しかし、どうも今の自分は、そこまで至らず、段々と年齢が上がって行くことに対して、抵抗感を持つようになっていました。
ところが、先日、ラジオを視聴していたら、ゲスト出演していた作家の五木寛之さんが、「僕は、まだ75才になっていないけど、早く75才、いや80才になりたいと思っている」と話され、何という人だろうと思いました。
五木さんは、若い頃、歌謡界の裏側で働いた経験を持ち、サラリーマンとして「このまま流されていていいのか」という自問自答を繰り返した上で、サラリーマンを辞め、作家の道を歩むようになったそうです。
小説では、『青春の門』がとみに有名です。
ここ数年来の著書は、人生に関するエッセーも多く見られ、また近著では『私訳・歎異抄』という仏教書を出して話題にもなっています。
現役で活躍している方に老人という呼び方は、甚だ不適切だと思いますが、「老いてなお、益々気力充実し、・・・」という心境でおられるのかなと推察されます。
こうして人生の最晩年を、自らの才覚を生かして社会に還元できる生き方は、ご自身の健康な身体と強固な意志に基づくものだと思います。
キャリア上で参考になる点としては、志を立て、常に問題意識を持ち、情報収集、読書、思索、著述を続けることで、60代、70代となっても新境地を開拓し、成長を続けることができるということです。もはやここまで来ると、ライフワークとして取組んでいると言えなくもありません。
私たちも大いに見習うべき点があると思います。
特に、女性は若さと美貌を保つ上からも、若くありたい、また美しくありたいと願い、歳を取ることをストレートに口に出して嫌だと言う人を何人か見て来ました。
反対に、男性は人生の何たるかがわかり始める中年以降に人間として輝きを増して来るものだということを、かつて職場の上司や読書等から見聞きしていました。
しかし、どうも今の自分は、そこまで至らず、段々と年齢が上がって行くことに対して、抵抗感を持つようになっていました。
ところが、先日、ラジオを視聴していたら、ゲスト出演していた作家の五木寛之さんが、「僕は、まだ75才になっていないけど、早く75才、いや80才になりたいと思っている」と話され、何という人だろうと思いました。
五木さんは、若い頃、歌謡界の裏側で働いた経験を持ち、サラリーマンとして「このまま流されていていいのか」という自問自答を繰り返した上で、サラリーマンを辞め、作家の道を歩むようになったそうです。
小説では、『青春の門』がとみに有名です。
ここ数年来の著書は、人生に関するエッセーも多く見られ、また近著では『私訳・歎異抄』という仏教書を出して話題にもなっています。
現役で活躍している方に老人という呼び方は、甚だ不適切だと思いますが、「老いてなお、益々気力充実し、・・・」という心境でおられるのかなと推察されます。
こうして人生の最晩年を、自らの才覚を生かして社会に還元できる生き方は、ご自身の健康な身体と強固な意志に基づくものだと思います。
キャリア上で参考になる点としては、志を立て、常に問題意識を持ち、情報収集、読書、思索、著述を続けることで、60代、70代となっても新境地を開拓し、成長を続けることができるということです。もはやここまで来ると、ライフワークとして取組んでいると言えなくもありません。
私たちも大いに見習うべき点があると思います。
相変わらずクールヘッドですね。済みません。^^
さて、最近の年配者はとても若いと感じられます。
精神年齢の話ではなくて、健康を保っているせいか、行動範囲も広く、意欲的だと思います。
私たちも悲観したり、へこんでばかりいないで、もっと人生を肯定的に考え、そして楽しむ余裕を持ちたいものですね。
長寿にともなって、老年者が若々しくなったんじゃないですか。
身体的に若さを保つことで、そのため、精神的にも若くいられる。。。
と言っても、どこかで限界はあるけどね。
何か一つ、生き甲斐を持つことも秘訣かなって思います。