マネー パワー 歴史=福本容子
ニューヨークに、この夏いつになく盛況だった博物館がある。アメリカ金融博物館だ。観光客の人気スポットではないけれど、危機の震源地を見ようと訪れた人たちで来場がいつもの倍近くに膨らんだそうだ。ウォール街48番地。入り口には「マネー、パワー、歴史」とある。
今年、「金融危機」のコーナーが加わった。リーマン・ブラザーズ、AIG、シティグループ……。かつて寄付で博物館を支えてきた金融機関の大所が今や展示の対象だ。
創設者のジョン・ハーゾグさんが博物館を思い立ったきっかけは1987年10月19日(月曜)の株価大暴落、ブラック・マンデーだった。証券業界にいたハーゾグさんはパニックのただ中で、両親がいつも話してくれた60年前の大恐慌を思い起こしたという。
「教訓が完全に忘れ去られていた」。街から「歴史」が抜け落ちていると気付き、語り継ぐ場を作ろうと決めた。
残念ながら失敗は繰り返された。「アメリカの歴史は金融危機だらけです。1792年、1819年、1837年、1857年、1873年、1893年、1907年、1929年、1973年、1987年、2000年」。そう語るのは現館長のデービッド・コーウェンさん。「過去に十分、注意を払わなかったせいで、また誤ってしまった」
今度こそ……。歯がゆいかな、ウォール街はもう危機前の顔に戻ろうとしている。懲り懲りだったはずのグロテスクな金融商品が復活の兆しを見せ、数十億円の報酬契約を伝える報道も出始めた。
マネーとパワーがしぶとく生き残り、歴史は置き去りにされる。マネーもパワーもなく災いだけ巻き込まれる普通の人々にはやりきれない。(経済部)
毎日新聞 2009年9月18日 東京朝刊
1万5000の頭脳=元村有希子
鳩山内閣発足の夜、霞が関で禁足中の某省幹部を訪ねたら、手持ちぶさたな様子で組閣のニュースを見ていた。
恒例の大臣就任会見ブリーフィングはなく、机上には前大臣秘書からの菓子箱と民主党のマニフェスト。「先生方の要求に応じて資料を作るという仕事の本質は変わらないが、やり方は確実に変わるでしょう。どうなるのか……」
全国のキャリア官僚は約1万5000人。国家1種試験を突破したエリートだから優秀で仕事もできる。政治家に重宝がられ、やがて政治家を使うようになった。「失敗は許されない」という使命感は「失敗するはずがない」という無謬(むびゅう)主義に陥った。日米密約や薬害エイズの資料隠しなどは氷山の一角だろう。
彼らは悪人ではない。個々人は「日本をいい国にしたい」という志を持っている。だが組織になると印象が変わる。保守的、独善的、形式的。いわゆる官僚主義だ。新政権の「脱官僚依存」はこういう旧弊からの脱皮を狙っている。さっそく事務次官会議が廃止され、会見も制限された。
彼らにしてみれば不安だろうが、本来やるべき業務とそうでないものを見極めるいい機会だ。
例えば重要政策を決める会合のいくつかは非公開だが、公開にすれば終了後、記者の前で議論を逐一再現する必要はない。審議会だって、省益にかなう有識者を選ぶことからシナリオ書き、報告書の作文まで官僚がやっている。反対意見をどう削除するかに苦心する時間を、もっと創造的な作業に回せないか。
不毛な戦いより、1万5000の優秀な頭脳を有効に使うことを考えよう。政治家も官僚も、日本を引っ張る貴重な人材なのだから。(科学環境部)
毎日新聞 2009年9月19日 東京朝刊
人の証し=萩尾信也
偏見や差別にさらされて故郷や家を追われ、自らの存在を消すように生きた過去を持つ人々がいる。国の誤った政策で強制隔離されたハンセン病の元患者たちである。
群馬県草津町の国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園」。96年の「らい予防法」撤廃後も、多くの元患者たちがとどまって暮らす園の自治会(藤田三四郎会長)が今秋、「入所者証言集」を刊行した。
終戦前年に1350人を数えた入園者は高齢化が進んで、現在154人。平均年齢が81・9歳に達する中で、「過ちを繰り返さないための礎にしてほしい」との願いから、自治会が呼びかけて出版にこぎつけた。
県が500万円を助成。社会調査を専門にする埼玉大学の福岡安則教授らが泊まり込みで園に通い、1年がかりでまとめ上げた。過去の聞き取りや国家賠償訴訟の陳述書に新たな聞き書きを加えた計1400ページ全3巻には、50人の元患者の証言が収録された。
ハンセン病を根絶するための断種や中絶の手術、劣悪な環境の「重監房」で獄死した15人の物語は、人間の狂気が生んだ「アウシュビッツ」の記憶をほうふつさせる。ふるさとの思い出や園での日々の生活ぶりは、元患者たちの生きた証しを記すものだ。
