スマホによって世界を分節し、把握しようとしている。
ゆくゆくは、リアルな接触がなくなり、みなスマホばかりをみて世界を傍観することができるようになるかもしれない。
人は出歩かない。
歩くのはドローンだ。
自分と同じ目線で、リアル世界を体験し、そしてそれを私たちに直接的に、リアルタイムに情報として伝達する。
その現実を、私たちは現実として受けとめ、生きていく。
娯楽でも、仕事でも、出歩く必要はなくなる。
メリットはもちろん、事故やテロに出会わなくて済むということだ。
だが、そこまで考えて、それでもそれはやるべきではない、という思いに至る。
何不自由ない。
けれども、技術による現実の把握は、視野狭窄に陥るという危惧があることだ。
物理的にも、原理的にも、立体的に物事を把握できなくなる。
平面の世界では、どれだけ擬似的な立体的空間を構築しても、それはやはり平面だ。
そういえば、スマホに入ってくる情報は、都合の良いものばかりになりつつある。
Yahoo!は自動的にニュースを選別してくれている。
そんな中で、立体的にものごとをつかむ能力はどんどん衰退させられている。
言葉にできない、もどかしい。
整理できない、違和感がある。
まとまらない、つかみどころがない。
そういう現実こそ、私たちがより人間らしい泥臭さを保証することなのかもしれない。
私たちは多くの情報を手に入れることができるようになった一方、都合の悪い情報は見なくてよくなった。
とんだ情報社会といえよう。
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