1960年代の米テレビ映画「コンバット!」は、第二次大戦の欧州戦線で戦う米軍の無名の歩兵たちを描いた。記憶に刻んだ1編がある。
砲爆撃で荒れ果てたフランスの村。米独の歩兵が交戦するが、村の女が現れ、泣いて懇願した。「赤ちゃんが生き埋めになった。助けて」。両軍の兵士はためらいながら停戦し、協力してがれきを掘り、懸命に捜索を始めた。
戦傷でふせていたドイツ軍将校がこの光景を見て怒り、声高に戦闘を命じる。だが彼は倒され、捜索は続いた。
そこへ村人が来て言う。実は赤ん坊は以前の爆撃で死んだが、彼女の心がそれを受け入れない……。兵士たちは放置していた銃を再び手にし、黙って二手に分かれた。
今、ミャンマーと中国四川省で起きている大惨状は架空でも幻想でもない。がれきや土砂に埋まり、濁流にのまれた無数の命。飢えと計り知れない伝染病の恐怖。その現実を前に、何の思惑や計算、打算の余地がありえよう。
門戸を開けようとしないミャンマーの軍事政権は、全く別世界の住人らしい。立場を超え広く海外から駆けつけた人々と力を合わせ救援活動をする国軍兵士の姿など、想像するだけで鳥肌が立つのか。あの劇中の、かたくななドイツ軍将校と何ら変わらない。
「コンバット!」の無名の兵士たちは無駄なことをしたのか。いや、がれきの下から敵対を超えた連帯や親近の情を掘り出し、恐れ憎み合うむなしさが心をよぎった。それぞれの陣地に無言で戻る兵士たちの表情が、それを物語る。
軍事政権が心底恐れているのは、それかもしれない。(論説室)
毎日新聞 2008年5月20日 東京朝刊
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