台灣媽祖日記

海の女神・媽祖などの研究調査のための台湾滞在記 日本の媽祖・天妃信仰も紹介

芋頭粥的發音是很難

2005-02-24 | 食と生活
半月ほど前から南京路と復興路の交差点に粥の屋台が出るようになったので、ここでバスに乗るときは朝食用にテイクアウトしていきます。お気に入りは大きなサトイモが入った芋頭粥。

いちおう豚肉と野菜で味をつけてありますが、とても淡白です。そこで登場豉左手の小さなビニール袋。刻みタクワンと豆豉がピリ辛に味付けされたのが入っているのですが、ほのかに甘い芋頭粥との相性抜群です。

ところで小生はこの「芋頭粥」の発音が下手で、まだ一度も通じたことがありません。三回目以降は、目が遭っただけでおばさんが「大碗?小碗?」と聞いてくるので不自由はないのですが、やはり悔しい。

バスに揺られて30分、研究院についてから食べると猫舌の小生にはちょうど良いあんばい。豆豉は日本の大徳寺納豆や浜納豆の本家だそうですが、歯にあてると滋味に富んだ奥深い塩辛さと風味が口の中に広がり、朝から豊かな気分にしてくれます。

海岸線變化和媽祖廟 《台湾媽祖史10》

2005-02-24 | 媽祖と研究
左から17世紀初頭、中葉頃、後半の地図に描かれた台南です(だいたい30~40の年代差)。左図の娘媽宮は施琅創設の大天后宮で、海岸埠頭に面していました。

中図になると媽祖宮(大天后宮)の下(西側)に水仙宮と西門が建てられ、海岸埠頭はその西に移動します。

右図ではさらに埋め立てが進んでいます。西門の下(西側)にある廟は風神廟で、現在の大天后宮より400~500m離れています。福康安が海安宮を建てるのはこの図の10年ほど後になりますが、ちょうどこの風神廟のあたりのようです。

はじめは埠頭に面していた媽祖廟が埋め立てで海から遠のくと、また新しい媽祖廟が埠頭に設置されていくのですね。

台南海安宮和鹿港新祖宮 《台湾媽祖史9》

2005-02-24 | 媽祖と研究
清朝の統治時代にも台湾では反清蜂起がしばしばありました。1786~88年の林爽文たちの蜂起は大変規模の大きいものであり、清朝は福康安を大将軍に任じて大軍を派遣しようやく鎮圧しました。

故宮博物館にある12幅の銅版画「平定林爽文戦役圖」は、清朝がこの戦いを記念するため作成したもので、写真は福康安の大船団が台湾に上陸する時の様子です。

このときに天后聖母(媽祖)の神佑があったとして、平定後に福康安は上陸地の鹿港(彰化縣)に新しい天后宮(新祖宮)を創建するとともに、府城のあった台南の埠頭付近にも新たに媽祖を迎えて海安宮を建立します。