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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

20世紀少年

2008-09-14 20:19:21 | 映画(な)
評価点:60点/2008年/日本

監督:堤幸彦

驚くほど忠実。ある一点を除いては。

1997年、コンビニを経営しているケンヂ(唐沢寿明)は、同窓会の場で妙な噂を聞く。
友人たちの何人かが口にしたのは、同じ新興宗教にはまっている者が増えてきている、ということだった。
同じ頃、コンビニを訪ねてきた刑事が、酒屋時代からの得意先のお茶の水工科大学の敷島教授が一家全員失踪したことを知らされる。
彼らに共通しているのは、どこかで見たことのあるシンボル・マークだった。
そして、数日後、幼なじみのドンキーが、自殺したことを知る。
ドンキー(生瀬勝久)からの手紙を玄関で見つけたケンヂは、偶然ではないことに気づき始めるが……。

浦沢直樹といえば、現代においてもっとも代表的な漫画家の一人だろう。
「YAWARA」「Happy!」「MONSTER」など、小学館が抱える売れっ子だ。
その中でも評価が高かった「20世紀少年」が映画化された。
原作の方は子供向けではなく、大人向けの本格サスペンスの漫画になっている。
時間軸が交錯することによって、謎を残しながら進んでいく、という彼独自のテンポで進む。

僕はこの漫画は、連載当時7巻~8巻くらいまでは読んでいたが、その後は週刊ペースでは追い切れず、読まずになっていた。
今回、映画化されるということを聞いて、機会を得て見に行くことにした。
結末を知らないため、的外れな批評になっているかもしれないが、ご了承願いたい。
今、鋭意読破中である。(現在17巻まで読了。)

▼以下はネタバレあり▼

唐沢寿明に、常盤貴子、竹中直人、黒木瞳、佐野史郎、藤井フミヤ……
なんと豪華なキャスティングだろう。
否が応でも期待が高まるというものである。
しかもその配役が、「え? この人こんな使い方?」というような、ちょい役にも、豪華なキャスティングになっている。
日本テレビが本気になった、という印象を誰もが受けたはずだ。
僕の周りには原作を知らないで見に行く人もいるほどだ。(というか世間ではそのほうが多いのかもしれない)

まず、監督の堤幸彦の言葉から引用したい。
「今回は、何度も言っていますが、“原作原理主義”です。原作が、脚本を書いてくれる映画なんてなかなかないですし、原作者の方が膨大な原作から抽出した場面を忠実に撮ることだけを心がけました。」
(映画パフレットから)

監督の話からわかるように、この映画は漫画に「忠実に」作ることをコンセプトに作られている。
その言葉は嘘ではない。
堤幸彦監督だけあって、その再現は見事という他ない。
みた当初、僕は漫画の内容をあまり覚えていなかったが、それでも、漫画の記憶がよみがえってくるほどに、漫画の実写化に成功している。
「全く同じアングルだ!」と思わせるのは一度や二度ではない。
それだけではない。
登場する人物が、まさに漫画から抜け出してきたかのようにそっくりなのだ。
僕が一番ツボにはまったのは、ヤン坊とマー坊。
CGで双子のいじめっ子を見事に再現している。
むしろ、あまりにもそのままんまなので、演じている子役の子供がかわいそうだと思えたくらいだ。
そのほかの役者も特徴を捉えた配役になっている。
驚いたのは、子役と成長した大人の役者がこれまた、説得力があることだ。
ドンキーなどは、本当に子供時代に撮影したのかと思わせるほどだ。

このあたりの徹底ぶりに、漫画のファンはうなるはずだ。

爆破シーンなどのCGに目がいくかもしれないが、僕はこうした細かさがこの映画の肝なのだろうと思う。

そして、そのような「再現」が細部にわたるまで精巧であることが、この映画の最大の魅力でありながら、限界性でもあると思う。
この映画を見ていて思ったのは、この映画がおもしろいと思えば思うほど、それは、浦沢直樹の漫画家としての才能の抜群さだ。
実写に起こしても、これだけ見るに堪える作品を描いたことは、本当にすごい。
僕は「Happy!」の頃からの読者だが、彼の作品は、明らかに映像を意識したアングルやコマ割りが多用されている。
だから、実写にされても違和感がないのは当たり前なのだ。

もう一つ。
この映画が「再現」を追求していることは、映画を見れば誰もがわかることだ。
僕にはこの映画を見ていて、これは「映画化」ではない、「映像化」だ、と何度も思った。
この映画は映画としての自律性をかろうじて保っているものの、やはり映像化、実写化という趣が強い。
それは監督が意図したところでありながらも、僕はそこが残念だと思わざるを得なかった。
これでは、本当の意味での「20世紀少年」の「映画化」は完成しない。

浦沢直樹のすばらしい所は、手塚治虫にも共通しているのだが、話の作りのうまさだ。
これはもはや職人芸といってもいいくらい、話を組み立てるのがうまい。
それも細かいエピソードが重なり合うことで、大きな物語を形成していく、という組み立てだ。
僕は、雑誌で断念してしまったのに、今更読み返している理由はここにある。
つまり、コミックでこそ、その引き込まれる物語の魅力を味わえるのだ。
だから、いったん読むと止められない。
流れるように話が進んでいき、気づくと全巻読み終わっているのだ。
そこには話に引き込む組み立てととともに、テンポの良さがある。

浦沢直樹の本当の魅力は、話それ自体の内容ではない。
誰かが書いていたように、子供の頃に精神的な洗脳を受ける、という「MONSTER」は荒唐無稽なフィクションだ。
そして、その結末もひどかった。
また、「20世紀少年」もあまりにも現実離れしている。
彼は物語を終わらせるのがあまりうまいとは思えない。
それなのに、なぜ引き込まれるのか。
それは、彼には独特のテンポを持っているからだ。

だが、単なる映像化では、それは再現しきれない。
シーンを映像化することはできても、映画として、二時間の枠にそれを押さえるとなると、網羅しきれない。
もちろん、今回の映画は、シナリオの編集はうまい。
それは文句なしに、過不足なく枠内に収めるための工夫はされている。
近年まれにみるくらいの、完全な脚色だ。

だが、そのひずみはテンポにもろにあらわれてしまった。
はっきり言えば、映画としてのテンポは無残なものだといわざるを得ない。
はじめ、なか、終わり、という映画としての物語の緩急は、ほとんど望むべくもない。
淡々と映像化が続き、第一部への結末へと移行していく。
漫画を知るものは、再現されたことを手放しで喜ぶのかもしれないが、漫画を知らない人にとっては、映画として引き込まれるところはあまりなかったのではないだろうか。

映画というのは、賛否両論に分かれるものだ。
すべての人に最高の評価を得させるのは、とうてい無理だ。
この映画の両極端は、きっと原作が好きで映画館に行くのか、映画が好きで映画館に行くのか、というそれだけの差だろう。
それはすなわち、映画としての自律性に欠ける、ということなのだ。

そういう意味において、趣としては「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズに似ているのかもしれない。

それにしても素朴な疑問が一つ。
なぜ「三部作」なのに「第一章」なのか。「第一部」なのではないのか。
次作は読了した状態で見に行くことになるだろう。
観た人は、ネタバレされる前に、早くコミックを読んでしまうことをお薦めする。

え? “ともだち”はあいつなのか!?

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