本の編者でもある自治会の副会長、谺(こだま)雄二さん(77)は言う。「この本は、人が共生して生きていくために私たちが贈る“遺言書”です。あと10年もたてば多くはこの世から消滅してしまうけれど、ハンセン病の歴史と教訓は必ず生かし続けてほしい」
問い合わせは同自治会(電話0279・88・8671)へ。思索の秋に、差別や人間について考える貴重な本になるはずだ。(社会部)
毎日新聞 2009年9月20日 東京朝刊
歴史の神様=福島良典
ユダヤ教の結婚式では、離婚する際に夫が妻に支払う金額を記入した契約書が参列者の前で読み上げられる。証文化には、女性を保護する「保険」の意味がある。
儀式は合意を書面に残す契約社会の原点をほうふつとさせる。だが、欧米でも口約束にとどめ、あえて文書にしない場合がある。外交機密だ。
東西冷戦の崩壊から20年。欧米やロシアで、当時の「密約」探しが始まっている。有名なのは1990年の東西ドイツ統一前、米ソ間で交わされたとされる口頭了解だ。
「(ソ連が東独から)軍を引き揚げ、ドイツ統一を可能にすれば、NATO(北大西洋条約機構)を一インチたりとも東側に拡大しない」。ゴルバチョフ元ソ連大統領によると、ベーカー米国務長官(当時)は確約したという。
ブラッドレー元米上院議員によればベーカー氏は「東独」のつもりで「東側」と言い、ゴルバチョフ氏は「東欧」と取った。ボタンの掛け違いが後年、NATO東方拡大を巡る米露確執の種になった。
それでも、クリントン元米政権は東欧に米軍施設を持ち込まなかった。ブッシュ前政権がロシアの逆鱗(げきりん)に触れたのはポーランドとチェコにミサイル防衛(MD)施設を建設する計画を推進したからだ。
オバマ米大統領によるMD配備計画の見直しには、「米国による約束破り」を指弾してきたロシアの不信を払しょくする狙いがありそうだ。魚心あれば水心。ロシアも対米協力の用意を示している。
「誓ったことは自分の損害になっても変えることはなく」と旧約聖書は説く。時代が移れば、密約はいずれ表に出る。当事国が守ったかどうか、審判を下しているのは歴史の神様かもしれない。(ブリュッセル支局)
毎日新聞 2009年9月21日 東京朝刊
浅草のヒトラー=玉木研二
1939(昭和14)年8月28日昼。小説家の永井荷風は東京・有楽町で新聞号外を受け取る。日記「断腸亭日乗」(岩波書店)にある。
<平沼内閣倒れて阿部内閣成立中なりと云(い)ふ。これは独逸(ドイツ)国が突然露国と盟約を結びしがためなりと云ふ。通行の若き女等は新聞の号外などに振返るもの一人もなし>
不倶戴天(ふぐたいてん)のはずのヒトラー・ドイツとスターリン・ソ連が不可侵条約を結び、平沼騏一郎(きいちろう)内閣は混乱した。防共の盟友とたのんだドイツが宿敵ソ連と結んでは日本は外交の前提が全部崩れる。裏には戦争開始と占領地分割の独ソ密約があったのだが、平沼は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」と空前の奇声明を出し、政権を放った。
国際政治の大事に日本がしばしば蚊帳の外に置かれること今昔変わらぬが、こんな街の逸話も荷風は書いた。
<夜浅草オペラ館に行きて見るに一昨日までヒトラーに扮(ふん)して軍歌を唱(うた)ふ場面ありしが、昨夜警察署よりこれを差留めたりとの事なり>
上の「空気」をかいで、一応止めれば無難だろうと警察が気を回したのではないか。先ごろ「次官会見廃止令」でそんな必要はない他の会見も中止した官庁の気の回しぶりと似ている。今も昔もか。
さて4日後、本物のヒトラーは戦争を始め、やがて不可侵のはずのソ連を攻め、日米も戦端開いて世界の大戦争へとつながる。舞台を外された「浅草のヒトラー」や有楽町で号外を無視した若い女たちも、その後の世の大変動に巻き込まれたはずだ。そんなことになろうとは、あの日夢にも思わなかっただろうが。
歴史の節目はその時は発信に気づかせず、後でそうかと思い当たらせるものらしい。(論説室)
毎日新聞 2009年9月22日 東京朝刊
公約を守ることとは=磯崎由美
1700993。95年の東京都知事選で初当選した故青島幸男氏は得票数を刻んだタイピンを胸に、逆風の都議会に臨んだ。与党なき議会と巨大な官僚組織に単身乗り込み、無党派層の絶大な支持こそが支えだったのだろう。
四面楚歌(そか)の中、青島氏は臨海副都心開発の起爆剤として進んでいた世界都市博覧会を公約通り中止した。記者会見では「都市博をやる、やらないでなく、青島は約束を守れる男か、守れない男か、信義にかかわる問題だ」と声を張り上げた。まだマニフェスト(政権公約)という横文字も見ない時代。公約というものは形骸(けいがい)化し、政治不信が広がっていた。走りだした公共事業の中止などあり得なかった。「何かが変わる」と高揚したのは、取材していた私だけではなかった。
