わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

これでは陸連はいらない=西木正

2008-08-21 | Weblog
 2008年8月17日。この日を期してレースを見続け、データを記録し、予定や体調を整えてきた4年間はなんだったのか。全国の女子マラソンファンがそう思っているはずだ。私の老春を返してくれないか、日本陸連!

 惨敗の責任を、選手や指導者に押しつけてはいけない。現場に任せ切りで、情報把握も危機管理もできなかった陸連が、ひとえに責めを負わねばならない。

 反省と課題は山ほどある。日本の有力選手が強化練習中の故障や古傷の悪化で脱落した。一方で、マイペース調整で奔放な走りの36歳ヌデレバ選手が銀、室内運動器具で練習しただけで出場した34歳ラドクリフ選手も完走、という現実をどう見るか。

 身体能力の差で済ませていい問題ではない。悲鳴を上げるまで体をいじめるのが本当に正しい練習方法なのか。どこまで走り込み、どれぐらい体を休ませるのが最適かを科学的に検証し、それを数値化して個々の選手に徹底することが最優先の仕事だろう。

 代表選考も見直しが不可欠だ。条件の異なる複数の選考レースで日本人1位などという基準は一見公平だが、最後は「夏に強い」といった主観が頼りではないか。

 記録よりかけひき勝負の五輪代表には、選考レースの結果より「だれに、どう勝ったか」が重要だ。陸連が独自に一発選考レースを開催するのが無理なら、過去の経験と実績による「期待値」を重視する方が、私は納得できる。

 ロンドンに向けて、こういった点を改めることができないなら、日本陸連の存在する意味がない。(論説室)




毎日新聞 2008年8月24日 大阪朝刊

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