「水戸黄門」なら助さんか格さんが「これが見えぬか」と印籠(いんろう)かざし落着する場面。でも相手がその何たるかを知らなければ「は?」と首をかしげられるのがオチだ。
米国ニュージャージー州の路上で年配の男性に職務質問し、身分証提示を求めた20代の警官2人には悪意はなかっただろう。そのボブ・ディランさん(68)が「超大物」シンガー・ソングライターであると知らないことも何ら職務怠慢ではない。
ニュースになったのは、やはり、この小さな街角の出来事が時代の移ろいを、少しのペーソスをともなってしみじみと思わせるからだ。
その世界には興味なくてという人も「風に吹かれて」が流れてきたら「あ、あの」と思い当たるだろう。
1960年代、生ギター一本に自作の詞と曲を乗せ、戦争や強権力、差別を告発した彼のスタイルは「目新しい流行」以上の共鳴、共振の波を米国内外の若者に広げた。
「反戦フォーク」とか「プロテストソング」という呼び名も今は懐かしい。しかし、その呼び名は空疎な飾り言葉ではなく、確かに質量感があった言葉である。
自由なギターと語りが「時代と社会を変える」思いは多分に幻想であったにしても、「自分の言葉」で歌う文化は深く根を生やし、広げた。
この40年以上、日本でもディランの影響を全く受けなかった弾き語りミュージシャンはほとんどいないだろう。意識せずとも、前の世代から連綿とその「血」を受け継いでいるはずである。
くだんの若い警官もそんな音楽の大ファンであるかもしれない。と考えれば、何だかこの街角の「珍事」もほほ笑ましいではないか。(論説室)
毎日新聞 2009年8月18日 東京朝刊
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます