25日5時頃に京都市内を出た。夜はまだ明けていない。湖西道路に入り、途中今日のガイドを務めていただく平崎雄悟さんと合流し、湖西を走り奥琵琶湖の木之本を目指した。
塩津、飯浦を過ぎるも集合時刻にはまだまだ時間がるので、飯浦から現在の塩津街道を左に入る。少し上ると奥琵琶湖の素晴らしい眺めが飛び込んできた。昔の賤ヶ岳隧道を通り抜けて大音の集落を山裾沿いに走る。平崎さんは琵琶湖一周歩きや奥琵琶湖の観光ガイドをされていて、ここは伊香具神社でその鳥居が伊香式だとか、秀吉軍が賤ヶ岳に登ったのはここから、などと詳しい説明が頂けた。それでもまだ時間があるので、黒田の集落へ。官兵衛ブームで有名な黒田家の発祥の地といわれ、墓石がでたという黒田家御廟にも案内していただく。北国街道に入り木之本宿の街中を走り、山内一豊がかの名馬を買い求めたのはここ、日本三大地蔵の一つがここ地蔵院に、鶏足寺の紅葉を見に訪れる人も多い、などなど楽しい説明を聞くことが出来た。小生にとっては初耳のことが多く、この古い雰囲気を残す宿場町はぜひゆっくり訪れたくなってきた。
しばらくというか、かなり木之本駅で参加者の到着を待つ。その間にもいろいろと話をして頂け、早起きはまさに三文の得(本来は”徳”なのだろうけど...)というところか(^^)
当日は歴史街道協議会の山城を探訪する企画で、主目的は玄蕃尾城跡が目的地で、4台の車に分乗して365を柳ヶ瀬へ。ここは宿場町だったそうで、彦根藩の関所もあり、当初の北陸線が通っていたり、敦賀と木之本を結ぶ主要な街道の要所だそうだ。
柳ヶ瀬関所跡
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柳ケ瀬集落の北の端で荒谷へと入り100mも行くと、倉坂峠・玄蕃尾城への看板があり、右の坂に取り付く。この道はまさに街道そのもの、広くゆったりとした坂道だ。明治天皇が西南戦争の翌年明治11年の第三回目の北陸東海道行幸の際にこの峠を、総勢798名、馬116頭と共に越えられたとのこと。当日頂いた資料によると、供奉者、右大臣岩倉具視、参議大蔵卿大隈重信工部卿井上馨、宮内卿大寺実則等の高官、近衛兵14名、騎兵1小隊、巡査344名、それに、御馬5頭、乗馬111頭と説明されていました。すごい行列ですね。
ゆっくり歩きやすい道を1時間弱上ると倉坂峠(刀根越、久々坂、柳ヶ瀬峠とも呼ばれているようです)に到着。写真右が柳ヶ瀬へ、左は刀根へ、真っ直ぐ階段を登ると玄蕃尾城跡へという道になっていて、後ろ方向は行市山砦への昔の軍道が。
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ここから200ms程の急登をこなすとゆったりとした広い稜線歩き、峠から500msで城跡の入り口に。
当日は中井均さんの縄張図なども頂きましたが、ここの案内板にある縄張図を載せておきましょう。
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この案内板すぐに大手虎口が迎えてくれた。曲輪に入ると、まず感じるのが見事に整備された城跡だ。雑草などが綺麗に刈り取られていて、城跡内には樹も少く、そのおかげで横堀や土塁がくっきりと見ることが出来る。
曲輪はほぼ全てが横堀と土塁で囲まれている。次の写真は主郭虎口を内側から見た姿。堀を跨ぐ土橋や馬出も見える。
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近江の山城をあちこち現地に足を運ばれて勉強されている平崎さんに、これは馬出、土橋、などと、お城のパーツを解説していただく。横堀もきれいに残っている。普通は数百年の経過で堀が少しずつ崩れて底が埋まっているが、ここではくっきりとその姿を留めている。しかしそれでも崩壊の影響はあるはず、昔の現役の頃はもっと深かったろう。
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主郭を囲む土塁。城跡を一巡した後、櫓台の下で風を避けてお昼に。空は真っ青だが、北風が木を揺らして肌寒さを感じる。
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主郭の櫓台。礎石が2つ。
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主郭の北にある馬出。はっきりと分かる。
