昨秋、麻生太郎首相が定額給付金の実施を表明した直後、出演していたテレビで、まず私が疑問を呈したのは「社会保障政策なのか景気対策なのか分からない」という点だった。
それは今も問題の根幹だ。でも、実は当時、そう異議を唱えるのに自信があるわけではなかった。「あなたには生活に困窮している庶民の気持ちが分からない」などと言われたら返答は難しいと思ったからだ。
しかし、どうだろう。もちろん、そうした反論はあるが、世論調査では定額給付金に賛成していない人が大多数。そして「2兆円使うなら違う使い道に」と話す人が何と多いことか。
一時、首相が高額所得者が受け取らないのは「人間の矜持(きょうじ)」と発言していたころ、あるお年寄りの男性からいただいた手紙には、「全学校の屋上への太陽電池設置」などの代案が(野党より先に)記されたうえで、こう書かれていた。
「給付金を辞退した分は別の○○政策に回すと明確にしてもらえれば喜んで辞退する人が多いと思う。私たちは生活は貧しくても心までは貧していない」
この国では税金の使い方について、国民は基本的に政治家や役所に任せっ切りの状況が続いてきた。それを考えれば、これは大きな意識変化の表れではなかろうか。
与党は定額給付金を含む補正予算案を無修正で成立させるという。確かに世論調査では大半の人が「給付されれば受け取る」とも答えている。与党は「だから効果あり」と言いたげだ。だが、国民、いや政治の主役である「主権者」の意識変化に気づかないようだと大きなしっぺ返しを受けるだろう。(論説室)
毎日新聞 2009年1月22日 東京朝刊
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