安平の靈濟殿は、旧北極殿・水仙宮・慈濟宮・仙史宮の神像が合祀されたもので、この地区に住む漁民たちの信仰を集めています。向かって右側に安置されている旧仙史宮の伍府恩主公には、次のような伝承が…
鄭氏政権末期の1679年、船や筏で出漁中の約200名の漁民が暴風で遭難しましたが、突然遠くでまたたき出した灯光を頼りに漕ぎ進み、澎湖諸島望安島の海岸にたどり着き半数が助かりました。
岸の上に仙史宮があったので、灯光を発してくれたのはここの伍府恩主公と考えた漁民たちは、香火を分けてもらって帰り、安平にも同じ仙史宮を建立して伍府恩主公を祀った、いうことです。
今は台南運河に面している廟の前には、色とりどりの旗が高層マンション群をバックに、海からの強い風にはためいていました。
鄭氏政権末期の1679年、船や筏で出漁中の約200名の漁民が暴風で遭難しましたが、突然遠くでまたたき出した灯光を頼りに漕ぎ進み、澎湖諸島望安島の海岸にたどり着き半数が助かりました。
岸の上に仙史宮があったので、灯光を発してくれたのはここの伍府恩主公と考えた漁民たちは、香火を分けてもらって帰り、安平にも同じ仙史宮を建立して伍府恩主公を祀った、いうことです。
今は台南運河に面している廟の前には、色とりどりの旗が高層マンション群をバックに、海からの強い風にはためいていました。