台灣媽祖日記

海の女神・媽祖などの研究調査のための台湾滞在記 日本の媽祖・天妃信仰も紹介

台南大天后宮的大媽 《台湾媽祖史7》

2005-02-18 | 媽祖と研究
施琅は台南に入るとすぐに、明朝再興を掲げる鄭氏政権の象徴だった寧靖王旧宅を媽祖廟に改めて福建省から媽祖を向かえ、翌年、皇帝から下賜された天后宮の名を掲げます。これが現在、台南市中心部にある大天后宮です。

正殿の中心に鎮座する大媽はそのときに渡されたものと伝えられています。清朝の官廟で、施琅の「平台紀略碑」などもあります。

去年6月になんとこの大媽の頭部などが落下するという惨事が起きました(ブックマーク参照)。80年以上、修復してなかったので傷みがひどくなっていたらしいです。

今年1月27日に本格的修復工事の開始の典礼が市長も参列して挙行されました(ブックマーク)。修復のための調査で福州杉が使用されていたことがわかったことも興味深いけど、式典で大天后宮の関係者がそれぞれ清朝の府城知府と縣令に扮しているのが面白いですね。


清王朝的媽祖利用 《台湾媽祖史6》

2005-02-18 | 媽祖と研究
1683年に鄭氏政権は倒され、台湾は清朝の統治下に入ります。この時の清軍司令官は、鄭氏側から寝返った施琅でした。大船団を率いて台湾を制圧した彼は、その功績で清朝から靖海公に封じられます。

鄭氏制圧の功績で出世したのは施琅だけではありません。媽祖もこの時に「天妃」から「天后」に昇進します。これは台湾が平定できたのは、媽祖の霊験による数々の奇跡のおかげであると施琅が奏請したからです。

写真左は福建省平海の媽祖廟前にある師泉井で、水が無くて清の大軍が困っていた時に、媽祖のお告げによって施琅が掘ったところ、清の大軍を養うに十分な水が湧き出たという霊験譚を描いています。写真右は両者の形勢を決した澎湖海戦の時に、天空で媽祖たちが清側に加勢している様を描いたものです。

媽祖は古くから中国南部沿海で信仰されてきました。ですからこの海域を基盤とする鄭氏政権の守護神でもあったわけですが、その倒壊の過程で北方の満州族が建てた清朝によって取り込まれていくのです。