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北郭も広い。
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ここは兵站基地の役目を果たしていたようだ。
北虎口。城の真北にあり、土橋は稜線へと続く。何千という軍隊を移動し、戦を支えるにロジスティックスは最大の問題、この城の北側の稜線を越前から必要物資を運びこむルートだったろうということです。この郭はかなり広く相当の物資がこの虎口を通って運び込まれたことだろう。
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この城はかの信長の跡目を争った羽柴秀吉と柴田勝家の賤ヶ岳合戦に備えて勝家が本陣を張った城として有名なのだが、玄蕃尾城という命名は、史跡として国に指定を申請するときの福井県側の思い入れの強さによるものだろう。史跡としては1/4が福井県に、3/4は滋賀県側にまたがっているけれど、保存活動自体も福井県側の皆さんが頑張っておられる様だ。もともと滋賀県では内中尾山城として認識されていたそうだ。
この城が合戦の舞台にはならず、雌雄を決する戦いの主戦場はあくまで賤ヶ岳付近で七本槍などの英雄が活躍したが、当日頂いた資料には、他にも毛受兄弟、横山喜長隆、などの逸話も載せれれている。奥琵琶湖観光協会発行のパンフには両軍の配置図もありなかなかのものだ。これを実際に作成されたのは奥琵琶湖観光ボランティア協会の人とお見受けしたが、当日はその会のメンバーたる平崎さんに直々ガイドしていただいた訳で、自説も交えた解説を楽しく聞かせていただいた(^^)合戦の推移やら、語り伝えられる事柄を、その背景までよくご存知で大いに参考になった。
帰路も彼の案内を聞きながら、今度は湖の東側の湖岸道路を走ったが、名所の話だけではなく、北陸線や北国街道、琵琶湖一周のルート、琵琶湖自体の話など様々な話を聞くラッキーなドライブだった。
一番印象に残るのは、北陸線開通に纏わる話で、当初、長浜駅が湖岸にあり、北陸から着いたら駅のそばにある港へ引き継ぎ、長浜~大津を民間の鉄道連絡船で結んだ、という話だ。東海道線もここで合流していたとの話は以前聞いたことがあるが、湖上を大津まで運ばれた話は初耳で、今あちこちをブラウズしながら勉強中(^^)
先日丹後郷土資料館で聞いた講演で触れられた由良川水運を利用して日本海と大阪を結ぶ物流ルートの構想、琵琶湖と敦賀を結ぶ話、大浦の丸子船の館で見た丸子船による琵琶湖水運、なども我が関心事であり、琵琶湖は奥深いもんでございます(^^)
実家が大津市堅田のため、
滋賀県つながりでたどりつきましたー。
奥琵琶湖はあまり探索したことがないので、
興味深く拝見しましたー。
琵琶湖の良さを味わうには湖北がいいなぁと思っているのですが、今回平崎さんにいろいろ案内していただきますます興味をいだきました。
景色良し、歴史の話題豊富、地図を見ていても楽しくなります。
琵琶湖の水運についても興味ありますし、いろいろお教えくださいませ(. .)
私もあまり地元の歴史には詳しくなく、
この年になって、改めて勉強したいなあ、と
興味が出てきたところです。。。
私も若い頃は地元のことにはあまり興味はなく、Uターンしてから地元の歴史を勉強し始めましたが、なんとなんと中々奥深いものがありますね。それをとっかかりにあちこち興味を抱く巾が広がってきました(^^)
福井の城歩きマンと申します。
玄蕃尾城へ登られた由、気に入っていただけましたか?
この城は福井と滋賀にまたがっているので、両方からアプローチしていただけて見学する人もかなり多い城跡のひとつです。
近くには疋壇城跡や深坂古道などもあって、由緒深い土地柄です。
今度はもう少し北へも足をのばしていただければ嬉しいです。
立派なHPを見させていただきました。あちこちのお城などを探訪されているのですね。私は地元の丹波の山城を探訪する講座を担当しましたので、周山城、宇津城、八木城、八上城、黒井城、金山城などをはじめにかなりの山城を高橋成計さんの案内で歩きました。若狭では、国吉城、後瀬山城、高浜城くらいでしょうか。
福井県ウォーキング協会の街道歩きを企画されたので、西の鯖街道部分では下見から協力させていただきました。疋壇城跡や深坂古道は興味があります。平清盛などの琵琶湖と若狭の海を結ぶ構想にもロマンを感じています。いろいろご指導よろしくお願いいたします。