わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

理解不足ではない=与良正男

2008-06-03 | Weblog

 私がひそかに「○○子おばあちゃん」と呼んでいるIさんは今年87歳になる。極めて的確な本欄への感想を時折、手紙で送ってくださる東京都内の読者の一人だ。

 2年前、夫に先立たれ、国民年金を頼りにする暮らし。決して楽ではないはずだが、そんな中で新聞を購読し、「毎日、すみからすみまで読んでいる」と聞くと、いつも頭が下がる思いだ。そして、Iさんは自らに言い聞かせるように、こう記す。

 「不服ばかり言っていては心まで貧しくなりかねません」「自立心を持って力強く生きたいですね」……。

 戦後の日本はこうした人たちに支えられ、政治はこうした人たちに随分と甘えてきたのだと思う。そのIさんたちが今、後期高齢者医療制度に怒っている。いや、悲しんでいるといった方がいいかもしれない。

 政府・与党関係者は「説明不足だった」と口をそろえるが、すでに多くの人は制度の仕組みをよく理解し、改革の必要性も認めていながら、とりわけ75歳で線引きしたことに納得できないのではなかろうか。そんな「心の問題」でもあることに関係者はなぜ気づかないのだろう。

 先日、静岡市で読者のみなさんの集いに出向く機会があった。最後に80代の女性が手を挙げ、「野党の欠点は新聞を読んでよく知っている」と語ったうえで、「それでも今度は政権交代を」と静かな口調で訴えると、会場から大きな拍手が巻き起こった。

 無論、次の衆院選の結果がどうなるかは分からない。でも、有権者の意識は確実に変わってきていると思う。(論説室)





毎日新聞 2008年5月29日 東京朝刊

コメントを投稿