わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

科学の尖兵=玉木研二

2009-01-30 | Weblog



 新学習指導要領は理数教育に力を入れ、授業時間も増やす。「理科離れ」「学力低下」「ものづくり日本の陰り」。みんな文教政策の失敗といわんばかりの声に押されてだ。だが性急に果実を求めてはならない。

 戦争末期の1945年1月から春にかけ、東京高等師範付属など東京、広島、金沢、京都の国民学校(小学校)・中学校で生徒を選抜し「特別科学学級」が編成された。毎日新聞は「科学の尖兵(せんぺい)を育(はぐく)む」と報じる。国策で理数の「英才教育」が実施されたのは画期的だった。敵の科学技術にも圧倒され敗退を重ねる戦況に、突出した科学的人材養成の必要を痛感したのだ。「起死回生の大発明」の夢想的期待も底にあったらしい。

 それにしてもこの場当たり主義はどうしたことか。長い戦争の間、政府も軍も場当たり的判断を繰り返し破滅したが、本土空襲の段に及んで引っ張り出された「科学の尖兵」候補たちも大変だ。8月敗戦。新学制移行に伴い、制度も露と消えた。

 だがその間、教師や学者は情熱を注いだ。白眼視された英語に時間を割き、歴史や国語も硬直した軍国主義教育とは異なる自由があったという。科学教育ゆえだろう。ただ短期に教え込むには無理もあった。日本放送出版協会「近代日本教育の記録」は物理学の第一人者・仁科芳雄博士が当時特別学級について語った言葉を紹介している。

 「あまりに詰め込みすぎる傾向はないか。教え方としては原理的な事柄をじっくりと教え込むことが望ましい。学習にゆとりを持たせて、夢を描かせることであらしめたい」

 新学習指導要領においてもまたしかり、のはずである。(論説室)





毎日新聞 2009年1月20日 東京朝刊


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