secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

シェイプ・オブ・ウォーター

2018-03-02 19:50:37 | 映画(さ)
評価点:78点/2017年/アメリカ/123分

監督:ギレルモ・デル・トロ

奇跡を信じないのなら、この映画は何の意味ももたないだろう。

冷戦最中、アメリカはロシアを出し抜くために宇宙開発にいそしんでいた。
その開発局の掃除夫イライザ(サリー・ホーキンス)は話ができない女性だった。
あるとき、新しい研究対象として大きな水槽に入れられた生き物が運ばれてきた。
その生き物が来て以来、研究所では流血沙汰が起こるようになった。
恐る恐るイライザはその部屋に入っていくと……。

少し前から予告編が流れるようになって、気になっていた。
スリービルボード」と同じ20世紀サーチ・フォックスの配給で、アカデミー賞争いにも絡んでくるだろうという呼び声が高い。
公開初日に行くことができて、ラッキーだった。
おもったほどには客はいなくて、8割程度か。

予備知識は入れなかったつもりだが、予告編が十分ネタバレしている。
音楽、映像、演出、映画館で見るべき心地よい空間が作られている。
ぜひ、映画館に向かうべきだろう。

▼以下はネタバレあり▼

ネタバレされてもあまり気にしないタイプの映画だ。
どんな落ちになるのか、どういう結末になるのか、どんな生物が登場するのか、知っていても面白いだろう。
それは、この映画の胆が「映像と音楽が作り出す、全体の物語性」にあるからだろう。

アカデミー賞も何らかのかたちで絡んでくるだろう。
そういう作品だ。

言葉を聞き取ることができるけれど、言葉を発することができない女性が主人公だ。
中年くらいだろうか。
若くはない。
ヒロインとしても歳が行き過ぎているし、きれいな方でもない。
冒頭そんな彼女にマスターベーションさせるのだから、この映画は単なる恋愛映画ではないことはすぐにわかる。
彼女は、冷戦時代のアメリカが世界でも力をつけて二大大国になろうとしているときにあって、何も持たない女性だ。
声をもたないのはその象徴であり、声なき女性で、取るに足らない女性だ。

そのイライザが恋をするのは、知的生命体であり、言葉を話せないが理解ができるという意味で、共通している。
そのデザインが、畏怖と恐怖、そして美しさを兼ね備えているのだから、すばらしい。
デザインに3年を要したという話はウソではないだろう。
奇妙きてれつで恐怖さえ抱かせるような容貌でありながら、ラストでは完成された美しい容貌へと変化する。
デザインが変わったわけではないのに、撮り方によってこれほどまで美しくなるのだから、監督の手腕としか言い様がない。

話が逸れた。
彼(としておくが)は、差別の対象となる。
人間には理解できない知力と、能力と、そしてその容貌によって研究対象となってしまう。
そこには、得体の知れないものを、コントロールしよう、解明しようという態度しかなく、同じ目線で見つめたりはしない。
まるで白人がはじめて黒人に出会ったときにとった態度のようだ。

その生き物を管理しようとするのが、警備を任されているストリックランド(マイケル・シャノン)だ。
彼のキャラクターがすばらしい。
彼は最後に告白するが、ずっと子どもが食べるキャンディーを噛んでいる。
それは彼が子どもであることを象徴する。
子どもだから、得体の知れない生き物を弄び、痛い目に遭う。
子どもだから、キャデラックに乗り、ヒーローになった気になる。
薦められたものをそのまま買ってしまうくらい、彼には「判断力」がない。
誰かのために、誰かに言われたことを忠実にこなしているだけで、それは自分としての判断を下したことがないのだ。

彼がセックスするとき、ほとんど妻に対して愛情を持って接しないことも、彼が自分を生きていないことを表している。
子どもが拳銃と地位を持ったとき、差別しかできないということをよく表している。

もう一人押さえておこう。
イライザの隣に住む画家のジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)である。
彼はフォトグラフに押されて、雇われの画家を辞めた経緯がある。
生活を取り戻そうとするが、受け取ってもらえない。
そして彼には秘めた想いがあった。
すでに初老にさしかかっている彼は、フランチャイズのカフェの店員に恋をしていた。
もちろん、同性愛を受け入れるような社会は育っていない時代の頃だ。
(今だって十分に、その点はあやしいが)
相手に拒絶されたことで、自分が誰にも理解されていないことに気づく。

人間らしい姿をしているのに、人間らしく自分の思うままに生きることができない。
その人間らしいかたちとはなんだろう。
それが「水のかたち」という原題の意味だろう。
かたちによってどんなことが判断できるだろう。
かたちは、ある種の記号に過ぎず、その奥にある意味は、誰が理解してくれるだろう。

この映画に出て来る人々はみなアンビバレンツな状態にある。
気持ちと体、意志と立場、理想と現実。
そうした狭間に置き去りにされた人々が、映画の中で一つの真実を紡いでいく。

いきなり歌い出したり、水が部屋一杯に溢れたり、幻想的なことが次々起こっていく。
その出来事を「なんでやねん!意味分からんぞ」となった人にはこの映画は理解できない。
私はこの「何かが起こりそうな世界」を描ききった、監督に拍手を送りたい。

アカデミー賞はこういう映画が大好きだ。
特に同性愛と人種差別に対してNOを打ち出す、メッセージは昨今のアメリカの世相を色濃く反映している。
スリービルボード」では、結局差別に対して何の解決も見せなかったのに対して、こちらのほうが作品賞に近いだろう。

しかし、私にはそんなことはどうでも良い。
最後の抱擁する二人の姿は、記憶に残る一つの真実を描いていることは確かなのだから。

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