「一国皆私欲世界となりぬれば、勘定も帳面も名のみにて、何の用にも立たぬなり」と警世の書「東潜夫論(とうせんぷろん)」(岩波文庫所収)に記したのは帆足万里(ほあしばんり)である。江戸後期、豊後(大分県)日出(ひじ)の学者。儒学から独学の蘭学まで広く修め、教えた。「一国」とは幕藩体制の役人世界を指す。
社会保険庁、国土交通省、防衛省と、つい重ねて読みたくなる。確かに、これが机上論や観念的な説教ではないのは、彼自身、ガタガタにむしばまれた日出藩の財政立て直しを命じられ、3年間苦闘したからに違いない。
その筆鋒(ひっぽう)描くところ、リアルである。例えば、江戸の留守居や大坂蔵屋敷に派遣された者たちの不届きぶり。遊興のために「九十両の払ひには百両と請取をかゝせて十両を私(わたくし)し、八十銭の米は七十九銭と入札させて、千石売れば一貫目の銀を盗む」。町の金貸しからの借金は元利とも踏み倒し、それが手柄になる。
万里は社会経済の視点から田畑荒廃も憂える。村単位にあるはずの土地台帳「水帳」が現実の変化と一致せぬまま放置され、用をなさない。水帳と実際の田地を引き合わせるチェックを「坪押し」(何だか「名寄せ」を想起させる)というが、長年ほったらかしではままならない。
「利口になりて、骨折りて利少き事はせず、薪(まき)を売り、日傭(ひやとひ)をとり、米を買つて食ふ方勝手よき」ゆえ辺地のやせた土地は次々に放棄され、人々は城下町へ流れた。
万里はペリー来航の前に没し、幕末の動乱や新社会を見ることはなかった。だが、その先哲の目、今の世まで見通していたかのようである。(論説室)
毎日新聞 2008年3月18日 東京朝刊
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