散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

横浜散歩・富士塚で富士見

2009年01月04日 | ☆横浜じゃん

やっぱり、日本一のお山、富士山は見事だ。
ここ数日、天候にも恵まれて、寒波という割に、日向は暖かい。私の住む瀬谷区では、海軍道路辺りから北方面は、丹沢山系に隠れて富士山が見えなくなってしまう。三ツ境からの眺めも悪くはないが電線や家屋が視界を邪魔する。だから、富士見には、越境して泉区の富士塚まで出かける。富士塚といっても、泉区には下飯田町と和泉町の2か所あって、遠望するのは後者の富士塚が有名だ。
さて、富士山が噴煙をあげていたことを物語る和歌が柿本人麻呂の歌集に残されており、万葉集にも数首あるという。富士の名の由来は、最も天に近き山として竹取物語にある。続日本紀には、噴火により火山灰が雨の如く降り積もり、木々がすべて枯れたと記録されるほど、古来から火山活動の激しい山だった。昔の人は、天変地異が神の仕業と考えた。それだけに、富士山が見え、富士山から湧き出た雲に覆われ、火山灰が降り注ぐ地域では、信仰の対象として畏れ敬った。
「富士塚」をウィキペディアでひくと、富士信仰に基づき造営されたものと書かれている。関東に多く、浅間神社が祀られていたり、高低も様々だったりするらしいが、もっぱら江戸時代に流行った富士講の影響が大きい。土地の人に聞いたところ、和泉町の富士塚は、江戸時代、宝永の大噴火により積もった村中の火山灰を運んだことにより出来たものと伝わる。浅間社らしきものはないが、古くから横根稲荷社があり、松林に覆われていた。戦中には航空灯台が設置され、戦後、切り崩されて、競馬場が開設されたこともある。その後、東京電力京浜変電所が設置され現在に至ったという。もし、昔の風景が広がっていたら、もっと絶景だったに違いない。


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