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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

現代日本で交わるべき平行線

2018-09-16 10:11:35 | 毎日コラム
二人目を抱いて母親(うちの奥さん)が病院にいったことがあった。
待合室にいると、隣にいた老婦が話しかけてきたそうだ。
「やあ、かわいい。私の手を握ってくれた。」
そういって少しの間あやしてくれた。
「私は子どもができなかったから」とさみしそうにつぶやいて、赤ん坊の手を触っていた。

育児や子育てのニュースや記事を見ると、「母親になったことを過剰にアピールする女性」や「子どもを産まない選択をすることの正当性」など、どこか子育てに対する風当たり、そして子どもを産まない、産めなかったことに対する無言の圧力が世の中に強いようだ。

ともに私にはよく分かる。
子育てしている一方で、周りに子どもができなくてつらい思いをしている人がたくさんいるから。
両者の考え方はどちらも正しい。
平行線であるのはそのためだろう。

しかし、私たちは皆母親から生まれた。
母親でなくても、大人に育てられた。
少なくとも、一人で生まれて、一人で立ち上がった者はこの世にいない。
人が笑えるようになるには、その何倍も自分に誰かが笑いかけてきたからだ。

両者がもっと歩み寄れることはできないのだろうか。
会社の取り組みといったレベルではなく、子育てがもっと「社会化」できないだろうか。
それは保育士を増やすとか、義務化するとか、育休をとりやすくするとか、そういったレベルの整備ではなく、子どもと大人、子どもがいない大人、皆がそれぞれ子育てに携われるようにすれば、この両者は平行線にならずに、交わるところがあるのではないか。

子育ては苦しい。
夫婦二人ではとても育てられない。
だから、子どもがいるいないに関わらず、社会全体で育てていく感性や価値観が、今後少子高齢化社会を解決する、最も簡単で最もわかりやすい道なのではないか。
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