secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

役に立たないマニュアル

2019-06-08 17:03:14 | 毎日コラム
けっこういい年になってきて、部下はいないが後輩がいる、という状況になってきた。
マニュアル作りを指示されることも多く、マニュアルをせっせと作ることになる。
だが、これが結構役に立たない。
マニュアル化というのは難しいのだと今更ながら痛感している。

思えば当たり前なのかもしれない。
AIに仕事を奪われないようにしろ、人間にしかできないことをしろ、といわれる昨今、マニュアルが通用するような仕事は、作業的なものでしかない。
だから、いかに工夫した文章を書こうとしても、どうしても「判断」が必要な例外が起こる。
それをマニュアルとして文字に起こすと、それはもはや大きな「失敗談」のような具体例の寄せ集めになってしまう。

こういうときはこうしました。
こういう客に対してはこう答えると失敗しました、だからこうしたほうがよいですよ。
それはもはやマニュアルではない。
特に他者(他社ではない)を相手にするような業務では、マニュアルの奥にある何かを伝えなければ仕事にならない。

少し余談だが、最近の電車の車掌のアナウンスは、過剰である。
この前は「新しい生活で慣れていないかもしれませんが、がんばっていきましょう!」というようなエールのようなアナウンスまで流れていた。
マニュアル以上のことを求めた結果が、過剰なサーヴィスに行き着いたのだろう。
彼(彼女だったか?)のアナウンスは、マニュアルの奥にある何か、をはき違えているのだと私には思える。

それは会社の物事のスタンスかもしれないし、その人の生き方そのものなのかもしれない。
それがなければ仕事が成りたたない、判断の根本になるようなもの。
けれども、それは成文化された時点で、一気に陳腐になり伝わらなくなる。

先輩の背中を見て仕事をしろ。
それはマニュアルを作ることよりも重要な意味を示唆していたのかもしれない。
後輩は私の背中を見て、逃げ腰になることがないように願う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ドント・ウオーリー | トップ | ジャレド・ダイアモンド「銃... »

コメントを投稿

毎日コラム」カテゴリの最新記事