わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

日本は痛いのか=中村秀明

2008-03-17 | Weblog

 ねじれ国会のせい、とは言わせない。中央銀行のトップ人事を振り回し、もてあそぶ与野党の感覚はおかしい。

 たとえて言えば、一般企業の株主総会が取引銀行の頭取人事を左右したり、町内会が派出所の後任選びに文句を言ったり、PTAが学校長人事に抗議するようなもの。確かに日銀総裁人事は国会同意が必要で、制度上は口出しできる。しかし、やれるということと、許してしまう、やってしまうのはまるで違う。

 ブッシュ米大統領だって、05年の米連邦準備制度理事会(FRB)議長の後任人事で「FRBの独立性は米国だけでなく世界から信頼を得るために重要だ」と語り、さっさとバーナンキ氏を選んだ。中央銀行総裁は国の信用と威信の一端を担うからだ。こんな状態で、だれが日銀総裁になっても、G7(先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議)のメンバーから「この男は政治家の顔色をうかがわずに判断し、行動できるのか」と疑いの目を向けられる。

 英エコノミスト誌は2月末、「JAPAiN」と題する日本特集を掲載した。副題は「世界第2位の経済がいまだにおびえている-政治が問題なのだ」。日本にとって頭が「痛い」(pain)だろうし、世界から見ても痛い存在という意味である。

 記事は「政治の混迷で、自民党内の古い勢力の影響力が増し、民主党の小沢一郎代表はかつては改革派とみられていたが、今は古いタイプの自民党のボスのようだ」と書いた。よその国の雑誌に「痛いなあ、あんたら」と指摘され、ヘラヘラしていられるようなお人よしではいたくない。(経済部)




毎日新聞 2008年3月7日 東京朝刊


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