塔庚申山城について、やはり山城だった、と書きましたが、山城跡であると判定された訳を書くのを忘れていました。
高橋成計さんから次の様な説明を頂いておりました;
現在の遺構が、神社の敷地や道で改変されているが、下記のような説明で二人で山城跡と決定いたしました。
1、腰曲輪が西から南の方向にあるため、神社の敷地として拡幅されたものではない。
2、北の尾根方向に堀切のような堀がある。後の構築ではない。
3、改修はされているが、切岸がある。(唯の平場を造っただけではない)
4、街道への見張り場所としてベストである。
5、地形としては、城として要害性は低いが、見張り場所としては塔城をカバーしている。
切岸・堀切・街道の見張り・塔城との連携、などがキーワードになりますか。
高橋成計さんから次の様な説明を頂いておりました;
現在の遺構が、神社の敷地や道で改変されているが、下記のような説明で二人で山城跡と決定いたしました。
1、腰曲輪が西から南の方向にあるため、神社の敷地として拡幅されたものではない。
2、北の尾根方向に堀切のような堀がある。後の構築ではない。
3、改修はされているが、切岸がある。(唯の平場を造っただけではない)
4、街道への見張り場所としてベストである。
5、地形としては、城として要害性は低いが、見張り場所としては塔城をカバーしている。
切岸・堀切・街道の見張り・塔城との連携、などがキーワードになりますか。
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