先日の男声合唱団の公演が終わったので終活断捨離を開始しています。
外を見ると庭の草花たちが活発に活動開始をしていて剪定などが欠かせません。
(昨年斜め裏の奥様に頂いたご実家の博多からきた菖蒲が咲きました。)
(レモンの枝は上に上に伸び放題なのでこまめに剪定しています)
(こちらは斜向かいの奥様から譲り受けた白い蘭、土に埋めていたら咲かなかったのが
YouTubeを見て水苔でくるんで水捌けをよくしたら機嫌良く咲いてくれました。)
片付けをしながら先日のプログラムを眺めたりしていて思いました。
男声合唱といえば、ロシア民謡や黒人霊歌も聴きたかったのですが、今は一方的な歴史観で
惨い侵略戦争をしている国の歌はどの合唱団でも選曲しずらいのだろうと思いました。
元満州の大連で中学1年生で終戦を迎えた夫は敗戦のどさくさの中で一家で引き上げ船の順番を
待っていて、日本の地を踏むまで、中学校には殆ど通えなかったそうですが、帰国後は中学校長を
していた叔父に勉強を習い留年しないで新制中学の2年に編入出来たそうです。
大連ではピーナッツ売りなどもしたそうです。やがてロシア兵達が銃を持って沢山やってきたそうです。
ある日男の人が凄い血相で駆けてきて走り去って、その後をロシア兵が追いかけてきて
「どっちに逃げたか?」と聞かれて、一瞬反対方向を指さしたそうで怖い思いをしたとか。
そのロシア兵達が時々合唱をしていたそうで、そのハーモニーは美しく心に残っているそうです。
小学校の6年間の担任の先生が立派な音楽の先生でクラス全員多大な影響を受けているようです。
音楽が好きななったのは この先生の影響もあるようです。
帰国後も生徒達は先生を慕ってクラス会が続けられて、先生が亡くなられたらお墓参りをしていました。
その後は夫婦同伴可になりコロナ渦に至るまで全国で場所を変えて開かれていました。
これに相反する小学校時代を過ごた私は夫の受けた素晴らしい教師の指導や教育環境に感心し
羨ましく思い子供自身ではなすことも出来なかった教育環境の天と地の差を感じずにはいられません。