わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

安保改定50年=伊藤智永

2008-12-02 | Weblog

 米大統領選でのオバマ氏当選に、世界中が歴史の変化を感じている。ところが、日本の首相は「どなたが大統領になられようとも日米関係は50年以上培ってきた。新大統領とも維持していく」とコメントした。

 官僚の振り付けでは模範回答なのだろう。いわく「外交の継続性」。でも、型通りすぎて時代の躍動感がまったくない。

 米国民の多くは、今やブッシュ時代を「間違っていた」と考え、オバマ氏を選んだ。日本以外の同盟国も、それぞれブッシュ路線と確執を抱え、オバマ氏の「変革」に期待を寄せる。

 同じ時期の日米関係を、外務省は「戦後最良」と自賛してきた。基になったのは、小泉純一郎元首相とブッシュ大統領の人間関係。なのに今、日本だけ反省もなく「誰が大統領でも同盟は不変」なわけはなかろう。

 1955年、鳩山内閣の重光葵外相は米国に日米安保条約改定を提起し、一蹴(いっしゅう)された。

 程なく保守合同で自民党を結成した岸信介は、自ら政権を担うや、及び腰の外務官僚を尻目に敢然とこれに挑む。米側が一転して交渉に応じたのは、岸を指導者として高く評価していたのが理由の一つだった。

 当時の米国務省文書は「日本の最も鋭敏な政治家で、保守党内の仲裁役を果たす力強く想像力に富む人物」と称賛し、重光ら他の実力者を酷評している。

 結果できた60年安保が、戦後日本と日米関係の骨格を形づくったのは言うまでもない。

 指導者は同盟の質を左右する。米国は今も日本の政治家を冷徹に採点しているはずだ。「相手が誰でも末永く仲良く」といった変化を嫌う同盟観が、果たして尊敬されるだろうか。(外信部)




毎日新聞 2008年11月8日 東京朝刊


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