しかし振り返れば、決断の評価を定めるのは難しい。工事を請け負うはずの中小企業は相次ぎ倒産、融資あっせんや補償にも多くの費用がかかった。臨海副都心開発は中途半端に進み、開発を担う第三セクターは破綻(はたん)した。
当時を思い出させたのは、群馬県の八ッ場(やんば)ダム建設をめぐる民主党の姿勢だ。前原誠司・国土交通相は「公共事業を見直す入り口」と述べ、マニフェスト通り中止することが変革の象徴になると位置づけるが、地元の困惑などを見ているとすっきりしない。
公約を変えれば、野党は鬼の首を取ったように追及するだろう。でも、政権を取ってみて分かることもあるはずだ。公約した個々の政策は本当に必要なのか。誰が何を得て、何が失われるのか。改めて分かりやすく説明し、軌道修正すべきことが見つかれば修正する。それも政権政党への期待だと思う。(生活報道部)
毎日新聞 2009年9月23日 東京朝刊
記者会見とは何か=与良正男
鳩山政権が発足して1週間。書きたい話は山ほどあるが、「政権交代で政治報道も変わる」と言っている私としては、やはりこの話に触れないわけにはいかない。事務次官らの記者会見禁止問題だ。
新聞・テレビが一斉に批判し、鳩山由紀夫首相も既に軌道修正しているが、どうも民主党側もメディア側も「そもそも記者会見とは何か」という基本的な議論が欠けている気がしてならないのだ。
国民が知りたい話、知るべき情報を記者が引き出す。それが記者会見だ。その点、民主党は自分たちの考えを一方的に伝えるのが会見だと勘違いしている節がある。都合のいい情報を提供するのは広報・宣伝。会見とは違う。
しかも、政治主導といっても閣僚や副大臣らが省庁のすべての情報を把握するのは不可能だ。そこまで国民は求めていないし、あやふやな説明をされて困るのは国民だ。会見では、政治家が役人言葉でなく分かりやすく説明する一方で、専門性のある官僚も同席して時に補足もする。それが政権にも国民にもより望ましい方法ではないか。
一方、新聞・テレビも「元に戻せ」と要求するだけでは済まない時代だと思う。例えば従来どこまで定例の事務次官会見を私たちは生かしてきただろう。突っ込んだ質問をせずに官の情報を垂れ流し、官の代弁をしてきただけではなかったか。「知る権利」を主張するだけでなく、自ら反省してみるいい機会だ。
まず、最近記者の一部に見られるように会見場でひたすらパソコンを打って発言録作りだけを目指すなんてまねはやめよう。質問することをはなから考えずに臨んでいるとすれば、これも勘違いというべきなのだ。(論説室)
毎日新聞 2009年9月24日 東京朝刊
注目の2人=福本容子
鳩山由紀夫首相とモルディブのナシード大統領に共通することは?
2人とも今週、国連の気候変動サミットで演説した。集まった100カ国ほどの首脳のうち演壇に立てたのは8人だけ。人口30万人の国から来たナシードさんはオバマさんに続く2番目の登場で、中国、胡錦濤・国家主席の直前。就任1週間でいきなり、の鳩山さんがその直後。百メートル決勝に残りボルトとゲイの隣で突然走るみたいな感じだけど、2人とも英語で立派にしゃべり、大きな拍手を受けていた。
なぜモルディブかというと、温暖化の危機がすぐ足元に迫る島国だからだ。国土の8割が海抜1メートル以下。42歳の大統領は「世界が現状維持なら私たちは死ぬ。国はなくなる」と訴え「駆け引きの時間はない」と行動を呼びかけた。
鳩山さんが選ばれたのは、もちろん「温室効果ガス25%削減」を目標に掲げたから。でも、それだけではなかったと思う。2人にはもう一つ共通項があった。何十年もかなわなかった政権交代を選挙で果たした点だ。ナシードさんは11カ月前、30年続いた独裁政権を倒した。国民の支持を得たリーダーの言葉は響く。
ナシードさんは温室効果ガス削減の画期的合意を求める国連のCMにも登場する。海水につかった執務机にスーツで向かっている姿が印象的だ。バイオリニストで国連平和大使の五嶋みどりさんも出ている。「鳩山首相の約束が秘めた可能性にわくわくします」。CM発表の折に、“世界のミドリ”が寄せた言葉だ。
こういう注目っていつ以来だろう。世界第2位の経済大国だから、あって当然だったのに、随分長く取り損なってきたものだ。でもこれから。いよいよ、これから。(経済部)
毎日新聞 2009年9月25日 東京朝刊
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