父ちゃんは今日もお仕事?
日曜、三人でどっかいこうや~。
そういわれてもいけない時がある。
私の本業が日曜も仕事をしなければならないことが多いこともあり、彼と過ごせる時間は少ない。
気づけば息子も忙しそうにリビングにジオラマを構築している。
おもちゃで作ったターミナル駅らしい。
忙しいということばが当たり前のように、恒常的な状態になりつつある。
それは私に限ったことではないだろう。
だが、本当に忙しいのだろうか。
技術や正確な時計が開発されたことによって人はますます時間に縛られて、秒刻み、分刻みのスケジュールを生きている。
私たちを楽させるはずの技術が、私たちを縛る。
本当にそうなのだろうか。
むしろ私たちは、忙しいということばを使うことで、実際には暇なのに充実していると錯覚させているのではないか。
人間にとって最もつらいのは、退屈だと誰かが言っていた。
むしろ、私たちは退屈すぎて、スマホをいじって、退屈でないと嘘をついているのではないか。
味噌汁はだしの素があるし、お米は研がなくても炊飯器に入れてスイッチを入れればすぐに炊き上がる。
明らかに楽になった。
食べたい時に食べればいいし、目覚ましがあるので、少しの時間でも寝られて起きられる。
遅刻は原則的にすることはない。
統計は取っていないので知らないが、学生の頃に比べて、今は寝坊で遅刻なんていう同僚を見たことがない。
私たちは忙しいということで、自己を錯覚させて、本当は暇でしょうがないことを、隠蔽しているのかもしれない。
いや、それはあんただけだ、という声が聞こえてくる。
そうなのかどうか、一度検証してみる価値はあるかもしれない。
時間の断捨離。
私たちができないのはこれかもしれない。
日曜、三人でどっかいこうや~。
そういわれてもいけない時がある。
私の本業が日曜も仕事をしなければならないことが多いこともあり、彼と過ごせる時間は少ない。
気づけば息子も忙しそうにリビングにジオラマを構築している。
おもちゃで作ったターミナル駅らしい。
忙しいということばが当たり前のように、恒常的な状態になりつつある。
それは私に限ったことではないだろう。
だが、本当に忙しいのだろうか。
技術や正確な時計が開発されたことによって人はますます時間に縛られて、秒刻み、分刻みのスケジュールを生きている。
私たちを楽させるはずの技術が、私たちを縛る。
本当にそうなのだろうか。
むしろ私たちは、忙しいということばを使うことで、実際には暇なのに充実していると錯覚させているのではないか。
人間にとって最もつらいのは、退屈だと誰かが言っていた。
むしろ、私たちは退屈すぎて、スマホをいじって、退屈でないと嘘をついているのではないか。
味噌汁はだしの素があるし、お米は研がなくても炊飯器に入れてスイッチを入れればすぐに炊き上がる。
明らかに楽になった。
食べたい時に食べればいいし、目覚ましがあるので、少しの時間でも寝られて起きられる。
遅刻は原則的にすることはない。
統計は取っていないので知らないが、学生の頃に比べて、今は寝坊で遅刻なんていう同僚を見たことがない。
私たちは忙しいということで、自己を錯覚させて、本当は暇でしょうがないことを、隠蔽しているのかもしれない。
いや、それはあんただけだ、という声が聞こえてくる。
そうなのかどうか、一度検証してみる価値はあるかもしれない。
時間の断捨離。
私たちができないのはこれかもしれない。
熱量が関係するときに時間という概念があると世界を表現しやすい。
つまり
時間も概念に過ぎないといった主張があります。
なかなか時間は存在しないという現実に臨場感を持てませんが・・
やはり時間はありますよね笑
>フランスさん
書き込みありがとうございます。
量子力学ではすべてを物理というテーブルに乗せてしまうので、私たちはの経験的感覚とは随分異なってしまいますね。
私はどちらかというとどういうふうに時間を認識するのか、という点のほうに興味があります。
量子力学もちょっとかじりたいのですが、いかんせん、まったく理解できないので……。