北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

「周山」関連:訂正と江村専斎「老人雑話」からの引用など

2007-01-13 00:03:15 | 歴史・社寺・史跡など
11月15日に<京北の地名:八津良神社の話からから派生して、、>と題して「周山」の地名についてふれましたが、

>これは井村専斉の「老人閑話」中のある、光秀が信長を暴君、殷の紂王に、自らを
>これを討った周の武王になぞらえていたとすることが出所になっているようです.

と書きました.この「老人閑話」というのは間違いで、正しくは「老人雑話」です.訂正いたします.

「山国読本」(平成16年12月1日発行の「山國読本(復刻版)」)の巻末にこれに関した記述をp201に発見しました.周山城や光秀に関連した「老人雑話」の記述を以下に引用します;

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明智亀山の北愛宕山のつゞきなる山に城郭を構ふ.この山を周山と號す.自らを周の武王に比し信長を殷紂に比す.これ謀叛宿志なり.

筑前守(秀吉)は、信長の手の者の様に其上磊落の氣質なれば、人に對して、辞常におごれり、明智は戸様のやうにて其上謹厚の人なれば詞常に慇懃なり.或時筑前守明智に云ふ様は、わぬしは周山に夜普請して、謀反を企て人皆云ふ.如何と明智答云ふ、やぐたいも無きことを云やとて笑って止みけりこそ.
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この「老人雑話」と作者、江村専斎(えむらせんさい)の情報を求めてあちこちブラウズしたのですがそう多くのページはなかった.どうもはっきりしないが100才近くまで生き戦国の武将や生きた当時の様子をいろいろ書いているようですが、これは読んでみないと分からない.創作部分もあり史料としては良質なものではないとの記述もありました.

光秀に関しては、「老人雑話」に
>明智日向守が云ふ 仏の嘘を方便と云ひ 武士の嘘を武略と云ふ 土民百姓は
>かわゆきことなり
という記述もあるそうですね.

「周山」という地名については11月19日に「周山という地名について」と題して書きましたが、その後見つけた参考文献も参考にしてまた書きたいと思います.


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